第183話 アルティメット・オタサー・プリンセス:オリジン
一目見たときから、真理峰桜には敵わないと思っていた。
大きくてつぶらな瞳に、華奢で可愛らしい小柄な体躯。
初めてその姿を見たとき、よくできたARかと勘違いしたわたしを誰が責められるだろうか。
実のところ、彼女の姿を見てそう思う人は多いらしい――真理峰桜という少女は、どこか浮き世離れしていた。この世のものとは思えない何かがあったのだ。
その証拠に、彼女はVRのアバターになると美しさが弱まる。
CGによって完璧にモデリングされた姿よりも、リアルの本人のほうが可愛いのだ。
それはきっと、彼女がまとう一種独特な、儚いような力強いような雰囲気に、現代の科学技術がまだ追いつけていないということに違いなかった。
そんな本物の美少女に、わたしは中学2年生の頃に出会った。
新学期が始まった4月――アナログゲーム同好会の部室でのことである。
4人から成るアナログゲーム同好会は、わたしを除いた3人全員が男子だった。
高校や大学ならともかく、中学では男子と女子の間に越えがたい隔たりがあるものだ。
1年生の頃、初の女子会員として歓迎されたわたしは、けれどしばらくの間、腫れ物に触るような扱いをされた。
けれど、半年もした頃には丸っきり様相が変わっていた。
中学生の半年は大きい。
進行した成長期と第二次性徴期、そして思春期とが、わたしという唯一の女子を、同好会という小さなコミュニティの中で特殊なポジションへと誘った。
すなわち、お姫様に。
……一応言っておくけれど、わたしは決してモテるタイプじゃない。
内気で暗くて、小学校の頃は一度だってクラスの中心に立ったことがなかった。
中学に入ってからだって、その性格が災いして一人の友達も作れなかった。
容姿だって、まあ普通くらいで、特別可愛いってわけじゃない――本来は一顧だにされない人間であると、はっきりと自覚していた。
けれど、男所帯に女子一人という歪なコミュニティは、本来有り得ないことを実現した。
男子たちはわたしをちやほやするようになり、わたしは喜んでそれを受け入れる。
他に友達のいないわたしにとっては、それはこの上なく充実感のあることだった。
きっと、外側から見たわたしたちは、ひどく気持ちの悪いものに見えただろう。
大して可愛くもない、愛想がいいわけでもない女子を、何人もの男がお姫様みたいに扱っている。
目が曇っていると思われても仕方のない、歪な関係であっただろうと思う。
それでも、わたしたちはうまくやっていた。
結局は中学生の微笑ましい関係だったというのもあるし、わたしが気を遣って、誰か一人を贔屓することなく『みんな仲良く』を徹底したというのもある。
わたしというお姫様が君臨する王国は、歪なりにも平和だったのだ。
彼女がやってくるまでは。
真理峰桜。
わたしとは違う、本物の美少女。
彼女が姿を現したことで、すべての秩序が崩壊した。
先に言っておくけれど、彼女が男子会員を誘惑したとか、そういうことでは決してない。
本物の美少女は、わたしみたいに媚びる必要がないのだ。
ただ、そこにいるだけでいい。
息をしているだけでいい。
それだけで狂わせる――男子よりも、むしろ女子を。
最初は、二人目の女子会員にして唯一の新入会員だった彼女を、誰もが妹のように可愛がった。
わたしもまた、人生で初めての後輩と中学で初めての女友達ができたことが嬉しくて、あれこれと似合いもしない世話を焼いた。
彼女は本当にゲームが好きな女の子だった。
どこで覚えたのか中学生離れした礼儀で接し、けれどゲームとなれば全力で楽しみ――ただ同じ空間にいるだけで空気が浮き立つような、そんな女の子だった。
自分が好きなものを、自分と同等以上に好きでいる人を見ることほどに、嬉しいことはなかなかない。
だからますます、わたしたちは彼女のことが好きになったのだ。
……けれど、時期が悪かった。
もし、これが高校時代の話だったなら。
あるいは、大学時代の話だったなら。
わたしたちはうまくやっていけた。
思うところはあっても、それを表に出すことはしなかった。
けれど、当時の彼女は中学生だった。
成長期だった。
第二次性徴期だった。
そう――わたしたちは目撃したのだ。
真理峰桜が、天衣無縫の美少女として完成してゆく過程を、まざまざと見せつけられたのだ。
最初は『可愛らしい妹』でしかなかった初めての後輩にして初めての女友達は、日を追うごとに、わたしの小さな王国を脅かす外敵と化した。
以前はわたしにばかり構っていた男子たちが、いつしか彼女にばかり構うようになっていた。
誰かが悪いわけではない。
繰り返す。
誰かが悪いわけではない。
それは自然現象だった。
きっと男子たちには、下心すらなかったと思う――どちらかといえば、娘や妹が可愛く成長したことを誇らしく思うような気持ちで、真理峰桜と関わり合いを持てたことに感謝の念を抱いていたのだと思う。
それは、風が吹けば埃が舞うのと同じ、自然な作用だった。
真理峰桜という存在が必然として発生させる、天災に過ぎなかった。
そして、それを理解できたのはわたしだけだった。
不意の嵐によって自分の王国を薙ぎ払われた、みじめなお姫様だけだった。
一目見たときから、真理峰桜には敵わないと思っていた。
この子は、わたしには及びもつかないような場所まで行ってしまうのだろうと、そう直感する何かがあった。
……それでも。
いや、それだからこそ。
わたしは叫ばずにはいられなかったのだ。
失われた王国の残骸の前で、理不尽な破壊を撒き散らす嵐に向けて、みじめなみじめな負け惜しみを。
――……あなたさえ、現れなかったら
静かに、ぽつりと、そう囁き。
彼女の整った顔が深く陰ったのを見た、その瞬間。
わたしの胸には確かに、ほの暗い満足感があった。
この不世出の存在に、自分の手で傷をつけてやった、と。
そんな形でしか、わたしは自分を保つことができなかったのだ。
……かくして、幸せだった王国は、その残骸さえも撤去された。
彼女が同好会を退会すると、後を追うようにして、わたしたちも解散した。
すべては、わたしの心の弱さのせいだ。
自分以上の存在を前にして、その完全性に傷を付けずにはいられなかった、わたしの弱さのせいだ。
きっと、わたし以前にも、彼女に対してそうせずにはいられなかった人間がいたのだと思う。
彼女がまとう雰囲気は、そうした経験が生み出したものなのだと思う。
その傷が、痛みが、彼女を見た目以上に、魅力的に見せるのだ……。
けど、ただ一人。
真理峰桜という存在に対して、真正面から向き合った人がいた。
彼女のように恵まれて生まれてきたわけでもないのに、そのすべてを受け入れてみせた人がいた。
わたしにはできなかったことをした彼。
わたしが大好きだった女の子を、それ以上に好きでいてくれる彼。
――自分が好きなものを、自分と同等以上に好きでいる人を見ることほどに、嬉しいことはなかなかない。
だからわたしは、彼のことが好きだった。
彼はきっと、こんなわたしのことなんか、これっぽっちも好きになりはしないだろうけれど。




