第228話 最強の施錠
太陽が赤く染まる頃になると、今夜の配信の参加者たち――虚面伯対策メンバーが揃い始めた。
「お疲れ様です」
一番早く現れたのは、やはりというか氷室白瀬だ。
学生服の上にパーカーを羽織った少年は、集合場所である魔物園管理棟の一室に入ってくると、「先程はどうも」と俺たちに挨拶をしつつ、お土産のお菓子を振る舞ってくれた。
見た目は異能力バトルの主人公みたいなのに、営業マンのごとき律儀さだ。
次に現れたのは、
「ちょりーっす!」
「古っ。千鳥先輩、歳バレますよ」
「17歳だっつの!!」
絵に描いたような金髪ギャルの千鳥・ヒューミットである。
千鳥は挨拶もそこそこに、からかってくる氷室にヘッドロックをかまし始めた。
胸が当たるのもいとわない、オタク殺しのスキンシップである。
が、対する氷室の表情は無であり、千鳥は「少しは意識しろや!」とますますいきり立った。
そんな様子を眺めつつ、俺は隣の椅子に座るチェリーにこそっと囁く。
「(どうする?)」
「(こんなに学園メンバーがいる状況では話せませんよ。機会を待ちましょう)」
1年前の天初百花殺人事件。
その証拠となるキルログを実際に目撃した千鳥からなら、何か事情が聞けるかもと思ったが……。
集合時間が刻々と迫る中、次に姿を現したのは、
「どうもぉ~」
着る毛布の裾をずりずりと引きずる眠そうな顔の少女、雨矢鳥フランである。
その顔を見るなり、千鳥が「えーっ!?」と声を上げて、
「どしたん!? まだ集合時間前だよ!? 珍しいじゃん!」
「いやぁ~、5分前集合は社会の常識ですよぉ~」
「よく言えましたね遅刻の常習犯が」
呆れた風に氷室が突っ込む。
やっぱりイメージ通り、時間にルーズなタイプらしかった。
「天初さんはご一緒じゃないんですか?」
チェリーが訊くと、雨矢鳥は「あ~」と首を傾げて、
「ちょっと打ち合わせが入ってましてぇ。ギリギリ間に合うって言ってたんで、すぐに来ると思いますよぉ」
大変だな。過密スケジュールだ。
明日から学園祭、明後日にはライブがあるわけだから、仕方のないことではあるんだろうが……。
……目の前でふわふわしてるこの毛布少女も、同じくらい忙しいはずだよな?
「あれー? ねー、ランラン。今日アレは?」
「あー、気付きました? 明日に備えてメンテに出してるんですよぉ」
「メンテ!? 壊れんのアレ!?」
「すごい丈夫なやつなんで心配ないんですけどぉ、念には念を入れてってやつですねぇ」
「トレードマークだもんねぇ」
「この配信には間に合うはずだったんですけどぉ、いやぁ、やむにやまれぬ事情でメンテに出すのが遅れちゃってぇ……」
「寝過ごしたっしょ」
「やむにやまれぬ事情で……」
「寝過ごしちゃったかぁ」
千鳥と雨矢鳥が雑談に興じる横で、氷室と犬飼が何やら部屋の隅の収納箱でごちゃごちゃやっている。
「あれー? ごめん氷室くーん。ないかもー」
「そうですか。別にいいですよ。自分で採ってきます」
「おっかしいな~。もうちょっとあったと思うんだけどな~……」
そんな風に学園メンバー同士で固まられてしまったので、俺は仕方なくチェリーとしりとりで時間を潰した。
「《不思議の探求者・アリス》」
「《水竜神の巫女》」
「こ……あ、《根源への回帰》」
「き……き……《騎士王・アーサー》!」
「シャドウバースのナーフカード縛りじゃないですか。そんな難しいしりとりある?」
氷室が突っ込んできた。
よくわかったな。
さらに時間が経ち、集合時間を10分ほど過ぎて――
「――遅くなりましたっ!」
天初百花が、息せき切って部屋に入ってきた。
天初は申し訳なさそうに眉を下げて、
「打ち合わせが少し長引いて……すみません!」
「ダメですよぉ、百花センパイ。5分前集合が社会の常識ですよぉ?」
「えっ、フランちゃん!? フランちゃんよりは早いだろうと思ってちょっと安心してたのに……」
「ふふー。やるときはやりますので、あたし!」
「ね、ねえ……さっき頼んだこと、ちゃんとやってくれたよね……? 忘れてないよね……?」
