通話に彼の声が入り込む
先に言っておくけれど、私と先輩がプレイヤーホームを共有しているのは、大容量アイテム倉庫を始めとした便利機能が目当てであり、つまり攻略の一環であって、決して同棲などという浮ついたものではない。
『真理峰さん! 明日はどこに行きますか~?』
「うーん、そうだね……」
イチゴさんの跳ねるような声に、私は尻尾を振る小型犬を想像する。
通話越しなのに顔が明確に浮かぶのは、それはそれで一つの才能だろう。
『河原町行きませんかっ? わたし、気になってるカフェがありまして――』
イチゴさんはれっきとした私のクラスメイト、つまり同い年であり、後輩などでは決してない。
なのに敬語で話してくれるのは、年齢に基づくのではない純粋な敬意かららしい。
何ともこそばゆいけれど、イチゴさんにとって私は理想そのものなのだそうだ。
イチゴさんの理想とはすなわち――
1に清楚で。
2に美しく。
3に才知に溢れ。
4に男子に媚びない。
――ということなのだそうだけど、実のところ、4以外は後付けなのではと思えてならない。
イチゴさんは男性恐怖症かつ男性嫌いなところがあり、クラスの男子に対しても当たりがキツいのだ。
それが高じてレズを自称したりして――それはちょっと本当のレズビアンに失礼でしょと言って窘めているんだけど。
ところで、私は今、現実世界の自室にはいなかった。
MAOはフロンティアシティにある、先輩との共用プレイヤーホームの寝室だ。
寝室と言ってもほとんど使っていないから、ベッドが一つ置いてあるだけの寂しい部屋なんだけど――
――ええ、はい、当然ひとつだけです。二つ置いてあるわけないでしょう? 先輩の寝室は隣。
ちょうどログインしているときにイチゴさんからの通話が来たから、そのまま話しているんだけど……もし先輩の声が入り込んだりしたら、イチゴさん、失神しちゃいそうだなあ。
などと考えていたのがいけなかった。
耳元でピコンと音が鳴って、無機質なアナウンスがこう告げたのだ。
――【ケージさんがログインしました】。
フレンドやパーティメンバーがログインすると通知してくれる機能があるのだ。邪魔なときは消しているんだけど、今はONになっていた。
先輩……! 今日はリアルで別のゲームをやると言っていたのに、なんで……!?
「んー? あれ? いないのか……」
ドアを越えて、リビングのほうから声が聞こえる。
『真理峰さん? どうかしました?』
「い、いや……ちょっと虫が飛んでてね」
『ええっ! 大変じゃないですか! 真理峰さんの玉の肌を傷付けられる前に駆除しないと!』
だ……大丈夫……寝室の中に籠もっていれば、先輩の声はイチゴさんにまで届かないはず……。
何の用でログインしてきたのか知らないけれど、先輩のことだからすぐに狩りにでも行ってしまうだろう。その間、声を潜めておけば……。
「――チェリー! いるかー!?」
ああああーっ!! 大声で!!
『……あれ? 今、男の人の声が聞こえたような……』
「どっ、ドラマ! 今、端末でドラマ見てて!」
『えっ? 端末は通話に使ってるんじゃ……?』
しまった!
「通話は……そう、ギア使ってるの。ギア」
『あ、バーチャルギアってやつですね! 眼鏡で通話したりネット見たりできるんですよねー。いいなあ~』
「そうそうそう」
バーチャルギアがただのゲーム機じゃなくて良かったぁ……。販売戦略に感謝……。
それにしても、先輩、もしかして私に用なのかな?
それならメッセージ飛ばすなり何なりしてくれればいいのに……。
「いないか……」
そんな声が聞こえたと思うと、隣の部屋からバタンと扉が閉まる音がした。
先輩も寝室に? あんな何もない部屋で何を……?
「……もしもし? うん……うん……そう。今あいついないっぽいから」
隣の部屋から漏れ聞こえてくる声。
木組みの家だし、防音機能はないに等しい。
「大丈夫だろ、バレないって。……うん。それじゃあ今からこっち来れるか?」
……何? この会話。
誰かと通話してるみたいだけど……。
「わかった。じゃあそれで。…………え?」
壁越しの声だったけど、その次の一言は、はっきりと聞き取れた。
「…………UO姫…………」
浮気!!!!
「誰と話してるんですかあっ!!!!」
「うおわっ!?」
部屋の壁を蹴り飛ばすと、どったん! と先輩がベッドから転げ落ちる音がした。
「チェ……チェリー? いたのか?」
「いましたけど!? ここ、私の家なんで! 何か不都合ありましたかねえ!!」
「い、いや……全然そんなことないけど……」
めちゃくちゃ後ろ暗そうな声してるじゃないですか!
