第194話 呪転最終戦場ダ・アルマゲドン:カース・パレス攻略戦Ⅲ
「呪竜遺跡の陥落により、補給線および復帰線が寸断された……」
会議室に集まったメンツは、酷く少なかった。
人類軍総司令官であるチェリーと、俺。
兵站を取り仕切る《ネオ・ランド・クラフターズ》のリーダー、ランド。
ウィザード職の総本山|《赤光の夜明け》のエース、巡空まいる。
人類軍の主要メンバーたる各ギルドの代表者はそれだけで、他には飛び入り参加組のリーダー格が二人、会議室の隅っこで話を聞いているだけだ。
この人数の少なさが、そのまま今の危機的状況を示していた。
UO姫や《ウィキ・エディターズ》のD・クメガワなど他のギルドの面子がいないのは、忙しいからだけじゃない。
もちろんそれもあるが――来られないのだ、この《カース・パレス》まで。
「《呪転領域ダ・ナイン》の入口はたったひとつ――呪竜遺跡のみ。呪転領域のボスがすべて倒されてからこっち、呪転領域全体を覆っていた黒い壁はなくなったものの、呪竜遺跡以外から入るのは現実的じゃない。断崖絶壁を道に数えるのは地図への冒涜ってヤツだ」
淡々とした調子で、しかしどこか疲れた空気を滲ませながら、職人風の男、ランドが言う。
「後方からのポーションはもう届かない。そして……一度でも死んで後ろの街に死に戻りすれば、ここに戻ってくるのは困難だ」
そう。
俺たちは孤立した。
フェンコール・ホールや恋狐温泉の防衛に回した戦力は、もう呼び戻すのは難しい。
そのためには、敵に奪われた呪竜遺跡を奪い返す必要がある。
不幸中の幸いがあるとすれば、呪竜遺跡がクロニクル・クエスト関係のエリアであることか。
エリアが《陥落》ステータスになると、通常ならエリアボスが復活するが、クロニクル・クエストのボスに限っては例外だ。
クロニクル・クエストのボスとは一度しか戦えない。それがルール。
だから、呪竜遺跡エリアのボスだった《呪転磨崖竜ダ・モラドガイア》や《呪転太陽竜ダ・フレドメイア》が復活することはない。
その代わりの、だいぶグレードの下がったボスが、新たに現れるはずだ。
だが、それにしても至難。
《陥落》によって、呪竜遺跡では元の通り、モンスターの湧出が始まっているはずだ。
そう、《呪竜》である。
最後の最後には俺たちに狩られ尽くし、ことごとく経験値と化した呪竜だが、その強靱さは折り紙付き。
もし奴らを討伐して呪竜遺跡を取り戻すのなら、人類軍に参加した精鋭たちを回す他にはない。
だが……そんな余裕は、どこを見回したって存在しないのだ。
今こうしている間にも、フェンコール・ホールや恋狐温泉が、カース・パレスから解き放たれたモンスターによって襲撃されているのだから。
「できるだけ早く決断してくれ、総司令官殿」
ランドの視線がチェリーを鋭く射た。
「呪竜遺跡を奪還するか――それとも」
そこから先は、口にされなかった。
その前に、チェリーが決然と顔を上げ。
毅然と、宣言したからだ。
「――呪竜遺跡は、放棄します」
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
カース・パレス南門前線基地のホールに集まったプレイヤーたちは、決定を聞くなり大きくどよめいた。
「呪竜遺跡を放棄するだって!?」
「ポーションさえろくに回ってこないんだぞ! この状態で戦えってのか!?」
「そうです!!」
吹き抜けの2階に立ったチェリーは、紛糾するプレイヤーたちに負けないような大声を張り上げる。
「残る結界は1枚だけ!! ならば、陥落した呪竜遺跡の分を他の街の防衛に回し、同時に結界突破の加速を図ります!! 残り時間は約5時間……!! それまでに《呪王》を倒すには、呪竜遺跡を奪還しているようでは遅いんですっ!!!」
それしかない、とチェリーは判断した。
苦しい選択だ。だがそれでも、チェリーは可能と不可能を冷徹に選り分けた。
理性をもって打って出た賭け。
それができる奴なのだ。
「マジかよ……?」
「今でさえろくに回復もできないんだぞ……!!」
「その上、死んだら戻ってこられないって!? どんな縛りプレイだよ!?」
プレイヤーたちの意見もよくわかる。
戦う環境としては最悪だ。
特に、死んだら戻ってこられないってのがキツすぎる。
ノーコンティニューを強制されることで、精神にかかる緊張は何倍にもなってしまう。
そして、誰かがその緊張に負けるたび、最前線の人数は減り、戦いの厳しさは増していく。
プレイヤーたちのいくらかには、諦念すら滲んでいた。
もう無理だと。
詰みだと。
ゲームオーバーだと。
どうやって鼓舞すればいいのか、チェリーも言葉を探しているようだった。
俺にだってわからない。
俺たちは基本、気ままなフリープレイヤーだ。
