第235話 馬子にも衣装って言うけど元から可愛い奴が可愛い服着たほうが可愛いに決まってるんだよな
リアルで行われるイベントは普通、朝や昼から始まって夕方ごろに終わるが、VR空間で開催され、客がそれぞれ自宅から参加するバーチャルイベントは、夕方に始まって夜中まで続くことも多い。
ご多聞に漏れず百空学園の学園祭もその類で、夕日が沈んで夜になっても、イベントはまだまだ序の口といった雰囲気だ。
「――あーっとメロスその1! ここでゴブリンの集団に絡まれてしまったーぁ!! その間にメロスその3が森を抜けていくぅ!!」
『新説・走れメロス』と題されたただのクロスカントリー大会のステージを出ると、チェリーが時計塔を見上げた。
「そろそろ時間ですね。早めに会場に向かいますか」
「はー……来ちまったなぁ……」
「ずいぶん憂鬱そうじゃないですか」
「そりゃそうだろ。性に合わねえよ――舞踏会なんてさ」
昨夜、虚面伯が現場に残した第三の予告状――
俺たちの中に潜んだ共犯者もまだ捕まえていないが、次の事件に備えないわけにはいかない。
その舞台となると目されるのが、今夜開催される予定の、仮面舞踏会だった。
予告カードの裏に刻まれたマークは、人の顔。
顔が示すアイテムは、この百空学園にはひとつしかないという。
それこそが、その仮面舞踏会で使われるという《アンフェイの仮面》なのだった。
「でも、いいのかよ? 今日は何も打ち合わせとかしてねえけど」
「いいんですよ。今回は大仰な警備は要りません――というか、私たちも《アンフェイの仮面》がどこにあるかわかりませんからね」
そうなのだ。
今回ばかりは、今までのように警備を固めて、全員でターゲットを囲んで守る、というやり方は使えない。
なぜなら、《アンフェイの仮面》は仮面舞踏会で使われる重要アイテムであり、舞踏会を中止するわけにもいかないからだ。
しかし――心配は要らなかった。
《アンフェイの仮面》を舞踏会の間に盗むことは、そもそも恐ろしく難易度が高いのだ。
もちろん、虚面伯はそれを承知の上で予告状を置いていったわけだから、油断することはできないが――
舞踏会は多目的ホールで行われる。
時計塔の程近くにあるそこに辿り着くと、入口の前はすでに長蛇の列を為していた。
リアルならうげえと呻くところだが、ここはVR世界だ。単純な受付だけならNPCにも任せられるし、インスタンスマップも使うことができる。見た目よりずっと早く列が短くなり、待ち時間は10分程度で済んだ。
「受付の前に着替えですね」
エントランスの壁に掲示された案内を見ながら、チェリーが言った。
「舞踏会にセーラー服で参加するわけにはいきませんし」
「これ、ドレスコード無視して会場入ったらどうなんの?」
「そもそも入れないんじゃないですか?」
「だよなあ……」
俺がげんなりすると、チェリーがくすりと微笑んだ。
「大丈夫ですよ、先輩。馬子にも衣装って言うじゃないですか」
「着替えるまでもなく馬鹿にしてんじゃねえか」
くすくすと笑うチェリーと一緒に、廊下を進んで更衣室を目指す。
このホールの更衣室に男女の区別はないらしい。着替えるのに服を脱ぐ必要はなく、そのうえ一瞬で終わるからだろう。
それを言ったらエントランスでいきなり着替えることもできるんだが、まあ、気分の問題だろうな。
廊下にいくつも並んだ扉のひとつを潜ると、場内の喧騒が不意に消え去る。
パーティごとに別のインスタンスマップに飛ばされる重層型ルームだろう。汽車や宿屋なんかと同じシステムだな。
二人きりになるや、チェリーは壁際に置かれたハンガーラックに小走りで近付いた。
「うわ……! こんなにいっぱいドレスが……! これ、全部タダで使っていいんですか? 贅沢ですねー……」
そう言いながら、チェリーはラックからスパンコールまみれのドレスを取り出す。
キラキラすぎて目が痛てえ。
「どうですか、先輩?」
チェリーは振り返り、身体の前にドレスを当ててみせる。
俺は一瞥して、
「似合わん」
「うわっ! 普通そういうこと言います!? しかも即答!」
「光りすぎて馬鹿みたいだし。っつーか……」
露出度高すぎるだろ、そのドレス。
胸元から上には何にも布がないし、スカートはスカートで薄く透けていて、中の脚がほとんど丸見えだ。
「ふうーん……? じゃあ……」
チェリーはスパンコールドレスをラックに戻すと、新たなドレスを手に取る。
「こっちはどうですか?」
そして身体に当ててみせたのは、何だかアイドル衣装みたいなやつだった。
スカートが短くて、太腿まで見えていて、裾がフリルでひらひらで。
いつもの和風装束と変わらんと言えば変わらんけど、やっぱり胸元の開きっぷりがな……。
「……似合わん。っつーかUO姫と被ってるぞ、それ」
「ふふふふ! ……先輩? 素直に言ってくれてもいいんですよ?」
「何が?」
「私が人前で露出度高い服着るの、イヤなんでしょう?」
俺は一瞬、声を詰まらせてしまったが、すぐにカバーする。
「んなわけねえだろ。お前のいつもの装備だって、そこそこの露出度だし」
「あれはローブを羽織ってますから、出してるのせいぜい肩くらいじゃないですか。脚にもニーソ穿いてますしね」
チェリーはにやあと口角を上げて、俺の顔を下から覗き込んだ。
「素直になって楽になりましょうよ、せ~んぱい♪」
「……だから、別に――」
「正直に言ってくれたら……今度、二人きりのとき、好きな服着てあげますよ?」
「……………………」
好きな服?
