第225話 第一夜解決篇・脱帽脱出チュートリアル
〈先輩~! 助けて~(T_T)〉
真理峰からそんなメッセージが飛んできたのは、翌日――学園祭前日の昼だった。
今日は昼から氷室白瀬のところで昨夜の事件の捜査配信があるから、そろそろログインしようと思っていた矢先のことだった。
なんだなんだ。素直に助けを求めるとは珍しい。
〈どうした?〉
〈私の寮まで迎えに来てください! 座標送っとくので!〉
俺の質問には答えないままでの、一方的な要求だった。
こっちの都合とかは考えねえのかよ……。
まあ、どちらにせよ、今日の配信はあいつが主役だ。迎えに行かないわけにはいかない。
そういうわけでログインしてみると、すぐに事情が知れた。
「……なんじゃあ、あの野次馬はぁ……」
思わず口調が乱れた。
それも仕方がない。
百空学園都市での宿は、すべからくが『学生寮』という扱いになっている。
当然、俺たちも数日、この街で過ごすに当たり、学生寮で部屋を取った。
寮は男子寮と女子寮に分かれているため、今回はチェリーとは別々の寮に泊まっているのだ。
俺が取った男子寮の部屋の窓から、通りいっぱいにひしめき合う野次馬の姿が見えたのだった。
寮の窓をひとつひとつ眺め回して、誰かを探しているらしい。
誰か――というか、漏れ聞こえる声から察するに、俺を。
寮の部屋はインスタンス・スペースで、俺しか入れないようになっているし、外から中を覗くこともできない。だから窓越しに見つかる心配はないはずだが……。
昨日の配信の影響だな、間違いなく。
そんなに活躍した覚えはないのに……まるでスキャンダルを起こした芸能人だ。
俺でこれなら、チェリーのほうはどんなことになってんだ?
この調子だと、人目に触れずに部屋から出るのは難しい。
しょうがない。強行突破だ。
「第二ショートカット発動」
俺は《縮地》を発動してAGIを飛躍的に強化すると、開けた窓から一気に飛び出した。
「あっ!?」
「出てきた!?」
「っつーか飛んだ!?」
遥か足の下に野次馬が驚く声を聞きながら、向かい側の家の屋根に着地する。
道の幅が数メートルで良かったぜ。
「もしかしてチェリーんとこ行くのか?」
「追いかけろーっ!!」
なんでだよ! 何がお前らをそこまでさせるんだよ!
……まあ、でも。
俺の足についてこられるとは思えねえけどな。
送られてきた座標情報に従い、チェリーが部屋を取った女子寮の屋根に辿り着いた。
庇から恐る恐る顔を出してみれば、いるわいるわ、出待ちの海。
これじゃ外に出るにも出られねえよな。チェリーはAGI低いし。
「……っつーか怖っ……」
屋根伝いの移動は比較的慣れてはいるが、こうして改めて地面を覗き込むと、その高さにひやりとする。さっさとチェリーを回収して地面に戻ろう。
部屋の位置は聞いている。こんなこともあろうかと、最上階の角部屋にしたらしい。
俺は山型の煉瓦屋根を、滑り落ちないよう注意しながら歩いていき、チェリーの部屋のちょうど真上まで来ると、インベントリから一本の縄を取り出した。
「ほれ、来たぞー」
声を掛けながら、縄を窓の前に下ろす。
と、窓がすぐに開いて、白い手がむんずと縄を掴んだ。
「あっ! おい、あれっ!」
「え!? ケージ!? どっから来た!?」
声の方向を努めて見ないようにしつつ(怖い)、縄をぐいっと引っ張り上げる。
リアルならこの作業も一苦労だろうが、STRを鍛え上げたこのアバターなら、片手一本で充分だ。
「うわわわっ!?」
というか、充分すぎた。
縄にしがみついたチェリーが、勢い余って空高くに放り出される。
あー、ちょっと力込め過ぎたなー、と思いながら、俺はその着地点に入った。
腕を前に構えると、そこにすぽっと小柄な身体が収まる。
チェリーは身を縮こまらせながら、間近から俺の目を睨んでくる。
「力加減を考えてくださいよ! プレイ歴何年目ですか!」
「悪い。もっと重いと思ってた」
「だーれーがーでーすーかぁーっ!!」
「ぐえー!!」
首を絞めるな首を! 足場が悪いんだから!
