第170話 呪転最終戦場ダ・アルマゲドン:第一次結界攻略戦・強襲
「えっ――!?」
森の中を馬で走り抜けていた俺たちは、木々の向こうから立ち上った煙を見て、愕然と口を開けた。
本陣の方角から上る、1本の赤い煙。
あれは、緊急事態の合図……!
「本陣で何か起こったのか……!?」
「わかりません……! まだ詳しい情報が――」
余計な戦闘を覚悟すれば通話でチェリーに連絡が取れる。
だが、《冥界葬列公デス・ルシリス》の戦場はもう目と鼻の先だ。
ここで時間をロスするのは……!
「……え? なんですか?」
部隊の後方から、巡空まいるのところに伝令が追いついてきた。
馬に乗ったままの巡空まいるに、伝令がこしょこしょと耳打ちする。
「えっ……? それってどういう……?」
「ただこれだけ伝えろと、総司令官が……」
「どうした? チェリーから何か伝令が来たのか?」
「はい~。えっと~……」
困惑気味な顔と声で、巡空まいるは言った。
「『本陣で何があっても、ブクマ石は使うな』……だそうです~」
……ブクマ石を使うな?
ブクマ石――《往還の魔石》は、いざというときの高速移動のため、一人一つずつ持っている。
使えば一瞬で本陣――ダ・アルマゲドンの入口まで戻れるようにしてある。
それを、緊急事態の狼煙が出ているこの状況で使うな、と……?
「チェリーさん、何を考えてるんですかね~?」
「あいつのことだから、何か考えがあるんだろうが……」
チェリーのことは信頼している。
あいつが判断を間違えるはずがないと確信している。
だが――だからこそ、懸念したくなるのだ。
あいつはこういうとき、考えが合理的になりすぎる。
ゲーム上に存在するすべての要素を、全部数字で判断できてしまうのだ。
例えば、あいつは俺のことを、将棋で言うところの飛車だと考えているだろう。
飽くまで飛車であって、決して玉ではない。
俺が倒されたところで、敗北には直結しないからだ。
それが勝つために必要だと判断したなら、あいつは俺でも躊躇わずに使い捨てるだろう。
仲がいいから死なせたくない――なんて風には絶対に考えない。
それは自分自身に対しても同じなのだ。
このゲームにおいて、この戦いにおいて、あいつは自分のことを玉だとは考えていない。
たとえ司令官がやられたところで、俺たちは元より寄せ集めの軍団だ。さほど動揺もせず、ボスどもを倒すに違いない。
だから自分は玉ではない。
人類軍に玉はいない――切り捨ててはいけないものは存在しない。たとえ自分自身であっても。
あいつは、きっとそう考えている。極めて合理的に。
それは事実なんだろう。
メイアと違って、チェリーは死んでもデスペナルティを受けるだけだ。取り返しがつかないわけじゃない。
でも。
それでも――
「ケージさん。《デス・ルシリス》はまいるたちに任せてくださいっ!」
考え込んでいた俺に、巡空まいるが明るい声でそう言った。
「たとえ、ゲーム的には間違っているとしても――彼女のピンチに彼氏が駆けつけないと、格好がつきませんよ?」
俺は思わず苦笑する。
ああ、確かにそう考えるとシンプルだ。
これは遊びなのだ。
だから、理屈がどうであろうと、やりたいようにやるのが一番正しい―――!!
ただし、
「俺は別に、彼氏じゃないけどな!」
訂正しながら、俺は馬を飛び降りた。
ブクマ石は使わない。
指示にはちゃんと従う。
だから、こっちのほうは、使ってもいいんだよな……!
「―――《魔剣再演》!!」
赤いオーラが俺の全身を纏い――AGIが3倍に膨れ上がった。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
本陣の周囲に築かれた防陣に、無数のモンスターが大挙して押し寄せていた。
即席ながら堅牢に築かれていたはずの柵は、もうすでに押し破られて、本陣内への敵の侵入を許している。
それをやったのは、モンスターの軍勢の先頭に立つ男だ。
ついさっきまで《イザカラ》の肩に乗っていた、暗黒の翅を持つ男。
《呪王》――!
「《エアギオン》ッ!!」
私の《聖杖エンマ》から迸った嵐が、スケルトンやガーゴイルを巻き上げる。
本陣の中には、砦の構築のため集まった建築職プレイヤーがまだ大勢残っていた。
ここで彼らに大損害を出すようなことがあれば、明日以降、攻略に手を貸してもらえない可能性がある。
撃退する必要はない。
最小限の被害に留めつつ、《呪王》を惹きつけておきさえすればそれでいい……!