「やりましたよぉっ! 頼み事をし忘れたから早く来れたわけじゃありません!」
雨矢鳥がぷりぷりと怒り出したところで、犬飼れおながテトッと椅子を降りた。
「それでは面子も揃いましたし、早速行きましょうか~! 『封印式』です!」
配信を始め、一通り自己紹介を済ませ、一同は《万獣のタクト》がある広場――『モンスターウォール』へとやってきた。
無数のネズミ人間、《アルタード・ラットマン》がひしめく広場の中心に、《万獣のタクト》が収まった鳥籠がある。
犬飼れおなはラットマンの群れに正対すると、舌っ足らずな声で、
「お座り~!」
と号令した。
すると、無数のラットマンが一斉にその場に座り込んで動かなくなる。
「これだけの数を一声で漏れなく操れるのか……犬飼がRvRに参加したら相当な戦力になりそうだな」
「タワーが一瞬で折れますよ、こんな数のラットマンが襲ってきたら」
犬飼はラットマンを横にどかせると、俺たちを率いて中心の鳥籠へと近付いた。
《万獣のタクト》は、おそらく木製の、真っ白な指揮棒だった。
サイズはそれこそオーケストラの指揮棒のようなものだったが、樹齢ウン千年の大樹のようにねじくれている。カテゴリーは杖とのことだが、先端はレイピアのように鋭く尖っていた。
「この鳥籠の鍵はこれです!」
犬飼がインベントリから1個の鍵を取り出す。
この鍵もまた真っ白だった。
漆で塗られているようには見えない。もしかすると……骨か?
「竜骨製の特別仕様で、施錠性能は最高ランク。盗賊系クラスのピッキングスキルではまず開けられません~!」
「その鳥籠を開ける方法は、その鍵しかないってことでいいの?」
氷室の質問に、犬飼は「そうです~」と元気良くうなずいた。
「鳥籠自体を壊すのもかなり大変ですよ~。ドラゴンに踏みつけられたって全然平気です。試してみましょう~」
そう言って、犬飼はぬうっと、インベントリからドデカいハンマーを取り出した。
犬飼自身の身長の、軽く1.5倍はある。
犬飼はそれを軽々と頭上に振り上げると、「えいやっ!」と思いっきり、鳥籠に振り下ろした。
グアンァアアン――、と鈍い金属音が響く。
足元の地面がビリビリと震えさえしたが――しかし、鳥籠は傷一つつくことなく、台座の上に鎮座していた。
「耐久値見ますか~? たぶん1%も減ってませんよ~」
わらわらと鳥籠に集まって耐久値を確認したが、最大値15000に対して、現在値は14992とあった。
8しか減ってねえ。
ハンマーのサイズから察するに、犬飼のSTR値は相当なものだったはずだ。その力でぶん殴ってこの程度となると、壊すのに何時間かかるか。
その上、耐久値は見る間に15000に回復してしまった。自己修復機能付きだ。これを壊すには、爆弾とかで一気に破壊する他にない。その場合、中身の《万獣のタクト》も無事では済まないが。
「ご覧の通りです! 破壊不可能。解錠不可能! この鳥籠から中身を取り出すことなんて、どうやってもできやしませんっ!」
「うわ、フラグ立てた」
「鍵、失くさないようにね、れおなちゃん。君はすぐに物を失くすからな」
「心配ご無用です~! なんとドロップ状態になると一定時間で勝手にインベントリに戻ってくる魔法がかかっているのです~!」
あ~、あったなあ、そんな魔法。
今の今まで忘れてたわ。
「鳥籠も台座に固定されているようですし、《万獣のタクト》を持ち出すには、本当にあの鍵を使うしかないようですね……」
チェリーが確認するように呟く。
犬飼の小さな手にある白い鍵。竜骨製と言っていたか。
MAOの鍵はアナログのように見えてデジタルで、形だけ模造しても内部のデータが違うから鍵穴に合わない。正真正銘、オリジナルのあの鍵が必要なのだ。
「それじゃあ、鍵を掛けますよ~」
犬飼は鳥籠の扉を一度開いてみせ、すぐに閉じる。
それから、白い鍵を鍵穴に挿して捻った。
カチッ、という紛れもない施錠の音が響く。
一度扉を開いてみせたのは、鍵が本物であることの証明のためだろう。
「掛かりました。確認してみてください~」
俺たちは順番に、鳥籠の扉が開かないことを確認した。
確実に、鍵が掛かっている。