「「「おおおおおおおーっ!!」」」
「ナぁイスお姫様抱っこっ……!!」
「スゥー……あーいい……スゥー……」
地上の野次馬から謎の歓声が湧いてきて、チェリーが「ありゃ」とそちらを見下ろす。
「ファンサービスになっちゃいましたね、先輩?」
「誰が、誰に、どうサービスしてんだよ」
「私が、先輩に、こういう風に?」
と言いながら、チェリーは俺の首に腕を回し、耳に口付けるようにして抱きついてくる。
俺は少しだけ身を強張らせた。
何せ、高い場所だからな。うん。高所恐怖症だからな。
髪から香る甘い匂いや、耳にかかる吐息、密着した身体から伝わる体温は、まったく関係がない。
「「「うううおおおおおおおーっ!!」」」
「ナイス営業ーっ!!」
「付き合って何年目ですかぁー!?」
「結婚はいつですかぁー!?」
「付き合ってまーせーんーっ!!」
野次に叫び返してから、チェリーはくすりと笑って俺の目を見た。
「サービスになりました?」
「……あいつらにはな」
「え~?」
にやにや笑うチェリーの顔から視線を切り、俺は煉瓦屋根を歩き出す。
「もう行くぞ!」
「はいはい。……あ、ちょっと待ってください先輩」
そう言って身をよじり、俺に抱えられた格好のまま、チェリーは再び地上の野次馬たちに叫んだ。
「この後14時より、氷室白瀬さんのチャンネルにて捜査配信を行いますので、よろしければご覧くださーい!」
野次馬たちの元気な答えを聞きつつ、俺は煉瓦屋根を蹴った。
……前々から思ってたけど、こいつも配信やったほうがいいんじゃねえの?
「大変でしたね」
ちっとも大変と思ってなさそうな無表情で、氷室白瀬は言った。
チェリーは呆れたような顔になり、
「もうちょっと抑揚とか感情とかないんですか?」
「そこになければないですね」
このパーカー少年、相方のギャルがいないと掴みどころゼロすぎる。
すでに配信は始まっていた。
メンバーは俺とチェリーに加えて、学ランの代わりにパーカーを着たクール系美少年、氷室白瀬。
昨夜、虚面伯と対峙したメンバーの中では、おそらくチェリーに次いで頭のキレる奴だ。
この配信の目的は、現場となった時計塔の屋上を詳しく調査し、虚面伯が逃走した方法を明らかにすることにある。
チェリーには心当たりがあるような雰囲気だったが……。
「良かったら、学園生も使ってる寮を紹介しましょうか。そこだったら野次馬に囲まれずに済むと思いますけど」
「いいんですか? ……っていうか、配信で言っちゃっていいんですか、それ?」
「見つけられるなら見つけてみろって感じですね」
昨夜の包囲壁も氷室の仕込みみたいだったし、その寮とやらも思いも寄らない隠し方をされてそうだな。
屋上に向かうエレベーターに辿り着く。
氷室白瀬がボタンを押すと、すぐに扉が開いたので、俺たちは中に乗り込んだ。
このエレベーター苦手なんだよなあ……。なんで外が見えるようにしちまったんだ……。
密かに緊張していると、氷室が透けた天井を見上げながら言った。
「ねえ、チェリーさん。僕のほうでも、一晩じっくり考えてみたんですけどね」
「はい?」
「チェリーさんは、この時点で気付いてたんですか?」
この時点……?
