第231話 未来の『バーチャル』
《万獣のタクト》を奪われた魔物園は、しかし静かなものだった。
犬飼れおな曰く、どうやら奪われたのはタクトの所有権だけで、モンスターたちの命令権はすべて彼女に返還されたようだ――用があったのは飽くまでアイテムだけ、というわけか。
それを確認した後、俺たちは現場検証を行った。
特に気になったのは、タクトが収まっていた鳥カゴだ。
タクトを守るはずのアルタード・ラットマンが、虚面伯に頭を垂れた。あの現象を説明する方法はいくつもない。
犬飼れおなが共犯者で、あらかじめ虚面伯を攻撃しないよう設定していたか。
虚面伯の正体が、実は学園生の誰かだったか。
あらかじめ《万獣のタクト》を使用されていたか、だ。
「1番目と2番目はないと思います~……」
いくらかしょんぼりした調子で、犬飼れおなは説明した。
「1番目は、まあ、犬飼を信じてもらうしかありませんけど~……2番目の場合、ラットマンたちはただ攻撃せずに素通りさせるだけで、あんな風に頭を下げたりはしないはずです~……」
「そうですね……。まあ、1と2の複合で、実は犬飼さんが虚面伯本人という可能性もありますが」
「ありませんよう! そんなどんでん返し!」
犬飼は通話での参加だったし、犬飼れおなとして俺たちと話しながら虚面伯としてタクトを盗みに来ることは可能だ。
それに、鳥カゴの鍵も持っていた。
辻褄が一番簡単に合う説なのは確かだが、だからこそ、虚面伯がそんな簡単な手を打ってくるとは思いがたい。
「3は可能なんですか? 所有権を移すと《ロンリー・ラビット》が反応しますよね。《万獣のタクト》は、所有権を持ってなくても使用可能なんですか?」
「可能なんですよねえ、それが~。種別としては一応武器ですけど、装備しなくても使えるので~」
つまり……虚面伯は、あらかじめ一度、鳥カゴの中からタクトを出し、アルタード・ラットマンたちに指令を出してから、鳥カゴの中に戻した――その説が有力じゃないかと、俺たちは当たりをつけた。
が。
その説を採るには、大きな問題がある。
そう。鳥籠の鍵だ。
鍵は犬飼れおなが持ってログアウトしていた。事件後、ログインしてきた彼女のインベントリにも、間違いなく入ったままだった。
そして、鳥カゴは鍵がなければ開かない。破壊することもできないし、された形跡もない――
にもかかわらず、虚面伯は一度、鳥カゴからタクトを取り出して使用し、元に戻し、そして俺たちの目の前で再び盗み出した――ということになる。
しかも、俺たちの目の前で盗み出したときには、鳥カゴが開いた様子すらなかったのだ。
どう考えても、不可能だった。
「いずれにせよ、断言できることはひとつです」
配信の締めくくりとして、チェリーは告げた。
「鳥カゴを開けた方法がなんであれ――虚面伯は必ず、一度はラットマンの群れを、誰にも気付かれずに、突破している」
それすなわち。
「――学園の中にいる共犯者が、また虚面伯に力を貸したってことです」
「僕が学園に作った隠れ家のひとつで、他のメンバーにもたまに貸しているんです」
地下に掘られた坑道のような通路を先導しながら、氷室白瀬は言った。
「リスナーは入口の場所さえ知りません。たまに見つけたと言い出す人が現れますが、9割以上はダミーです」
「ダミーまであるんですか?」
「単純に隠すより効果があるんですよ。リスナーも宝探しみたいにして面白がってますし」
取っていた宿――学生寮で出待ちされるようになった俺とチェリーは、氷室白瀬の紹介で、学園メンバーも使っている隠れ家に案内してもらっていた。
隠れ家なんてどこにあるんだと思いきや、まったく予想もつかない場所に入口があって、配信者のエンタメ精神に舌を巻いたものだ。まさか教壇があんな方法で動くとはな……。
地下道を行き、エレベーターに乗り、さらに隠し扉を抜けた先で、ようやく氷室白瀬は立ち止まった。
「ここです。宿屋と機能は変わらないはずなので、好きに使ってください」