「急げ急げッ!! 戦闘職が食い止めているうちに!!」
《ネオ・ランド・クラフターズ》のメンバーが、低レベルプレイヤーたちを避難させている。
その時間を稼ぐため、私は惜しみなくMPを注ぎ込んだ。
けれど、範囲攻撃魔法にも限界はある。
ダ・アルマゲドン全域から集まってきたかのようなモンスターの軍勢は、まるで津波のように天幕やプレイヤーを押し流していく。
それを多少吹き散らしたところで、焼け石に水だった。
「……っまずい……!」
思ったより崩れるのが早い。
このままだと、ダ・アルマゲドンの入口を占拠される可能性がある。
それは最悪のパターンだ。
天空都市から各戦場への補給が完全に途絶える。下手すると《デス・ルシリス》の戦場がひっくり返りかねない……!
「――遅滞戦闘に努めてくださいっ!! 絶対に無理はしないで!!」
他のプレイヤーたちにそう叫びながら、まだ無事でいる物見櫓に上る。
高い視点から戦場を俯瞰した。
本陣はすでにぐちゃぐちゃ。各地で乱戦模様を形成している。
これがプレイヤー対プレイヤーの戦争だと敵味方を間違えてしまったりもするのだが、モンスター相手ならその心配はない。
「どこを突く……?」
俯瞰した戦場を水の流れのように捉える。
今の戦場は乱流だ。暴れるように荒れ狂って、御しようがない。
これをいったん整理する。
戦線を維持するにはそれしかない。
「あの辺りか……!」
本陣の西側の辺りに目をつけたとき、物見櫓がめきめき音を立てて傾き始めた。
私は空に飛び出しながら、《エアガロス》で自分自身を吹き飛ばす。
先輩ほどじゃないけれど、私だってこのくらいのリアルアクションはこなせる……!
着地点にスケルトンの群れが待ち構えていたので、地属性魔法《ジクバーナ》で地面を隆起させた。
スケルトンはその中に埋まり、私は猫のように体勢を入れ替えてその上に着地する。
そして、メニューウインドウを開き、ディスコード――外部ツールを起動させた。
誰かに連絡を取りたいわけじゃない。
ただのヘイト稼ぎである。
私たちの情報共有を防ぎたいがため、ダ・アルマゲドンのモンスターは外部ツールに過剰反応する……!
「「「―――ォォ―――ァ――――ッ!!!」」」
獰猛な咆哮を連ならせ、スケルトンやガーゴイル、ゴーレムといった怪物たちが大挙して私のほうを向いた。
私は舞台のように隆起させた地面の上でそれを待ち受け、聖杖エンマを頭上に掲げる。
「――《天下に這い出せ 群れ成す雷》――!!」
幾条もの稲光が杖の先端から弾け、
「――――《ボルトスォーム》――――ッ!!!」
聴覚を破壊するような轟音と共に、雷撃が放射状に撒き散った。
蛇の群れのように広がったそれらは、モンスターを次々とその牙に捉え、そこからさらに伝播する。
転倒。麻痺。あるいは消滅。
ヘイト稼ぎによる急速な標的変更。そして《ボルトスォーム》による進軍停止。それらによって戦場の流れが一気に澱んだ。
入れ替わるように、もうひとつの流れが復活する。
各地で乱戦に巻き込まれていたプレイヤーたちが、清流のように澱みのない、一つの巨大な流れとなって、私に群がったモンスターたちの後背を襲った。
私もまた、手持ちのマナポーションを飲みながら魔法を撃ち込んでいく。
前後から挟撃されたモンスターたちは急速にその数を減らした。
大規模戦闘というのは勢いが大事なのだ。
一度でも、一瞬でもそれを挫かれると、もはや取り返すのは難しい。
人間ですらそうなのだ。いわんや理性を持たないモンスターをや。
「――美事。と、称するほかありますまい」
竪琴めいた澄んだ声が聞こえて、私は空を見上げた。
暗黒の翅を広げた《呪王》が、上空に浮遊している。
彼は青白い細面で、悠然と私を見下ろしていた。
「どれほどの名将の差配かと思いきや、まさか斯様に可憐なお嬢さんとは。私はこれで長く生きておりますが、貴女のように愛らしくも果敢な将は見た覚えがございません」
「お褒めの言葉光栄ですけれど、あなたに言われても腹が立つだけなのでやめてください!」
答えざま、《ファラゾーガ》を撃ち放つ。
特大の火球が猛然と《呪王》に襲いかかるが、暗黒の翅が軽く羽ばたかれるや、《呪王》の位置がするりと横にスライドした。
当然、私はその回避を読んでいる。
左手でスペルブックを素早く操作し、《ファラゾーガ》の照準方式をロックオンに切り替えた。
マニュアル照準で撃ち出された火球は、しかしその途中でロックオン照準に切り替わり、軌道を急速に曲げて《呪王》を追いかける。
「むっ……」
紅蓮の爆発が《呪王》を包んだ。
ヒット! ざまあみろ!
と、一度は笑ってみせたけれど、炎と粉塵が晴れるにつれ、私は笑みを引っ込めた。
暗黒の翅の羽ばたきが粉塵を吹き散らす。
《呪王》の身体を、薄い紫のバリアが覆っていた。
あれは……《マギシルド》……!?
