美少女すぎてバズる
先に言っておくが、俺とチェリーがプレイヤーホームを共有しているのは、大容量アイテム倉庫を始めとした便利機能が目当てであり、つまり攻略の一環であって、決して同棲などという浮ついたものではない。
〈お兄ちゃん! 耳寄り情報だよ~!〉
妹のレナからそんなメッセージが飛んできたのは、午後の授業中のことだった。
〈桜ちゃんがさ! テレビに出るんだって!〉
「……は?」
隣の席の女子に一瞥され、俺は慌てて口を噤む。
俺とチェリー――真理峰桜のゲーム内での関係がバレてからというもの、レナは事あるごとに『今日の桜ちゃんのコーナー』を始めるようになった。
そんなことされなくても、あいつの行動は周りの噂話で勝手に耳に入ってくるんだけどな。
いつもは何を食べたとか何を話してたとか、しょうもないことばっかなんだが――
俺は机の下で端末を操作する。
〈テレビって? あいつ、ついにアイドルにでもなんの?〉
〈ならないならない。安心して、桜ちゃんはお兄ちゃんだけのアイドルだから!〉
そういうのいいから。
〈街でインタビューされたんだってさ。オンエアに使われるかはわかんないって言ってたけど、使うでしょ、絶対。だって桜ちゃんだよ?〉
〈まあな……。見た目だけは次元違いだからな〉
〈おっと。彼女の自慢ですか? もっとやれ!〉
〈違う〉
お前が言わせたんだろ。どんな誘導尋問だ。
〈いやー、どうしようね、お兄ちゃん。ついに全国デビューだよ。桜ちゃんの可愛さが日本中に知れ渡っちゃうよ。どうする?〉
〈べつに。どうもしない〉
〈えー! 嫉妬したり優越感に浸ったりしなよー! つまんなーい!〉
〈俺はお前を面白がらせるために生きてるわけじゃないからな〉
テレビねえ……。
俺はそもそも見ねえし、ウチにあるテレビもレナが動画配信系のサービスを使ってるくらいで、いわば単なるデカいモニターだしな。
それに映ると言われても、いまいちピンと来ない――セツナやろねりあの配信に映るのとそう変わりないんじゃねえかって思う。
大体、いくら可愛いって言っても、たかが街頭インタビューくらいで注目されるわけないだろう。
あー、なんか考えれば考えるほどどうでも良くなってきた。
テレビでも何でも映っとけばいいんじゃねえの、適当に。
「あれ? お兄ちゃん、部屋戻んないの?」
休日の午後。昼飯を食べた俺は、そのままリビングでゲーム機を起動していた。
テレビ前のソファーに陣取ったレナが振り返り、
「珍しくない? いつもはすぐに部屋に引っ込むのに」
「べつに。階段上がるのがめんどくさかっただけだ」
「ふう~ん?」
レナは意味ありげにそう言うと、「さてと!」とテレビの電源を入れた。
俺は一瞬、ゲーム画面からそっちに目をやる。
もちろん、気が散っただけだ。テレビを見たいなんて生まれてこの方一度も思ったことがないからな。
レナはピッと迷いなくチャンネルを変えた。
映ったのは、どうやらワイドショーのようだ。
大して専門家でもなさそうな芸能人たちが社会問題について意見を交わしている。
それをしばらく聞き流すと、「ここで街の声を聞いてみましょう」とVTRに切り替わった。
見慣れた京都の街を背景に、短いインタビューが次々と流れていく。
老若男女様々なインタビュイーが6人ほども映ってから、そいつは現れた。
「あーっ! ほんとに映ってるー!」
レナがきゃっきゃとミーハー丸出しの声を上げる。
人形のように整った顔立ちに、幼げなツーサイドアップ――真理峰桜が、テレビの大画面に映ったのだった。
『そうですね。京都は観光都市ですから景観も大事ですけど――』
そういや、なんで東京じゃなくて京都で街頭インタビューなんかしてんだと思ってたけど、京都に関連するトピックだったのか。まったく話聞いてなかった。
真理峰は街中で適当に話しかけた女子高生とはとても思えないほど、終始落ち着いて淀みなく、順序立てて質問に答えていた。
……なんか、別人みたいだな。
本当にこいつが、いつも俺に小学生みたいな悪戯をしてけらけら笑ってる奴なのか?
真理峰の番が終わると共に、VTRも明けた。
芸能人たちが『う~ん』とわかっているようなわかっていないような声を上げて、
『あの、全然関係ないんやけど……最後の子、めっちゃ可愛なかった?』
コメンテーターの一人がおもむろに関西弁で言った。
『あ、思いました! 思いました!』
『な。見た瞬間ビビりましたわ。喋りもしっかりしてて、頭良さそうでね。……大丈夫ですか? 仕込んでないですか?』
『何言うんですか(笑) 大丈夫です! 仕込んでません! 街中でランダムにね、声をかけた方ですから!』
『ホンマにぃ? いやぁ、信じられへんなぁ(笑)』
『サクラじゃないですから(笑)』
桜?
