第237話 舞踏会から抜け出して
壇上のNPC楽団が、優雅なワルツ? ……的な音楽をホール内に響かせる。
所狭しとひしめいた仮面のペアが、次々と手を取り合っていき、ゆっくりとしたステップを踏み始める。
「どうぞ、先輩」
「お、おう……」
俺は少し緊張しつつ、差し出されたチェリーの手を取った。
それから、握り合った手を横に伸ばし、互いの肩をくっつけるようにして組むと、足元に変化が起こる。
床に円形の光が現れたのだ。
「これを踏んでいけばいいみたいですね」
「おっ、音ゲーシステムか。じゃあいけそう」
周りの奴ら、なんでそんなに当たり前みたいに踊れるんだと思ってたら、そういうことか。
チェリーはくすりと笑って、
「でも、足元ばかり見てたら不格好ですよ?」
「そこは……まあ、何とかする」
「頑張ってリードしてくださいね、先輩?」
無茶言うな。競技ダンス部でもないただの高校生に。
足元のノーツを踏んでいく。
上手くできているもんで、ただそれだけでもなんとなく様になった。おまけに周りのペアともぶつからなくなっている。
足元の譜面は同じステップのループで、しばらくすると見なくてもわかるようになった。
とはいえ、目の前のチェリーの顔を(仮面付きとはいえ)じっと見ているのも照れ臭くて、俺は微妙に横を向く。それを面白がるように、チェリーはじーっと俺の顔を見つめ続けていた。
余裕ができてきて、俺の思考はダンス以外のことに割かれ始める。
舞踏会はわずかに30分。……虚面伯は、もうとっくにこの中に紛れているのだろう。
一体どうやって盗むつもりなんだ? この無数のレプリカの仮面の中から、たった一つの本物の《アンフェイの仮面》を――
「(こっちに集中してくださいよ、先輩)」
チェリーが咎めるように囁いた。
と思うと、元より胸が触れそうなくらい近かった身体を、さらに密着させてきた。
「(ちょっ、おい……!)」
「(気を散らしたらダメですよ?)」
首を伸ばせば届く距離にあるチェリーの唇が微笑むのを見て、俺は今更ながらに、この格好のヤバさに思い至る。
何がヤバいって、とにかく密着度がヤバい。
手を恋人繋ぎみたいにしているのもヤバいし、肩を抱き合っているようにしているのもヤバい。腰もくっつきそうな近さだし、今となっては胸があばらの辺りにぴったりと押し当てられている。
MAOの中だから、感触こそないものの。……もしこれが、更衣室にあった、胸元のがっつり開いたドレスだったらと思うと……。
「(先輩?)」
チェリーの吐息が、首筋にかかった。
「(集中してっていうのは――)」
どこか甘えるような声音が、耳をくすぐる。
「(――私じゃなくて、ダンスになんですけど?)」
……わざとだろっ、ボケーっ!!
「(今日の先輩は、本当にえっちですねー? そういう日なんですかー?)」
「(どっちがだよ……! UO姫に影響されてんだろ!)」
チェリーはくすくすと笑って、
「(ほらほら、足が乱れてますよ? こんな簡単な音ゲーでミスするなんて、ゲーマーとして恥ずかしくないんですか?)」
くっそ……! 乗せられるのは癪だが……。
やってやろうじゃねえか! そこまで言うんだったら! パーフェクト取ってやるよ!
見事、パーフェクトで踊り切った俺は、壁の花になって舞踏会を眺めていた。
午後9時が迫っている。
そのときになれば舞踏会が終わり、《アンフェイの仮面》の効果が切れて色が赤から白に戻る。
虚面伯が動くとしたら、その瞬間か、その後に違いないだろう。
っつっても、目のとこのガラスのせいで視界が真っ赤だから、色が変わったことに気付くのも難しそうだけどなあ。
隣のチェリーは、ポチポチと誰かと連絡を取っていた。
俺には教えてくれない、何らかの作戦の打ち合わせだろうか。
今夜、共犯者を確保するつもりなんだろうが――動くという確信があるのだろうか?
そもそも、共犯者は誰なんだ……?
容疑者は、最初の事件の状況からはっきりしている。
天初百花。
雨矢鳥フラン。
氷室白瀬。
千鳥・ヒューミット。
そして、俺とチェリーの共犯だ。
俺は自分が共犯者じゃないことを知っている。伴って、チェリーも共犯者じゃないことになる。
残りは4人……。
天初百花は多忙で、俺たちの前に姿を見せないことも多い。
それだけ共犯者として動けるチャンスも多いということになるが、動機の面が不明だ。
学園生として、学園祭を盛り上げるために虚面伯を雇ったという線は考えられなくもない――が、ライブだなんだで他にいくらでもやることがあるっていうのに、自分でこんな七面倒臭いことやるか?
