第240話 好きとエロはまた別の話
「スースーするな……」
俺はセーラー服のプリーツスカートを見下ろしながら、一人ごちた。
舞踏会の衣装はレンタル品だ。多目的ホールを出るには制服に着替えなければならないが、今の俺のアバターはチェリーのものである。ということで自然、女子用のセーラー服を着ることになったわけだが――
心許ねえ~~~! 女子ってこんなんで出歩いてんの!?
俺は目の前の姿見を見ながら、プリーツスカートの裾を軽く摘まむ。
大きな姿見に映るのは、桜色の髪の美少女。見慣れたチェリーのアバターだ。
だからもちろん、プリーツスカートから伸びるのは、ニーソックスがかすかに食い込んだ白い太腿……。
……スカート、めくったらどうなるんだろうな?
これは純然たる興味だ。下心など一切ない。マジで。
本来、MAOではセンシティブな部分は謎の光などで見えないようになっている。だが、果たしてそれは自分の身体であっても有効なのか。
漫画やアニメでの入れ替わり展開なら、お風呂とかトイレとかで裸を見る機会が発生するんだけどな~。ゲームじゃ着替えも一瞬だからな~。
ゲーム内でできることと言ったら――
目の前には大きな姿見。セーラー服姿の美少女がしっかり映っている。
ここで少し、規制に引っかからない程度に、セクシーなポーズを取る程度のことなら……できる。
「――うう~~~!!」
「っ!?」
突然の唸り声に、俺はハッとして振り返る。
更衣室にはカーテンで間仕切りが作ってあり、チェリーはその向こう側で着替えをしていた。服を脱ぐわけでもないのにそうしているのは、『なんだか嫌な予感がします』というチェリーの提案がゆえだ。
……気取られたわけじゃないよな?
俺は少しだけ安堵しつつ、
「どうした?」
「……せんぱぁい……」
カーテンの中から弱々しい声が返ってくる。
本当にどうした。
基本、意地っ張りな奴だから、こんなに素直に泣きそうになっているのは珍しい。
「入っていいか?」と許可を取ってからカーテンを引くと、そこにはぐいぐいとセーラー服の裾を下に伸ばしているチェリー(in UO姫)の姿があった。
「……何してんの?」
「す、裾が……裾が寸足らずなんですよぉ……」
「はあ? んなわけねえだろ。MAOの装備は自動的にサイズ合わせてくれるんだから――」
「これのせいですよ!」
チェリーはおもむろに、わしっと自分の胸を――小柄な体格に不釣り合いな爆乳を、小さな両手で鷲掴みにした。
「この不自然なチチのせいで! 裾が足りなくなるんです! 重いし揺れるし引きちぎりたい!!」
チェリーは憎々しげに、その巨大な脂肪の塊をむにむにとこねる。餅のように。こねる。こねる。
……ぐう……!
手の動きに合わせて柔らかに変形する光景だけでも犯罪的だが、同じくらい問題なのは、本人も言っている裾のほうだ。
山のような膨らみによって持ち上げられたセーラー服は、すだれのようになってお腹の前に空間を作っている。もちろん、その分寸足らずになるわけで、小さなへそや、綺麗にくびれた腰が、すっかり露わになってしまっていた。
……目に毒が過ぎる……。
UO姫はあれで意外とストレートな露出は勿体ぶるタイプだから、胸に比べて冗談みたいに細い腰が見えるだけでも、見てはいけないものを見ている気分になってくる。
いや、っていうか、見るなよ。見なきゃいいんだ。何言ってんだ俺は――
「……先輩?」
チェリーが、すっと目を細めた。
それから、セーラー服の裾を腕で押さえる。それで腰は見えなくなるけど、今度はボリューミーな胸の形が露わになる。
「なんか……いつもより、視線がいやらしい気がするんですけど?」
「……お、お前がそんなことするからだろ……」
「それを差っ引いてもです! なんか熱を感じるんですけど! 普段の私はそんな風に見ないくせに! なんであの女の姿になった途端そうなるんですか! やっぱり胸ですか!?」
チェリーはずんずんと詰め寄ってきて、間近から俺を睨み上げた。
馬鹿やめろ! 近付くと今度は襟から谷間が覗けるんだよ!
