第226話 魔物は時と場所を気にしない
百空学園本校の敷地内には、百空学園メンバーがそれぞれ趣味で開拓しているエリアがある。
対人戦の設備が整った体育館もそのひとつだし、生徒会室のある時計塔も主に複数人の学園メンバーによるコラボ配信で建築されたと聞く。
氷室白瀬などは、地下迷宮の一部を開拓して、メンバーもリスナーも場所を知らない秘密基地を作っているらしい――すげえ羨ましい。俺もそういうの欲しい。
そういった、個性豊かなVtuberたちによる、個性豊かな施設のひとつに、それはあった。
《魔物園》。
言ってしまえば、モンスター版の動物園である。
「あ! 《シビレハリネズミ》! 《シビレハリネズミ》ですよ、先輩! 可愛い~♪」
「おー」
「あれ? 『お前のほうが可愛いよ』は?」
「いつも言ってるみたいに言うな!」
穴蔵から顔を覗かせるシビレハリネズミの愛らしい顔を見ながら、チェリーがきゃっきゃと騒ぐ。
俺は隣の柵内で頭突き合っている《オーガ・ボア》の群れや、池の中を悠々と泳いでいる《レイク・ドレイク》といった、見慣れたモンスターたちを眺め回す。
「いつもは出会った瞬間殺し合ってるモンスターが、こうも普通に過ごしてるのを見ると、なんか不思議な気分だな」
「野生でもたまに見ますよね。ゴブリンが焚き火囲んで宴会してたり。ああいうのを見ると、気が咎めてスルーしちゃうんですよね、私」
「俺もそっちのタイプだけど、逆に嬉々として爆弾放り込む奴もいたりするんだよな」
「人類の悪性ですねえ」
のんきに言いながら、手にしたソフトクリームをぺろりと舐めるチェリー。
魔物園に入ったところで売っていたので、チェリーが一個買ったのだ。
「VRの動物園は素晴らしいですね。臭くないし」
「そうだな。臭くねえし」
「あんまり臭いと物を食べる気にもなりませんもんね。一口食べます?」
差し出されたソフトクリームを、俺はぺろりと舐める。
「うまい」
「ふふ。間接キスですね?」
「言うと思ったわ」
「んっ……」
チェリーは桜色の髪を耳の後ろに掻き上げたかと思うと、これ見よがしに、ソフトクリームの俺が舐めたところを、ピンク色の舌でぺろっと舐めた。
「……ふふ」
チェリーは流し目で俺を見て、怪しく微笑む。
「そんなに私の口元を見て……間接じゃ、足りませんでした?」
「……言うと思ったわ」
「以心伝心ですね」
ぺろりと自分の唇を眺めながら、
「気になってたんですけど、VRでも食べたものの味って残るんでしょうか?」
「は?」
「今、キスしたら、ソフトクリームの味がするんですかね?」
チェリーはくすりと笑って、指で自分の唇をなぞった。
「試してみましょうか?」
人は、動いているものを反射的に見てしまうものだ。
だから俺は、ただ、唇をなぞった指に視線が吸い寄せられたのであって、決して、かすかに濡れた唇を食い入るように見ていたわけでもなければ、かつて確かに得た感触を思い出しているわけでもない。
が、ゆえに、俺は強い意思で、視線をチェリーから引き剥がした。
「あ、照れましたね。いえーい、私の勝ちー」
「何の勝負だよ……。っつーか照れてねえし」
「昼の先輩は照れ屋で可愛いなー」
「夜は違うみたいなのやめろや!」
けらけら笑うチェリーと連れ立って向かうのは、この魔物園の管理棟――園長が住まう拠点だ。
当然、俺たちは、動物園デートの真似事をするためにここを訪れたわけじゃない。
下見である。
そう――今夜、虚面伯が狙うお宝が、この魔物園にあるらしいのだ。
氷室白瀬からそれを聞いた俺たちは、用があるという彼と別れて、先に現場を下見しておくことにしたのだ。
それに当たって、氷室から案内人を紹介されていた。
「……また学園のメンバーと顔を合わせるのか……」
「大丈夫ですよ、コミュ障先輩? 私がぜ~んぶやっておいてあげまちゅからね~」
「やかましい! 学園の奴はみんな変わってるから、どう話したらいいかわかんねえんだよ」
「誰相手でもわかってないじゃないですか、先輩は。……仕方ないですよ、案内人は必要です。今の状況で、私たちだけで動くわけにはいかないじゃないですか」
