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最強カップルのイチャイチャVRMMOライフ  作者: 紙城境介
4th Quest - 最強カップルのVR学園生活
229/262

第224話 杞憂の民


 ラブ――げふんげふん、《個室喫茶》の最下層、地下5階の廊下を進んでいくと、『関係者以外立ち入り禁止』の札が下がった鉄扉があった。

 フロントで謎の女に渡された鍵を手に、俺は隣のチェリーをちらりと見る。


「……どうする」


「ど、どうするって……」


 意味もなく自分の髪を梳きながら、チェリーは目を泳がせた。


「し、仕方がないじゃないですか……。いくら何もしてないとはいえ、こんなところに出入りしたなんて言い触らされたら、配信なんか出られませんよ……」


「だ、だよな……。いくら何もしてないとはいえ」


「いくら何もしてないとはいえ!」


 俺たちは誓って、いかがわしいことは何もしていないのだ。

 ちょっとベッドの上で抱きついたり、裸ワイシャツになってはしゃいだり、お医者さんごっこをしたりしただけで。


 俺は意を決して鍵を使い、鉄扉を開く。

 ギギギギ、という軋みを上げて口を開けたのは、薄暗い間接照明に照らされた、下に続く階段だった。


「……さらに下の階があるのか……?」


「エレベーターのボタンにも、館内地図にもありませんでしたよね……」


 それ自体が後ろ暗い《個室喫茶》の、さらに隠された区画。

 想像もできないその正体を確かめるため、俺たちは、階段に足を踏み入れた。


 階段は幾度も折れ曲がり、地下へ地下へと続いている。

 MAOの地下は何メートルが限界だったか。確か検証した人間がいたはずだったが、詳しくは覚えていない。

 少なくともこの地下施設は、地上から優に30メートルは掘り進んでいた。


 長い階段の先に、再び扉が現れる。

 しかし、その様相は、上にあったものとは明らかに異なっていた。


「……このメタリックな光沢は……」


「まさか、マギックメタル製ですか?」


 マギックメタルとは、その名の通り、魔法の鋼鉄だ。

 現実には存在しない架空の金属で、普通の鋼鉄を遥かに超える強度を持つ。

 素材となるマギックメタル自体が複数のレア鉱石を組み合わせることでしか手に入らない他、加工には鍛冶系統の魔法流派を極めた者しか使えないスキルと魔法を必要とする。

 このゲームのクラフトシステムの終着点のひとつと言っても過言ではないだろう。


「どこぞの大手クランの金庫でも仕舞ってあるんじゃねえだろうな?」


「そのくらいでしか使いませんよね。この扉ひとつでいくらになるんだか……」


 継ぎ目ひとつない、つるつるとした扉を眺めていると、不意にピピッと電子音がして、扉の表面に光の線が走った。

 そして、どこからともなく声がする。


『ようこそ……。よく来てくれた。中に入ってくれ……』


 フロントで聞いた、掠れた女の声だ。

 それから、扉がひとりでに横にスライドする。

 まるで近未来の宇宙船だ。

 これがマギックメタルの特徴のひとつで、魔力を通すことで電子的なギミックを仕掛けることが可能なのである。


 扉の奥は、真っ暗だった。

 チェリーが少しだけ距離を詰めてくる。

 温泉に行ったときの廃墟探検以降、俺たちは二人ともすっかりホラー苦手勢になってしまった。


 肩を軽く触れ合わせた状態で、俺たちは扉の中に踏み込んだ。

 瞬間、背後で扉がシュパッと閉まり。

 ピピピピピ――という電子音と共に、星空のような光が一面に灯っていった。


「うおっ……!?」

「ええ……!?」


 目の前に広がった、あまりにも世界観をぶっちぎった光景に、思わず口が開く。

 監視カメラの映像を見張る警備室――あるいは、宇宙局のオペレーションルーム。

 星空のような光の正体は、部屋を一面覆い尽くす、無数のモニターだった。


 ホロウインドウじゃない。物理的なモニターである。

 蒸気機関が最新技術として扱われる世界にあってはならない空間だった。


「改めて……ようこそ」


 その空間の真ん中に、髪の長い女が座っていた。

