第186話 知らないようなら教えてあげる
「……わかりました。《ケセラシファー》への補給を厚めにします。あなたは戻ってください」
司令室を走り出ていく伝令の人を見送る暇もなく、私は大急ぎで補給の配分を考える。
ポーション類の補給量から、各戦場の戦況をなんとなく推し量ることができた。
《幻影天統領ガルファント》ははっきり優勢。
《堕天魔霊長ケセラシファー》は少し劣勢。
《風雲総司令クラウタール》はほぼ互角。
そして《天魔大将軍イザカラ》は――
「……どうしますか、チェリーさん?」
横から控えめに言ったのは、司令部の加勢に来てくれたろねりあさんだ。
「《イザカラ》の戦況は悪くなるばかりです。まだ戦えているのが不思議なくらい……。このままいたずらに補給基地の貯蓄を浪費するくらいなら――」
「……いえ……ちょっと、待ってください」
私の第一観は、ろねりあさんの意見を正しいと言っていた。
《イザカラ》の戦況は極めて悪い。
HPこそ奇跡的に半分も削れているけれど、陣形はとっくにぐちゃぐちゃで、回復アイテムを大量に投入することでギリギリ保たせている状態だ。
そのうち全滅する。
これは予測ではなく、未来だった。
ならば、《イザカラ》の戦場は捨てて撤退し、アイテムの消費を抑えつつ残存兵力を別の戦場に回すのが上策……。
今、《イザカラ》を倒せなくたって、残り時間は24時間もあるのだ。
まず他の3体を片付けてから、しっかり態勢を立て直して再挑戦すればいい。
これほどの大兵力を再編成するのは、リアルの予定という拘束がある分、本物の軍隊より至難の業ではあるけど……。
「……こんなこと、誰にだってわかる」
私にだってわかる。
ろねりあさんにだってわかる。
そしてもちろん、現場で戦う《聖ミミ騎士団》のメンバーにも。
なのに、まだ彼らは戦っている。
「っ……!」
下唇を噛み、両手をぎゅっと握り締めた。
……将棋盤を前にしていたときは、どんな読み筋だって、すぐに目の前に浮かんできたのに。
わからない。
何をどうすればいいのか、わからない……。
そう認識した途端、ひやりとした感覚が全身を包み込んだ。
……あれほど疎んだ才能なのに、私は思いの外、それを拠り所にしていたのか。
当然だ。
私にはこれしかない。
ただ、その使い道がわからないだけで……。
「……先輩」
その呟きは、同時に二人の人物を示していた。
「どうすればいいんですか、先輩…………」
そのとき。
着信があった。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
俺は一人、暗闇の中で助けを待っていた。
モンスターが来るならそれはそれで助かるから、堂々と配信サイトやSNSをチェックしていたが、どうにも気が散ってしまって、自然と手が止まる。
――ミミ、ケージ君のこと好きだけど、そういうところは嫌い
UO姫の言葉が、頭の中をぐるぐる回る。
何がそんなに気に食わなかったんだろう。
いや、あいつにとっちゃ、俺とチェリーに関することは何もかも気に食わないんだろうが……どういうわけか、その言葉だけは妙に引っかかった。
……チェリーは助けには来ない。
それがあいつのスタイルだ。
俺一人のために、勝利を犠牲にするようなことはない。
あいつは俺以上の負けず嫌いなのだ。
俺はそれを知っている。
最初からわかっている。
俺があいつを助けることはあっても、その逆は必ずしも成立しないと、はっきりわかった上で一緒にいる。
そもそも、そんな機会は作らせない。
あいつが俺を見捨てなければならないような状況を作りさえしなければ、何も問題はない。
それはひどく難しいことじゃああったが、あいつの隣に立つのなら、そのくらいの覚悟は必要だった。
「……そのはずだったんだが……まずったなぁ……」
あいつ、怒ってるかな。
俺ならこういうことにはならないと思ってたのに、って。
それとも今も、俺なら何もしなくても自分で何とかするって思ってくれてんのかな。
いずれにせよ、ちゃんと謝らないとな――
「――ただ、自分たちだけがわかっていればよい、と」
!?