そう言って通された部屋を見て、チェリーが「わあ!」と嬉しそうに手を合わせた。
「思ったよりちゃんとした部屋ですね! しっかり窓おっきい~!」
ベッドが二つ並んだ、いわゆるツインルームだった。
絨毯も敷かれ、壁紙もちゃんと張られ、壁の一面はガラス張りだ。
生徒会室のある時計塔ほどではないが、ずいぶん高い建物の上のほうにあるようで、ガラスの向こうには丘の周囲に広がる校下街が、夜闇の中で煌びやかに輝くのが一望できた。
宿屋を飛び越えて、まるで高級マンションだ。
「こんなにでかい窓があって、外からバレないのか……?」
「外からはただの壁に見える仕掛けです。いわゆるマジックミラーですね」
そんなんあんのか。そういやどっかで聞いた気もするな。
「それでは……ごゆっくり」
妙に意味ありげに言って、氷室はドアを閉じた。
密室に、俺とチェリーだけが残る。
「……っつか、当たり前のように二人部屋だな」
「ま、いいじゃないですか。合流する手間がなくなって」
ぼふっとベッドに腰を下ろして、チェリーはくふふと口角を上げた。
「それとも、何か不都合でもありますか?」
「……ねえけど」
「だったら何も問題ありませんね」
ふー、と息をつきながら、ベッドに仰向けになるチェリー。
その際、セーラー服の裾が軽くめくれ、白いお腹が垣間見えた。
思わず寄りかけた視線を慌てて引きはがす。
バレたらどんな風にからかわれるか……。
「明日から学園祭ですよね。先輩はどうしますー?」
「せっかくだから回るつもりだけど」
「ゲームの学園祭には積極的なんですね。リアルのは私が連れ出すまで教室に籠もってたのに」
「そりゃあ別に、リアルの学園祭なんて面白いもんじゃねえからな」
「友達がいないから面白くないんでしょ~?」
「うるせえな……」
俺はチェリーの隣に腰を下ろした。
……ここ数年はマシだよ。おかげさまでな。
「ん~……」
チェリーは寝返りを打ち、身体を横にして俺を見上げる。
今度はスカートが乱れて、さっきより太腿が露わになった。
白いニーソックスが軽く肌に食い込み、太腿の肉がむちりと乗っているのが見える。
「まあ、事件の捜査もしないとですけどねー。新しい予告状も、律儀に置いていきましたし……」
そう。
例によって、虚面伯は去り際に新たな予告状を置いていった。
内容はこうだ。
『絆も愛も上っ面。
あなたもわたしも変わらない。
だったら何が確かなの?
代えてみましょう、一夜だけ。
赤名統一連盟 虚面伯』
相変わらずまったく意味がわからない――第二の事件も結局、予告文から手口を予想することはできなかったしな……。
そしてカードの裏に刻まれたマークは――
「なんなんだろうな、あのマーク。人の……顔?」
「仮面、でしょうね。天初さんたちの予想によれば……」
刻まれていたのは、人の顔のように見えるマーク。
天初たちによれば、とある貴重な仮面のアイテムが、学園にあるという。ちょうど学園祭のイベントにも使われる品だそうだ。今度のターゲットはそれではないかという予想だった。
「まあその前に、今夜の事件を解決して、共犯者を突き止めなければなりませんけどね」
「どうすりゃいいんだ? アリバイでも訊いて回ればいいのか?」
「さて、それはどうでしょうねえ。何せ虚面伯は、他人そっくりに変身できますからね」
「あ、そうか」
虚面伯がアリバイを作っておけば、本人は好きなように行動できる……。アリバイの確認は無意味ってことか。
「まあまあ、そっちは私に任せておいて、先輩は明日ぼっちになる心配でもしておいたほうがいいんじゃないですか?」
「は?」
俺は思わず寝そべったチェリーの顔を見る。
と、チェリーはによによと口角を上げて、
「あれ? あれあれ~? 何を驚いてるんですかぁ? もしかして、私と一緒に学園祭回れると思ってました? 約束もしてないのに? 当たり前みたいに? あれぇ? もしかしてぇ……先輩ってぇ……私のカ・レ・シ、のつもりだったんですかぁ~?」
うっっっっっっざ……!