 女は足と手を悠然と組んで、モップみたいな髪で顔を隠している。

 そういう妖怪みたいだった。


「ここは《ダーク・アーカイブ・ルーム》――百空学園の闇の歴史を記録する場所……」


「《ダーク・アーカイブ・ルーム》……」

「闇の歴史……」


 笑いそうになった。普通に。

 誰だって『闇の歴史』とかいきなり言われたらそうなると思うが、しかし今に限っては、女の放つ雰囲気がそうさせなかった。

 笑ったら最後、女のモップみたいな髪が全部蛇になって、俺たちを石化させるんじゃないかという、出所不明の被害妄想が、込み上げた笑いを引っ込めさせたのだ。


「あ……あなたは?」


 チェリーがようやく声を絞り出すと、モップ髪の向こうから女の瞳がギラリと光った。どうやってんだ、それ。


「我ら、《杞憂の民》」


 女は掠れた声で、大真面目に名乗った。


「百空学園の安寧を願い、その行く末を案じ続ける者なり――」


 瞬間。

 一面のモニターが一斉に、妖怪モップ髪女をどアップで映し、俺たちは引っ繰り返らんばかりに絶叫した。






『何を驚くことがある』

『あなたたちを招いたのは我らの総意』

『であれば、こうして顔をお見せするのが礼儀だろう』


 モニターに映ったモップ髪女たちが、口々に話していく。

 声がそれぞれ違った。

 よく似ているが……別人、なのか?


「な、なんでそんなアバターで統一してるんですか……」


「何が《杞憂の民》だドアホ! そっちの格好のほうが心配になるわ!」


「我ら《杞憂の民》は闇の一族。表の民からは疎まれる存在よ」


 俺たちの目の前にいるモップ髪が、毛ほども動じずに言う。


「我らはどんな些細なことにも杞憂する。学園のメンバー間に不和が起きてはいないか、運営との折り合いが悪いのではないか、リスナーのいじりに傷付いているのではないか……」

『それは百空学園を――我らが推しを真に気遣ってのものだが、多くの者の目には無粋と映るものだ』

『ゆえに、個性を失くし、世俗に溶け込み、闇に潜んで、裏側より学園を守る。それが我ら、《杞憂の民》』


「要するに度が過ぎた杞憂民じゃねえか」


「なんで闇の組織みたいになってるんですか」


『推しのSNSに田舎の母親のようなリプライを送りつける連中と一緒にしてくれるな』

『我らは己の存在によって推しが迷惑を被る可能性も杞憂する。ゆえに――』


 俺らへの迷惑も杞憂してほしいんだが?


「……で、結局、何が目的なんですか?」


 チェリーが警戒感剥き出しの目で、目の前にいる生身のモップ髪女を見据えた。


「こんな脅迫まがいのことまでして……私たちが学園側に報告したら、それこそ問題になるんじゃないですか?」


「我らは別に、あなたたちを無理に連行してきたわけではない。我らが根を張った場所に、たまたまあなたたちが訪れただけのこと……」

『報告したければ好きにすればよい。こんな場所で2時間も何をしていたのか、詳らかにな!』


「うぐ……で、でも、MAOじゃそういうことはできませんし……」


「甘いな」


 ふっ、とモップ髪の奥で唇が曲がった。


「人間の性癖というものを甘く見ている。できないことがあるのなら、できる範囲で最大限に快楽を貪るのが人間よ。聞きたいかな? あなたたち以外の利用者が、部屋の中で何をしているか――」


「い、いいですいいですっ!」


 チェリーは顔を赤くしてわたわたと手を振った。

 ……な、何をしてるんだろう? ゲームの中じゃ、せいぜいキスくらいしかできないはずだよな……?

 チェリーは溜め息をついて、


「……わかりましたよ……。話を聞けばいいんでしょう?」


「そうしてくれれば、あなたたちがここに来たことは墓の下まで持っていこう」


「知ってほしいことがある――でしたっけ? そもそも、なんなんですか、この部屋は。《ダーク・アーカイブ・ルーム》とか言いましたよね」


 モップ髪の女は鷹揚にうなずく。


「この《ダーク・アーカイブ・ルーム》――略して《DAL》は、百空学園の配信のうち、アーカイブから抹消され、切り抜き動画の製作も禁止された映像を保管・閲覧するための場所だ……」


