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最強カップルのイチャイチャVRMMOライフ  作者: 紙城境介
4th Quest - 最強カップルのVR学園生活

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228/262

第223話 久々の二人きりでテンションがおかしくなる


「今日はありがとうございました」


「ありがとうございましたぁ~」


 配信を終え、生徒会室に戻ってくると、天初百花と雨矢鳥フランが一同に言った。


「残念な結果には終わりましたが、配信としては成功だったと思います。……ですが、虚面伯が新しい予告状を残していきました」


 配信が終わったからか、天初は口調を変えて柔らかな敬語で言い、虚面伯が残したカードを掲げた。


「時間は明日の同じ時間。学園祭前夜ですが、できれば集まっていただきたく……よろしいですか?」


 金髪ギャルの千鳥・ヒューミットが手でOKサインを作る。


「だいじょっび~! あたしらライブとかないし、明日は割とスケジュール空いてんだよね~」


「むしろ会長たちは大丈夫ですか? ライブの二日前でしょう」


 パーカー少年の氷室白瀬が言うように、今日から数えて三日後には天初百花と雨矢鳥フランを含む学園メンバーによるライブがある。

 今はその本番直前だ。この二人は、練習や打ち合わせ、リハーサルでスケジュールが詰まりきっているはずである。

 雨矢鳥フランが相変わらず寝ぼけたような顔で、


「練習もリハーサルも大体終わってますからねぇ、1~2時間なら大丈夫ですよ~」


「今までもライブの練習をしながら個人配信もしてたんですから、それとあまり変わりませんよ」


「すごいバイタリティですね……」


 チェリーが感嘆の声を上げた。

 俺からすると、毎日サボりもせず配信してるってだけでもすごいのに、その上ライブの練習だの打ち合わせだのをこなしてるなんて……にわかには信じがたい生活である。


「だったら、僕らのほうでできる限り対策を進めておきたいね」


 氷室白瀬が落ち着いた声で言って、俺たちのほうに目を向けた。


「ケージさん、チェリーさん、明日の昼か夕方、時間取れますか? 今日の事件の捜査と、明日の夜のロケハンがしたいんですけど」


「私は夕方からなら大丈夫ですけど……先輩はどうです?」


「俺も大丈夫だな」


「でも、明日、虚面伯が何を狙ってるのかわかっているんですか?」


 そういえば、予告状には何を狙うのか書かれていなかった。

 今日は《晴天組の秘宝》が狙われていると言われて、そうなのかと思って疑問に思わなかったが……そもそもどうやってターゲットを特定したんだ?


「カードの裏に、『杖』のマークがあるんです」


 天初が予告状のカードを裏返して見せた。


「前の予告状には『剣』のマークがありました。この学園に盗むようなものなんてそうはありませんから、これだけで大体の想像はつきます」


「その辺りの説明も含めて、明日、配信に付き合ってほしいんです。いいですか?」


 チェリーがちらりと俺を見て同意を求めてきたので、俺はうなずいた。


「わかりました。では明日の夕方」


「ありがとう。細かい時間はまた連絡します」


「一応訊いておきますが、現場の保全は大丈夫ですよね?」


「スタッフさんに頼んでますよぉ。誰も一歩も入れません~」


 雨矢鳥の答えに、チェリーはうなずく。


「だったら、大丈夫そうですね」


 む、と俺は気付く。

 今のチェリーの言葉、どこか含みがある。

 こいつ――もしや、何か掴んでるな?