探偵役やってるときは鳴りを潜めてるウザムーブが、久々に俺に突き刺さった。
最近怒らないと思って調子乗りやがってこのアマ。一回わからせてやろうか。
くすくすと小さく肩を揺らすチェリーに、
「常に彼女ヅラの誰かさんには言われたくねえっての」
「え? 誰かさん? 媚び媚び姫のことですかねえ?」
「あいつは彼女ヅラっていうより……」
愛人ヅラだろ。
と言いかけたが、かろうじて飲み込んで、
「……じゃ、明日は一人でいろいろ回るか。彼女でもない女子と学園祭回る趣味はねえしなー」
と言って、ちらりとチェリーの顔を見た。
チェリーはむすっとするでも、しょんぼりしてみせるでもなく――
――ただ、じっと。
試すような目で、俺の顔を見つめている。
「……本当に?」
その目と言葉に圧のようなものを感じて、俺はうっと口ごもった。
なんだよ、その目は……。一緒に行きたいなら行きたいって、素直にそう言えばいいだろ。
チェリーはもう何も言わずに、じっと俺を見つめるばかりだ。
ギャルゲーの選択肢のシーンみたいに、このまま何もしなければ永遠にこの時間が続くかのように感じた。
俺はそっと溜め息をつく。
折れるのはいつも俺だ。
「……明日、暇か?」
「先輩ほどではありませんけどね」
「おい」
くすくすと口元に手を添えて笑うチェリー。
二人きりになると途端に構ってちゃんになるよな、こいつ。
俺はなんとなく、チェリーの桜色の髪に指を通した。
「うえっ? ……せ、先輩?」
チェリーは驚いた顔をして、俺の手首を軽く掴む。
「ど、……どうしたんですか?」
「そんなに構ってほしいなら構ってやろうと思って」
髪を触っていた手を、耳に移動させる。
端をなぞり、耳たぶを軽く摘まむと、「ぁぅっ」とチェリーは小さく声を漏らした。
「ぃやっ、あの、その、き……気持ちは嬉しいんですけど。嬉しいんですけどね?」
「なんだよ。いつもお前もこのくらいしてくるじゃん。昨日だって、どさくさに紛れて脇腹とか触ってきたり――」
「わーっ!! わーっ!! い、いつもとか言うなぁーっ!!」
顔を真っ赤にしてごろごろとベッドの上を転がり、逃げていくチェリー。
……なんだ? このくらいで恥ずかしがって。最近はもっとベタベタしてくることもあっただろ。
顔を隠すように背中を向けたチェリーに、俺は言う。
「……お前、何か隠してないか?」
「な、なんのことですか?」
とぼけるチェリーの肩を掴み、無理やりこっちに振り向かせる。
すると、顔を逸らし、俺の胸を押して逃げようとするので、ベッドに押し付けて完全に捕まえてやった。
「吐け。何を隠してる?」
「い、言います! 言いますからぁ! だ、だからまず離れて……」
「今更何言ってんだ? いつもはお前、猫みたいに勝手に俺の膝で――」
「だからいつもとか言うなぁー!! ち、違いますから! してませんからそんなことっ!!」
「はぁ? お前、誰に――」
一瞬、ちらりとチェリーの目があらぬ方向を向いた。
俺はその視線の先を追う。
そこにはただ、白い壁がある。
壁だ。他には何もない――
――壁?
――外からはただの壁に見える仕掛けです。いわゆるマジックミラーですね
……あっ!?