正面の暗闇に、滲み出るように人影が現れた。
俺は身構えて、背中の魔剣フレードリクに手を添える。
《呪王》……!
「その信頼は、呪いだよ。通じているのは君たちだけだ。君と彼女だけで世界が閉じているわけでもあるまいに、まるでそうであるかのように振る舞えば……しわ寄せは自然、周りに向こうというもの」
「……何が言いたいんだよ」
「幸せだな、と言いたいのですよ。……ふふ。そう遠くないうちにわかりましょう――」
《呪王》の影が溶けるように消えた、その直後だった。
「――ケぇージくぅーんっ!!!」
暗闇の向こうから、甲高い声が俺を呼んだ。
UO姫か!?
本当に見つけたのか、この場所を……!
左のほうに、ぼんやりとした光が灯る。
その中に、何人かの影があった。
俺は手をあげて叫ぶ。
「こっちだ!!」
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
「こっちだ!!」
暗闇の中から声が聞こえて、わたしは溜め息をつきたくなった。
よかったぁ……見つけたぁ……。
カンテラの光が闇を払い、ケージ君の姿をぼんやりと照らす。
安堵が全身を包むと同時、妙な緊張がにわかに手足を強張らせた。
え、うわ、うわ~! わたし、今の今まで超必死だったんですけど……。え? わたし、こんなに尽くすタイプだったっけ? むしろ尽くされるのが生き甲斐じゃなかったっけ? キャラぶれてない? 大丈夫? 変に思われないかな!?
まあいいや!
ケージ君の顔が見えた途端に、頭の中に渦巻いたものを吹っ切って走り始めた。
《ミミ》をやり始めて以来、羞恥心を捨てるのだけは本当にうまくなったのだ。
考えてる暇があったらとりあえず動いてしまえ。
そう心に決めてしまったがゆえに、いろいろとやらかすことも多いけど――
――とりあえず今は、駆け寄って飛びついて抱きついて、ケージ君の顔が赤くなるのを見たい!
暗闇の中、彼の姿が近付くごとに、想像が鮮明になっていく。
たった一時。
普段はチェリーちゃんに向いている目が、ほんの気紛れのようにわたしを見る、その一瞬。
恐れ多いとすら感じるその一瞬が、わたしは何よりも好き。
だから――
「ケージ君―――」
「―――来るなッ!!!」
突然、ケージ君が鋭い怒声をあげた。
え……?
どうして……?
「ミミ様ッ!!」
続いて、後ろからも警告するような声がして、わたしは振り返る。
そこに。
真っ黒な。
闇のような。
人影が。
「――健気なものですな、人の子よ」
細い指が、わたしの胸の真ん中を指した。
「報われないとわかっているのに、ちらちらと垣間見える希望に、自然と誘き寄せられてしまう。――まるで虫のように」
指先が、ちかっと光った。
目の前に、赤い光が散った。
「…………ぁ…………っ?」
それが自分の胸から弾けたダメージエフェクトだと気付いたのは、もうすっかり、身体から力が抜けた後だった。
傾いだ視界に、冷たい眼光が映る。
冷えた石のように無機質な双眸がわたしを見下ろし、そして言う。
「あなたは健気で、……それ以上に、哀れだ」
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
「おぉおおおおおおおおおおおッ!!!」
前からは俺が。
後ろからは《聖ミミ騎士団》の騎士たちが、UO姫の傍に立つ《呪王》に斬りかかった。
《呪王》は闇に溶けるように消えて、離れた場所に再出現する。
俺はそちらに魔剣を向け直しながら、地面にくずおれたUO姫を確認した。
心臓を貫く位置にダメージエフェクトが輝いている。
普通なら即死だが、UO姫は人魂状態には変わっていなかった。
こいつは《聖ミミ騎士団》の司令官であり象徴だ。
不意の流れ弾で事故死したりしないように、一発即死への対策を用意している可能性は高い。
だが――ポップアップしたHPは今もなお減り続け、UO姫はぐったりと倒れたままだった。
なんだこりゃ……! デバフとスリップダメージ付きの魔法攻撃か!?