「では、今日はひとまずこれで。お疲れ様でした!」


「「「お疲れ様でした~」」」


 声を唱和させ、解散となった。

 それぞれログアウトしたり、生徒会室を出ていったりする中、チェリーは雨矢鳥に話しかける。


「雨矢鳥さん。すみません……剣を守れなくて」


 雨矢鳥フランは、《晴天組の秘宝》を絶対に守ってくれと言っていた。

 その頼みを聞いてやれなかったことは、俺にとってもチェリーにとっても気掛かりなことだ……。


「え? いやいや~……あんまり気にしないでください」


 雨矢鳥はにへらと笑って、


「そりゃあ確かに残念ですけどぉ、二度と返ってこないってわけじゃないでしょうし……。明日も虚面伯は来るんですから、そこで捕まえちゃえば取り返せますよね?」


「そうですね……。インベントリに入れっぱなしなら可能性はあります」


「っつーか、あいつなら一度でも捕まったら盗んだものは全部返してくれそうだけどな」


 と俺が言うと、チェリーが怪訝そうに振り返った。


「どうしてですか?」


「なんか、やりそうじゃん。そういうフェアプレイめいたこと」


「まあ……わからなくはないですけど」


 チェリーは完全には納得していないようだ。

 だが、俺にはなんとなくわかっていた。

 虚面伯もまた、『ゲーム』をしている。

 その詳しい内容まではまだわからないが、きっとヤツの行動には明確なルールがある――自分が負けたときのペナルティについても設定しているに違いない。

 明日以降、俺たちが虚面伯を捕まえても盗まれたものが戻ってこないとなれば、虚面伯に都合が良すぎるルールだ。そこはバランスを取ってくるんじゃないだろうか。


「そうですねぇ。返ってきたらいいですねぇ。……まあ正直、あたしや会長よりも、リスナーの人たちのほうがキレてる可能性ありますけどぉ」


「……あ~……」


 ありうる。

 大半の視聴者は今夜のことをイベントの一種と捉えてくれるだろうが、それでも不安になっちまう人間ってのは一定数いる。

『杞憂民』とか言うんだっけか?

 特に本気で天初を推している人間には多いだろう――まあ、俺とチェリーなら、そんじょそこらの奴には後れは取らねえけどな。


「逆恨みで刺されたりするかもなんで、今日は裏口から帰ってくださいねぇ。場所教えますから~」


「怖いこと言わないでくださいよ……」


「もし襲われたら彼氏さんに助けてもらってください~」


「彼氏じゃないですから」


 雨矢鳥は裏口の場所を教えてくれた後、「それでは~」と笑いながらログアウトしていった。

 俺たちもまた、誰もいなくなった生徒会室を出る。


「う~ん……」


 廊下を歩きながら、チェリーが難しそうに腕を組んで唸った。


「どうした? ……やっぱりわからないのか? 虚面伯がどうやって逃げたのか」


「いえ、それはもうわかってます」


 あっさりと返ってきた言葉に、俺は驚かなかった。

 だろうな、と腑に落ちただけだ。


「起こり得ないことを順番に消去していけば、可能性はおのずと絞られます。証拠も明日見つけられるでしょう。それよりもわからないのは、誰が木馬なのか(・・・・・・・)ってことなんですよね……」


