第171話 呪転最終戦場ダ・アルマゲドン:第一次結界攻略戦・終幕
私の身体を縛っていた《バインド》の鎖が、一斉に砕け散った。
まるで先輩から揺らめき立つ怒気に耐えきれなくなったかのように。
背中を見ているだけでわかる。
これ……先輩……めちゃくちゃ怒ってる……?
「……これは……そうか、なるほど」
目を細めて先輩を見下ろし、《呪王》は自嘲めいて薄く笑った。
「うっかりしておりました――可憐な姫には、忠実なナイトが付き物だということを」
「――《朱砲》!!」
会話を拒絶するように先輩がオーラの砲弾を撃ち放つ。
《朱砲》ほどの威力になると《マギシルド》では防ぎきれない……!
《呪王》は暗黒の翅を羽ばたかせて横に回避するけれど、その頃には先輩の姿は地上から消えていた。
空に真紅の翼が広がる。
「――《赫翼》……!!」
「ッ……!?」
《呪王》がハッと見上げたそのときには、翼は崩れ落ちて羽根の雨に変じていた。
《赫翼》は対地範囲攻撃――多少の移動では避けきれない!
赤い羽根の雨に《呪王》の姿が消える。
それでも、先輩は攻撃の手を緩めない。
「――《赤槌》ッ!!」
破城槌をかたどったオーラと一緒に、自ら生み出した羽根の弾雨の中に突っ込んでいく。
ガゥン!! という衝突音だけが聞こえた。
次の瞬間、地面が立っていられないほど揺れ動き、モンスターたちが塵のように舞い上がっていた。
立ち込めた粉塵の中で真紅の光が間断なく瞬く。
身の竦む轟音が幾度となく木霊する。
たまに流れ弾が飛び出しては、プレイヤーと言わずモンスターと言わず、容赦なく吹き飛ばした。
「や……やりすぎーっ! 先輩っ! やりすぎですーっ!!」
私の声は、当然ながら届いた様子がない。
先輩は典型的な『普段は大人しいけどキレると怖い』タイプなのだ。
とはいえ今回はちょっとシャレにならないレベル――
突風が渦巻いたかと思うと、粉塵が一気に吹き払われた。
放射状に走った亀裂の中心で、先輩が振り下ろした剣を、《呪王》が魔力の光を纏わせた腕で受け止めている。
「……どうやら、虎の尾を踏んでしまったようだ」
先輩の眼光を受け止めながら、《呪王》は愉快そうにかすかに口の端を緩めた。
「肌に伝わってくる、この凄まじい呪い。この《呪王》をして、身震いせずにはいられませぬ――ああ、なれば、前言を撤回せねばなりますまい」
刃を受け止めた《呪王》の腕が、より一層の輝きを放つ。
「この戦い、その最大の難敵は、彼女だけではない――貴殿ら二人だ」
カッと目が眩んだかと思うと、《呪王》の姿は空に移動していた。
暗黒の翅が散らす燐光に混じって、赤い光の欠片が宙に揺れる。
《呪王》の右腕に、ダメージエフェクトが輝いていた。
「機を改めましょうぞ、呪い呪われし人の子よ」
先輩はその姿を見上げて身構えたけれど、それよりも《呪王》が翅を膨らませるほうが早かった。
「時は確実に満ちつつある。森羅万象に呪いあれ――」
《呪王》は自らの翅で全身を包み込み、空間を裏返したかのように姿を消す。
主を失ったモンスターたちもまた、程なくして影に包まれ、消滅していった……。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
《呪王》が消えてしばらくして、ようやく頭の中が冷えてくる。
「…………チッ」
俺は舌打ちを一つして、それを区切りにした。
《魔剣再演》が終わり、銀色に戻った魔剣フレードリクを鞘に戻す。
キン、というかすかな音が、臨戦態勢を打ち消すように終了させた。
「…………あのー。先、輩?」
遠慮がちな声に振り向くと、顔色を窺うような表情のチェリーがいた。
俺は固い声で言う。
「……何」
「いえ、そのー……もしかしてですけど、すごく怒ってません?」
「…………別に」
ふいっと顔を逸らす。
と、チェリーの顔が回り込んできた。
「怒ってるじゃないですか」
「別に。なんで。怒る理由ないし」
睨むように目を見返すと、チェリーはなぜか口を手で覆って、視線をさっと横に逸らす。
「……いや、何その反応」
「べ、別に?」
「真似すんなよ。なんで口隠すんだ。見せろ」
「やっ、ちょおーっ……!!」
抵抗するチェリーの手首を掴み、無理やり横にどかす。
と、にやにやと緩みきった表情が出現した。
「……お前、なんだその顔。せっかく人が心配して駆けつけてやったのに……!」
「そ、それは感謝してますよ? おかげで助かりました! ありがとうございます!」
「助かったって顔じゃねえんだけど?」
「…………そ、それは……だって…………」
俺に手首を掴まれ、逃げることも隠すこともできないまま、チェリーは顔を耳まで紅潮させる。
それから、蚊が鳴くようなか細い声で言うのだ。
「…………う……嬉しくなったら…………ダメ、ですか…………?」
「…………ぅぐ」
それに釣られたように、俺のほうまで顔が熱を帯びる。
ああもう、何の赤面だよ、これは!