ギルドにすら入らず、自由に勝手に遊んできた。
こういうとき、集団をどうやってまとめればいいのか、咄嗟に出てこないのだ。
だから。
その役は、得意な奴が担ってくれた。
「――いいじゃないか」
通りのいい爽やかな声が――プレイヤーたちの中から、凜と響き渡った。
視線が集まる。
薄く笑っている、そのスカしたイケメン――フロンティアプレイヤー随一の人気実況者である、セツナに。
「実況者的に――いいや、ゲーマー的に、そのくらいの縛りプレイ、むしろ燃えるってものさ」
静かな口調ながら、そこには熱があった。
この世界で生きてきた者特有の。
仮想の世界で、それでも本物に触れてきた者特有の。
その熱は、次の瞬間、大音声となって爆発した。
「根性の見せどころだぞ廃人諸君ッ!! ゲームの中でくらい格好つけろッ!!」
くわんくわんと声が反響し、一拍。
沈黙の後に。
誰からともなく、拳を衝き上げる。
「「「「「やぁっっっっっっっってやらああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっっっっ!!!!!!」」」」」
あっさり手のひらを返して吼え猛るプレイヤーたちを、チェリーはくすりと笑って見やる。
「まったく……単純なんですから、ゲーマーって人種は」
まったくだ。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
〈またMAOで何か起こってんの?〉
〈【MAO速報】人類軍は呪竜遺跡の放棄を決定。カース・パレス最終結界の突破に戦力を集中する模様。#MAO#クロニクルクエスト#カースパレス攻略戦〉
〈恋狐温泉にいます。故郷に帰れたら結婚するんだ……。#MAO〉
〈MAOで最終戦争が起こっていると聞いて。クエスト失敗でゲーム終了ってマジ?〉
〈見てる→【MAO 人類滅亡を阻止する放送】〉
恋狐亭にいるレナは、SNSのタイムラインを眺めながら不思議な気分に浸っていた。
普段、MAOのことを話している人もいない人も、誰もがあたかもお祭りのように、今ここで起こっていることを話している。
トレンドには関連するワードがずらりと並び、SNSはMAO一色と言ってもいい状況だった。
一方で、レナの身体には、断続的な振動と轟音が響いてくる。
恋狐亭の外で続く、襲撃モンスターとの戦いの余波だ。
少し窓を覗けばすぐそこに、タイムラインで話題になっている戦いを一面に望むことができる。
これが何とも、奇妙な感覚だった。
タイムライン上の彼らにとっては、MAOでの戦いはアニメやドラマと変わらない、モニター越しに見るだけのフィクションだ。
しかし。
今ここで、死力を尽くして戦うプレイヤーたちや、その戦闘に応じて響き渡る振動、轟音、怒号や悲鳴や歓声……。
そのすべては、紛れもない現実だった。
ゲームという名の、現実なのだ――
「ちょっとレナっ!! サボってないで!! 新しいポーション来たからみんなに配ってきてよっ!!」
「あっ、はーい! ごめんなさいっ!」
「っていうかブランクはっ!? あのニート作家にも手伝わせようと思ったのに!」
「あの人はちょっと前にどっか行っちゃったよ。『もう我々が出しゃばる必要はないだろう』とか言って」
「まったくもおーっ!!」
六つの尾を持つ狐娘――NPCの六衣に、まるで現実の人間にそうするように答えつつ、レナは再び彼女なりの戦場に戻る。
レナはMAOに足を踏み入れて日が浅い。
それでも、ここの流儀がすでに身に馴染んでいた。
『ようこそ、時代の礎となる者よ』。
ログイン時に必ず目にすることになるその一文――まさにその通りに。
今ここで紡ぎ上げられる時代のために、自ら礎になりに行く。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
「――先輩っ! 後ろ!!」
「……っ!?」
背後から振るわれたガーゴイルの爪を、地面を転がってギリギリ回避した。
直後、チェリーが放った《ファラ》がそのガーゴイルにぶち当たる。
体勢を崩したところで、俺が魔剣フレードリクを突き出し、喉を貫いてトドメを刺した。
「悪い、見落としてた……!」
「大丈夫ですか? 休憩しますか?」
「……いや、大丈夫。次のウェーブが来るぞ!」
大廊下を塞ぐ蜘蛛の巣状の結界から、新たなモンスターがわらわらと現れる。
俺は鈍くなりつつある頭に活を入れ、魔剣フレードリクを構え直した。
戦い始めて、もう何十分になるか。
復帰線を断たれた俺たちには、もはや死亡は許されない。
その極限の緊張の中、空を飛び、火を吐き、あるいは魔法まで使うモンスターどもを、倒して倒して倒して倒して――
いつになったら終わる?