あ、いや、偽の客って意味のほうのサクラか……。
さすがはプロと言うべきか、番組はすぐに本題へと戻っていったが、裏を返せば、プロさえも一瞬脱線させるほどの存在感だったわけだ。
……俺は今まで、真理峰の人気について、学校の中だけの内輪ノリだと思っていた部分があった。
だが、こうして、美男美女だらけの芸能界の人間にすら評価されるところを見ると……。
「はあ~……」
感嘆の息をつきながら、レナがソファーに背中を預けた。
「桜ちゃん、ホントに美少女なんだなぁ……」
……まったくもって。
そんな奴と、毎夜のようにゲームでつるんでいるのだから、なおさら不思議な話だ。
「……ねえ、お兄ちゃん」
レナが首を回してこちらを振り向いた。
俺は慌ててゲーム機に目を戻し、テレビなんて見ていなかったかのように振る舞ったが、
「ゲーム、スリープになってるよ」
「……あ」
俺の目には、真っ暗になった画面と、にやにやと鬱陶しい笑い方をする妹だけがあったのだった。
――と、これだけで終わっていたら、何でもない話だったんだが。
それから、わずか2時間後のことだった。
『【朗報】天才将棋少女・真理峰桜ちゃん、とんでもない美少女になっていた』
「……んんん????」
SNSで流れてきたそのトピックに、俺は我が目を疑った。
真理峰……桜。
そう書いてある……よな……?
街頭インタビューに出た真理峰の素性が、なぜかバレていた。
確かに真理峰は、かつて小学生の頃、天才の名をほしいままにした将棋少女だった――その人気は将棋界に留まらず、一般のニュースにも出るほどだったと聞く。
だが、さっきの街頭インタビューでは名前は出なかったはずだ。
いくらなんでも、小学生の頃と高校生になった今とでは、人相が一致しないだろう。
と思って少し調べてみたところ、どうやら街頭インタビューでの真理峰が一部で話題になったところで、同じ学校の奴が不用意にも名前を漏らしてしまったらしい。
そこから街頭インタビューの美少女=天才将棋少女・真理峰桜が特定され、今現在、絶賛バズり中。
これだから本名でSNSやってるような連中は……。
日本はネットリテラシーの教育にもっと力を入れろ。
真理峰は、MAOをやっていることこそ周囲には話していないが、昔、将棋をやっていたことについては強いて隠していないはずだ。
調べればすぐわかることだし、それに、昔のあいつがどれだけ凄かったかなんて素人にはわからんだろうしな。
だから、このバズりで不利益を被ることはないはずだが……。
「……………………」
俺は端末の画面を消すと、代わりにバーチャルギアを手に取った。
なんとなく、待っていなければならない気がしたのだ。
フロンティアシティの、あの家で。
【チェリーさんがログインしました】
俺がログインして30分ほど経った頃、チェリーの寝室のドアがガチャリと開いた。
「よう」
リビングのソファーに座った俺は、姿を現したチェリーに軽く声をかける。
テレビで見たのとは違う、桜色の髪のそいつは、俺の姿を認めると、無言でつかつかとこっちに近付いてきた。
そして、ぼすんっ、と。
俺の隣にお尻を落とす。
何か声をかけるべきかと迷ったが、結果的には不要だった。
チェリーがそのまま、桜色の頭を俺の肩に預けてきたからだ。
「……!?」
柔らかくのしかかる軽い体重と、鼻腔を刺激するフローラルな甘い香りに、瞬間、思考を奪われる。
あのチェリーが、からかうでもなく、茶化すでもなく、素直に甘えてくるなんて。
意思とは無関係に自分の個人情報が世間に出回るというのは愉快なものじゃない――それに、こいつは案外、繊細な奴だ。今回のことは、さすがにこたえたのか。
もしかしてだが。
これは……肩を抱くべき場面なのか?
優しく肩を抱き寄せて、慰めの言葉を囁く場面なのか?
いや、なんて言ったらいいんだよ。『気にするな』? 『大丈夫』? どれもこれも根拠がなくて薄っぺらい。うう~~~ん…………。
チェリーの背中あたりで、手を上げたり下げたり迷わせていると、
「…………う」
う?
かすかに聞こえた声に、俺は耳をそばだて――
「――うがああああああっ!! 鬱陶しいいいいいいいいっ!!!!」
耳元で声が爆発し、俺はソファーの上で引っ繰り返った。
「ああもうっ! ああもうっ!! あああーもおーっ!!!」
わけのわからない叫び声を上げながら、チェリーはクッションを掴んでバシバシと俺を叩く。
「ちょっ、おいっ、なっ、なんだよっ!? 人がせっかく待っててやったのに……!」
まさか鬱陶しがられるとは思わなかった!