鍵を掛けたふりをして実は掛けていない、というトリックは、これで否定されたわけだ。
「それでは、この鍵は犬飼のインベントリに保管して――」
「ストップです。その前にやることがあります」
チェリーが待ったをかけ、犬飼が首を傾げた。
「なんですか~?」
「所有権のチェックです」
「はい?」
「実は、インベントリの中からピンポイントで鍵だけ盗み出す方法が、ひとつだけあるんです」
「ええ!?」
犬飼が目を見開いて驚く一方で、俺はピンと来た。
「そうか。《奪還》スキルか……!」
「そうです。盗賊系のスキルで、《奪還》というものがあります。これを使えば、過去数時間以内に自分が所有権を持っていたアイテム、または所有権ログの2番目に自分の名前があるアイテムを、手元に持ってくることができるんです」
「それは……他人のインベントリの中にあるものでも?」
「はい。本来は盗まれたものを取り戻すためのスキルなので」
今より以前に、何らかの手段で虚面伯が鍵の所有権を一時的に得ていた場合、犬飼のインベントリの中から手も触れずに盗み出すことができるのだ。
天初がむむむと眉根を寄せて唸り、配信口調で言う。
「それは……一応、確認しておかねばなるまいな」
「ええ~!? 盗まれたことなんてありませんよう」
「一応だよ。れおなちゃんを疑うわけではないから。な?」
天初が犬飼を宥めて、鍵の所有権ログを確認することになった。
犬飼が鍵のプロパティ・ウインドウを呼び出し、『所有権』のタブをタップする。
「はい。順番に確認して~」
「おわっ」
近くにいた雨矢鳥フランに、ウインドウ開きっぱなしの鍵が無造作に渡される。
雨矢鳥は着る毛布の袖がだぼだぼなので、両手を使って鍵を摘まみ、顔の高さまで持ち上げた。手を外に出せ、手を。
そのまま雨矢鳥はウインドウの表示を確認して、
「犬飼せんぱいだけですねぇ」
と呟き、隣の千鳥に渡す。
千鳥は手の中で鍵を転がしつつ、
「犬飼れおな所有……終わり!」
次に氷室の手に渡り、
「うん。OK」
それから、俺のもとへ。
所有権ログには【犬飼れおな 所有】の文字列だけがある。もし虚面伯が所有権を得ていたのなら、この文字列の下にキャラネームが表示されていたはずだ。
「先輩、先輩」
「ん。おう」
横からチェリーがぐいっと背伸びして覗き込もうとしてきたので、ウインドウを見せてやる。千鳥が「背伸びかわゆし~」と嬉しそうに呟いた。
チェリーは表示を見てうなずく。
「大丈夫そうですね」
それから、最後に天初百花が確認する。
用心深い性分なのか、天初は所有権ログのみならず、鍵そのものも矯めつ眇めつ、表に返し裏に返し、さらには表面をごしごし擦ってみてから、納得深げにうなずいた。
「OKだ。お返ししよう」
「お返しされまぁす」
持ち主の手元に、鍵が戻ってくる。
犬飼はプロパティ・ウインドウを消すと、インベントリの引き出しを開けた。
「それではこれより、犬飼のインベントリに鍵を保管します~。しゅぽーん!」
謎の自家製効果音と共に、虚空に開いたインベントリの口に、白い鍵が納まった。
インベントリが閉じる。
俺は地面を見た。インベントリに入れると見せかけて地面に落とす――なんて考えてみたが、そう簡単じゃあねえか。
「犬飼のインベントリにある限り、鍵は安全です――が、チェリーさんに盗まれる可能性を教えられて、思いつきました~。さらに万全を期そうじゃあないですか~!」
「え? 一体どうやって――」
「こうやって、ですっ!」
瞬間だった。
犬飼れおなの小柄な身体の背後に、光でできたドアが現れたのだ。
は? まさか――
「それでは皆さん、頑張ってくださ~い」
のんきな声で言いながら、犬飼は躊躇いなくそのドアの向こうに消えていった。
そう。
ログアウトである。
「「「……………………」」」
残された俺たちは、唖然と絶句する。
ただひとり、氷室だけが呆れたように呟いた。
「……これ、配信だよ、犬飼さん……」
鳥籠を開く唯一の鍵は、犬飼れおなと共に世界から消えた。
いかなる大怪盗であっても、この世に存在しないものを盗むことはできない。