「木馬……?」


 と言われて思い出すのは、虚面伯の去り際の台詞だ。


 ――いかに高く堅牢な壁を巡らせようとも、女神の怒りを鎮める木馬は妨げられない


「まあ、これも明日、氷室さんの配信で言及しておきましょうか。きっとここまでが、虚面伯から私たちへの出題なんです」


 出題。

 その言い回しは、俺も腑に落ちた。

 そうだ。これは『挑戦』ではなく、『出題』。

 なぜそう感じるのかは、まだわからないが――


 エレベーターホールに辿り着き、『▼』のボタンを押した。

 ケージが上がってくるのを待っていると、


「先輩、これからどうします?」


「これから?」


 不意に言われ、俺はメニューウインドウを出して時間を確認する。

 いろいろあったからもう一日終わったつもりでいたが、まだ日付も回ってないんだな。

 世間的には寝る時間だろうが、ゲーマー的にはまだまだこれからだとも言える。


「うーん……特にやることもねえし、解散でもいいか――」


 言いかけると、学ランの袖をくいっと引かれた。

 隣を見る。

 チェリーは黙って閉じたエレベーターの扉を見つめていた。

 その手はとっくに、俺の袖から離れている。


「私、最近ちょっと寝つきが悪いんですよねー」


 こっちは決して見ないまま、チェリーは言った。


「先輩に付き合って夜更かししてるせいで、夜型になっちゃったんですかねー?」


 ……そういや、今日は顔合わせだの下見だの配信だの捜査だの推理だので、二人だけで気楽に過ごす時間がなかったかもしれない。

 だったらそう言えよ。

 いや……こいつ相手に、それは無理な相談か。


「……それじゃ、ログアウトする前に、ちょっとその辺回ってみるか? VRとはいえ散歩でもしたら眠くもなってくるだろ」


 努めて何気なしに言ったつもりだった。

 俺の意思など介在しない、極めて常識的な一般論を返したつもりだった。

 だが、チェリーはにやあと猫みたいに笑うと、腰を軽く折って俺の顔を上目遣いに見上げてきた。


「そんなに私と別れたくないんですか? 仕方ないですね~、先輩は! ほんと寂しがり屋なんですから!」


「テンプレウザ絡みうぜえ……」


 チェリーがくすくすと笑い、エレベーターの扉が開いた。






 雨矢鳥に教えてもらった裏口から時計塔を出た。

 それから学園内をほっつき回ろうとしたんだが、指を差されたり声をかけられたりすることが何度かあって、《校下街》のほうに行こうということになった。


 丘の頂点に建つ百空学園――その周囲に広がる城下町ならぬ校下街は、百空学園のファンのみならず、他のMAOプレイヤーにも拠点として利用される。

 今はMAOのゴールデンタイムだし、人混みに紛れてしまえばそうそう見つかることもないだろう。

 ……と、思ったんだが。


「あ! 君、さっきの配信の……」


「あ~、どーも~……」


 ふらりと寄ったプレイヤーショップで、早速店主に気付かれた。

 そこはチェリーが軽くいなして早々に出たんだが、その後も行く先々で、


「あ」

「あっ」

「あ!」


 ……という具合で、ひどいと勝手にスクショを撮ろうとする奴まで出る始末。

 まるで芸能人になった気分だ――これがトップVtuberの力か。


「やー、想像以上に気付かれちゃいますねー」


 どうにか人混みに紛れると、チェリーは「はー」と溜め息をついた。


「さすがに同接数万人級の配信に出ると、否応なしに顔が売れちゃいますね」


「俺らはMAOだと元々そうだろ。特にお前は男女問わずキャーキャー言われてさ」


「先輩は男女問わずギャーギャー言われてますよね」


「誰のせいだと思ってんだ!」


 ギャーギャーの内容は『見せつけやがって』『男ならはっきりしろ』『さっさと付き合え』エトセトラエトセトラ……。ほとんどがやっかみと冷やかしである。

 原因そのものであるチェリーはけらけらと笑って、


「いつもはそれも楽しいですけど、今日は結構お腹いっぱいですよね。……もういっそ、二人きりになれるところ行っちゃいましょうか?」


「……二人きりって?」


 できる限り意識しないように返したが、こう考えている時点で意識してしまっているとも言える。

 チェリーはそれを見透かしたかのようにくすりと笑い、


「個室喫茶……とか?」


「……個室?」


「密室とも言います」


「密室喫茶って言うと、また別の何かに聞こえるが……」


 推理小説がコンセプトの喫茶店みたいだな。


「俺と二人きりになりたいの?」


「おや。どうしてそう思うんですか?」


「質問に質問で返すなよ」


「別に、二人きりになりたいってわけじゃないですよ? 慣れないことをしてお疲れかなって思って、私が後輩らしく殊勝で健気に先輩を癒して差し上げようというだけの話です」