「以前も申しましたが、私は臆病者でしてね。自分の身をしっかりと守っていなければ、ろくろく人前にも出られないのですよ」
「……だったら、そろそろお帰りになったらいかがですか……?」
私は体重を後ろに傾けながら言う。……逃げる算段を立てないと。
「確かに。貴女の差配により、私の狙いは不発に終わりました。本陣を強襲すれば《往還の魔石》を消費してくれると思ったのですがね――」
そういうことだ。
《呪王》の狙いは《往還の魔石》――ブクマ石を消費させること。
そうすることで、明日以降、私たちは伝令を出すのに多大な時間をロスするようになる。
「――しかし、参上した目的はもうひとつあるのです」
パチンッ、と《呪王》がきざったらしく指を鳴らした――その瞬間。
周囲の地面から、光の鎖が一斉に湧き出す。
「えっ……!?」
一歩動くのがせいぜいだった。
いきなり湧き出した無数の光の鎖が、私の全身を絡め取る。
拘束魔法《バインド》――!
それも、手足だけじゃなく全身を縛り上げるほど高熟練度の……!!
私は立っていられなくなり、膝を突く。
聖杖エンマが右手からこぼれ落ちた。
「可憐なる将よ。私は此度の戦において、最大の難敵は貴女であると判断申し上げた」
……私が……?
人類軍という烏合の衆の司令官を、他に適役がいないからたまたま請け負っているだけの私が?
「これほどの人数――しかも烏合の衆を、手足のように差配してみせる手腕。計算外の事態にも迅速かつ冷静に対処する判断力に精神力。
魔族の身にてあえて評しましょう――人間離れしていると。
貴女自身がどう考えているか存じませんが、それはおよそ、凡愚の才ではありますまい」
……才能。
才能、才能、才能。
またそれか。
あの媚び媚び姫はいつも言う。
私のことを、特別な天才だと。
そして先輩に囁くのだ。
『あなたは普通の人だよね?』と。
違う。
私には才能なんてない。
先輩と一緒だ。他の人たちと一緒だ。
……なのにどうして、私だけ仕切りの外に追い出すの?
「貴女さえいなければ、寄せ集めの人類軍など群れ集る虫に同じ……。《渡来人》は不死の戦士と聞くものの、やりようはいくらでもありましょう。我が城への招きに応じていただきましょうか――」
私を、メイアちゃんのようにカース・パレスに連れ去るつもり……!?
まさかプレイヤーにそんなこと――という考えは、すぐに打ち消す。
MAOのバージョン級ボスに常識など通用するものか!
……仕方ない、と私は手首を動かした。
魔法で自爆す―――
「―――それか」
さらにもう一本の光の鎖が生え伸びて、私の手首を縛った。
読まれた……!? なら口頭詠唱――
「無論、させません」
「ぁぐっ……!?」
鎖がじゃらりと私の口を塞ぐ。
う……嘘でしょ?
これじゃあ、魔法が使えない――
「あまり抵抗はしないでいただきたい。あなたはただ、しばらくの間、向こうの世界に戻っているだけでいいのですから」
「ぅぐ……ぐっ……!!」
「やれやれ。紳士的にお招きしたかったのですが――」
《呪王》が掲げた手に、バチバチと弾ける雷球が出現する。
《ギガデンダー》……!
あんなのを喰らったら、しばらく麻痺して動けなくなる……!
「この程度で命尽きるほどヤワではありますまい。……この場合、そちらのほうが厄介でしょうがね」
「こっ……のっ……!!」
「竜巫女の命運が尽き、遍く地上の命脈が果てるそのときまで。――ご退場願おう、可憐なる将よ……!」
《呪王》の手から、雷球が投げ放たれる――
――ここで。
ここで退場?
メイアちゃんを迎えに行かないといけないのに。
こんなところで、私だけ……?
……先輩。
先輩、先輩、先輩、先輩!
……わかってる。先輩は来ない。
私が来るなと指示した。私がそう言ったんだ。
先輩は、その指示に従ってくれる。
先輩は、私を信頼してくれているから。
……だから、これはただの後悔。
先輩の信頼に答えられなかった私の……みっともない、負け犬の遠吠え……。
雷球の輝きに目を眩ませて、呼べもしない呼び名を叫ぶ。
「――――ん―――ぱ――――っ……!!」
「うるせえな。いるっつーの」
光が、光を断つ。
雷球の真っ白い輝きを、燃えるような真紅の輝きが一直線に斬り裂く。
雷が弾けて散った。
キラキラと散った火花の、その一片ですら、私には届かない。
緋剣を携えた背中が、何もかもを阻んでいた。
「よお、クソ誘拐魔――」
空の《呪王》に放たれた声はいつもと違う。
そこに滲むのは、燃え立つような怒気だった。
「――人の娘に続いて、誰を連れていこうとしやがった?」




