第220話 顔合わせと打ち合わせ
午後8時。
俺とチェリーは再び、生徒会室の戸を叩いていた。
「失礼します」
「……しまーす」
チェリーに続いて、俺も申し訳程度に挨拶しながら、扉を開ける。
中にはすでに4人もの人間が集まっており、そのうち3人が応接セットで談笑していた。
「あ! 二人とも! よく来てくれたね!」
天初百花がソファーから立ち上がり、輝くような笑顔で俺たちを出迎える。
こんなに綺麗な笑顔を、俺は見たことがないかもしれない。眩いオーラに目を潰れそうだった。まあ普段、人を陥れようとしている笑顔しか見てないかもしれないが。
「もちろん来ますよ。お約束しましたから」
「急なことだったから、来なくても仕方がないなと思っていたんだよ。本当にありがとう!」
天初百花はチェリーの手をぎゅっと握って喜びを伝えると、続いて俺にも握手を求めてきた。
普通に右手でそれに応えると、天初はすかさず左手で添えて、俺の手を覆うようにする。
ひえっ。
なんという神対応。こうやってガチ恋を増やしてきたのか。
がすっ、とチェリーが俺の脇腹を小突いてくる。
なんだよ。両手で手を握られてビビってんのがそんなにおかしいのかよ。
「今はずいぶんと口調が安定されてますね、天初さん」
チェリーは素知らぬ顔で話題を変えた。
すると、天初は俺の手を放して、
「配信前だからね。ウォーミングアップというやつかな。視聴者の前でみっともないところは見せられないからね」
「みっともないところを求めてるんですけどねー、会長のファンは!」
勢い良く会話に入ってきたのは、ソファーに座っていた金髪のギャルだった。
見覚えがある。さっき体育館で配信していた――
「ボロを出すから面白いし、可愛いんですよぉー! もっと自分に自信持ったらいーのにね! ムロっぺもそう思わん?」
「先輩はもうちょっと自信を失ったほうがいいと思いますけど」
「あー、自信なくなった。もうやっていけない。死のう」
「めんどくさ。ゲームしたいんで帰りますね」
「お前が自信失えって言ったんやろがい!!」
ソファーに座った金髪ギャルとパーカーを着た少年が、騒がしく漫才をしている。
……今、配信してないよな?
「ああ、悪いね。紹介しよう。今日の共演者だ」
天初が俺とチェリーを騒がしい二人の元に連れていく。
「金髪ギャルが千鳥・ヒューミット。パーカーを着てるのが氷室白瀬だ。《eスポーツ部》という、学園でも特にゲームが上手い人間が集まったユニットがあるんだけど、二人はそのメンバーなんだ。今回は対虚面伯の戦力として参加してもらった」
百空学園のeスポーツ部か……。
詳しくは知らないが、なんかの大会で結構な成績を残したって、どっかで見たことがあるようなないような。
「で、千鳥ちゃん、氷室くん、こちらの二人が――」
「ケージさんとチェリーさんですね」
天初が紹介する前に、パーカー少年――氷室白瀬がすっくと立ち上がる。
「お噂はかねがね伺っております。今日はご挨拶できて光栄です」
こっちが面食らうくらい礼儀正しく、氷室白瀬は頭を下げる。何? 営業の人?
チェリーが不思議そうな顔をして、
「私たちのことをご存知なんですね?」
「当然でしょう。MAOをやっててあなたたちを知らない人はいません」
「そうなん? あたし知らんかった――あいたっ!?」
金髪ギャルの千鳥・ヒューミットの頭を、氷室白瀬がスパーンとしばいた。
「先輩も絶対知ってるでしょ。前の《RISE》でジンケ選手と戦っていた人です」
「えー? ……えっ!? あの《メテオ・ファラゾーガ》の人!? マジ!?」
跳ね上がるように立ち上がって、千鳥・ヒューミットはビュウンと俺の目の前に駆け寄ってくる。
思わず仰け反る俺に、金髪ギャルはキラキラと目を輝かせて、
「試合観てましたっ! ほんと超ブチアガッて!! 正直その後の決勝とか全然覚えてないし!」
「え、あ、はあ……ど、どうも……」
もう半年ほど前の話になるか。
《RISE》というeスポーツ大会のMAO部門に参加したことがあり、どうやらそのときの試合を見てくれていたらしい。
結果はベスト8止まりだったが、あれは俺としても印象深い試合だった。対人戦であれほど死力を尽くし、しかも負けたなんてことは、他には少し思い出せない。
だけど、それをこんなにも、初対面の人間に熱く褒められるなんて経験は今までになくて、なんというか、その、面映ゆいというか……。
っつーか、見た目に似合わずeスポーツマニアなんだな。
がすっ、とチェリーがまた脇腹を小突いてきた。
「(嬉しそうですね、先輩?)」
ちっ、ちがわい! 珍しいことに面食らっただけだわい!
