第234話 カップルで恋愛運を占う奴らはただ惚気の材料が欲しいだけ(偏見)
『百空学園学園祭、これより開幕です!!』
無数の拍手が響き渡り、解放された校門に大勢の人間が雪崩れ込んでいく。
すると、待ち構えていた出店の店員が一斉に声を張り上げ、客の呼び込みを始めた。
クレープ、たこ焼き、焼きそば、お好み焼き、わたあめ――まあ一般的な祭りの出店だが、入場客は面白いように店に吸い寄せられていく。
それを校舎の中から見下ろしていた俺は、隣のチェリーに問いかけた。
「どうする? なんか食うか?」
「んー、そうですねー……。わたあめなんて久しく食べてないかもですね」
「はいはーい! ミミはたこ焼き食べたい! たこ焼き!」
ぴょんぴょんとジャンプし、ぶるんぶるんとこれ見よがしに胸を揺らすUO姫を、チェリーがうざったそうな目で見た。
「なんで一緒に回る流れになってるんですか。イベントに呼ばれてるんじゃなかったんですか?」
「ちょっとだけ時間あるも~ん」
「というか、たこ焼きなんて別に好きじゃないでしょう」
「だってさ~、たこ焼きってさ~、ふーふーって冷ますとことか、はふはふって頬張るとことか、なんかエロくない?」
「どんなフェチですか! あなただけですよ、そんなの!」
……いや、ごめん。正直ちょっとわかる。
「とにかく! 先輩は私と一緒に学園祭回るって約束してるんですから、さっさと消えてください! しっしっ!」
「へえ~? 学園祭デートだ?」
ニヤニヤと言うUO姫に、チェリーは「んぐっ」と声を詰まらせる。
まったく、いつになっても慣れない奴だ。ここは俺がビシッと『デートじゃねえよ』と否定して――
「……そう、ですよ」
――やろうと思ったら。
チェリーがぐいっと俺の腕を引っ張って、自分の腕を絡めた。
「これからデートなんです。だから、お邪魔虫は消えてもらえますか?」
「えっ」
「おっ?」
俺は当惑して、UO姫は意外そうに、チェリーの顔を見る。
その顔は平静なものだったが、一方で俺に絡めた腕には、必要以上の力が籠もっていた。
「……へえ~」
UO姫は面白いものを見る目をして、唇に軽く指を触れさせた。
「そっかぁ。デートかぁ。だったらミミも引き下がらざるを得ないけどぉ……それって本当かなぁ?」
「本当ですよ。ね、先輩?」
「お……おお」
圧のある目で見上げられたので、俺はそう答えるしかなかった。
これは、あれだ。UO姫を追っ払うための方便だ。そうに違いない。
「じゃあ説明してよ。今日はどういうデートプランなのかにゃ?」
ことりと小首を傾げて、UO姫は言った。
「もちろん考えてるでしょ~? 年に一度の大イベントだもんねぇ?」
「と、当然ですよ! 詰め将棋並みの精密なプランを組んでありますよ!」
「ふう~ん。じゃあこの後は?」
「えーっと……適当に食べ歩きつつ、各地のイベントを回ります」
「その後は?」
「……こ、今夜の虚面伯配信があるので、それに出ます」
「うんうん。じゃあその後は?」
「その頃にはもう夜遅いじゃないですか!」
「ええ~? それだけ~? せっかくのデートなのに、食べ歩いて終わりぃ? MAOだしホテルとまでは言わないけど、普通はキスのひとつもするもんじゃないの~?」
「うぐっ……!」
マズい! チェリーには煽り耐性がない!
「するよね~、キスくらい! 二人っきりでデートする仲だもんねぇ? それはそれはディープでラブラブなやつをしちゃうよね~?」
「おい……! チェリー、乗せられ――」
「当然です!!」
あ。
「やりますよ! 当然ですよ! 挨拶みたいなものですからそんなの!」
「にゅふふ。言ったね? 言質取ったよ?」
あーあ……。
楽しげに笑うUO姫を見て、チェリーは束の間、ぐむむと悔しげに唇を引き結ぶも、すぐに不敵な笑みを顔面に張りつけた。
「ええ。どうぞどうぞ取ってください? 私と先輩にとって、キスくらいなんでもありませんから。日常茶飯事ですから。毎日のようにやってることですから」
「へえ~、毎日のように?」
「それはもう。朝起きるときに夜寝るとき、食後にも必ずね!」
薬かよ。
「(おい! そんなこと言っていいのかよ!)」
俺が小声で突っ込むと、チェリーはふんと鼻を鳴らして、
「(どうせ確認なんかできないんですからいいんですよ! とにかく今、この女を追っ払うことが重要です!)」
本当かぁ?