「……なるほど。闇に葬られた歴史、というわけですか」


「その通り」


「それって大丈夫なのか?」 


 それこそ杞憂民のように俺が訊くと、自称《杞憂の民》は首を横に振った。


「バレたら普通に怒られるであろう」


「ダメじゃねえか」


「しかし、禁忌を犯してでも、我らには拭いたい『杞憂』がある。その杞憂の正体を見極め、払拭することこそが、我ら《杞憂の民》のここ一年の悲願」


 ここ一年って。


「お二人には、その杞憂――『晴天組史上最大最後の謎』の解決を、依頼したい」


 大袈裟に言わねえと気が済まねえのか、こいつは……ダンガンロンパじゃねえんだから。


「まだ何だかよくわかりませんけど……その依頼を、なぜ私たちに?」


『その能力があると感じたからだ』

『その上で、学園メンバーに近い立場にいて、詳しい調査が可能――これほどの好条件はそうそう揃うまい』


 モニターの中の《杞憂の民》たちが口々に言う。

 虚面伯だけでも手を焼くってのに、また変な話に巻き込まれてるぞ……。

 チェリーは「うーん」と悩ましげに首を傾げ、


「まあ、とりあえず話だけは聞きますよ。私たちは別に探偵ではないので、ご期待に添えるかはわかりませんが」


「感謝する」


「この部屋に招かれたことから察するに、その『謎』とやらは、アーカイブや切り抜きが禁止された『闇の歴史』とやらにあるんですね?」


「その通り……。まずは、この動画を見てほしい。一年ほど前――かつての天初百花の相方、晴屋(はれるや)(みやこ)が卒業する少し前の配信だ」


「晴屋京さんの……」


「否。配信主は晴屋京ではなく、千鳥・ヒューミット」


「んん?」


 晴天組に関する話なんだよな? なんで千鳥・ヒューミットの配信を?


「……まあ、まずは見てみましょうよ、先輩」


「そうだな……」


 モップ髪女がうなずくと、正面の大きなモニターで、動画の再生が開始された。


『――のあぁーっ!! もおーっ!! このゲーム強い人多すぎぃぃーっ!!』


 キンキンとした声が、急に響き渡る。

 金髪ギャルがソファーに寝転がって、短いスカートも気にせずにばたばた暴れていた。


「これ……どこでしょう?」


「たぶん、アグナポットの闘技場じゃないか……?」


 対人戦の聖地と呼ばれるアグナポットには、対人戦専用の施設・《闘技場》がある。

 ランクマッチなどに挑むためには、闘技場で部屋を取る必要があるんだが、千鳥がいるのはそこに見えた。


「1年前って言うと、まだアグナポットができたばかりですよね?」


「ああ。大体1年くらい前だったよな。確か、同じくらいの頃に百空学園もできたんじゃなかったっけか……」


 当時はまだバージョン3が始まって1ヶ月程度。

 バージョン2のクライマックスの評判と、新バージョンの自由度の高さが噂になって、プレイヤー数が激増していた頃だ。

 その流れに乗って、プロゲーマー団体がアグナポットを作ったり、百空学園が本格的な拠点を構えたりしたことで、さらに話題が大きくなった――って感じだった気がする。


「アグナポットで何か事件が起こるんですか?」


「晴天組って、対人戦もやってたのか?」


「いや」


 モップ髪の女が言う。


「千鳥の顔の前に注目せよ。そろそろ出るぞ(・・・・・・・)


 出る……? 何が?


『やっぱ近接系が性に合うなー。ねえ、今度はさあ――』


 ポフン、と音がした。

 不意に、千鳥の目の前にメッセージウインドウが出たのだ。


『ん?』

「え?」

「んん?」


 動画の千鳥と、俺たちの反応が重なった。

 なんだあれ?

 何のメッセージだ?

 こちらに裏側が向いているから、中が読めない……。


『んー?』


 千鳥も怪訝そうにしながら身を起こし――

 瞬間、ウインドウの中身が見える。

 ――だが、アングルの問題でメッセージは上下反転していて、すぐには読み取れなかった。


『うえっ?』


 千鳥が目を丸くする。

 直後、ウインドウはひとりでに閉じてしまった。

 千鳥は虚空を見つめて、しきりに首を傾げる。


『んー? どうしたんだろ。大丈夫かな……』


 そこで、動画は終わった。

 俺とチェリーは首を傾げるばかりだ。


「なんでしょう、あのウインドウ」


「あんな出方するメッセージあんの?」


「知らないのか?」


 モップ髪の女が意外そうに言った。


「あれはクランメッセージだ。クランメンバーが死んだり、他プレイヤーをキルしたりしたときなどに流れるログだ」


「あー……」


「私たち、クラン入ったことありませんからね……」


「群れる必要もないというわけか。筋金入りだな」


 どこか呆れるように言ったモップ髪女に、チェリーが問う。


「で、なんて書いてあったんですか? 一瞬すぎてわからなかったんですが……」


「あのメッセージの中身については、この配信の後すぐに解析され、我々のみならず百空学園ファンの間で話題になった。ウインドウにはこう記されていたのだ――」


 もったいぶった言い回しで、《杞憂の民》は告げた。


「――『晴屋京が天初百花を倒した』」


 ……キルログ?