チェリーの囁き戦術には気付かなかったらしく、金髪ギャルはさらにずいっと俺に詰め寄って、
「あのあの、訊きたいんですけど、あのステ振りどうやって考えたんですかっ!? 耐久調整ですよねっ!?」
「い、いや……ステ振りの担当はこいつ……」
俺はやっとの思いで答えながら、隣のチェリーを指差した。
千鳥・ヒューミットは「えーっ!?」とさらに目を輝かせ、
「え!? マジ!? すご! 頭良すぎ! カップルで共同作業ってこと!? はぁ~、やば! エモ~!!」
「いえ、カップルじゃないんですが。耐久調整を担当したのは事実ですけど……」
「彼氏と協力して大会とか超羨ましいわ~!」
「あの、話聞いてました? 違うって言ってるんですが!」
すげえ……。『ギャル』だ。
漫画の中でしか見たことのない、架空の『ギャル』そのものだった。
何度も確認するが、これ配信してないんだよな?
「千鳥先輩、ちょっとギャルを抑えてください。二人がビビってるんで」
「え~? そういうムロっぺは陰キャ抑えな?」
「抑えてるから陰キャなんですよ。ほとんどの人間は野生のギャルに遭遇したことがないんですから、配慮してください」
「野生のギャルって何!? 一応文明の民なんですけど!? バーチャルなんですけど!?」
天初が取りなすように笑う。
「この二人は配信内と配信外でちっとも変わらないタイプでね。いつもこんな感じなんだよ。……取り繕わないといけない私とは大違い……」
「あっ、やべ。会長がヘラった」
「会長。会長は主人公タイプなだけです。頂点の器なんです。こんな地区大会の2回戦くらいで出てきそうなギャルとは格が違いますよ」
「ムロっぺ、なんで会長には優しいわけ? っつーか誰が地区大会2回戦だ!! 敵の中でも一番印象に残らないやつじゃん!!」
喋る喋る。
これだけ配信者が集まっていると会話が止まらない。配信外では全然喋らない配信者もいるって聞くけど、少なくともこの3人はそうではないらしい。
ちなみに、生徒会室には4人いると言ったが、その最後の1人は、ソファーで毛布に包まっている。
雨矢鳥フランだった。
俺たちのクライアントのくせに、出迎えるどころか幸せそうに眠りこけている……。
こんなフリーダム人間が100人以上もいるのかよ、百空学園。そりゃ生徒会長もヘラるわ。
「配信のメンバーはこれで全員でしょうか?」
チェリーが訊くと、何とか立ち直った天初百花がうなずいた。
「そう。この6人。配信が始まってから説明するけど、あんまり多くないほうがいいだろうって、氷室くんがね」
「怪盗相手に数を揃えるのは悪手だって『ルパン三世』で学んだんで」
アニメかよ。……と言いたいところだが、妥当な判断だな。
彼らは知らないだろうが、虚面伯には他者に変身できる独占魔法がある――人数を増やせば、それだけ紛れ込まれるリスクが高まる。
「そろそろ打ち合わせを始めようか。……フランちゃん、起きてー」
「んむにゃ……あと5時間……」
「配信が終わるよ! 起ーきーて!」
「んんー……ASMRしてくれたら起きますぅー……」
「ええ? もう、しょうがないな……」
天初が気まずげに俺たちのほうを見ながらも、雨矢鳥の耳元に口を寄せて、何か囁いた。
何を囁いたのかまでは、俺たちには聞こえない。
が、1秒前まですやすやと寝息を立てていた雨矢鳥が、ゴロッズルッバターンッ! とひとりでにソファーから転がり落ちた。
「エッッッッッッッッ……!! エッッッッッッッッッッ……!!!」
床に転がったまま謎の鳴き声を発する雨矢鳥に、天初は顔をほのかに赤らめる。
「次からお金取るけんね、フランちゃん……」
「いくらでも払います!!」
かくして、ただのVオタクも目を覚ましたので、それぞれソファーに腰掛け、打ち合わせが始まった。
配信の打ち合わせって何をするんだろうなあと思っていたが、どうやら全体の流れをざっくり確認するだけのようだ。
「オープニングも兼ねて、屋上に行く前にこの部屋で30分くらい、話し合いの時間を取るつもりでいる」
凜とした口調に戻って、天初百花が言う。
「その時間に見せたい動画があってね――ケージさん、チェリーさん、二人から許可が欲しいんだが」
「許可? ですか? その動画って……?」
「実はついさっき、送りつけられたものなんだ。差出人は――虚面伯」
なんだって?