俺にはどうも、嫌な予感がするんだけど――
「それじゃあ仕方ないなあ。今は退散しよっかな~」
俺の予感とは裏腹に、UO姫はそう言って小さな背中を向けた。
チェリーの判断が正しかったのか……?
と思いきや、UO姫は肩越しに振り返り、にやりと唇を歪める。
「それじゃあ夜、また遊びに来るね?」
「「は?」」
「ケージ君とチェリーちゃんのディープキス、絶対に見たいもん。日常茶飯事なんだから別にいいよねー?」
……マジかこいつ。
イベントだのなんだので忙しいくせに、そのためだけに俺たちんところに来る気かよ。
「それじゃあね! 学園祭、楽しんでね~!」
明るくそう言って、UO姫はてこてこと去っていった。
……………………。
取り残された俺たちは、祭りの喧騒を遠くに聞きながら立ち尽くす。
キス……はともかく、ディープって。
それって、アレだろ? こう、舌をお互いの口に突っ込んで……。
「……………………」
ちらりと隣を見ると、チェリーが軽く、自分の唇に指を触れさせていた。
それから――
ちろっと、わずかに、赤い舌を出す。
「……っ!」
瞬間、顔に火がついたようになった。
唾液に濡れた、あの赤く小さな舌に、視覚のすべてが吸いつけられて――
「あっ」
チェリーは俺に視線に気づき、ハッとこちらを見上げた。
「な……何、見てるんですか」
「……いや、べつに?」
「べつにじゃないでしょう?」
「べつに」
努めてぶっきらぼうに言うと、チェリーは目を泳がせる。
「……期待、しないでくださいよ」
「してないっつの」
「そっちじゃなくて、……いえ、やっぱいいです!」
「は?」
絡めた腕をほどいて、チェリーはすたすたと歩き始める。
そっちじゃないって、何が――
「……初めては、誰だって下手なんですからね」
小さく呟いた声を聞いて、俺はすべてを理解した。
……乗せられてんじゃねえよ。本当に。
「あむっ」
ふわふわの白いわたあめを、チェリーが小さく口を開けて噛りつく。
雑踏を歩きながら、ぺろりと舌で唇を舐め取り、
「……先輩、わたあめって食べた気しませんよね」
「お前が食いたいって言ったんだろ」
「ただでさえ口の中で一瞬で消えるのに、VRだとなおさら感触が……」
「そんなもんか?」
「あっ」
気になって、チェリーが持つわたあめをぱくりと一口。
一瞬、砂糖の味が口の中に広げるも、本当に一瞬ですべて消える……。
「ん~……」
味の残滓を求めて唇を舐めるも、あんまり味がしない。
「……確かに……」
「でしょう? これじゃあ食べてる私がちょっと可愛いだけですね」
「その発言で可愛くなくなったが?」
「本当ですか?」
チェリーはわたあめで口元を隠し、上目遣いで俺を見上げる。
……いや、それは、お前さあ……。わたあめがどうこうっていうより、ただ単にお前が――
俺は表情を変えないようにした。からかわれるような隙は、極力見せるべきじゃない。
「……あー、あっちでなんかやってるな。見に行こうぜ」
「ふふっ。今は乗ってあげましょう、そのへたっくそな話題転換」
うるせえ。
人波の流れに乗っていくと、校舎の中に入った。
校舎内も外と同じく、あえて手作り感の溢れる飾りつけがされている。教室がそれぞれブースになっていて、企業が手掛けているものもあれば、百空学園の生徒が運営しているものもあるようだ。
「どこもかしこも行列だな……」
「あそこの列ってメイド喫茶ですか? うわー、学園祭のメイド喫茶! リアルで初めて見た!」
「リアルじゃねえけどな」
『本格JKメイド喫茶』と看板がかかっている。
本格っつーのは、たぶん、メイド設定の学園生がやってるからなんだろう。