信っじられない……! わざわざ私がいないときを見計らって、よりによってあの女と話しているなんて!
逃げられる前に隣の部屋に移動しようとした私の足を、耳元で響く声が止めた。
『ま……真理峰、さん……? 今、どなたと話されていたんですか……?』
「あ」
……わ、忘れてた……。
VR内での通話って、端末を手に持つ必要がないから、瞬間的に、うっかり……。
『お……男の人の声、しましたよね……?』
「いや、あの、ど、ドラマが……」
『ドラマに怒鳴りつけたんですか!? ドラマが反応したんですか!? というか「私の家」って言いましたよね!? 真理峰さんの家に男の人がいるんですか!? 声の若さ的にお父さんじゃないですよねっ!?』
あ……あああああ……。
ち、致命的ミス……。頭に血が上って……。
「……チェリー?」
部屋の扉が少しだけ開いて、先輩がこっそりと顔を覗かせた。
「さ……さっきのは違うんだ、マジで……。UO姫の名前はたまたま出ただけで……通話相手は――」
『また! また声がしましたっ! 男の人いますよねこれ! まさか彼氏ですかっ!? 嘘ですよねっ!?』
「……あれ? どうした?」
ヒートアップしていくイチゴさんに為す術なく頭を抱えている私を見て、先輩は怪訝そうに眉を寄せた。
私は無言で通話ウインドウを指差す。
先輩はそれを見つめながらしばらく静止すると、私に向かって口パクでこう言った。
「(お前、アホか?)」
…………今回ばかりは抗弁のしようもございません…………。
「はああ……」
先輩は呆れたように溜め息をつくと、ん、んんっ、と喉の調子を整え始めた。
「あー……さ、桜」
「うえっ?」
な、なんでいきなり下の名前を!?
先輩は目で『合わせろ!』と言いながら、
「さっきは兄ちゃんが悪かった。好きなもの買ってやるから機嫌を直してくれ」
『……兄ちゃん?』
あっ……その手があったか!
声の若さでお父さんだという言い訳は塞がれたけど、まだ兄という逃げ道があった!
『真理峰さん、お兄さんがいたんですか……? 前に遊びに行かせていただいたときはいなかったような……?』
「ひっ、一人暮らしをしてるの! 今日はたまたま帰ってきててー!」
『そうなんですか……?』
「そうなんですよ! ……お、おに……」
今は恥を捨てろ!
「――お兄ちゃんも、気を付けてね! 今、私、友達と話してるから!」
「おっ……おー……」
先輩はすっと目を逸らす。
な、何を照れてるんですか、もう……! 先輩には実際に妹がいるでしょうに! そういう反応をされると……そういう反応をされたせいで! 私まで恥ずかしくなってくるじゃないですか!
「そ、そういうわけで……ごめんね、イチゴさん? 変な誤解させちゃって」
『いえいえいえいえ! あたしのほうこそ勝手に盛り上がってすみません! そうですよね、有り得ませんよねっ! 男子に媚びず、いつも堂々としている真理峰さんが、高校生の身の上で彼氏と同棲なんてっ!』
うっ。
……い、いやいや、私と先輩はべつに同棲してないし。良心の呵責を覚える謂われはないし。
「じゃ、じゃあまた明日ね。楽しみにしてるから」
『あっ、はい! おやすみなさいっ!』
やっとこさ通話を切り、ふうと溜め息をつく。
それから、開いたドアに立っている先輩に目を向けた。
私は先輩に近付くと、その顔を下から覗き込むようにして、
「……で。言い訳を聞かせてくれるんですよね、お兄ちゃん?」
「ちょっ……そ、それやめろ!」
「なんでですか? お兄ちゃんが始めたんじゃないですか。おーにーいーちゃんっ」
「やーめろっ!! リアル妹がいる身でそう呼ばれるといたたまれなくなる!!」
私は口元に手を当てて、忍び笑いを漏らす。
この調子だと本当に浮気ではなかったんだろうけど、人騒がせなことをした罰だ。もう少しだけ遊んでやろう。
そう思って、ぐいっと背伸びをして、先輩の耳元に口を寄せようとしたときだった。
『……ケージ君。焦ってたのはわかるけど、通話が切れてるかどうかはちゃんと確認しようね』
先輩の胸の前辺りから、セツナさんの声がした。
不可視化された通話ウインドウだった。
「……あ……」
先輩が口を開けて固まる。
数秒後、私は顔がカッと熱くなり――
――それから数分間の出来事は、記憶から抜け落ちている。
書籍化記念ってことで、ケージとチェリーの出会いのエピソードを書きました。
単体で読めるので読み切り短編として別ページにしています↓
小説家になろう
https://ncode.syosetu.com/n4814fx/
カクヨム
https://kakuyomu.jp/works/1177354054893019483/episodes/1177354054893019500




