第210話 マギックエイジ・オンライン VS 呪転竜母ダ・ナイン - Part3
記憶は決して多くはない。
それもそのはずだ。
彼女はこの世に生まれ出でてから、まだ1ヶ月も経っていない幼い命。
成長を遂げるたび、段階的にインストールされた知識で、見た目相応のふりができているに過ぎない。
それでも、思い出は多かった。
父親と母親になってくれた二人と巡ったMAOの世界。
本来、自分の立場では見ることが叶わないはずだった『現実』の世界。
そして、多くの仲間たちと駆け抜けた、冒険の数々――
普通に、十数年、何十年かけて成長したみんなに比べれば、ささやかな思い出かもしれない。
それでも、この胸をいっぱいに満たす思い出の数々は、みんなが現実で、学校で、仕事場で、その他のいろんな場所で積み重ねる思い出にも、決して見劣りはしない。
だからこそ、少しだけ、寂しかった。
――見てるんでしょっ、みんなあっ!!!
みんな、と。
自分が呼びかける側であることが。
みんな、と。
呼びかけた中に、自分がいないことが。
寂しかったのだ。
ほんの少しだけ。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
「――斬ったっ!!」
どす黒い泥肉に覆われた血管に、魔剣フレードリクの刃が深々と食い込んだ。
血管はバチンッ! と激しく千切れ飛び、赤いダメージエフェクトを撒き散らす。
前はこれでメイアの竜巫女の力が発動し、ナイン山脈上に弱点――《カースド・ソウル》が出現した。
しかし。
「ぅくっ……! ダメ! 抵抗がっ……!」
泥肉によって竜母の心臓に囚われたメイアが、表情を歪めながら呻く。
チッ。やっぱり血管1本で事足りたのは初回限定のボーナスか。
なら今度は、1本残らず斬り飛ばすまで……!
『先輩!』
「っと!」
テレパシーでチェリーの注意が飛び、俺はすぐにその場を飛び離れる。
足のすぐ下を、影絵のようなドラゴンの尻尾がブウンと薙ぎ払った。
ドラゴンどもは倒したそばから湧いて出る。
今も天井から漆黒の卵が次々と落ちてきては、ワイバーンやリザードマンなど、異種様々なドラゴンを生み出し続けている。
それらからいったん距離を取って、俺は改めてドーム状の空間を見回した。
竜母の心臓から伸びる血管は、一見では数え切れないほど無数に存在する。
だがそのうち、さっき斬ったのと同等の太さがある血管は残り2本しかない。
動脈だか静脈だから知らないが、狙うならアレだ……!
『先輩。右から行きますか? 左から行きますか?』
「右からだ」
『ドラゴン1,ワイバーン3、リザードマン2です。ドラゴンは足が遅いので無視して構いません。真ん中のワイバーンだけ潰してください』
「了解!」
尋常じゃなく的確なチェリーの指示を聞き、俺は地面を蹴る。
ドスンドスンと出張ってくるドラゴンの目の前でジャンプ。その頭を蹴ってさらに跳び、宙に羽ばたいて立ち塞がる3匹のワイバーンに突っ込んでいく。
「おらっ……!」
真ん中のワイバーンの喉を串刺しにする。
悲鳴もなくワイバーンが消え、道ができた。俺はその中を通り抜けると、着地点を見下ろす。
剣と盾を持った2匹のリザードマンが、洒落臭くも着地狩りを狙っていた。
俺は魔剣フレードリクを振りかぶる。
するとリザードマンたちは攻撃を警戒し、空から降る俺に盾を向けた。
もちろん、そうさせるのが狙いだ。
俺は構えさせた盾を足場にして、さらにもう一度ジャンプする。
丸太のように太い血管が、そこにあった。
一刀。
緋色に染まった魔剣フレードリクが、羊羹みたいにあっさりと血管を切断する。
残り1本!
『《水寂》!』
着地した瞬間、ドウン! と俺のすぐそばに大きな前足が叩きつけられた。
驚きはしない。
俺を狙ったドラゴンが、寸前に差し込まれたチェリーの《水寂》によって視力を失い、攻撃を外しただけのことだ。
『ワイバーン4,リザードマン5です! 地上のほうが数が多いですが、先輩ならそっちのほうが楽ですよね?』
「簡単に言ってくれるよな!」
俺は分隊を組んで向かってくるリザードマンたちに正面から突っ込みながら、頭上にある竜母の心臓のことを思う。
いいや……正確には、そこに囚われたメイアのことを。
この3日の戦いは、恐ろしく厳しかったが、一方で楽しくもあった。
祭りのような、緊張感と高揚感が一体となった時間。
ありとあらゆるプレイヤーがひとつの目的に向かうときの、特有の一体感。
だが、ひとつ、足りないものがあった。
ああ、チェリーだって言っていた。
俺たちにとって、《呪王》の最大の罪はそれだった。
あいつから、この機会を奪ったこと。
否――奪おうとしたこと。
まだ間に合う。
エンディングの瞬間くらいは、みんなで迎えるべきだろ?