俺は努めて目を逸らしながら、
「ち、違うって……普段のお前は、だって、ほら……あれじゃん?」
「あれってなんですか?」
「い、いや、それはさぁ……」
「なんですか! はっきりしてください! 先輩は実は、私よりあの女のほうが好みだったんですか!?」
UO姫のベビーフェイスで柳眉を逆立てるチェリー。
俺はあーとかうーとか意味のない呻き声を出して誤魔化すことしかできなかった。
こんなん、理由を言ったらさらにキモがられるに決まってんじゃん。
何とかうやむやにできないかなあと考えていると、救世主が現れた。
「着替え終わったぁー?」
ガチャリとドアを開けて入ってきたのは、パーカーを着たイケメンだ。
氷室白瀬――の姿をした、千鳥・ヒューミットである。
その後ろに金髪ギャルが続く。こっちの中身が本物の氷室白瀬だ。
千鳥は詰め寄るチェリーと詰め寄られた俺を見て、
「どしたん?」
「聞いてくださいよ千鳥さん! 先輩がいやらしい目で見てくるんです!」
「いやー、それはしゃーないっしょー。そのアバターがエロすぎるのが悪いわー」
「普段は全然そんな目で見てこないくせにですよ! なんか女子のプライドが傷付くじゃないですか!」
「あーね。そっちね」
「ふーん?」と、千鳥は意味ありげな目で俺を見た。
おい……何か言う気か? やめろよ? お願いだからノーコメントで流してくれよ!?
祈っていると、千鳥はにまっとにやついて、
「あのね~、チェリーさん。男子ってのはねー――」
「ちょっ、おい!」
止めに入ろうとした瞬間、後ろから羽交い絞めにされた。
ギャル姿の氷室だった。
「おい!? なんだよ! 放せって!」
「なんか面白そうだからイヤで~す」
「キャラの原形がなくなっててわかんねえんだよお前!」
不思議そうな顔をするチェリーに、千鳥はそそっと近付くと、俺をちらちら見ながら言った。
「これは人によるんだけどね?」
「はい?」
「男子ってさあ――本当に好きな女の子では、エッチなこと考えられないらしいよ?」
「……え」
チェリーの表情が固まり、俺の顔がカーッと熱くなった。
ああくそ! 赤面のしやすさまでチェリーと同じになってんのか!?
「えっ?」
固まった表情のまま、チェリーは俺の顔を見て、
「……え、ええ~っ……?」
頬をさっと染めながら、困惑げな声を漏らした。
俺が溜まらず顔を逸らすと、千鳥が楽しそうに、
「汚してるみたいで嫌なんだってさ~! 普段いやらしい目で見られないっていうのはそういうことじゃないの~?」
次いで後ろの氷室が言う。
「え~! ケージ君、チェリーちゃんのこと好きなんだ~!」
「そっ! そんなんじゃねえし!」
「うっそだ~!」
「嘘じゃねえし!」
「小学生か!」
千鳥がけらけらと笑いながら突っ込んだ。
その横で、チェリーが静かに耳まで真っ赤になっていた。
――次に盗まれるのは、晴屋京さんです
と、チェリーが宣言したのはいいものの、虚面伯が具体的に何を狙っているのかは未だに不明だった。
もちろん、俺たちは質問した。
天初百花に、何か心当たりがあるんじゃないか、と。
しかし天初は、
――ごめんなさい。答えられません
そう、答えた。
隠しているようで、何も隠していない答えだ。
天初百花は何かを知っている。
それを確信する答え方だった。
この後の予定を打ち合わせると、天初はいったん配信を終了したが、SNSの配信ハッシュタグではずいぶんと考察が盛り上がっているようだった。
俺たちが着替え終わった後、天初は護衛として氷室と千鳥の二人を伴い、《法律》のチェックに向かった。他にも虚面伯にいじられている部分があったら大事だからな。
一方の俺たちは、虚面伯やその共犯者・雨矢鳥フランを捜索するために、いったん装備を整えることにした。
今のところ『PK禁止』の《法律》が無効化されている様子はないが、戦闘がないとも言い切れない。しかし俺たちはアバターごとステータスが入れ替わっているせいで、本来の力を発揮できない状態だ。
この上、ステータスに合った装備もしていないとなったら話にならない。
ということで、俺たちは氷室に用意してもらった隠し部屋に戻り、チェストを漁って使えそうなものを探していた。
「先輩のほうは私の武器や防具を渡せば何とかなりますけど、問題はこっちですね……」
「UO姫ってどんなビルドになってんの? 弓使いなのは知ってるけど」
「うーん……なんというか、変態的というか……役割としては、攻撃役兼支援役なんですかね。ステータスポイントは、弓を扱うためのSTRとDEX、それと魔法系統に振ってあるみたいです」