首を捻る俺の隣で、チェリーはくすりと微笑んでみせた。
「はっきりわかってたわけじゃないですよ。その可能性もあるかもな、と頭の端で思っていただけで。だからこそ、まんまと逃がしてしまったわけですし」
「そうか……。じゃあやっぱり、これは、僕のミスだったな」
「……??」
俺はまったく話についていけない。おそらく配信のリスナーもそうだろう。
氷室は妖精型VRカメラ――《ジュゲム》に向かって言った。
「みんなも、これを見ればわかるでしょ」
――カチ、コチ、カチ――
音が聞こえた。
外の大時計を動かす、機構の音が。
しかし――それは、昨夜よりも大きく聞こえる気がした。
当たり前だ。
エレベーター・シャフトが中心を貫く大きな縦穴――
昨夜は、煉瓦の壁に覆われていたそこに。
大小無数の歯車が、剥き出しでひしめいていたのだから。
「うおっ……!」
俺は思わず声を漏らして、高さも忘れて歯車の世界を覗き込んだ。
「すげ……チックタックロックじゃん……」
「マリオ64? ずいぶん古いゲーム知ってますね、ケージさん。僕はカリオストロの城を思い出すけど」
幻想的と言えばいいのか、語彙が追いついてこないが、無数の歯車が噛み合い、絡み合い、カチコチカチと回り続ける様は、ある種の美しさを帯びていた。
もしあれに巻き込まれたらと思うとぞっとする。いくらVRでもトラウマになるわ……。
「あれって、大時計の中身……? 昨日は見えなかったよな……?」
「壁ですよ、先輩」
「壁?」
振り返ると、チェリーが上を指差していた。
「虚面伯を捕まえるための包囲壁です。昨日はあの壁が大時計の内部機構を隠していたんです。ですが今日は、壁を屋上に出しっぱなしにしてありますから」
「ああ……!」
そうか、考えてみれば当然の話。
いくらゲームとはいえ、あれほどの建造物を無から突然出現させることはできない。
どこかに隠しておく必要があるのだ。
それが、ここだった。屋上の真下に当たるこの空間に収納しておき、有事にスイッチで丸ごと真上にせり上げる。そういう仕組みだったわけだ。
「昨日、エレベーターでこの空間を見たとき、ちょっと違和感を持ったんですよね」
「違和感?」
氷室が言い、チェリーがうなずく。
「その時点でははっきりしなかったんですが、配信が終わった後、時計塔を出たときにわかりました。外観からの印象に比べて、この空間がだいぶ狭いってことに」
「ああ、そうか……」
氷室は溜め息をつくように唸った。
「包囲壁は塔に比べて一回り小さい直径で作ってある……それでバレたのか……」
「そもそも、わざわざあんな何もない空間を見えるようにするためだけにエレベーターを透明にするとは思えなかったんですよね。本来は大時計の内部機構が見られるんじゃないかと思いました。それで、発動前の包囲壁がこの空間に収納してあったんだと当たりが付く――つまりですね」
チェリーは俺に、そして配信を見ているリスナーに向けて言う。
「このエレベーターに乗ったことさえあれば、事前に包囲壁の存在を見抜くことができるんですよ」
……それって……。
「虚面伯が、事前に知ってたってことか、あの壁を?」
「まあ、有り体に言えば」
「いや、でも、虚面伯は空から降りてきただろ。このエレベーターは使ってないはず……」
「誰が言いましたか? 虚面伯がこのエレベーターに乗ったなんて。たぶん彼女は、これには一回も乗ってませんよ」
「はあ?」
だったら誰が……。
あ。
「……命部太夫……」
「かどうかはわかりませんが、虚面伯に共犯者がいるのはわかっています。昨日のエレベーターの位置から言っても明白です」
「エレベーターの位置……?」
「やっぱり、そこか」
氷室が呟くように言った。
「配信を見返して僕も気付きましたよ。僕らが屋上に向かうとき、エレベーターが降りてくるのを待たなければならなかった――あれがおかしいんだ、本来は。だって、このエレベーターは人が乗らなければ動かない」
「ん……? ……あ!」
――天初百花が『▲』のボタンを押してしばらく待つと、シャフトの中をケージ(俺じゃない)が降りてくるのが見えた
なる、ほど……!
