第213話 そして、夜が明ける
ナイン山脈の北側には、魔族の国があった。
――という衝撃の真実を胸に帰ってきた俺たちを待っていたのは、巨大な宴会場と化した温泉街だった。
「おおお……ノットシリアス……」
「まあ、ボスを倒した後に宴会が始まるのは慣例ですしね……」
温泉街のそこかしこで歌えや踊れやの大騒ぎ。
道の真ん中に流れる川に飛び込む奴までいて、仮想空間じゃなかったらニュースになっているところだ。
UO姫やセツナ、ろねりあたちと別れた俺、チェリー、メイアは、ドンチャン騒ぎの間を縫うようにして恋狐亭に向かう。
すると、玄関前の広場で催されていた宴会の中に顔見知りが混じっていた。
「おひょっほーっ! 本日の主役の到着だあーっ! おにーちゃーん! チェリーちゃーん!」
というか、我が不肖の妹だった。
レナはむくつけき男たちに混じって何らかの瓶(酒瓶ではないと思う。たぶん)をぶんぶん振りつつ、
「ごちっそうさまでしたああーっ!! ファーストキスはどんな味だったーっ!?」
「うっ」
「ぐっ」
「イチゴ味!? やっぱりイチゴ味っ!? チェリーちゃんだけに! あははーっ!!」
ピーピーッ! と甲高い指笛が囃し立ててくる。
からかわれるのは覚悟してたが、レナがいると余計にウザい!
「よーしっ! ここで二人の記念すべきファーストキスをリバイバル上映――」
「やめろアホ!!」
「ぶっ、VRじゃノーカンですからっ! っていうかあれは医療行為ですから、医療行為っ!!」
「うぎゃあっ! 離せーっ!!」
俺とチェリーは二人がかりでレナを羽交い締めにする。
こいつマジで酒飲んでねえだろうな!?
暴れ狂うレナに、メイアがニコニコしながら近付いて、
「ねえねえ。レナお姉ちゃん。わたしも欲しいな~、パパとママのキス動画!」
「おお、我が姪よ! 惜しげもなくあげちゃうよ~、拡散しちゃうよ~」
「やったーっ!」
「やったーじゃないです! ノット拡散! 無断転載で逮捕です!」
「ええ~、ママのケチ~」
メイアはぷくっと頬を膨らませる。
「じゃあもう一回してよ~。わたし、必死でよく見れなかったんだもん」
「「は?」」
キス……しろと?
この場で?
チェリーと?
思わず顔を見合わせた俺たちに、すかさず酔っ払いどもが声を合わせた。
「「「キ・ス! キ・ス! キ・ス!」」」
だあああっ、うるせえーっ!!
するわけねえだろ、アホか!!
「……先輩」
怒鳴りつけてやろうと思ったら、チェリーがくい、と俺の袖を引いた。
ぎょっとして、振り向く。
大きな瞳が上目遣いで、俺の顔色を窺うようにしていた。
「目、閉じて……ちょっとだけ、屈んでくれますか?」
は?
……いや、いやいやいや、騙されないぞ。
言う通りにしたらデコピンとかされるやつだ。俺は詳しいんだ。
「大丈夫ですよ。デコピンとかしませんから。本当ですよ?」
チェリーは俺を安心させるようににっこりと笑う。
う……嘘だ! 絶対嘘だ、この笑顔!
「おやおやー? お兄ちゃーん。女の子がこんなに誘ってるのに逃げちゃうのかなー?」
「そうだーっ! ママに恥を掻かせるなーっ!」
そうだそうだ、とレナとメイアに追従する野次馬ども。
正面のチェリー、周囲の野次馬に取り囲まれ、俺にはもはや逃げ場がなかった。
……ああもう! 言う通りにすればいいんだろ! 落書きでも何でも好きにしろ!
俺はぎゅっと目を瞑り、中腰になった。
視界を遮断した俺の耳に、ヒューッ! と囃し立てる声がする。
俺には、チェリーの様子を見ることはできない。
しかし数秒もすると、冷たくてしなやかな手の感触が、そっと頬に添えられた。
「おおーっ……!」
「ひゃあーっ……!」
興奮したような声。
……え?
これ、ガチなの?
なんかの冗談じゃないの?
混乱しているうちに、チェリーの息遣いをすぐ近くに感じるようになり――
「――《ボルトスォーム》」
瞼を強烈な光が刺した。
「のああーっ!?」
「うきゃあーっ!!」
悲鳴と、そしてヴァヂヴァヂンッ!! という凄まじい炸裂音があちこちで弾ける。
魔法で稲妻を撒き散らした!? こいつ何してんの!?