「胡散臭せえ……」


「嫌ですか?」


 そう言ってチェリーは手を伸ばし、俺の手の腹をつうっとなぞった。

 あとは指を絡ませるだけで、手を繋ぐことができる……。

 なのに、あえてそれをせず。


「……お前、もしかして虚面伯じゃね?」


 この甘えるようなやり口は、いつもの延々とマウントを取ってくるチェリーとはほんの少し違う。

 チェリーは不服そうに唇を尖らせて、


「失敬な。ただ、今日は、人の目が多くて……」


「多くて?」


「……………………」


 チェリーは束の間黙り込み、すいっと視線を横に逃がした。

 それからすぐに、からかうときの笑みを浮かべる。


「たまにはストレートに攻める私もいいと思いませんか、先輩?」


「……俺は何を守ればいいんだよ」


「んー? 貞操とか?」


「お前までUO姫化したら手が付けられないからやめてくれ」


「おっと。危ない危ない。あそこまで成り下がったら人間おしまいですからね」


「そこまでは言ってねえよ」


 ここまでのやりとりで了承を得たと思ったのか、チェリーは一歩分距離を詰めて、俺の腕に緩く腕を絡ませた。

 そして、街灯で煌びやかに輝く街並みを眺めて、ふふっと笑う。


「こんな深夜に、しかも制服で歩いてるなんて、何だか悪いことをしている気分になりますね」


「まあ、リアルなら一発で補導だわな」


「どうせなら、リアルでは行けないところ、行きましょうよ」


「ん?」


「さっきの話の続きです」


 チェリーは軽く背伸びをすると、俺の耳元で囁いた。


「(この街に、深夜だけやってる、ちょっと特別な個室喫茶があるらしいんですよ)」


 ちょっと?

 特別な?

 個室喫茶?


「(悪いことついでに、噂を確かめに行きませんか、先輩?)」






 その階段は、何の変哲もない喫茶店の裏手にあった。

 チェリーが見たという噂を頼りに場所を絞り、冷やかし気分で見に行ったら、ちょうどカップルらしき男女のプレイヤーが狭い路地に入っていくのを見つけたのだ。

 それを追いかけると、地下に呑まれていく暗い階段があったのだった。


「……思った以上に怪しい雰囲気でワクワクしてきましたね、先輩」


「遺憾ながら同意だな……」


 MAOの街作りには数千という大量のプレイヤーが関わっている。

 その上、絶えず変化しているから、一般にはまったく知られていない店が、わかりにくいところにひっそりと建っていることは多い。

 とはいえ、まさか企業が運営してる百空学園の校下街に、《特別な個室喫茶》なんてもんがあると誰が思う?


「……本当に入るのか……?」


「ここまで来たら……気になりますよ」


 そりゃそうだ。俺だってそうだ。

 ……少し見学するだけなら……。


「行きましょう」


 俺は黙ってうなずいて、暗い階段を降りた。

 階段の先には錆びついた鉄扉があった。

 ノブを回すが、鍵はかかっていない。

 恐る恐る開くと、中から柔らかな橙色の灯りがぼんやりと漏れてくる。


 そこは、ロビーだった。

 広さは学校の教室と同じくらいか。天井からは明るさを絞った小振りなシャンデリアが吊り下がっている。

 異様なくらいしんと静まり返っていて、人の気配は少しも感じられなかった。


 そして。

 扉を抜けて、すぐ右横の壁だった。




 そこに――ダブルサイズのベッドが置かれた部屋の写真が、部屋番号と共にたくさん掲示されていた。




「……これって」


 俺ははたと真実に気付く。


「あれ、だよな? ラブ――」


「先輩」


 くいっと俺の肘を引きながら、チェリーは真剣な顔でじっと俺の顔を見つめた。


「個室、喫茶です。ただの、お茶を飲むところです」


「そ、…………そっかー…………」


 だ、だよなー。

 ロビーの壁際には無料のドリンクコーナーもあるしな。『個室』が空くのを待つとき用か、バーカウンターみたいなのもあるし。個室喫茶だよな、ただの! ドリンクで金取ってないけど喫茶店だよな!