このエレベーターは人が乗らなければ動かない。
つまり、エレベーターを呼び出さなければならないとき――ケージが上にあるとき、それは、屋上に誰かがいることの証拠!
「昨日、私たちの前に何者かがエレベーターを使い、屋上に潜んでいたんですよ。エレベーターのケージだけを下に戻すには重しなどを使わなければなりませんが、それでは明白な証拠が残ってしまう。だから仕方なく――あるいはヒントとして確信的に――屋上側に停めておくしかなかったんですね」
「でも、屋上展望は視界が通る。隠れられるような場所があるとは思えないんですけどね……」
「まあ、可能性から言えば、壁しかないでしょうね」
「壁? 包囲壁のことですか?」
「いえ、時計塔の外壁です。何らかのアイテムで外壁に身体を固定して隠れていたと考える他にはありません。塔の上にいる私たちからは当然見つかりませんし、大時計の陰に隠れれば地上からも見つからないでしょう」
マジかよ……。地上から何十メートルあると思ってんだ……? 想像するだけで背筋が凍る。
「その共犯者がエレベーターからこの空間を見たことにより、虚面伯は包囲壁の存在を事前に推察し得た。そしてその共犯者が事前に屋上に隠れ潜んでいた。この二つから、虚面伯が壁に囲まれた屋上から脱出した方法はほとんど明確と言っていいでしょう――」
時間でも測っていたのか、ちょうどそのときに、エレベーターが屋上に到着した。
扉が開き、一本道の廊下を抜けて、階段を上がる。
半日ぶりの屋上展望は、最後に見た記憶のままだった。
砕かれた展示ケースは、すでに耐久度を失って消滅し、台座が残るのみとなっている。
10メートル以上もの高さがある包囲壁は、依然、威圧感を持って屋上を取り囲んでいた。つるつるのコーティングにより登攀スキルは無効。どんなAGIでも跳び越えることはできない。
しかしチェリーは、虚面伯はエレベーターを使っていないと言った。
この壁を突破する方法が、何かあるってことなのか……?
「壁、下げましょうか」
「お願いします」
氷室がインベントリからスイッチを取り出して、ポチッと押した。
すると、ガシャコン! と音がして、包囲壁が一気に下に引っ込む。大時計の裏に収納されたのだろう。
起動スイッチは床に設置されていたが、元に戻すスイッチは手元にあったんだな。そりゃそうか。OFFスイッチまで床にあったら、虚面伯に踏まれて終わりだ。
「僕の考えが正しければ、包囲壁の耐久値に証拠が残っているはずだ」
氷室が、おそらくは視聴者に向けて言い、壁のなくなった屋上をぐるりと見回した。
「でも、具体的に包囲壁のどこを調べればいいのかまではわからない……。手分けして隅から隅まで調べましょう」
「いえ、たぶんあの辺りです」
出端を挫くように、チェリーが屋上外縁の一部を指す。
氷室は驚いて眉を上げた。
「どうして、あそこだと?」
「それは証拠を確認して、トリックを説明してからのほうがいいですね。氷室さんはおそらく、手段はわかっていても、その実行の過程にまで考えが及んでいないのではないかと思います」
屋上を横切っていき、落下防止柵の手前まで来る。
柵の向こう側には、煉瓦の床でできたスペースがわずかにあった。
なるほど、よく見てみれば、その床には切れ目がある。
床の下に包囲壁が埋まっていて、その頂点だけが床に同化する形で外気に触れているのだ。
「見てみよう」
氷室がしゃがみ込み、柵の隙間から手を伸ばして、床に埋まった包囲壁を指で叩く。
と、ステータス・ウインドウが出現した。
そこには包囲壁を構成する建材の耐久値が表示されている。
耐久値は何らかの手段で傷を付けられることで減少する。これは建材ごとに存在し、建造物全体の耐久値というのは存在しない。
建材に個体差はないので、同じ種類の建材なら耐久値は一致するはずだ。
はずなのだが――
「……あった」
建材の耐久値をひとつひとつチェックしていくうちに、氷室が呟いた。
そう、あったのだ。
周辺の建材に比べて、明らかに耐久値が減っている建材が。
「見つけましたね。ワイヤーの跡です」