唖然としているうちに、ふわりと甘い匂いが鼻腔をくすぐり、耳元で小さな声が囁いた。
「(――本当のファーストキスは、リアルでがいいです)」
甘い匂いと気配とが、すっと俺から離れていく。
眩い光が消えてから瞼を開けると、チェリーはしれっとした顔で、俺から2歩ほど離れた位置に立っていた。
チェリーは『目があー! 目があー!』とムスカ状態になっている野次馬たちに向かって、にやにやとした笑みを向ける。
「あれぇー? どうしたんですかー、皆さーん? せっかくのキスシーン、見逃しちゃったんですかあー?」
「ずっ……ずるいっ! ずるいよチェリーちゃん!」
「もーいっかい! ママ、もーいっかいだけ!」
「ダッメで~す。……そうですねえ、どうしても見たければ――」
くすりと笑い、チェリーはちらっと俺を一瞥する。
「――いつか結婚式に出席してください。きっと招待しますから」
「え」
思わず口を開けた俺を見て、チェリーはによっと意地悪く笑った。
「あれ? どうしたんですか、先輩? ……あ、もしかして~……」
「あ。あー、あー! ちょっと発声練習!」
「私と先輩の結婚式だと思いました~? 私と結婚できると思っちゃいました? 仕方ないですねえ、先輩は! まあ私は心が広いので? そのくらいの妄想は許してあげますけど?」
「ああーっくっそ! うぜええええええっ!!!」
こういうの久しぶりだったから油断した! くそおーっ!!
「……ねえ、レナお姉ちゃん」
「なに? メイアちゃん」
「なんか落ち着くね」
「それね!」
かくして、ナイン山脈攻略完了の宴は続いた。
俺とチェリーは戦闘の疲れがあったので早めに引き上げたが、何千、何万という人間が、夜が更けてもなお、自分たちの世界を守れたことを祝い続けた。
……そして、夜が明けた。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
「うっへえ……」
「うわあー……」
朝からログインした俺とチェリーは、恋狐亭の前に広がった惨状を見てげんなりと呻いた。
ぐごー。
ごがー。
ごごー。
地鳴りではない。いびきである。
騒ぎ疲れたプレイヤーたちが、恋狐亭前の広場を勝手に寝床にしていたのだった。
「ああーっ! ケージ! チェリー! ちょっと手伝ってよーっ! 玄関の前がこんなんじゃ商売にならないんだから!」
そして、恋狐亭の女将・六衣が、いびきをかく男どもを次々と蹴り飛ばして、宿泊客が通る道を作っているところだった。
仕方なく雪かきならぬ酔っ払いかきを手伝っていると、一時的な酔っ払い置き場となった草むらの中に、信じられないものを見つける。
「むにゃむにゃ……てぇてぇ……」
古霧坂レナ。
地面を枕にすやすやと眠る、我が不肖の妹であった。
「レナ、こいつ……昨日からログアウトしてなかったのか……」
「先輩……レナさんが大学に行ったら、絶対に新歓コンパとか行かせないようにしましょうね」
この後にも、ビキニアーマーの双剣くらげを発見するなどしたが、つつがなく恋狐亭前の掃除が終わる。
とりあえず綺麗になった広場を眺めて、六衣が疲れた様子で溜め息をついた。
頭の上の狐耳が、心なしかへたっているように見える。
「これからエリアボスを倒すたびにこうなったりしないでしょうね……」
「ありうる」
「ありえますね」
「そんなあ~……」
六衣は泣きそうだが、ここほど宴会に適した場所はないからな。
「まあそんときはまた呼んでくれれば、多少は手伝うよ。今回は世話になったしな」
「そうですよ。それに、ブランクさんはどうしたんですか? どうせあの人、ここに住んでいるようなものなんですから、こき使ってやればいいじゃないですか」
「ああ、それがね……あの人、昨夜のうちにチェックアウトしちゃったの。ウェルダと一緒に」
「「え?」」
あの作家が……?