『――やべっ。バレたバレた!』
『撤収しましょう先輩――』
「逃がすか!!」
俺は全速力で部屋を飛び出した。
すると、廊下を一部屋分行ったところの何でもない壁がドアのように開いて、氷室白瀬と千鳥・ヒューミットが出てくるところだった。
二人は俺を見てがちりと固まる。
この一本道で、俺のAGIから逃げることはできまい。
氷室白瀬が、表情を変えずにスッと右手を挙げ、
「やあ、ケージさん。何か御用です――」
「な、何にもしてないから! 覗きとか、絶対してないから! マジで!」
「「……………………」」
俺と氷室が無言になって、千鳥を見た。
千鳥は俺たちをきょろきょろと交互に見て、ハッと口を押さえる。
氷室の視線がひどく冷たくなった。
「先輩は本当にアホですね」
「ごめんってぇ!」
というわけで、事情を聞き出した。
まあ、要するに、チェリーの奴と共謀して、俺にちょっとしたドッキリを仕掛けてやろうとしたらしい。
「いやあ~……」
へへへ、と軽く頬を赤らめながら、千鳥がぽりぽりと頭を掻いた。
「まさか、あんなガチな感じだとは思わず……」
「完全に二人のときだけのやつが出てましたね」
「うるせえ出てねえよ何も!」
俺は額を押さえて、熱くなった顔を隠す。
あ~、もう! ああ~~~~~もう!!
「……まさか、配信してねえだろうな……?」
「大丈夫です。動画なので」
「良くねえだろ!」
「大丈夫です。メンバー間で個人的に楽しむだけなので」
「全然個人的じゃねえだろ……!」
とにかく公開するなと言い含め、二人を追い返した。
氷室は平然と、千鳥はきゃっきゃと楽しそうに、地下道を歩み去っていった。
「ったく……」
毒づきながら、俺は部屋に戻る。
チェリーは大人しくベッドに座って待っていた。
マジックミラーの壁は、棚を移動して隠してある。
「……何か言うことは?」
「すみません……。お世話になるばかりではと思って……」
なるほどな。宿代か。
「……はあ。いいよ。そういうことなら」
とはいえ、これ以上何かある前にログアウトしておくか。
そう思って、自分のベッドに行こうとした俺の制服の裾を、チェリーがそっと伸ばした手がきゅっと摘まんだ。
「先輩?」
小首を傾げ、俺の顔を見上げ。
「もう……誰も、見てないんですけど?」
かちりと固まった。
チェリーの大きな瞳に、俺の精神が吸い込まれていくような心地がした。
桜色の髪が、形のいい耳が、薄く開いた唇が、白い首元が、スカートから覗く太腿が、次々に視界に焼きついて――
「……やかましい。もう寝ろ」
視線を切って、俺はチェリーの手を引き剥がした。
自分のベッドに腰を下ろした俺に、チェリーは拗ねたように呟く。
「へたれ」
誠実と言え。
心中で言い返して――
俺は、チェリーのベッドに膝を乗せた。
「うえっ?」
軋んだ音で振り返ったチェリーに手を伸ばし、俺はその脇腹を軽くくすぐる。
「ひゃんっ!?」
「これでいいか?」
脇腹を押さえて横倒しになったチェリーは、俺の顔を見上げて、
「……もお!」
と、唇を尖らせた。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
「……明日かぁ……」
生徒会室のガラス張りの壁から夜の百空学園を見下ろしながら、天初百花は呟いた。
「早いもんですねぇ。去年はリスナーとしての参加だったんで、何だか不思議な気持ちですよ」
返すのは、応接セットのソファーに座った雨矢鳥フランである。
百花は振り返り、かすかに微笑んで、
「フランちゃんはデビュー前だったもんね。緊張してない?」
「意外と、そんなに。わたし、あんまり緊張とかしないほうなんでぇ」
「神経太いよね。羨ましいなぁ……」
「百花せんぱいに羨ましがられても~。去年のライブ観ましたけど、すごかったですよ? 堂々としてて、キラキラしてて……」
「あれでもいっぱいいっぱいだったんだよ? 本番前なんてもう吐きそうで……京に励まされて、ようやくって感じで」
照れたように笑う百花を、フランはじっと見つめていた。