結界に放射状に伸びた線は、今、何本だ?
減っているのか?
見る余裕さえない。
元より数の限られたプレイヤーたちは、時が経つにつれて、一人、また一人と倒れた。
彼らが復帰してこられない以上、その分の負担は生き残った俺たちが担うしかない。
ポーションの補給に戻れないのなんて、当たり前のことになった。
チェリーもMP消費を限界まで節約し、MP自然回復のスキルである《瞑想》に頼っている状況だ。
そして、その負担の増加が、さらなる脱落者を生む……。
この負のスパイラルが、行きつくところまで行きつくのが先か。
それとも、結界が壊れ、モンスターの湧出が止まるのが先か……。
「――うぎゃっ!?」
突っかかってきたリザードマンの群れを斬り伏せたとき、少し遠くから小さい悲鳴が聞こえた。
弾かれたように振り向けば、そこにはろねりあたちJK4人組のパーティがいた。
最近、妹のレナがよく連んでいるツインテールの双剣くらげが、モンスターの攻撃を受けて転倒している。
マズい。
双剣くらげは、露出度過多のビキニアーマーなんて装備しちゃいるが前衛職。
戦線を支えるパーティの柱だ。
もう一人の前衛職であるポニータがカバーに入ろうとしているが、モンスターの数が多い……!
「チェリー!」
「はいっ!」
説明するまでもなく、チェリーが聖杖エンマをろねりあたちを襲うモンスターに振り向けた。
同時、俺は全速力で大理石の床を蹴る!
「《ギガデダーナ》ッ!!」
全攻撃魔法中、最高の弾速を誇る雷属性範囲攻撃魔法が、モンスターたちに襲いかかる。
ゴブリンが1匹黒焦げになり、スライム状のモンスターが2匹弾け散り、怪鳥型のモンスターが墜落し――しかし。
「ギァアアッ!!」
1匹。
自身を石化させる能力を持つガーゴイルだけが、うまく雷の猛威を逃れていた。
そいつは無防備な後衛職に狙いを定める。
前衛のポニータの頭上を飛び越え、二人いる後衛の片方――ショートカットの小柄な魔法使い、ショーコに爪を振り上げる……!!
「あっ……わっ……ああっ……!?」
「伏せろっ!!!」
俺が声を張り上げるや、ショーコはビクリとしながらもその場に伏せた。
俺は、その上を飛び越える。
そして、飛来したガーゴイルを、正面から袈裟懸けに斬り裂いた。
「第三ショートカット発動!!」
続けざまの《焔昇斬》が、ガーゴイルの正中線をなぞるように走る。
クリティカル判定によってガーゴイルのHPが尽きるのを確認するや、俺はショーコに振り返った。
「大丈夫か!?」
「ふ、ふやいっ……!!」
小柄ショートカットのショーコは、驚きからか顔を赤くして俺を見上げる。
「よかった……! これ以上、戦力を減らされてたま――」
そのときだった。
ジジュッ、と、何かが焼けるような音が、俺の左手からした。
「あ?」
見る。
左手の甲に付着した、紫色のゼリーのようなものを。
これって――
さっき、チェリーの魔法で爆散した、スライ――
「…………っっっ!?!?」
全身が急に動かなくなった。
俺はその場にくずおれながら、咄嗟に瞼の裏の簡易メニューを確認する。
俺のステータス欄に表示されたのは、『麻痺』を意味するアイコン……!!