雨矢鳥フランも、同様に犯行のチャンスは多い。
遅刻が当たり前になってるってのもプラスだよな。何らかの犯行で集合に遅れたとしても違和感を覚えられることはない。
ただ、ネックなのは、俺たちを呼んだ張本人だってことだ。
虚面伯の共犯者なのなら、なんでわざわざ俺たちみたいな邪魔者を招集したのか……。
氷室白瀬は、この4人では一番頭が切れそうな奴だ。
俺たちの捜査にも一番率先して協力してくれてるし、人狼風に言えばかなり白い……。
だが、だからこそ信用しきれないという部分はある。
なんか、顔色一つ変えずに嘘つきそうな雰囲気あるんだよな。完全な偏見だけど。
もし共犯者だったら、一番厄介な相手と言えるかもしれない。
千鳥・ヒューミットは、一見、嘘なんてつけなさそうな素直な人間だ。
それに、状況から見ても一番白い。
チェリーによれば、第二の事件で共犯者が《万獣のタクト》を鳥籠から取り出したのは、俺たちが千鳥と話していたときだったのだから。
……いや、待てよ?
そうだ、アリバイは当てにならない。
虚面伯が他人のアバターに変身できる能力を持っている以上、俺たちが話していた千鳥・ヒューミットが、虚面伯が化けた姿だった可能性を否定できないのだから――
……ダメだ。みんな怪しく思えるな。
大体、俺は苦手なんだ、こういうのは。推理ADVみたいに、目の前に出された問題をひとつひとつ解いていくことならできるけど、誰が白い誰が黒いって、答えがはっきりしない中で物を考えるのは、やっぱりチェリーのほうが上手い。
出会ったばかりの頃ならもっと張り合ってたんだろうけどなあ――
「(先輩、先輩)」
ちょんちょんと肩をつつかれて、俺は振り返った。
すると、チェリーが身を寄せて、上目遣いで、密やかに言う。
「(抜け出しましょ? 二人で)」
「(……え?)」
「(先輩は遅れて来てくださいね?)」
何その、合コンみたいな。
俺をいろんな意味で置き去りにして、チェリーはすたすたと離れていき、会場を出ていってしまう。
それから、俺は言われた通り少し待って、チェリーを追いかけた。
チェリーは、会場の入口から少し離れたところで、壁に背を持たせかけて待っていた。
「ありがとうございます、先輩。来てくれると思ってました♥」
「いや、何ごっこだよこれ」
「ドキドキしました?」
ふふっと笑うチェリーに、俺は「……全然」と答えて首を揉む。
するとチェリーは、なぜか尚更嬉しそうに笑って、俺の腕にするっと手を絡めてきた。
「それじゃ、二次会に行きましょうか?」
「一次会もまだ終わってねえけど?」
「終わってからじゃあ遅いんです」
そうか、と俺はようやく気付く。
動くんだな。虚面伯の共犯者を捕まえるために。
人気のない廊下を、チェリーの歩調に合わせて歩いていく。
舞踏会の優雅な音楽がどんどん遠ざかっていき、すぐに聞こえなくなった。
『関係者以外立ち入り禁止』と立札がある通路に、俺たちは入っていく。
照明の薄暗さと、立ち入り禁止区域に入っていることへのほのかな抵抗感とが、漠然とした不安に変わって徐々に全身を覆った。
「……共犯者を捕まえる段取りは、もうできてるのか?」
俺がそう訊くと、チェリーは可愛らしく小首を傾げて、
「できてませんよ?」
「は?」
目を丸くする俺に、チェリーはくすりと笑う。
「できてるのは――共犯者と虚面伯を、両方捕まえる段取りです」
そのときだ。
前方に、人影が見えた。
「(しっ)」
チェリーが人差し指を立てる。
俺は息を潜め、足音を立てないようにした。
人影は、関係者通路の奥へと入り込んでいく……。
俺たちは、影をギリギリ捉えられる距離を保って、それを尾行した。
そうしながら、チェリーが何かのテキストを書いたウインドウを出して、スワイプで俺に投げてくる。
ウインドウにはこうあった。
『今回の虚面伯のトリックはすでに見抜いています。状況からして、虚面伯が犯行を実行するタイミングは、《アンフェイの仮面》の在処がわかった直後しかありません。そのタイミングで照明を落とし、混乱に乗じて仮面を持っていく。それが基本的な、今回の犯行計画です。もちろん設備関係の操作権限は学園生にしか入手不可能なので、そちらは共犯者が担当するはずです』
そうか。そこを押さえれば――!
だが、虚面伯は?
チェリーの言が正しければ、やはり虚面伯は参加者の中に紛れているはず……。
本物の《アンフェイの仮面》を見つけるのが難しいのと一緒で、客に紛れた虚面伯を見つけることもまた至難じゃないのか?
人影はある部屋のドアを開き、中に入っていった。
すると、チェリーは足を速め、一気にそのドアの中に入る。
人影は、部屋の中央で背中を向けていた。
チェリーが開いたドアを軽くノックすると、びくりとその肩が震えた。
「こんばんは」
人影が振り返る。
その姿が、ようやくはっきりと目に映り、俺は息を飲んだ。
顔には仮面があり、人相はわからない。
だが――その服は。
胸元がV字にざっくりと開いた、その大胆なドレスは――
「――天初さん」
天初百花は、当惑した様子でチェリーを見返した。