「《ダ・ナイン》との戦いが終わった辺りでね……。みんなに挨拶しなくていいのって訊いたんだけど、不要だって言って……」
「毎度よくわからないな、あの女は……」
「事件に関わっているようで何にも関わってないんですよね、あの人」
ナイン山脈攻略におけるブランクの実績は、湖上の古城を不法占拠しただけだ。
「……まあ、またいつかどこかで会うだろ」
「そうですね。イベント事には顔を出すタイプみたいですし」
そんな話をしていると、ミシミシと階段を鳴らして、緑がかった金髪の少女――メイアが2階から降りてきた。
俺たちと同様、現実世界でも仮想世界でも眠れるメイアだが、昨夜は攻略合宿の女子部屋で寝ていたはずだ。
「ふあ~……パパ、ママ、おはよ~……」
「おはよう」
「おはよう、メイアちゃん。眠そうだね」
「夜遅くまでみんなと話してて……えへへ」
嬉しそうにはにかむメイアを見ていると、安堵感が込み上げた。
夜遅くまで、気の置けない友達と遊び倒す……メイアが、そんな何でもない日常に身を置ける。これほど尊いことは、きっと多くはない。
「ねえねえ、今日はどうするのー? どこか狩りにでも行くの? それとも北?」
「いや、フロンティアシティに戻るつもりだ」
「恋狐亭に長居しちゃいましたけど、私たちのホームは本来あっちですしね。北の魔族の国も気になりますが……」
「そっかぁ……おうちかぁ……久しぶりだなー」
フロンティアシティも、早晩、北に移動するだろう。
候補地としては、おそらく空中都市か――北の攻略に関わるにはそっちに拠点を移すべきなんだろうが、今は住み慣れたあの家でゆっくりしたい気持ちが強い。
「じゃあ、早めに荷物をまとめて――」
そのときだった。
恋狐亭の外が、妙に騒がしいのに気付いた。
「……? なんだ?」
ざわざわという、戸惑うようなざわめき。
そして時を追うごとに近付いてくる、硬質な――鎧を着た集団の、足音?
足音が玄関のすぐ外で止まったかと思うと、ガンガン! と戸がノックされる。
「失礼する!」
一方的な宣言があり、ガラリと戸が開かれた。
そこには、金属の籠手とブーツを着けた、物々しい騎士がいた。
腰までを覆う青い上衣――サーコートには、旗をモチーフとした紋章がでかでかと刺繍されている。
俺たちは、その紋章を、その騎士たちを知っていた。
「……《聖女騎士団》……?」
その名の通り、教都エムルを治める《聖女エリス》直轄の騎士たちだ。
エリスの護衛の他、ボット使いを始めとした反則者退治なども担当する、いわばこの世界のガーディアン――一人一人が反則級の強さのNPCである。
「不躾な訪問、ご容赦願いたい! 危急の用件につき、ナイン山脈が領主、メイア卿にお目通り願いたい!」
俺とチェリー、メイアは顔を見合わせた。
聖女騎士団は、聖女エリスの意思を伝達する使者の役目も負う――エリスの意思とは、つまるところそのバックにいる運営の意思でもある。
プレイヤーに伝えなければならないことがあるのなら、ホーム画面のお知らせ欄に載せればいいだけのことだ――メイア個人に何の用だ?
「パパ、ママ……どうしよう?」
「……とりあえず、聞いておいたほうが良さそうですね」
「だな……。エリスが騎士を寄越してくるってことは、相当重要な用件だ」
エリスは悪い奴じゃない。この世界のことを常に思っている人間だ。
ここは話を聞いておくべきだろう。
「メイアはわたしですけど」
俺たちの話を聞いて、メイアが騎士たちの前に一歩進み出た。
騎士たちはメイアの姿を認めると揃って一礼する。
そして、先頭の騎士が懐から、1枚の羊皮紙を取り出して広げた。
「これより我らが主、エリス様のお言葉を伝える! ――『ムラームデウス島の平和のため、ナイン山脈領主・メイア様に、僭越ながらご提案申し上げます。ナインノース・エリアのポータルに転移制限をかけ、旧呪転領域南方境界線に関を置いていただきたく存じます』」
話を聞いた周囲のプレイヤーたちがざわめいた。
メイアだけが不思議そうにぱちぱちと目を瞬いている。
「ええっと……どういうこと?」
「要するに……空中都市のあるナインノース・エリアに、誰も入れないようにしろってことだ」
「ええっ!? 誰も!? せっかく取り返したのに! なんで!?」
その答えも、おそらくエリスは用意してくれているだろう。
騎士は読み上げを続けた。