「くっ、そ……!! ゆだ、ん……!!」
スライム系モンスターの中には、体液が少し付着しただけで状態異常にしてくるいやらしい奴がいるのだ……!!
まだ宙に飛び散っていたスライムの体液が、たまたま俺の左手に……!!
「あっ、あわわ、わわわわわ……!! す、すぐに治さないとっ……!! ろねりあちゃんっ、ろねりあちゃんっ!!」
ショーコが倒れた俺を見て、慌ててプリースト職のろねりあを呼ぶ。
だが。
「み、ろっ……!! 周り……!!」
「えっ…………」
また別のモンスターの群れが、俺たちに狙いを定めていた。
ああくそ、ゲームってやつは、いつもいつも弱みに付け込んで来やがる……!!
モンスターの数は8匹ほど。
種類も多様で単一の対策では相手しづらく、これが普通の狩りなら戦闘を回避する相手だ。
俺の回復をしている場合じゃない。
すぐに逃げろと伝えるべく、俺は口を開いた。
ここで脱落はあまりに痛いが、全員まとめて脱落するよりは……!
「――――真・打・登・場っ☆」
そのとき、甘ったるい声と共に、ヒュンッ、と1本の矢が飛来した。
それは大廊下の上空でパンと弾けると、火球の雨となって、モンスターの群れに降り注いだ。
魔法を遠隔発動させる矢……?
今のは……!
首を回して入口の方向を振り向くと、そこに、白銀の鎧を着た騎士たちの姿があった。
その先頭に立つのは、赤い鎧を纏った《巨人》。
そして、その巨人が背負った神輿に立つのは、フリフリのロリータ服を纏った小さな少女――
「デキる女は助けられるばかりじゃ終わらないっ! たまに挟む主人公ムーブがオトコのコの琴線にぶっ刺さりなのだーっ!!」
「ゆ、UO姫っ……!?」
低身長に不釣り合いな巨乳をぷるんと張り、UO姫は小悪魔めいた笑みを浮かべた。
「まさかミミが、クライマックスに不参加だなんて思ったかな、ケージ君?」
ろねりあから解毒魔法をかけてもらって、俺は立ち上がる。
UO姫は「よっと」と珍しく火紹の神輿から飛び降りた。
「あ、あなた……! 後ろの街の防衛に当たっていたんじゃないんですか!?」
と、驚いた声で食ってかかったのは、追いついてきたチェリーだ。
そうだ。姿が見えないものだから、《聖ミミ騎士団》はてっきり後方の街にいるものだと思っていた――呪竜遺跡の陥落によって、カース・パレスにはもう来られないものと。
UO姫はことりと(あざとく)小首を傾げ、
「ミミたちは空中都市の基地を守ってたんだよ? だからもちろん、呪竜遺跡が陥落したからって、カース・パレスに来られなくなるわけじゃないわけ」
「おい、だったら空中都市は!? 防衛してたお前らがここにいるってことは、まさか……!!」
「だーいじょうぶ! 守り切ってきたよ」
守り……切った?
言葉尻に違和感を覚えた俺に、UO姫は大廊下の奥――すなわち結界を指差した。
「ようっっっっやく――弾切れ、みたいだね」
俺たちはハッと結界を振り仰いだ。
ああ――いつの間に。
いつの間に、こんなに光の線が減っていたんだ。
中心から放射状に、合計1000本伸びていたはずの光の線。
それが今や、10本もなく。
そして見る間に、数を減らして――
ぷつん。
呆気ないものだった。
最後の1本が――千切れて、消えた。
バキン、と亀裂が走る。
大廊下を塞ぐ最後の結界――《呪王》までの道を塞ぐ最後の障害が。
亀裂に覆われて、直後。
砕け散った。
俺たちは無言で、呆然として。
目の前の出来事が信じられないみたいに、その様を眺めていた。
半透明の壁は、もうひとつもない。
モンスターの姿も、ひとつもない。
砕け散った結界の向こうには、美しく整えられた庭園と、その中央に佇む礼拝堂だけがあった。
午後7時19分。
竜母ナインの完全呪転まで、残り3時間41分。
カース・パレス最終結界、突破。
1万体ものモンスターが狩り尽くされ――
――《呪王》だけが、後に残された。