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
モラド高原での戦いを終えたプレイヤーたちは、それぞれの判断で次の行動に移っていた。
配信環境の都合で一蓮托生となったセツナとろねりあパーティは、モラド高原北方の《限りの森》を抜け、その西側に位置する湖に移動していた。
《呪転霧棲竜ダ・ミストラーク》との熾烈な戦いを経て占領されたこの湖は、モラド高原と同じくボスの名前から取り、《ミストラ湖》と通称されている。
湖上に架かる石造りの橋を渡り、5人は小島の上に建つ古城の中に入っていた。
この古城はこのエリアの攻略拠点のひとつであり、広大なエントランスには多くの商人・鍛冶プレイヤーによって露店が開かれている。
もちろんのこと、ここにもホロモニターが展開され、セツナの配信――つまり、呪転竜母ダ・ナイン体内で戦うケージとチェリーの様子が中継されていた。
「3本目の血管が斬られる!」
「弱点が出るぞ!」
ケージが最後の血管に近付いたのがわかると、プレイヤーたちは雪崩を打って古城の外に飛び出していく。
セツナやろねりあたちも武器の整備の手を止め、人波と共に城門を通り抜けた。
「次はどこだ……?」
「呪竜遺跡の再攻略が間に合えばいいんですけど……」
数秒、静かに凪いだ湖面を前に息を呑んでいると、激しい光輝が視界を染めた。
「うわっ!」
「まぶしっ!」
プレイヤーたちから悲鳴が上がる。
しかしそれも、視界が取り戻されてくる頃には、驚嘆の声に変わっていた。
巨大な光の柱が、北側の山向こうに突き立っている。
呪竜遺跡より、さらに北。
現在、侵入困難になっている呪転領域の中だ。
セツナの懸念は、やはり的中したのである。
それと、もうひとつ。
「おおっ!?」
「マジ……!?」
プレイヤーたちが目を剥いて見据えているのは、ミストラ湖の湖面だった。
正確には、そこから天に突き立つ光の柱である。
今回は、同時に2本――そしてその片方が、この湖に出現したのだ。
「おい! 《カースド・ソウル》はどこだ!?」
「そういえば……柱の一番下には紋章が光ってるはずじゃ?」
「水面にはそんなもんねえぞ……! まさか……!」
そのまさかだと、湖の中を覗き込めばすぐにわかった。
光の柱は、湖底までをまっすぐに貫いていたのだ。
《カースド・ソウル》がいるのは、深い深い水の底――
「マジかよ……」
「あんなところどうやって……」
対応を話し合おうとしたプレイヤーたちだったが、それを尻目に飛び出す影があった。
セツナとろねりあたちである。
この湖での戦いを経験している彼らは、一瞬の躊躇いもなく湖面に身を躍らせ、同時に魔法を詠唱した。
「「「「「《バブマリン》!!」」」」」
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
ミミと火紹を筆頭とする《聖ミミ騎士団》は、巡空まいる率いる《赤光の夜明け》に合流し、呪竜遺跡の再攻略に挑んでいた。
「ったくもお~っ!! 硬すぎるよぉ!!」
白銀の鎧を着た騎士たちと、ローブに杖を持った魔法使いたちが挑むのは、全身が硬い岩でできたドラゴン――その名も《エンシェントゴーレムドラゴン》だった。
ポータルが破壊されて《陥落》状態になると、通常、攻略の際に打倒したエリアボスが復活する。
しかし、これにも例外があった。
『クロニクル・クエストで死亡したNPCは復活しない』というルールと重なった場合である。
呪竜遺跡のボスであった《呪転磨崖竜ダ・モラドガイア》は、メイアの母親である先代竜巫女と同化した状態にあった。
こういう場合、NPCと同化したボスもNPCとして扱われる傾向にある。
そのため、ダ・モラドガイアそのものは復活できず、代わりのボスが新たなエリアボスとして配置されたのだ。
その石造のドラゴンは、ダ・モラドガイア内部のダンジョンに中ボスとして配置されていたものの強化版だった。
ダ・モラドガイアの強さには及ぶべくもないが、短時間で攻略するには骨が折れる。