「MAOのシステムが許せば、何でもいいですよ~? さっき言ってたメイド服とか~、何かのキャラのコスプレでもいいし~……それに――」
チェリーは、するりと俺の懐に入り込んだかと思うと、耳に軽く息を吹きかけてきながら、囁いた。
「(――裸エプロン、なんていうのもありますね?)」
え?
え? え?
今……なんて?
「おま……それは……」
チェリーは俺の耳から口を離すと、あざとく上目遣いをして、あざとく小首を傾げてみせた。
「くすっ。……一緒にお風呂まで入ったんですから、今更怖がることでもないでしょう?」
……こ、こいつ……!
何だか最近、からかいのギアが一個上がってやがる。それともUO姫と会ったからか? あいつと会うと対抗してブレーキが壊れるところがあるからな……。
ここは俺が、年上として毅然と断らなければ。
ラインを考えろ。勘違いさせるようなことは控えろ。裸エプロンなんて簡単に言うもんじゃない、と。
そう――年上として、この後輩をきちんと教育してやらねば!
「……し」
「し?」
「正直に……言えば」
俺は顔を逸らして、手で口元を隠しながら、絞り出すように言った。
「もうちょっと……肌の出ないドレスにしてくれると……嬉しい」
チェリーは数秒、まるで噛み締めるように間を取った。
それからさらに数秒、俺と同じように口元を手から隠し。
そして――ぐいっと俺の肩を引きながら背伸びをして、また耳元で、今度はこう囁くのだった。
「(先輩のえっち)」
う、ぐううう……!!
もう何とでも言え!! 俺の負けだ負け!!
ぬふふー、と勝ち誇った笑みを浮かべると、チェリーは軽やかな足取りでハンガーラックの前に戻り、新たなドレスを一着抜き出す。
目の前にそれを広げ、ひとつうなずくと、メニューを出してタッチした。
チェリーの首から下が光に包まれ、あっという間に衣装が変わる。
セーラー服から、落ち着いた赤紫のドレスへ。
膝の少し下くらいまであるスカートが、ふわりと左右に広がる。腰はウエストリボンが細く引き締め、チェリーのボディラインを上品に浮かび上がらせている。
そして胸元は、さっきのとは違ってしっかりした生地で首の根本まで覆われていた。その代わり、肩から二の腕にかけてが半透明のレースになっていて、下品にならない程度のセクシーさを醸し出している。
そこにチェリー本来の小柄さ、顔立ち、立ち姿が合わさると――まるで、肖像画の中のお姫様が、リアルに飛び出してきたかのようだった。
「ふむふむ。頭に何か欲しいかな……」
チェリーは姿見で自分の格好をチェックして、頭に大きな花の飾りが付いたヘアピンを着けた。
それから、変装のためにお下げにしていた髪をほどいて、軽く指で梳くと、ようやく満足そうにうなずく。
「これならどうでしょう、先輩? お気に召しますか?」
ストレートロングになった髪をふわりと翻して、チェリーは振り返った。
いつもと服装を変えただけ。
いつもはしてない髪飾りを着けただけ。
いつもはちょこんと縛っている髪を、ほどいて下ろしただけ。
たったそれだけなのに、いつもより大人っぽく見えた。
年下だとは、もう、思えないくらいに――
俺の脳裏に、いろんな言葉が浮かんでは消え、浮かんでは消え、
「……オタクが好きそう」
結局、そんな、誤魔化しの言葉しか返せなかった。
だけど、チェリーは「ぬふふ」と嬉しそうににやついて、
「そうですね――先輩もオタクですもんね?」
「……………………」
「ありがとうございますっ、先輩!」
今回ばかりは、本当に完全に、完敗だ。