 俺は改めて、壁に掲示された部屋――ゲフンゲフン、『個室』の写真を見る。

 それっぽい。

 いや、『それ』がなんなのかはわかんねえけどな? ここは個室喫茶なので。


「この写真を持っていけばいいんですかね……?」


「実際にはパネルがあるって聞くけど、MAOじゃ再現が難しいしな……」


「……実際には? 行ったことあるんですか?」


「き、聞きかじりに決まってんだろ……」


「ふふっ、わかってますよ。先輩の身持ちの固さは」


 何が実際なのかはわからない。ここはただの個室喫茶なので。


 写真は『個室』のグレード順に並べられているようだ。

 下に行けば行くほどグレードが高くなっているようで、一番下の『個室』はまるで王宮か何かのようだった。

 真ん中辺りの、標準グレードの『個室』の写真が、すでにいくつも抜き取られている。使用中、ということらしい。

 チェリーは上から下まで、残った写真をざっと物色すると、


「どうせなら高いとこを――と言いたいところですけど……」


 真ん中辺りに掲示された、レギュラールームの写真を指差して、チェリーは窺うように俺を見た。


「あえて普通のところ……っていうのは、どうでしょう?」


 なる……ほどー。

 確かにそっちのほうがリアル感があるっていうか……高い部屋はもうある種のテーマパークとして楽しめちまいそうだし……。

 何がリアルなのかは以下略。


「……そう、だなー。見学するなら、普通のとこかもなー」


「そ、そうですよねー。見学ですから。あえての。あえての、ですよねー」


 見学、見学、とボットのように繰り返しながら、俺はチェリーが指差したレギュラールームの写真を抜き取った。

 それから、ロビーの奥にあったフロントカウンターに、緊張しつつ写真を置く。


 フロントと言っても、壁で仕切られていてスタッフの姿は見えない。

 半円状に切り取られた窓からにゅっと手が伸びてきて、さっと写真を取っていったと思うと、またにゅっと手が出てきて、鍵をカウンターに置いて引っ込んでいった。

 たぶん受付用のNPCだろうけど、変に緊張するな……。

 無料ドリンクコーナーで待っていたチェリーのところに戻る。


「鍵、もらえました?」


「ああ……」


「代金は?」


「勝手に所持金から引き落とされた」


「半分払いますよ」


「いや、俺が出すって。大した額じゃないし」


「あ……はい」


 チェリーは目を横に泳がせ、桜色の髪を指先でいじった。


「じゃあ……甘えちゃいます」


 俺が歩き出すと、チェリーも大人しく後をついてくる。

 ロビーの奥にあったエレベーターのボタンを押した。

 ここは地下へ地下へと広がっているようで、俺たちが選んだ部屋は地下三階にあるらしい。

 俺たちはエレベーターに入ると、『B3F』のボタンを押した。


 ゴポゴポゴポ、と水が抜ける音がする。

 MAOでは一般的な、水位の上げ下げによってケージを昇降させる形式のエレベーターだ。


「……………………」

「……………………」


 手の甲が触れ合う程度の距離で、俺たちは地下三階に着くのを待つ。

 チェリーが所在なげに、セーラー服のスカーフを触っているのが、視界の端に見えた。


 扉が開くと、やはり光量を絞られた廊下が、まっすぐに伸びていた。

 痛いくらいに静まり返っているのは、たぶん、防音がしっかりしているからだろう。

 さっきの写真の抜け具合からして……この階の『個室』のいくつかは、使用中(・・・)なのだ。


「……ここだ」


 毛の長い絨毯に足音を吸い取られながら、俺たちは扉の前に立つ。

 ちらりと横のチェリーを見たが、黙り込むばかりだった。

 今なら引き返せるのに、何も言おうとはしなかった。


 俺は鍵穴に鍵を差し、ゆっくりと回す。

 カチャ、という軽い音と共に、解錠された。

 ノブを掴んで引くと、ドアは静かに開き、闇に沈んだ『個室』を見せた。


 俺が先に一歩、『個室』に足を踏み入れ、横の壁にあったスイッチを押す。