「ワイヤー……?」
「……トリックの説明をしよう」
氷室白瀬が立ち上がり、俺たちに、そしてカメラの向こうのリスナーに向けて告げた。
「虚面伯の使ったトリックは単純なものだ。包囲壁の上にワイヤーを渡し、滑車の要領で自分を吊り上げ、これを乗り越えた。以上だ」
俺は想像する。
自分にワイヤーを巻きつけた虚面伯。そのワイヤーの端が、包囲壁の上を横切って、向こう側の『何か』と繋がっている……。
「滑車の要領……ってことは、包囲壁の外側に重しが必要だよな……?」
「共犯者ですよ。外壁に隠れてるって言ったでしょう、先輩?」
「あ……」
「虚面伯は自らと外壁に隠れた共犯者をワイヤーで繋いでいたんです」
氷室が言う。
「その両者の間を隔てるように、包囲壁がせり上がる。すると、虚面伯のほうが体重が重ければ、共犯者のほうが宙に吊り上がる。その後、共犯者がインベントリから重しになるアイテムを引き出せば――」
体重が逆転する。
今度は虚面伯のほうが軽くなり、宙に吊り上がり、包囲壁を越える……。
「とすれば、包囲壁がせり上がる際と、虚面伯を吊り上げる際、2回にわたってワイヤーが包囲壁に激しく擦れることになる。その程度の細かな傷はグラフィックには表れないけど、この通り、耐久値にはしっかり証拠が残っていた。これが正解でまず間違いないでしょう」
「ですが、実は実行に当たってひとつ問題があるんですよね」
そう言って、チェリーは両手の人差し指を立て、
「虚面伯と共犯者は、どうやってお互いをワイヤーで繋いだのか? ということです」
「……ん」
氷室はかすかに眉根を寄せ、難しそうに腕を組んだ。
「そうか……。それを考えてなかったな。虚面伯は空から降ってきた。屋上に潜んでいた共犯者とあらかじめワイヤーを繋いでいたとは考えにくい……」
「不可能ではないと思いますが、難しいですよね。当日は常に地上からの目がありました。空に待機する虚面伯は時計塔に近付けない上、夜で視界も取りにくい。空からワイヤーを共犯者に渡すより、屋上に降りてから渡すほうが現実的です」
「屋上に降りてから――一体、いつだ?」
うーん、と氷室は首を捻る。
ここは配信的に自分で考えるべきだと思ったのか、チェリーもすぐには説明しなかった。
氷室はしばらく眉間にしわを寄せながら考えていたが、ふと配信画面を見て「あっ」と声を漏らす。
「――帽子か!」
「正解です」
コメントの誰かが正解を出したらしい。
チェリーはうなずいて、帽子のツバを摘まむようなパントマイムをした。
「覚えてますか? 虚面伯が空のモンスターに繋がったワイヤーを私に切られた後、被っていた帽子を脱ぎ捨てましたよね?」
――虚面伯は頭に被った学帽を取ると、屋上の外側に向かって放り投げる
――鮮やかな赤髪が外気に触れ、俺の目に鮮烈に焼きついた
「ところが、です。――時計塔から出てきた虚面伯は、その帽子を被っていたんですよ」
――剣をインベントリに納めると、虚面伯は学帽を取って深々と一礼する
――その体勢のまま、静かに消えた
――ログアウトだった
「そうだ……被ってた……!」
「もちろん、予備の帽子をインベントリに持っていた可能性もあります。しかし、エレベーターのことといい、事前にワイヤーの存在を見せてきたことといい、虚面伯には私たちにあえてヒントをちらつかせてくる傾向があります。帽子の件もその一環だろうと、私は受け取りました」
「いや……お見事ですね」
氷室がパチパチと拍手をした。
「脱ぎ捨てられたあの学帽に取り付けられていたのか――ワイヤーが」
「はい。それを外壁に隠れた共犯者が受け取り、自分の身体に括りつけたんでしょう」
「そこまでは考えが回らなかったな……。降参。お見それしました」
氷室は無表情のまま、おどけたように両手を挙げた。
そんなうっすい表情で外人みたいなことするなよ。
「どういたしまして。……ところで、これは配信で言っても良かったんですか?」
「何が?」
「この推理が正しいとすると、杞憂民の皆さんが騒がしくなってしまうと思うんですが」
ん……?