虚面伯から、動画が送られてきた?
「内容は、チェリーさんに化けた虚面伯が、君たち二人に見破られるシーンを陰から隠し撮りしたものだった」
「隠し撮り……!?」
「あそこにもう一人いたのか……!?」
まったく気付かなかった。
虚面伯に気を取られていたにしても、場所は屋上だぞ? あんなだだっ広いところでどこにどうやって隠れていた……?
「……システム的にも、プレイングスキル的にも、相当な隠密スキルの持ち主ですね」
チェリーが唇に軽く指を当てながら呟く。
「虚面伯の仲間だとすると、考えられるのは――」
「――まさか、《命部太夫》か……?」
《赤統連》第五席・命部太夫。
数少ない、表舞台に姿を見せたことのあるブラッディ・ネームの一人だ。
忍者の格好をした女――つまり『くノ一』で、ステータスに囚われない異様に高度な身体能力を持つ。
ついこの前のMAO全日本選手権に出場した際には、壁に張りついたり猿みたいに木を登ったり、スキル要らずの《リアルチーター》ぶり――武道などの技術をゲーム内に持ち込む者をこう呼ぶ――を遺憾なく発揮していた。
奴ならば、俺たちの索敵の目をかいくぐれても不思議ではない。
「あの動画の内容は、本当にあったことなんだね?」
天初の確認に、チェリーはうなずいた。
「はい。おそらく。確かに私たちは、虚面伯に遭遇しました。ご報告が遅れてすみません」
「いや、大丈夫だよ。じゃあこの動画、配信で流していいかな?」
「えーっと……変なシーンが入ってなければ……」
「変なシーン?」
「えと……虚面伯がいなくなった後の……」
「動画は虚面伯が姿を消したところで終わっているけど……?」
「だったらいいんです! はい! 許可します!」
……さすがに個人的な会話を何万人もの視聴者に見せるのは恥ずかしいもんな……。
虚面伯の配慮にほっとしていると、氷室白瀬と千鳥・ヒューミットが、何やら生暖かい視線を送ってくる。
「(生のケーチェリはすごいな……。もう、喋ってなくてもイチャついてるように見える)」
「(は~、やば。かわい~。チェリーちゃん可愛い~。むり~!)」
聞こえてるし。
っつーかお前らのほうが絶対、恋愛解釈のオタクいっぱいいるだろ! 自然体で肩がくっつくくらいの距離に座りやがって!
「お二人の紹介にちょうどいいかもですねぇ、あの動画~」
ふにゃふにゃした声で、雨矢鳥フランが言う。
「MAOでは知らない人はいないみたいですけどぉ、視聴者さんにはMAOをよく知らない人もいますからねぇ」
「そうだね。この動画は、二人に助っ人としての能力があることを証明するものになる。ただ、配信で流すまでこの動画は見ないでほしい。氷室くん、千鳥ちゃんも交えて、初見での討論がしたいんだ。虚面伯の能力についての」
「なるほど……。わかりました」
そうか。
間近で対峙していた俺たちよりも、離れた場所から隠し撮りした映像のほうが、虚面伯の動きをよく観察できるかもしれない。
……仲間の存在を匂わせてくることといい、虚面伯の奴、なんでこんなにヒントを寄越してくるんだ?
怪盗なりの美学というやつなのか。それとも、何らかの罠なのか……?
「予断は不要ですよ、先輩」
隣のチェリーが言う。
「虚面伯には仲間がいる。虚面伯の魔法を観察できる動画がある。今は事実だけを、頭に入れておきましょう」
……やっぱり、この手の頭脳労働はこいつの担当だな。
謎解きはこいつに任せて、俺は気楽に置き物にでもなっておくか。