特にその耐久力の高さは、二つの攻略クランが総掛かりになってさえ削りきれないものだった。
「これ以上、時間はかけてはいられませんっ……!」
《赤光の夜明け》の指揮官、巡空まいるが、北方に聳え立つ光の柱を見上げながら言う。
「幸い、呪転領域の入口は空いたままです! ほんの少しでもいいから部隊を送り込んだほうが……!」
「それしかないかあ~……! よしっ、突入部隊編成よろしくっ!」
ミミが側近の騎士に指示を投げると、騎士たちは素早く部隊を編成していく。
それを見た巡空まいるは、「ほあ~」と感心した顔をした。
「ミミさんの部下さんは優秀ですね~」
「でっしょ~? 自慢の庶民だよ♪」
「ほんとすごいです~。ミミさんの部下さんは」
「……ちょっと待って? それだとミミはすごくないみたいなんだけど?」
ズッゴン!! というけたたましい轟音が響いた。
巨大な祭壇の上で、騎士や魔法使いたちが木の葉のように舞い飛んでいる。
ゴーレムドラゴンが暴れ狂い、前線が破壊されたのだ。
だが、この程度は想定済み――乱れた前線を、すぐに後ろのプレイヤーが立て直す。
「……問題は、あの暴れん坊をどうやって押さえるか、だね」
「はい~……。少数精鋭を通り抜けさせるにしても、あそこまで元気だと……」
呪転領域の入口は、ゴーレムドラゴンの背後にある。
光の柱に戦力を送り込むためには、ほんの数秒でもいい、あのドラゴンを大人しくさせなければ――
「失礼するぜ」
そのときだった。
ミミと巡空まいるのそばを、二つの人影が疾風のように通り過ぎた。
ひとつは黒。
トレーニング中のボクサーのような黒いパーカーを着た少年。
ひとつは銀。
クラシックなメイド服に、煌びやかな銀色の髪を持つ少女。
「あっ! あの二人……!」
「じっ、ジンケさぁんっ!?」
二人が目を見張っているうちに、二つの疾風は瞬く間にエンシェントゴーレムドラゴンに接近する。
直後、続けざまに二つの攻撃があった。
「よいっ……しょっ」
気の抜ける掛け声とは裏腹に、メイドの少女が強烈に踏み込みながら、掌底を岩竜の鼻先に叩き込む。
まるで破城槌だった。
ゴッオッウン!! という、およそ人の掌が発したとは思えない音が轟き、ビリビリと岩石の巨躯が震撼した。
次いで、いつの間にか槍を手にした少年が、ゴーレムドラゴンの頭上に身を躍らせる。
「せいっ―――!!」
カッァアンッ!! という高い音が、振り下ろされた槍の穂先から炸裂する。
すると、岩竜の巨体が、ゴゴリと一斉にズレた。
まるで積み木でできていたかのように、岩の肉体が無数のブロックへと変じ、その場にうずたかく積み上がったのだった。
黒パーカーの少年がドラゴンの残骸の上に着地し、槍を肩に担いで息をつく。
「震動してない部分が弱点……だっけ。リリィお前、こんなのよく知ってたな」
「前にここ来たとき、チェリーさんに習った」
「なるほど。やっぱりPvEじゃあいつらのほうが上か」
「でもこいつ、まだ死んでないかも。HP残ってる」
「んじゃ、今のうちに通り抜けるとしようぜ」
「うん」
それから少年は、残骸の上からミミたちに向けて手を振った。
「それじゃあ、お先ー」
「お先ー」
起伏のない少女の声が追いかけて、二人は残骸の向こうに姿を消す。
唖然とその姿を見送ったミミは、ハッと我を取り戻して叫ぶ。
「まぁーたあのプロゲーマーかぁーっ!! なんなの!? 美味しいとこだけかっ攫うのが趣味なの!? 大人げなぁい!! チームにクレーム送ってやるーっ!!」
「いやあ~、服がチームのユニフォームじゃありませんでしたし、プライベートじゃないですかね~」
「なおさら大人げない! 庶民行くよーっ!! 今度は後れを取るなあーっ!! 命令だからねっ!!」
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
ナイン山脈上に二つ出現したカースド・ソウルが、見る見るうちに破壊されていく。
呪転した竜母に囚われたメイアには――そして彼らと冒険を共にしたメイアには、その様子がありありと瞼の裏に浮かんだ。