俺たちが配信で関わった学園生はみんな割と真っ当に高校生だが、中にはメイドとか、魔法使いとか、悪魔とか、ロリババアとか、宇宙人とか、とんでもねえ設定がプラスされている奴もいるのだ。大昔のギャルゲーみたいだよな。
「行きますか? 先輩、どうせリアルでメイド喫茶なんて入れないでしょう?」
「入ろうとも思わねえよ。列長いからやだ」
「仕方ないですねえ。じゃあメイド服は今度私が着てあげるとしてー……」
「んな気の遣い方いらん!」
「あそこ行きましょうよ。比較的、列も短そうですよ」
確かに、チェリーが指差したブースは、他に比べて並んでいる人間が少なかった。って言っても、普通に6~7人は並んでるんだが。
「なんだ、あそこ? ……占いの館?」
「ふふ。デートっぽくありません?」
「うえー……『私たちの恋愛運占ってください♪』って言いに行く気か? お前……」
「ガチのドン引きやめてくださいよ! いいじゃないですか。滅多にない経験でしょう?」
「悪い結果だったらどうすんの? 無駄に気まずくなりたくねえんだけど」
「運命は自分で切り開くものですよ、先輩」
「だったら占ってもらう意味ねえだろ!」
まあまあまあ、とゴリ押しで列に並ばされる俺。
Vtuberのイベントだってことで、ほとんどが男なのかなと思っていたが、入場客は意外にも男女半々くらいだ。中にはカップルらしき奴もいる。
この辺り、MAOのコアプレイヤーとの層の違いを感じるんだよな。連中は基本的にむさ苦しいし、ろねりあみたいな女子がいてもあまり近付こうとしない。そういうところが安心できる部分でもあるんだが。
しばらく列に並び、前の奴らが紫色のカーテンに飲み込まれていくのを眺める。
「これ、中に学園生がいるんだろ? あんな暗い部屋で一般の人間と二人きりにしていいのかよ」
「まあMAOの中ですし、滅多なことはできませんよ。そもそも女性とも限りませんし」
「いやー、占い師って言ったら大体女だろー」
などと話していると、ほどなくして俺たちの番が来た。
紫色のカーテンを抜けて、薄暗く、狭苦しい部屋に入る。
部屋の中には、お香を焚いているのか、薄っすらとした煙が揺蕩っている。中央に丸いテーブルが一つあり、その上には綺麗な水晶玉があった。
その奥に座るのは、紫色のヴェールを被った一人の人間――
いかにもな雰囲気だな。
占いの館なんて入ったことないから、ちょっと緊張する。
俺とチェリーがそれぞれ椅子に座ると、ヴェールの向こうから鋭い眼光が俺たちを射た。
「――フゥン」
ん?
鼻を鳴らす音。……なんだけど。
何、その渋いバリトンボイス。
「可愛らしいカップルが来たじゃあねぇの。言ってみな。何を占ってほしい?」
そう言って、占い師はヴェールの中でタバコを咥え、ライターで火をつけた。
ふうー……と吐き出された紫煙が、部屋の天井辺りに揺蕩う。
……男じゃねえか!!
煙もお香じゃなくてタバコだし!
男占い師は水晶玉を乗せたテーブルで頬杖を突き、シニカルに唇を歪めた。よく見るとその口元には無精ひげが生えている。
「王道の恋愛運かい? それとも金運か。子供ができるかどうかでもいいぜ? 俺は手広くやってるんでな」
むやみにハードボイルドな雰囲気を纏った占い師に、俺もチェリーも圧倒される。
いや、っつーか、その雰囲気で高校生は無理があるだろ。教師側なのか? いや学校に占い師って役職ねえだろ。
突っ込みどころが渋滞していたが、どうにかチェリーが口を開く。
「そ、それじゃあ……恋愛運で」
「オーケイ。いいねぇ、若いってのは」
あんたも高校生設定じゃねえのかよ。
ハードボイルド占い師は、水晶玉を片手でむんずと掴むと、顔の前までひょいと持ち上げ、まるで宝石のように覗き込んだ。水晶玉ってそう見るもんなの?