「わかってるよ……。俺たちもまた、容疑者に入ってるんだからな」
昨夜、虚面伯と対峙した面子に、虚面伯の共犯者が紛れ込んでいる。
天初百花。
雨矢鳥フラン。
氷室白瀬。
千鳥・ヒューミット。
そして、チェリー。
犯行の瞬間、一人離れていた俺は一応容疑から外れることにはなるが、当然ながらチェリーとの共犯の線がある。『ライン』というやつだ。だから現場の下見に当たっては、容疑者に含まれない第三者を入れる必要があった。
「現状、共犯者を特定する決め手はありません。今夜の犯行に関わってくるかは不明ですが、もし関わってくるなら、そのときこそ尻尾を掴みましょう」
「ああ。ちゃんと見ておくぜ」
「私を見てどうするんですか! 私は違いますよ!」
「いや~、偽物だったこともあるからな~」
「証明が必要ですか? 今から家行きましょうか。先輩の隣に添い寝しながらログアウトしてあげますよ」
「いらんいらんいらん! こえーよ!」
俺とチェリーは、人狼ゲームで言うところの『共有者』だ。
俺はチェリーが犯人でないことを知っている。
チェリーも俺が犯人でないことを知っている。
偽物を見抜いた実績がある以上、相方に騙されている可能性も考慮しなくていい。
だから俺たちだけは、完全に信用できる味方を確保しつつ調査できる立場にあるのだ――
話しているうちに、管理棟が見えてくる。
その入り口の前で、ちまっとした人影が両手を大きく振っていた。
「うぉうおー。きちゃきちゃあ~」
UO姫より身長が低い、小学生くらいのロリッ子だ。
だぼだぼのセーラー服の上にエプロンを掛けている。袖が派手に余っていて、手を完全に隠していた。
頭の上には、なんとちっちゃい虎が乗っている。生きているようで、小さく丸まって寝息を立てていた。
「はじめましてぇ。百空学園1年C組、飼育委員の犬飼れおなです~。今日はよろしくです~」
ふわふわした声で名乗り、犬飼れおなはぺこりと頭を下げる。
眠っているちっちゃい虎は、なぜか犬飼の頭にピッタリとくっついて落ちなかった。
「初めまして、チェリーです。こっちのコミュ障はケージです」
「誰がコミュ障じゃ」
「だいじょぶですよ~。犬飼も超コミュ障なんで~。へへへぇ~♪」
自分のことを自分の苗字で呼ぶ犬飼れおな。
ちょくちょくいるよな、一人称が苗字のVtuber。
チェリーが犬飼の周囲をきょろきょろ見回して、
「今は、配信のほうは?」
「してないですぅ。案内だけなんで~。あ、でも、周りで見てる人は結構いるかもです~」
言われて辺りを見回してみれば、なるほど、リスナーらしき姿がそこここに立ち止まって、こっちを眺めていた。
ここじゃあ配信してなくても見られてるのが当たり前なんだな。
「ありがとうございます。学園祭直前に時間を割いてくださって」
「いいですよう。犬飼はライブとか出ませんし~。学園祭でも、ちょっと珍しいコを外に出すくらいで、大したことしませんし~。怪盗さんに狙われて、むしろテンション上がっちゃいましたぁ」
「虚面伯対策に、『特別な檻』を使うと聞きましたが……」
「こっちです~。ついてきてください~」
てけてけと歩き出した犬飼に従って、魔物園の中を歩いていく。
魔物園には動物型モンスターの他に、ゴブリンやオークのような亜人型や、スライムやゴーストのように不定型なものまで揃っていた。
見た感じ、いないのはドラゴンや《旧支配者》のような、超レアなモンスターに限られている。
「ここのモンスターは、全部犬飼さんがテイムされたんですか?」
「3割くらいですねぇ。他はリスナーさんが譲ってくださって~」
「3割……それでもすごい数じゃないですか。どうやってそんなに……?」
「それですよお、それ」
「それ?」
「《万獣のタクト》っていうアイテムです~」
タクト……? 指揮棒?
「使うとすっごくテイム率が上がって、テイムモンスターへの指示も楽々にできちゃうっていうアイテムなんですよお。いちおう、武器としては杖扱いなんですけど~」
――杖。
そうか……虚面伯の予告状の裏面に印刷されていたのは、杖のマーク!