彼らにとって、この世界はゲーム。
広大な遊び場にして、大切な家のようなもの。
だからこそ笑いながら、だからこそ真剣に、彼らは戦う。
その姿が好きだった。
だって、お母さんから受け継いだ記憶では、戦いはつらくて、悲しくて、苦しいもので。
たとえ大切なもののためだったとしても、楽しい戦いなんて何一つなくて。
その記憶が、この魂に元から存在する、たったひとつの思い出で。
笑顔の記憶は、どれも彼らのものだった。
ケージの、チェリーの、多くのMAOプレイヤーたちの、真剣に遊ぶからこそ生まれる、本気の笑顔だけだった。
それを守りたいと思ったからこそ、メイアは彼らを戦いに駆り立てた。
彼らなら、楽しく笑顔で、この世界を守ってくれると思ったから。
この世界を守る戦いは、そうあってほしいと思ったから。
だけど。
だけど、やっぱり、ただひとつ。
その笑顔の中に、自分がいないことだけが――寂しかった。
――ドグン。
竜母の心臓が強く拍動する。
メイアの身体を捕らえる泥肉の嵩はさらに減り、もはや手足が埋もれるのみとなった。
この手足が自由になるとき、戦いは終わるだろう。
それはすなわち、今も耳元で叫び続ける、《呪王》の呪いが終わるということだから。
――ノロワレテミロ
――ノロワレテミロ
――ノロワレテミロ
もはや知性などない、ただの妄執の塊。
遙か昔、一人の女性を愛した男の成れの果て。
その呪いを慰め、抑えることができるのは、お母さんの娘であるわたししかいない。
「それが、わたしの――」
この世界にNPCとして生まれた少女・メイアは、ただ一人、誰にともなく呟く。
「それが、竜巫女の、役目なんだ――」
「違うな」
ザグン!! と。
メイアの手を縛る泥肉に、鋭い剣が差し込まれた。
「……え……?」
愕然と、メイアは顔を上げる。
すぐそこに。
手を伸ばすことさえできれば届く距離に。
血の繋がっていない、生まれた世界さえ違う、父親がいた。
「こんな奴に囚われていることが、お前の役目なはずがねえだろうが」
魔剣フレードリクが、徐々に黒い泥肉を引き裂いていく。
「未練がましい男の気持ち悪い妄執なんかに、いつまでも付き合ってなくてもいいんだよ」
微動だにしなかった右手が、徐々に自由を獲得していく。
「だからメイア、遠慮なんてしなくていい―――!」
耳元に響く呪いが。
徐々に、遠くへと消え去っていく――
「―――俺たちと一緒に、遊ぼうぜ……!!」
魔剣フレードリクの刃が、泥肉の束縛を斬り裂いた。
右手が、自由になる。
メイアは久しぶりに動いたそれを目の前に持ってきて、何度も閉じたり開いたりを繰り返した。
……ああ、動く。
動ける。
父親たる少年は、その様子を微笑みながら見守り、そして導くように言った。
「あとは、自分でできるよな?」
メイアは笑う。
――うん、もちろん。
――だって、パパとママに、これでもかってくらい教えられたから。
メイアは自由になった右手を目の前にかざし、高らかに詠唱する。
シナリオのために配置された人形ではなく、自由に生きる人間である証明を。
「――《メニューオープン》!!」
続く操作は、極めて素早く、手慣れたものだった。
ケージやチェリーに勝るとも劣らないメニュー操作。
それは短い人生で何度となく繰り返した、装備変更の手続き。
ストレージから引っ張り出すのは、MAOでも無二の形状の武器。
持ち手の両側に刀身を備えた、彼女専用の装備。
《エルフの弓剣》。
産みの母から、先祖たちから受け継ぎ、そして育ての両親によって彼女に与えられたそれが今、漆黒の呪いに対して銀の斬撃を閃かせた。
左手が。
右足が。
左足が。
呪いの泥肉から解き放たれる。
すべての束縛から逃れた少女は、重力に捕まって落下しながら、《エルフの弓剣》に光の矢を番えた。
穂先が狙うのは、竜母の心臓を覆う泥肉――その表面に浮かぶ嘆きの顔。
「じゃあね」
笑いながら。
メイアは、決別の一矢を放つ。
「そして、ごめんね? ――お母さんに失恋した人!」
闇を引き裂きながら飛翔した光の矢が、嘆きの顔の中心に突き立った。