「『エムルはこれより、北方魔族国家との友好関係を築くべく交渉を開始します。しかし、その間にナインノース・エリアから南の民が流れ込み、北の民との間に問題を起こすと、その交渉は非常に難しいものとなってしまうでしょう。ゆえに一時的に、北と南の民の接触を制限するべきである、とエムルは判断しました。どうかメイア様におかれましては、ムラームデウス島の平和のため、ご一考の程をお願い申し上げます』――以上である!」
騎士が羊皮紙を仕舞い、俺たちは唸る。
「どう思いますか、先輩」
「……言われてみればその通り、って感じだな」
「同感です。……昨今のMAOの流れから見て、北の魔族国家にはおそらく、大勢のAI実装型NPCがいる。そこにプレイヤーが押し入って、それぞれ勝手に植民を開始すれば……」
「現地の人間との衝突は避けられない……」
小競り合いで済めばいいが、それまで存在すら認識していなかった文明とのファーストコンタクトなのだ――とても平穏に済むとは思えない。
……最悪、北と南とで戦争になることすら……。
「私たちは北の果てにある《精霊郷》にさえ到達できればいいんです。そこまでの道のりを、戦わずして平和的に済ませられるなら、それに越したことはないと思います」
「俺もそう思う……が、そこは人によるだろうな。今までみたいに戦って征服したい、自分の国を持ちたいって連中はごまんといるだろうし……」
「だとしても、後味悪いのは嫌ですよ、私は」
どっちにしろ、プレイヤーの北への侵入を完全に防ぐことは不可能だと思う。
北と南を繋ぐ唯一の道は呪竜遺跡に――エリスの言うところの《旧呪転領域南方境界線》にあるが、たとえそこを塞いだとしても、山や海を越えて北へ向かうことは不可能じゃない。
だが、きっと、平和的に交渉したいという姿勢を見せることが大事なのだ。
ここでエリスの提案に従えば、その姿勢を見せることができる……。
「……メイア」
俺は娘に言う。
「これは、お前が決めることだ。……お前は、魔族の国と仲良くしたいか?」
我ながら、試すような質問だった。
他ならぬ魔族である《呪王》に、里を、母親を、父親を奪われたこいつに、魔族と仲良くしたいか、なんて。
「そんなの決まってるよ、パパ」
だが、メイアは少しも迷わなかった。
毅然と聖女の騎士に向き直って、しっかりとした声で言う。
「ひとつ、条件を呑んでくれさえすれば、その提案に従おうと思います」
「お聞きしよう」
「もし魔族の国と仲良くなれそうな目処が立ったら、雪山の上にある空中都市を――かつてのエルフと竜の里を、誰でも住める街にします」
揺れのない声が、静まった恋狐亭のエントランスに響いた。
「かつて、エルフが、竜が、精霊が――そしてある魔族が共に暮らしたあの街を、もう一度、人間でも魔族でも、どんな種族でも関係なく暮らせる街にします。それを邪魔しないのなら、ナインノース・エリアに誰も入れないようにします」
人間でも魔族でも、どんな種族でも関係なく。
そう――たとえ精霊がエルフを愛しても誰も文句を言わない、すべてを認める街。
予想だにしなかったメイアの提案に、俺たちは息を呑んだ。
子供の成長を実感する親とは、こういう気持ちなのだろうか……。
しばらくの静寂の後、ふっ、と聖女の騎士が口角を上げた。
「我らが主、エリス様のさらなるお言葉を伝える」
そう言って騎士は、懐からもう1枚、羊皮紙を取り出して広げる。
「『また、我々の平和交渉が成ったそのあかつきには、南北の友好の証として、旧エルフの里を《異種交流都市》に指定し、人間と魔族の架け橋となる街にしていただきたく存じます。追伸。この信書は、メイア様の答えを聞いてから読み上げるように』――以上である」
メイアは目を丸くした。
俺は笑いを噛み殺す。
聖女エリスはわかっていたのだ――異なる種族が平等に暮らす街を作りたいとメイアが言い出すことが。
「メイア卿の返答は、ただちに我らが主に伝えさせていただく。主のさらなる返答は待たずに、可及的速やかに手続きに入っていただきたい。それでは、これにて失礼する」
騎士たちは一礼し、ガシャガシャと鎧を鳴らしながら恋狐亭を出ていった。
一方のメイアは狐に摘ままれたような顔でその背中を見送り、
「……ねえ。パパ、ママ」
「ん?」
「なあに?」
「わたし……エリスさまって人に、会ってみたいかも」
その機会は、意外と早く訪れる。
俺には、なんとなく、そんな予感がした。