「では、それが今夜の?」
「はい。そうだと思います~。それ以上にすごい杖なんて、この学園にはないんで~。レア度9ですからね、9!」
レア度9!
ユニークウエポンの一歩手前――おそらくクロニクル・クエストの上位報酬だ。手に入れようと思ってできるものじゃない超レアもの。
ただの剣に過ぎなかった《晴天組の秘宝》に比べれば、虚面伯が狙うのもわかろうというものだ。
「危ないですよねぇ。怖いですよ~」
「怖い、ですか?」
「ほらぁ、さっきテイムモンスターへの指示出しもできるって言ったじゃないですかぁ。ここのモンスターはほとんど《万獣のタクト》でゲットしたものなんで、タクトを盗まれちゃったらこのコたちも盗まれたも同然なんですよ~」
「え?」
「は?」
ここの……数百匹の魔物が、ほとんど?
「そのタクトを使えば、この魔物園のモンスターを全員暴れさせられるってことですか!?」
「いちおう、そういうことですね~。まあ、強さはさほどでもないんで、何とかなると思いますけど~」
のんきに言うなあ……。
普通に考えて大惨事だろ、それ。
いや、でも、テイムモンスターによる攻撃はPK扱いだよな……。だったら、PK禁止の法律でプレイヤーは守られるのか。
「――あ! 見てください、あれ~!」
だぼだぼの袖で、犬飼が横合いを指した。
《万獣のタクト》がある場所に着いたのかと思いきや、そこにあったのは、《ミュータント・ライガー》という大型の猫科動物系モンスターの檻だった。
軽自動車ほどもある巨体が2匹、重なるようにして寝転がっている。
「あんな大きいのもいるんですね。2匹でくっついてますけど、あれは何をやってるんですか?」
「交尾ですね~」
「「え」」
ふわふわ系のロリッ子からふわっと飛び出した言葉に、俺もチェリーも固まった。
「去勢してあるから発情しないはずなんですけど、あのコたちはたまにヤッちゃうんですよね~」
「そ……そうなんですか。それはまた、どうして……?」
「そりゃあ、気持ちいいんじゃないですかねえ?」
「きもちっ……!?」
「子供もできないのに、不思議ですよね~。まるで全年齢ゲームの中でラブホに行く人みたいで面白いです~」
俺たちは全力で目を逸らした。
ゆるふわ女子小学生な見た目に騙されていた……。そうだ、それは飽くまで見た目だけの話なんだ……。
「人が見てるときにヤッてることが多いんですよね~。やっぱり見られてると燃えるんですかね~。お二人はどうですかぁ?」
「お二人はどうですか!?」
どんな質問してくれてんだ!?
俺たちが唖然としているうちに、犬飼れおなは自分の質問なんか忘れたかのように、ふわふわと笑いながら住人が取り込み中の大きな檻に近づいていった。
「見て見て~。交尾中に檻の中に物投げると面白いですよ~」
などと言いながら、犬飼れおなはインベントリから出した適当な鉱石アイテムを檻の中に放り込む。
すると、重なり合った2匹のミュータント・ライガーは、転がった鉱石を見て、お互いの顔を見て、鉱石を見て――と繰り返した。
「あはは~、迷ってる迷ってる~」
そういや、ミュータント・ライガーはあの図体で拾い物スキル持ちなんだよな。
ゴブリンなんかも持っている、近くに落ちたアイテムを拾って固有のインベントリに納めてしまう習性だ。
なまじ強いもんだから、一度アイテムを拾われたら取り返すのに苦労する。一方で、その強さゆえに同じ個体が長生きすることが多く、倒すとたまに貯め込んだ拾い物を一気にドロップすることがあり、ちょっとした宝くじみたいに扱われていた記憶がある。『ライガーガチャ』とか言って。
その後も、俺たちは犬飼れおなにやたらとモンスターの交尾を見せられつつ、魔物園を移動した。
……こんな風に白昼堂々じゃれ合ってるわけないだろ。動物だけだ、動物だけ!
やがて、周囲を動物の檻に囲われた広場に出た。
その中心に、台座に乗せられた鳥籠のようなものがあり。
その周りには――
「これです~」
犬飼が振り返り、ふわふわした声で言った。
「これが対虚面伯用防犯システム――題して、『モンスターウォール』ですっ!」
鳥籠の周りを――数え切れないほどのモンスターが、養鶏場の鶏のようにうじゃうじゃとひしめいていたのだった。