これ以上、何かあるってのか?
氷室はシニカルに笑ってみせた。
「いいも何も、それが真実だから仕方がないです。虚面伯も、わざわざあんなこと言い残していったってことは、それも配信でやれってことでしょ」
「まあ、そういうことでしょうね……」
虚面伯が言い残していったこと――っていうと、あれか?
女神の怒りを鎮める木馬がどうのこうの……。
「『いかに高く堅牢な壁を巡らせようとも、女神の怒りを鎮める木馬は妨げられない』」
そうだ、それだ。
チェリーが暗唱してくれたおかげで、ようやくはっきり思い出した。
どうにも意味がよくわからなくて、引っかかってはいたんだ。
「実は、虚面伯が残したこの言葉以外に、謎がひとつ残ってるんですよ、先輩」
「トリックははっきりしたのにか?」
「そうです。虚面伯は外壁に隠れた共犯者の力を借り、包囲壁を越えて、塔の外部から下の階に降りたのでしょう。壁を越えるのに使ったワイヤーをそのまま使ってラぺリングしたかもしれませんね。ルートとしては、昨日の夕方に私たちから逃げたときと同じです」
特殊部隊かよ。とんでもねえ奴だ。
「ですが、とすると」
二つの接続詞を歌うように繋げて、チェリーはどこかを指差した。
その白い指の先には――この屋上展望、唯一の正規出入り口である、階段がある。
「――視界を奪われたあのとき、階段の下から聞こえた扉の音は、誰が立てたんですか?」
――ギイッ……バタン。
そうだ。
それがあったじゃないか。
屋内に戻る扉が、開け閉めされる音が聞こえた。だからこそ俺たちは、虚面伯がエレベーターに逃げたんだと思って――
「もう一度言いますよ。虚面伯は包囲壁を越えて逃げました。そして、共犯者は外壁に隠れていました。どちらも扉には近付いていません」
と、いうことは……?
「あのとき、扉を開閉できる人間は、物理的に5人しかいない」
落ち着いた声音で告げたのは、氷室白瀬だった。
「ケージさんは虚面伯に攻撃を仕掛けて離れていた。だから除外できる」
「ええ、そうですね。先輩を除く5人――階段周りを固めていた面子だけが、扉まで行き、そこから誰かが屋内に入っていったように見せかけて、戻ってくることができた――」
――ああ、そういうことか。
女神を鎮める木馬――木馬!
俺だって知っている。
コンピューターウイルスの名前になるくらい有名な――トロイの木馬のことくらい。
「チェリーさん。せっかくだからアレ言ってください」
「えっ、いいんですか? 配信主は氷室さんなのに」
「誰がどう見ても、探偵役はあなたでしょ」
「それじゃあ、失礼して……」
こほん、と咳払いをすると、チェリーは妖精型VRカメラに向き直り、毅然と宣言した。
「犯人は――私たちの中にいます」