 ゆっくりと照らされた『個室』は、地下だから窓さえもない。

 ソファーとテーブル、そしてダブルベッドだけが置かれた、簡素で無難な『個室』だ。

 普通の部屋と違いがあるとすれば、ベッドの横に謎のデカい鏡が張られていることくらい。

 いやあ、謎だなあ。何に使うんだろうなあ、あの鏡。


「ちゃんとしたバスルームがあるんですね……」


『個室』に入ってすぐ横にあるドアを開き、チェリーが言った。

 チェリーの後ろから覗き込むと、確かにユニットバスではない、ちゃんとしたバスルームだった。


「すげえな。どうやって水引いたんだ?」


「しかも地下ですし。大変ですよねー」


 チェリーはちらりと目だけで俺を振り返り、


「……せっかくですし、使ってみてもいいですか?」


「え?」


「シャワーを、その、浴びるだけですから……」


 あちこちに目を泳がせ、


「先輩は――ベッドで、待っててください」


「……お、おう……」


 何とかそう答えると、チェリーは俺と目を合わさないまま、こくりとうなずいて、バスルームに姿を消した。


 一人残された俺は、学ランも脱がないまま、ダブルサイズのベッドに身を放り出す。


「……ふう――」


 ぼんやりとした光を放つ天井の照明を見上げながら、長く息をつく。




 ――いや、何やってんだ、俺ら?




 急に我に返った。

 完全に雰囲気に呑まれていたが、いや、これ、MAOなんだが。全年齢対象ゲームなんだが。何ができるわけでもないんだが。

 ここは普通に、『こんな風になってんだ。すげえなあ』とひとしきり楽しんでログアウトするだけの場所だ。それ以外のことは何もできない場所だ。

 あぶねえ。

 温泉のときの二の轍を踏むところだったぜ。


 ――シャアアア…………。


「……………………」


 シャワーの音が聞こえてきて、俺は息を詰める。

 どうした。落ち着け。鼓動を乱すな。

 とりあえず、そう、学ランを脱いでだな……。


 ――シャアアア…………。


 ヤバい。

 これは、ヤバい。

 何もできないとわかっている。

 何もしないとわかっている。

 なのに、ヤバい。


 どうしよう。

 チェリーが出てきたら、俺はどういう態度で接すればいいんだ?

『ごっこ遊び』としてネタにしてしまえばいいのか?

 そんな器用なことが俺にできるのか?


 悶々としているうちに、いつしかシャワーの音は止まっていた。

 バクン、バクン、と心臓の音がうるさい。

 落ち着け。鎮まれよ。アバターのくせに、どうして俺の言うことを聞いてくれないのか。

 息を止めて自分の胸を押さえていると、バスルームのドアが開いた。


「……お待たせしました」


 桜色の髪を湿らせたチェリーが、ぺた、ぺた、とスリッパで近付いてくる。

 白いバスローブをまとっていた。

 素肌の上に。

 襟を合わせたところから、かすかに上気した白い肌が、喉元の窪みが、鎖骨が、意外に膨らんだ胸元が、垣間見えている。


 関係あるものか。

 素肌の上とかどうとか、どっちにしろ、そのバスローブの中は謎の光で守られているんだ。

 そうだ。落ち着け。騙されるな!


 ぐっと顎を上げると、チェリーの髪が目に入った。

 いつもは頭の横でちょこんと髪を結び、ツーサイドアップにしているんだが、今は完全に下ろしている。


「髪……」


「一回下ろしちゃったので、そのままです。……結んでたほうが、良かったですか?」


 いや。

 いいとか、悪いとか、俺が決めることじゃねえし。


 チェリーは俺とお尻一つ分ほどの距離を開けて、ベッドの縁に腰を下ろした。

 ギッ、とベッドが軽く音を立てる。

 その音に耳を澄ますだけで、俺は、自分の膝を見つめることしかできなかった。


「……えへ」


 照れたような声がする。


「ここ、すごい雰囲気ですね。ゲームだってわかってるつもりでも……呑まれちゃう、っていうか」


「ああ……」


「誰が作ったんでしょうね。ものすごい拘りを感じますよ」


 よし。いいぞ。ゲーマー的視点を取り戻しつつある!