 相方である晴屋京に、天初百花が殺された……?


「当時、トップの人気を誇っていた晴天組に、配信外で起こった事件。その真相について、ファンの間では様々な憶測を呼んだ……」


「いえ、でも、ゲーム内でのことでしょう? ダンジョンでの乱戦でフレンドリーファイアが起こってしまうことはよくありますし、そこまで深刻に受け止めることでもないと思いますが……」


「その通り。実際、この時間、晴天組が二人きりでダンジョンに潜る姿が目撃されている――この学園の地下に広がるダンジョンに」


「学園の地下に? ダンジョンなんてあんの?」


 首を傾げた俺に、チェリーが言う。


「たまにあるタイプですね。エリアを解放することで新しいダンジョンが攻略可能になるという。この学園は、そのダンジョンの攻略拠点を作るのを兼ねて開拓されたのが始まりだそうですよ」


「へえ……知らなかったな」


 巨大学園の地下に広がる巨大ダンジョン――楽しそうじゃん。さすがにもう攻略済みなんだろうけど。


「この頃は、学園地下ダンジョンの攻略が特に盛んだった。晴天組の二人も攻略に参加していた。そして現実に、この件はダンジョン攻略中の事故だと説明され、いたずらに騒ぎ立てないように呼びかけられた……。――だが、このゲームはMMORPGだ」


「え?」

「どういう意味だ?」


「この学園には、学園メンバーのみならず、そのリスナーも自由にうろついている――ゆえに、そこで起こったことを100%隠しきることは不可能だ。目撃されていたんだ――レッドネームになった晴屋京が」


 レッドネーム。

 殺人や窃盗などの犯罪行為をすると、ネームタグの色がオレンジやレッドに変わる。オレンジになるのは珍しいことじゃない。だから時間が経ったり、所定のクエストをこなしたりすれば元に戻る。

 だが、レッドネームは……。

 チェリーは難しげな顔になり、顎に親指を添える。


「フレンドリーファイアでは、一発でレッドになったりしないはずですよね……」


「一発レッドってなると、ただのPKでも無理だろ。パーティやクランのメンバーを殺したりすると、普通のPKよりもペナルティがでかいって聞いたことはあるが……」


「それにしても、明確なPK判定――つまり、殺意が必要ですよ」


《杞憂の民》は神妙にうなずく。


「そうだ。ダンジョンに潜る前まで、晴屋京のネームカラーはブルー――潔白だった。それが赤く染まっていたということは、晴屋京が、何者かを――天初百花を故意に殺害した証拠に他ならない。にも拘らず、その事実は明らかに隠蔽された」


《杞憂の民》は揃って瞑目し、そして告げた。


「以後――晴屋京は、二度とMAOにログインしないまま、卒業した」


 ……なるほど。

 杞憂したくもなるだろう。いかにゲーム内でのこととはいえ、無二の相方同士が殺し合い――そのまま、袂を分かつことになったのだから。

 学園のメンバー間に不和が起きてはいないか、か……。


「……晴天組は、実に素晴らしいユニットだった……」


《杞憂の民》は遠くを見て、懐かしむように言う。


「互いが互いの欠点を補い合い、慈しみ合い、時に喧嘩し、時にイチャつき……この二人はいずれ結婚するのだと信じて疑わなかった……」


 それは疑えよ。行きすぎだろ、妄想が。


「その二人の最後が、あのように杞憂を残して到来してしまったことが、私は無念でならない……。私が配信で見ていた、あの尊い姿こそが真実なのだと信じたい……。自分勝手な幻想、あるいは妄想なのだとしても……」


「日々、妄想を押しつけられている人間として言わせてもらうと、それは心の内に留めておいてほしいですけどね」


「天初だって生身の人間なんだから、相方と折り合いが悪くなるときだってあるだろ……」


「確かに、それが現実なのだろう。だが――違う。あなたたちと百空学園とでは、そこが決定的に違うんだよ」


 はあ?