さっきまでのイライラがどこかに吹っ飛んでしまった。
俺が手首を放すと、チェリーはチラッと俺の顔を見上げて、
「……ありがとう、ございます、先輩」
さっきよりも何倍もしおらしい声で言う。
俺はさっきのチェリーみたいに口元を押さえながら明後日の方向を見やった。
「……まあ、無事でよかった」
口の中に籠もったような、もごもごとした呟きだったが、チェリーは「ふへへー」とだらしない笑みを漏らして、一歩、俺に近付いた。
全戦闘終了の報告が入ったのは、それからしばらくしてのことだった。
結局、戦果は《ヴォルール》、《エテックス》、《デス・ルシリス》の3体。
《イザカラ》だけ取り逃がし――残るレイドボスは4体。
残り時間は、48時間を切っていた。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
第一次結界攻略戦の結果はSNSなどを駆け巡ったが、残念ながら祝勝ムードとは行かなかった。
戦果は本来の予定よりも1体少ない。
そのうえ、《呪王》が積極的に戦闘に介入してくるという新事実まで発覚した。
早急に戦略を見直さなければならないのは明らかだった。
「ボス戦の直後でお疲れのところ恐縮ですが、今のうちに2日目の予定について、大まかな方針を共有しておきたいと思います」
空中都市の司令部に戻ってきた俺たちは、各クランリーダーを中心とした首脳陣と共に会議の場を持った。
「まず、情報共有手段の抜本的な見直しです。フレンド通話、外部ツールを使用したシステムは基本的に廃し、狼煙通信とブクマ石による高速伝令をメインに切り替えます。2日目の第一目的は、言わずもがなブクマ石の大量確保になります」
一同はうなずく。
ブクマ石――《往還の魔石》はそこそこの貴重品だ。決して安くはないが、さっぱり手に入らないってほどでもない。
これほどのクランが協力すれば、相当数を揃えることは難しくないだろう。
「そしてもうひとつ――《呪王》がモンスターをある程度恣意的にコントロールできることが判明した以上、この脆弱性を見逃すわけにはいきません」
そう。厄介なのはこっちだ。
チェリーはテーブル型モニターにダ・アルマゲドンのマップを映す。
「今日の戦いではすべての補給物資をこの前線基地から各戦場に運搬していました。……ゆえに必然的に、すべての補給部隊がこの地点を通ることになります」
ダ・アルマゲドンの南端――空中都市との間を繋ぐポータルがある場所に、ピンが立てられる。
「《呪王》がモンスターを率いてここを占拠した場合、すべての補給線が断たれることになるのです。……さすがにそんなゲームが成り立たないようなことをしてくるとは思わなかったのですが、甘い見通しでした」
入口を占拠できるのなら、俺たちが入ってくる前にそうしていたはずだという考えもある。
が、チェリーはこう推測している。
《呪王》がコントロールできるのはモンスターのヘイト設定だけで、具体的に指示を出せるわけではないのではないか、と。
そもそも入口のポータルがターゲッティングできない仕様になっていた場合、どれだけヘイト設定をいじくっても入口にモンスターを集まらせることはできない――敵となるプレイヤーが現れでもしない限り。
「このリスクを排除するためには、補給基地をダ・アルマゲドン内に構築する必要があります」
「ちょっとちょっとチェリーちゃん。それができないから困ってたんじゃないのぉ?」
UO姫が相の手を入れると、チェリーはうなずいた。
「そう思っていました。……けれど、今日の戦闘で事情が変わったみたいです」
そう言って彼女が視線を投げたのは、議卓の末席で黙り込んでいた男――《ネオ・ランド・クラフターズ》のリーダー、ランドだ。
後方指揮を担当し、今日の戦闘では突発的な本陣構築の指揮も執ったらしい。
ランドは議卓に大きな手を突くと、落ち着いた低い声で話し始めた。
「今日、防陣を構築していて気付いたことがある。それは、モンスターがヘイトを向ける建材にも優先度があるってことだ」
「優先度……」
「木よりも石のほうが、石よりも鉄のほうが、ヘイトの上昇率が高くなっている。細かい数値は検証待ちだが、これを利用すると前線砦の建築も不可能ではなくなる」
「デコイですな?」
言ったのはD・クメガワだ。
ランドはうなずく。
「すべての建材を平等に狙ってくるのならお手上げだった。だが、建材ごとに差があるのなら話は変わる。デコイで目を逸らしている隙に高速で築城しちまえばいい」
「高速で築城って……お城ってそんなにすぐできるものなのぉ?」
「墨俣一夜城みたいなもんさ。立派な天守閣は用意できねえが、必要最低限の戦闘拠点だけなら何とかなる。それを使ってモンスターを押し留めながら、本格的な補給基地を建ててればいい」
「本格的な、と申されますが、モンスターの猛攻に晒され続けることに変わりはありますまい。何か対抗策でも?」
「不要さ。対抗策なんてな」
ランドは日焼けした顔で不敵に笑った。
「一度建てちまえばこっちのもんだ――難攻不落の《トラップ・キャッスル》があんたたちの背中を守ってみせる」
《トラップ・キャッスル》――自ら牙を剥き、モンスターを狩り尽くす、城の形をした剣。
モンスターの猛攻に晒される中で建築するのは至難の業だと思うが、ランドの表情に不安はなかった。
意見が尽きたところで、チェリーが再び口を開く。
「補給基地は攻略対象に合わせて4つ用意します。もしどこかがモンスターに壊されても残りの3つでカバーする形です。相応の資源と防衛戦力が必要になりますが……」
「資源はこっちで用意する。戦力のほうは任せた」
「わかりました。……ということで、明日の昼間に築城作戦を行います。一応土曜日ですけど、参加できそうな方はランドさんのほうに申請を送ってください」
一同の返事を聞くと、チェリーは「ふう」と軽く息をついた。
「……それでは、今日はこれで解散です。お疲れ様でした!」
めいめいの返事が司令部内に響き、第一次結界攻略戦がようやく終了した。