「フゥン……なるほどねぇ……」
数秒そうすると、男占い師は水晶玉をぽすっとクッションに戻す。
あれ? 終わり?
「結論から言や、相性は良すぎるくらいだな」
渋いバリトンボイスがそう言った瞬間、にわかに全身が緊張した。
「へえ~……良すぎるくらいなんですか~……。ふう~ん……。ですって、先輩」
「……どう返せばいいんだよ……」
「お好きにどうぞ~? 私はべつに? どっちでもよかったんですけど~」
と言いながら、チェリーはゆらゆら左右に揺れる。
……ますますどうリアクションを取ればいいのかわからない。
と、ふわふわした雰囲気になった俺たちに、
「だが」
と、占い師のバリトンボイスが割り込んだ。
「それは諸刃の剣だ――運命と呼べるほどに相性のいい二人は、だからこそ、うまくいかなかったときの反動が大きい。二度と恋ができなくなるほどにな……」
「えっ? ……あ、相性がいいっていうのは、うまくいくって意味じゃないんですか?」
「いろいろあるのさ、男と女にはな……」
そのいろいろを訊いてんだよ!
「俺から言えることは、互いを大切にしろっていう、月並みなお説教だけさ……。特に、愛情を誤魔化すのは程々にしておくんだな。意地は人生に指針を与えてくれるが、前に進めてはくれない……」
こんなに渋い声で言われたら、何でも説得力ありげに聞こえる……。
愛情を誤魔化す……ねぇ。
ちらりと隣を見ると、チェリーは膝の上でぎゅっと拳を握り、真剣な目で占い師を見ていた。
「とはいえ、今を楽しむのが若者の仕事だ。年寄りの小言になんか、耳を貸すんじゃねぇぜ?」
じゃあなんなんだよこの空間とこの時間は。
釈然としないまま、俺たちは占いの館を出た。
他の教室より列が短い理由がわかった気がするし、列の人数がずっと変わらない理由もわかった気がした。コアなファン多そうだなー、あの占い師……。
「役に立ったかはともかく、面白くはあったな。……チェリー?」
返事が来ないのに気付いて、俺は頭一つ分背の低い後輩を見下ろした。
考え込むように俯いていたチェリーは、「あっ」と顔を上げて、
「すみません。……ちょっと、考えてしまって」
「何を?」
「……このままでいられるのは、いつまでなんだろうなって」
チェリーは人がひしめく廊下の先を、茫洋とした瞳で見やる。
「高校を卒業したら……大学を卒業したら……それに、もし、MAOが終わるときが来たら。そのとき、私はどうするんだろうな、って……」
……MAOが終わるとき、か。
あまり考えたくはないが、ゲームである以上、そのときはいつか来る。
そうなれば、俺とチェリーの接点はなくなる。
ああ、わかってる。もはやその程度じゃない。ゲームだけの繋がりじゃない。
それでも――俺たちを繋いでいる最も太い絆が、そのとき、途切れてしまうのは確かなのだ。
「先輩は、どうしますか? もし、MAOが終わったら――」
俺は少し考えた。
答えはすぐに出た。
「別のゲームを遊ぶよ」
「……そうですか」
「で、お前にそのゲームを教える」
チェリーは俯けかけていた顔を上げて、俺の顔を見上げた。
俺はほのかに唇を歪める。
「ダメか?」
「……いえ」
ふるふると首を振って、チェリーもほのかに笑った。
「先輩は、ゲームを見る目だけは確かですからね」
「他を見る目は確かじゃないみたいに言うなよ」
「ああ、そうですね。年下の女の子を見る目も確かです」
「限定的!」
くすくすと肩を揺らして、チェリーは俺の腕を取った。
「次はどこ行きますか? 先輩!」
チェリーに引っ張られていきながら、俺には頭の端で考えていることがあった。
俺とチェリーが、MAOで繋がっているように――百空学園の奴らも、Vtuberという在り方で繋がっている。
いつも仲良さげな氷室白瀬と千鳥・ヒューミット。
天初百花や雨矢鳥フランたち生徒会。
そして――晴屋京。
彼らは。
彼女らは。
Vtuberじゃなくなったら――どうなるんだろう?