 首を傾げた俺とチェリーに、《杞憂の民》は――筋金入りの百空学園オタクはほのかに笑ってみせた。


「いずれわかるさ。あなたたちにも」


 ピンと来ていない俺たちを、《杞憂の民》たちは妙に輝く瞳で見つめる。


「『晴屋京は、なぜ天初百花を殺したのか』――あの日、配信の外での、ダンジョンの中で、一体何が起こったのか」


 杞憂の内容を――己が胸の内を語りながら、一斉に頭を下げる。


「それをどうか、突き止めてほしい」




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




 ――カツカツッ、コツコツコツッ――


 雨矢鳥フランは、リズミカルな靴の音で目が覚めた。

 目に映ったのは、見慣れた生徒会室の天井だ。そこまで深く寝入っていたわけではないから、記憶も意識もはっきりしている。いつものように、生徒会室のソファーで居眠りをしていたのだ。


 身を起こすと、薄暗い部屋の中に髪が躍っていた。


 闇の中でなお艶やかな黒髪を宙に舞わせ、天初百花がステップを踏んでいたのだ。

 フランにはそれが、明々後日――日付が回っているだろうから、もう明後日か――の学園祭最終日に行う、ライブのダンスであると一目でわかった。


「頑張ってますねぇ~」


「あ……フランちゃん」


 声をかけると、百花はステップをやめて振り返り、恥ずかしげに笑った。


「ごめんね。起こしちゃった?」


「ん~、そうですね。いい目覚ましでした」


「否定してよぉ……」


 今度は弱ったように笑って、


「ここで練習してたらうるさいよね。わたし、他のとこ行くね」


「いやいや、マジ寝するならログアウトしますよ。というか百花せんぱいも寝ましょうよ。何時だと思ってるんですか」


「え? ……うわ! もうこんな時間!?」


「明日も午前から打ち合わせじゃありませんでしたっけぇ?」


「ちょっと確認するだけのつもりだったのに……。MAOの中だとどれだけ練習しても疲れないから、つい……」


 疲れないと言っても、それは肉体的な話。

 集中してアバターを動かしていれば、相応に精神を消耗する。フランなど、集中力も精神力も足りないから、ダンスの練習は1時間続けるのがやっとだ。

 それを百花は、2時間も3時間も、我を忘れて続けることができる。生来の努力家なのだ。


「そんなに頑張らなくても、何度も踊ったダンスじゃないですかぁ。とっくに身体が覚えてるんじゃないですか?」


「そうかもだけど……」


 百花は自分の手のひらを見つめる。


「足りない気がするの……。どれだけやっても、何かが……。京がいなくなってから、ずっとそんな感じ……」


 フランは口を噤む。

 百花はときどき、こういう目をする。今この場ではなく、かつての――晴屋京が隣にいた頃を見ている目。

 このとき、フランの胸を苛む思いは、一言では表せなかった。悔しさ、愛しさ、哀切、慈愛――


「――あ! フランちゃんがダメってわけじゃないよ! ごめんね、ネガティブで……」


 その感情に名前を付ける前に、いつもこうやって、百花がとりなすように笑うのだ。

 フランもまた、合わせて笑う。


「いい加減自信持ってくださいよぉ。Vtuberでトップ3に入るくらい登録者数いるんですから。百日せんぱいのライブをどれだけの人が待ってると思ってるんですかぁ」


「どれだけの人が……かぁ」


 呟いて、百花は生徒会室の奥――百空学園と、MAOの広い世界を映す、大きな窓に歩いていく。


「可愛い姿で、面白いことをして、たくさんの人を楽しませて――」


 窓に映る夜景が、あまりにも雄大だからだろうか。

 フランの目には、その背中はどこか、小さく見えた。


「――そげなん(・・・・)今時(・・)珍しくもなかよ(・・・・・・・)――」



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― 新着の感想 ―
[一言] 誤字報告です。 >百日せんぱい となってます。
[良い点] すごい。このシリアスとコメディを両立というか、緩やかに変化しながら表現出来るところ半端ないと思います。 めっちゃ笑った後に、めっちゃ真剣な顔して読んでしまった。何か、罠に嵌められた感じで…
[一言] え?いやアバター統一できるとかソレ答えじゃないか? 名前がわかっても複数人で演じてたら名前なんて意味ないし 口上の【水面に写る影】がまさにそれっぽく感じる   地上にいたのは別人で剣も別物だ…
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