 俺もこれに乗っかって――!


「だ、だよな。機能的には何の意味もないのに――」


「先輩」


 呼ばれた、次の瞬間だった。

 首に腕が巻きついて、あっと思う間もなく、俺は柔らかなベッドに押し倒されていた。

 チェリーは、俺と頬っぺたをくっつけるようにしてベッドのシーツに顔をうずめている。

 その状態で、俺に囁くのだ。


「(たくさんの人の目を気にして話すのって、意外と疲れるんですよ、先輩)」


「は……?」


「(わかりませんか?)」


 チェリーは腕を突っ張って身体を持ち上げて、俺の顔を正面から覗き込んだ。


「先輩は配信で楽してたんですから、私を労って、癒してくれたって、バチは当たらないじゃないですか」


 俺は挑発するように笑うチェリーの顔を見つめた。


「……そんなに疲れたのか?」


「もちろん。くたくたです」


 ここに入る前は、普通に元気にはしゃいでた気がするが。

 ……まあ……本人が言うなら、そういうことなんだろう。


「えへへー♪」


「うごっ!」


 俺をマットのようにして、チェリーはどふっと身を預けてくる。普通に苦しい。

 チェリーは俺の胸に顎を当てて、俺の顔を見上げてくる。


「よかったですね、先輩」


「マットにされる趣味はねえよ」


「そうじゃなくてー……」


 にやにや笑いながら、チェリーは口の周りを手で囲って、囁いた。


「(これはゲームですから――どれだけ夢中になっても、やりすぎないで済みますよ?)」


「……………………」


「うぱっ!?」


 俺はチェリーの小さな頭を掴むと、自分の胸板に押しつけた。


「くっ、苦しい苦しい! 何するんですかぁ!」


 イラッとしたのだ。

 確かに、と思ってしまった自分に。






「ふへへ♪」


 チェリーは照れ笑いをして、ぶかぶかなブラウスの袖で口元を隠した。


「どうですか、先輩?」


「おお~、かわいいかわいい!」


「彼Tってやつですね! 彼T!」


「Tシャツでもねえし、彼でもねえけど」


「嫌ですねえ。ただの二人称ですよぉ」


「あー、そっかそっか」


「先輩のブラウス、すごくおっきくて……袖が、いっぱい余っちゃいますね?」


「その台詞はチート」


「えへへ! どうも~! チーターで~す!」


「BANだBAN!」


 ダブルベッドの上できゃっきゃと笑う俺たち。

 雰囲気に呑まれ、緊張していたのはいつのことか。

 部屋のクローゼットに異種様々な衣装が用意されているのを発見するや、コスプレ大会が始まった。

 チェリーは今、白いブラウス一枚だけの格好で、ベッドの上にぺたんと座り込んでいる。

 一方の俺は――


「男性用の衣装も用意してあるのが、何とも心憎いですね!」


「ただの白衣じゃん。需要あんの?」


「ありまくりですよ~! 先輩、撫で肩だから似合います!」


「そ……そうなん?」


「そうですそうです。お医者さんやりましょう、お医者さん! お医者さんごっこです! 診察してくださいっ!」


「え~? じゃあ……痛かったら手を挙げてくださ~い」


「え!? 歯科!? ……うーん、それもアリ!」


 チェリーは女の子座りのまま、前に手を突いてんあっと口を開ける。

 俺はその中を覗き込んで、うーんと唸り、一言。


「……やっぱお前でも、口の中はちょっとグロいな」


「ばうー!」


「うごあっ!? は、鼻!? 鼻噛んだ!」


「女の子の口の中をグロいとか言わないでください!」


「じゃあエロいって言えばよかったのかよ!」


「それはそれでついていけませんよ!」


 ぷりぷりと怒り出したかと思いきや、チェリーはすぐに「ひひ」と下世話な笑みを浮かべて、俺の目を覗き込んだ。


「というか~、『お前でも』って言いました~? もしかして、『他のところは超絶かわいいお前でも』って意味ですか~?」