「今でも不安になるよ。ずっとずっと、不安……。来年、私は同じステージに立てるのかな。百空学園は、まだあるのかな……」
「縁起悪いこと言わないでくださいよぉ」
「ごめんね。でも最近、考えちゃうんだよね……。ケージさんやチェリーさんなんかを見てると、特にね……」
「え? あの二人を?」
百花はうなずいて、窓から星々輝く夜空を見上げる。
「言ったことあるかなあ……私がVtuberになりたいって思ったのはね、まだVtuberってモノ自体が、生まれたばかりの頃……。その頃はね、アバターを使ってこういう――タレント活動っていうのかな?――をすること自体が、すごく新しかった……」
「噂には聞いたことありますねぇ。その頃はあんまり知りませんでしたけど……」
「その頃からね、Vtuber業界の中では言われてたらしいの。『こういうの』は、きっと近い将来、当たり前のものになる――って」
「『こういうの』?」
「人と人とが、アバターを使ってコミュニケーションを取ること。……実際に、それは現実になったよね。この世界――MAOが、代表例」
誰もがアバターを持ち、現実とは異なる姿で、他人と触れ合う。
かつては新たな技術だったそれは、今や特別なものとは思われないくらいに、世界に膾炙した。
MAOにこれだけの人々が集っていることが、その証拠だ。
それには確かに、Vtuberという存在が影響している。彼女たちが世界を変えた結果のひとつではある。
しかし。
「ねえ、フランちゃん――Vtuberってなんだと思う?」
「え?」
「バーチャルなアバターを使って、人を楽しませる人のこと? ……でも、それって――」
あるいは、それは禁句なのかもしれない。
百空学園のセンターに立つ者として、現代のVtuber界のトップに立つ者としては、言ってはならないことなのかもしれない。
しかし、……だからこそ、見えるものもある。
見えざるを得ないものもある。
「――それって、この世界にいる人たちと、何が違うのかな?」
バーチャルなアバターを持ち。
プレイヤー同士の物語で、高難易度のクエスト攻略で、SNSのトレンドを賑わせる。
果てはその模様が小説になり、書店に並び、幾万人もの人々の手に渡る――
百花は学園の中でも比較的、MAOの配信をするのに消極的だった。
その理由は、これだ。
このゲームの在り方は、Vtuberという存在の進化系だ。
このゲームの中では、かつての百花が魅入られたVtuberの輝きが埋もれてしまう……。
少なくとも……百花には、そう思えたのだ。
「ケージさんも、チェリーさんも、配信をしてるわけでもないのにすごく有名で、ファンがいて、みんなを楽しませて――ああいう人たちが、きっと当たり前になっていく。私たちはどんどん、古びたものになっていく。そう思うと……どうしても……」
「――そんなことありません」
いつも寝惚けているフランのものとは思えない、確然とした声が響いた。
百花が振り返ると、フランがいつも羽織っている着る毛布を脱ぎ捨てて、強く強く立ち上がっていた。
「わたしは、百花せんぱいを――百花せんぱいと京せんぱいを見て、この世界に入りたいと思ったんです。少なくともわたしには、他の何よりも、二人が輝いて見えたんです!」
百花は――優しく微笑んだ。
眩しいものを見るように、目を細めながら。
「そうだね……。京ちゃんがいたら、弱気になるなって叱ってくれたかもね」
フランは、かすかに唇を震わせ、そして引き結んだ。
喉が動く。
飛び出そうとした言葉を飲み込み、しかしすぐに喉をせり上がり。
引き結んだ唇を、開く。
「……百花せんぱい。わたしはただの、雨宿りですか……?」
百花は、不思議そうに首を傾げた。
「え? ……フランちゃんは雨矢鳥でしょ? 自分の名前忘れたの?」
フランは俯いた。前髪が、その表情を隠した。
だが、それも一瞬のことだった。
顔が上がったときには、いつもの雨矢鳥フランの、ふにゃりとした笑顔だった。
「そうなんですよねぇ。たまに忘れちゃって~」
晴屋京はここにはいない。
ただ、それだけが真実だった。