「……やれやれ。何を怒ることがあると言うのです?」
慇懃無礼な声がして、俺たちは闇の中の人影を睨みつける。
「貴殿らは不死の勇者だ。死しても蘇る異界の客人だ。で、あれば。
……別によいでしょう? 何度、どれだけ、誰が傷付こうとも」
「――ッてめえっ……!!!」
理由はわからない。
だが、今の《呪王》の言葉が、UO姫への最大限の侮辱であることを、俺は直感した。
《呪王》は俺の怒りの視線を受け止め、くつくつと笑ってみせる。
「楽にさせてさしあげるべきだ。それが慈悲だと、私は思いますがね。それだけが、君から哀れな彼女に手向けることのできる―――」
「―――誰が」
声がした。
静かに、短く、弱々しく。
それでも、《呪王》の言葉を一方的に遮るほどに、朗々と。
「誰が――哀れだ、って……?」
UO姫が、目を開けていた。
アバターとはいえ、痛みはないとはいえ、胸の真ん中に穴が空いているのだ。
息はしにくい。
声は出にくい。
それでも彼女は、世界に挑みかかるかのように、はっきりと目を開けて闇を睨んでいた。
「心から、好きな人がいることの……何があっても、好きでい続けられることの……一体! 何がっ!! 哀れだって……っ!!?」
力など入るはずのない腕が、それでも上がる。
その手には、UO姫がいつも使っている、オモチャのような弓。
その弦には、すでに1本の矢が番えてある――!
「……知らない、ようなら……教えて、あげるっ……!!」
「何を―――」
キューピッドのそれのような、ハート型の鏃が、闇に沈んだ頭上に向く。
その先を目で追い、《呪王》はにわかに顔色を変えた。
「まさか――よせッ!! その矢を放つな―――ッ!!」
「これが、ホントの―――女の、生き様っっ……!!!!」
ヒュウン、と矢が飛んだ。
闇の中に消えて少し、ガツッと天井に当たる音がして。
直後。
轟音が炸裂した。
爆風が降り注ぎ、空間全体がビリビリと震える。
爆、発……!?
こいつ――天井を爆破しやがった!
瓦礫が降ってくると思って、真っ暗な天井を見上げた俺の目に、予想外のものが飛び込んでくる。
それは――空間全体を埋め尽くすほどの。
巨大なバケツが引っ繰り返されたかのような。
大量の水だった。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
私は、それを見ていた。
先輩が――彼女が天井を爆破し、大量の水が降り注いでくる、その映像を。
彼女からの着信に応じると、生中継の映像が映っていたのだ。
そうして、私は半ば強制的に見せられた。
――これが、ホントの―――女の、生き様っっ……!!!!
そう吼えて哀れみを否定した彼女を。
そして、膨大な水に呑み込まれ――
勢いよく水面に浮上していく彼に、限界まで手を伸ばし――
――結局、指先さえ届かないまま、HPを失って消滅した彼女を。
これは仮初めの死に過ぎない。
所詮はゲームの死に過ぎない。
水底に沈んだ彼女を蘇生させることはできないだろうけれど、少し時間が経てばリスポーンする。
だけど、その光景には彼女の思いが籠もっていた。
彼女の主張が、宣言が、生き様が詰まっていた。
――わたしはこんなにも、彼の傍に立ちたい
――だけどそれは……わたしの役目じゃない
悔しいだろう。
悲しいだろう。
痛いだろう。
泣きたくなるだろう。
それでも哀れではないと、彼女は言う。
私は【配信者は死亡しました】と表示された画面を、キツく瞼を閉じて遮る。
瞼の裏には、あの日の光景が蘇った。
将棋盤に叩きつけられた拳。
涙に歪んだ目。
悲しそうな師匠。
冷たくて怖い先輩の声。
そして、あの日見た瞳の輝き。
再び瞼を開けたとき、通話は終了していた。
もはや誰とも繋がっていないホロウインドウを前に、私はひとつ、深呼吸をした。
「……ろねりあさん」
「はい」
落ち着いた声で応じるろねりあさんに、私は躊躇いなく言った。
「後は、お願いします」