「……わかっちゃいたけど、前衛不在だな」
「パーティが成り立ってませんねえ……」
そもそも、俺とチェリーはパーティとしては極めて変則的な構成だ。
普通は最低でも攻撃役、盾役、回復役の3人でパーティを組むところを、俺がアタッカーと回避盾の二役を兼任し、チェリーがアタッカーとヒーラーとバファー、そして指令役の四役を兼任することで、無理やり二人でパーティを成り立たせている。
前衛の俺がいなくなったら言うまでもなくパーティ崩壊だし、チェリーの役目は一朝一夕で真似できるようなもんでもない。
「せめて誰か前衛がいたら、まともに戦えると思うんだけどな……」
「もし戦うことになったら、氷室さんと千鳥さんに入ってもらうしかなさそうですね」
「っつーかさぁ、俺のアバターはどこ行ったんだよ。《ジ・インフィニット・フェイス》がアバターを入れ替える魔法なら、俺のアバターも誰かが中に入ってるってことだよな?」
「そうですね……。《魔剣フレードリク》がこちらにある以上、先輩のアバターの真価を発揮できるとは思えませんけど。……というか、そもそも先輩以外に扱えませんしね、あんなピーキーなステータス」
「ロボットアニメの主人公機みたいでカッコいいだろ?」
「はいはい。すごいすごい」
AGI極振りのロマンがわからんとは。つまらん奴め。
チェストを一通り漁ってみたが、使えそうな弓は見つからなかった。
使ってない武器はたぶん家だな。
いったん帰ることもできるが、そもそも練度の甘い弓装備でまともに戦えるのかという問題もある。ここはUO姫のスタイルを再現するのは諦めて、杖を装備して魔法を軸に戦ったほうが良さそうな気がするな。
「で、どこを探すんだ? 心当たりはあるのか?」
「虚面伯も雨矢鳥さんもとっくにログアウトしてるかもしれませんし、本人を探しても仕方ない気がします。ここはやはり、虚面伯の狙いを特定するのが先決ではないかと」
「できるのか、そんなこと?」
「知ってそうな人を問い詰めるんですよ。もちろん天初さん以外の」
「天初以外の、知ってそうな奴……?」
「いるじゃないですか。雨矢鳥さんが共犯者に確定したことで、急速に怪しくなった人間が。昼は泳がせてやりましたが、もはや遠慮する理由はありません――」
急速に怪しくなった人間?
雨矢鳥の関係者ってことか。それで言うと、雨矢鳥に依頼されて事件に関わってる俺たちが一番怪しいが……そもそもそれも、雨矢鳥の友人だっていうあいつが俺たちを紹介したからで――
――コンコン。
部屋のドアがノックされた。
氷室と千鳥とはまた合流する手はずになっている。また迎えに来てくれたのか。
「俺が出るわ」
チェリーの手が空いてなさそうだったので、俺がドアを開けた。
すると。
俺がいた。
「…………え」
俺は口を開けて、その顔を見上げる。
鏡で見るよりデカく見える。当たり前だ。俺の身長が20センチほども低くなってるんだから。
そこにいたのは、俺の――《ケージ》のアバターだった。
「お前、誰――のわっ!?」
俺の姿をしたそいつは、突如として俺の肩を掴むと、強引に部屋の中に入ってくる。
力が強い……! 当たり前か。俺のアバターなんだから!
「先輩!?」
チェリーが驚いて顔を上げたときには、俺は壁に押さえつけられていた。
……やべ。ちょっと怖い。
自分よりデカい男に詰め寄られるってのは、それだけで結構な恐怖だった。
戦闘中とかにチェリーを押し倒す形になってしまったことは何度かあるが、あいつはそのたびにこんな気持ちだったんだろうか。だとしたら申し訳なく思えてくる。だとしなかったら今度は逆に俺のことをナメすぎだが。
俺は怖さを押し隠し、間近にある自分と同じ顔を睨み上げて、言う。
「……誰だ、お前」
俺の顔をしたそいつは――にまあ、と笑った。
その笑い方には、見覚えがあった。
「――約束通り、遊びに来たよ?」
その笑み。
話し方。
そして、チェリーが今、誰になっているかを考えれば。
連想は容易だった。
「おまっ……!」
「まさかっ……!」
俺の顔をしたそいつは。
俺のアバターに入った――UO姫は。
「言ったもんね、チェリーちゃん?」
息のかかるような距離から俺を見つめて、
「夜に、ケージ君とチェリーちゃんがチューするって――言ったもんね!」
……ん?
俺と、チェリーが……?
あれ? いやでも、今のケージはこいつで、今のチェリーは――
ってことは?
「「…………んん!?」」