「……だとしたらどうするわけ?」


「超嬉しいので、ぎゅっとしちゃいます!」


「うおっ!」


 チェリーが勢いよく飛びかかってきて、俺は諸共、ばふっとシーツの上に倒れ込んだ。


「あっぶね。頭ぶつけるかと思った」


「先輩、紙装甲ですもんねー♪」


「さすがに死にはしねえよ!」


「あはははははは!」


 あー、楽しい。

 もう何を言っても笑えるわ。

 ついさっきまで雰囲気に呑まれて緊張してたなんて信じられな――


 ――ピンポーン。


【残り時間が5分になりました。延長しますか?】


「……………………」

「……………………」


 あれ?

 ついさっき……あれ?


 目の前に現れた小さなメッセージウインドウを呆然と見つめていると、チェリーがのっそりと、俺の腕の中から上体を起こす。

 そして、ウインドウを見ながら告げるのだ。

 わなわなと震えながら。


「……先輩……とても、恐ろしいお知らせです」


「な……何……?」


「私たち……もう2時間くらい、ここでハシャいでます」


「…………なん、だと…………?」


 に……2時間……?

 2時間も、あんな脳が溶けたことを……?


 俺は横に目を向けた。

 ベッドの横に張られた大きな鏡に、白衣を羽織った男と、白ブラウス一枚の女が映っていた。

 すなわち、アホ二人だった。


「……………………」

「……………………」


 …………雰囲気に、呑まれていたっ…………!!


 チェリーはいそいそとベッドを降りると、素早くウインドウを操作して、装備をセーラー服に戻した。

 俺もベッドに座ったまま、無言で学ランを装備し直した。

 さて。


「ログアウトして寝ましょうか、先輩!」


「そうだな! 夜更かしは良くない!」


 そうと決まれば、こんな場所はさっさと立ち去るのみ。

 俺たちは足早に部屋のドアを開けると、廊下に首を出してささっと左右を見回した。

 ……誰もいないな……。

 それからそそくさとエレベーターに乗り、ロビーに出る。

 ロビーにもやはり、人はいなかった。


 あー、怖ええ。

 こんなところから二人で出てくるのが見られたら、さすがに言い逃れようがねえもんな。

 下手したら、明日の配信で百空学園の人たちに迷惑かけるかもしれないレベル。


「(今がチャンスですよ、先輩)」


「(わかってる……! 誰か来ないか見張っとけ!)」


「(はい!)」


 チェリーに出入り口を見張らせて、俺は部屋の鍵をフロントのカウンターに置いた。

 丸い窓から、チェックインのときと同じ手がにゅっと出てきて――




 俺の手首を掴んだ。




「っ!? なっ……!」


「――聞け」


 低い……しかし、女の声だった。

 壁で隠されたフロントの中から、掠れた女の声が聞こえてきたのだ。

 NPCじゃ、ないっ……!?


「聞け。ここを出入りしたことを、バラされたくなければ」


「お前は……!?」


「この鍵を使って、最下層の、一番奥の扉を、開け」


 もう一本の手が丸い窓から出てきて、俺が置いたのとは別の鍵をカウンターに置いた。


「あなたたちに、知ってほしいことが、ある」


 俺たちの答えも聞かずに、掠れた女の声は言った。


「《晴天組》が残した、最後の、最大の、謎――我々に遺された、とある『杞憂』について」



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[良い点] タイトルからしてイチャラブ回だと思って呼んでたら想定の200%くらい上で爆死しました笑 [一言] 最高です!
[一言] 自覚無しでイチャついてた二人が自覚するとこうなるわけで… いいぞ、もっとやれ
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