「先輩のことじゃないですっ! これは八つ当たりですっ!!」
「はあ!? なお悪いんだが!?」
「きぃーっ!!」
クッションが手からすっぽ抜けてしまったので、チェリーは猫みたいに爪を立てて、俺の胸当たりをかりかりと引っ掻き始めた。
「おっ、落ち着け! まず落ち着け! どういう感情なんだよお前! 何があった!? バズったのがそんなにショックだったのか!?」
「バズった!? どうでもいいんですよそれ自体は! そんなの日常茶飯事です!」
言われてみればMAO関係でよくあることだな。
「問題は! それを見て! 思い出したようにすり寄ってくる! 中学のクラスメイト! 総計8人!!」
「ああー……」
「連絡先さえ知らなかった人間が! バズった瞬間に! 雨後の竹の子のようにポコポコと!! でも無視したら良くない噂流されるんですよ、きっと!! うっざいいーっ!!」
普通に同情した。
そいつらが何を期待して真理峰に連絡を取ってきたか知らないが、一時はクラスメイトとして机を並べた人間の薄っぺらさを見せつけられれば、失望のひとつもしようというもんだ。
「はあ~……」
力尽きたのか、チェリーは深々と溜め息をつくと、俺の胸の中に倒れ込んだ。
軽く、小さな身体を、俺は黙って受け止める。
チェリーは俺の鎖骨の辺りに頬を当てて、呟くように言った。
「先輩も、将来プロゲーマーとかになったら気を付けてくださいよ。一言も喋ったことないクラスメイトとかが連絡取ってきますからね」
「俺はプロにはならないって」
「ですよね。そのほうがいいです」
チェリーは俺の身体の上でもぞりと動いて、猫が甘えるみたいに、首に鼻をこすりつけてくる。
アバターだから匂いとかは大丈夫なはずだけど、それでも俺は、全身が固まって動けなくなった。
今、指一本でも動かせば、その瞬間にセクハラになりそうだ。
「先輩」
耳元で、チェリーの声が囁いた。
「私は……もう、天才将棋少女なんかじゃありません」
「……じゃあ、今はなんなんだ?」
「ふふっ」
チェリーは俺の顔の横に手を突いて、身体を持ち上げた。
木目の天井を背景に、からかうように笑ったチェリーの顔が現れる。
その顔の両脇から髪が垂れてきて、俺の頬をくすぐった。
「――見て、わからないんですか?」
チェリーは垂れた髪を片手で掻き上げ、耳にかける。
それを見て俺は、自然と口を軽く開けていた。
チェリーの、芸能人でも相手にならないほど整った顔が近付き、木目の天井が見えなくなって――
「よっと」
ぐいっと。
俺の肩を押して、チェリーが上体を持ち上げた。
「はあ~、ちょっとスッキリしました。ありがとうございます、先輩」
「……え。いや……」
「あれ?」
チェリーは俺のお腹の上に座ったまま、首を傾げてくすくす笑う。
「もしかして……キス、してほしかったですか?」
「……………………いや、べつに」
「遠慮しなくていいんですよ? ちゃんとお願いできたらしてあげます。街頭インタビューでちょっとテレビに出るだけでバズっちゃう、絶世の美少女とのキスですよ~? 今、全国で何万人が私とキスしたいと思ってるんでしょうね~?」
「うるっせえ!!」
「ひゃあっ!」
ド派手にイキり倒す後輩を、俺は勢い良く起き上がることで引っ繰り返した。
ソファーに転がったチェリーは、そのままの体勢で抗議の声を上げる。
「何するんですかあっ! そっちから押し倒す勇気もないくせに!」
「……必要ねえだろ」
「はい?」
「わざわざそんなことをしなくちゃならないほど、俺たちは薄っぺらくないだろ……」
途中で恥ずかしくなって、声が尻すぼみになった。
が。
チェリーはにまあっと笑うと、身を起こして俺の隣に座り直す。
「先輩のそういうところ、好きです」
「……そりゃどうも」
「ちなみに今、肩を抱き寄せるチャンスなんですけど?」
「……………………」
「あっ! もう!」
これ見よがしに寄せてきた肩を手で押し返し、俺はチェリーと距離を取る。
人には心地のいい距離ってもんがある。遠すぎれば心許ないし、近すぎれば落ち着かない。……今は、こんなもんでいいだろう。
チェリーがおもむろにウェブ・メニューを開いた。
今、ネットを見たっていいことなさそうだが。
「何してんだ?」
「本名でやってるSNSのアカウントの鍵を一時的に開けてます」
「はあ?」
今、そんなことしたら、余計に面倒なことになりそうだが。
チェリーは悪戯っぽく、そして不敵に微笑んで、
「言うべきことはバシッと言ってやったほうがいいんですよ、先輩」
『真理峰桜 @********
真理峰桜です。
テレビを見て私のことを思い出してくれた皆さん、ありがとうございます。
ですが、私はもう将棋の世界に戻るつもりはありません。
今は、それよりも楽しいことがあるからです。
私はすごく楽しく生きているので、皆さんもそれぞれ楽しく生きてください。
それでは。』
書籍版、本日発売です。
下の書影画像をクリックorタップしてチェック!




