第168話 呪転最終戦場ダ・アルマゲドン:第一次結界攻略戦・応手
『――先輩。《ヴォルール》のところへ向かってください』
総司令官チェリーから下された指示に、俺は耳を疑った。
「は? なに言ってんだ!? 《イザカラ》と戦ってるUO姫のところが一番ヤバいんだろ!?」
《呪王》の介入によって劇的に悪化した《天魔大将軍イザカラ》の戦況評価値はもう400を割りそうだ。
対して、チェリーが行けと指示した《炎熱海皇帝ヴォルール》の戦況評価値は2000近い。黙っていても勝てるはずの戦場である。
まさかこいつ、UO姫だから見捨てようとか思ってないよな……?
『大丈夫ですよ、先輩。私は極めて合理的に判断しています。私怨は持ち込んでいません』
「だったら……」
『《イザカラ》の戦況を好転させるのはもう無理です』
少しの揺れもない声で、チェリーは言い切った。
『受けきれない戦いに無理に付き合いすぎてもいいことは一つもありません。ここは攻めの一手。守りに入ってはいけないんです』
「攻めの一手……? すでに勝ってる《ヴォルール》に過剰戦力を投入することがか?」
『《呪王》は《聖ミミ騎士団》を完全に撤退させるまで《イザカラ》から離れることはないでしょう。盛り返される可能性があるからです。ですからその前に倒せる敵から倒します。
……最悪の未来は、手こずっているうちに《呪王》が次々と手を出してきて、結局誰もボスを倒せないというパターンです。ですがいま最速で《ヴォルール》を倒してしまえば、こっちは1体倒し、向こうは1体守りで痛み分け。1日かけて体勢を立て直せることを思えばこちらが有利と言えるでしょう』
理路整然としたチェリーの説明に、俺は押し黙った。
ここまで戦況が悪化した《イザカラ》戦を無理に盛り返そうとするよりも、明日改めて仕切り直したほうが可能性がある。
予定より1体増えて4体同時攻略ということになるが、今現在、同じ数をこなしているのだから不可能だとは言えない。
しかし、これが5体、6体と増えていくことだけは避けなければならない……!
「……わかった。すまんUO姫! 行けなくなった!」
『うええーっ!? ピンチのミミのところにケージ君が颯爽と助けに来てくれる流れじゃなかったのーっ!? ヒロインっぽい声出す練習してたのにぃ~!!』
『意外と余裕あるじゃないですか! 《聖ミミ騎士団》はできるだけ戦闘を長引かせて《呪王》をその場に引きつけてください! もし向こうが痺れを切らして姿を消したら回復して部隊を再編成! 他の戦場の援軍に回ってもらいます! いいですね!?』
『もぉ! わかったよぉ……!!』
『《メイラ王国平和派遣軍》は《エテックス》の戦場に向かってください! 《デス・ルシリス》の《ムラームデウス傭兵団》は無理せず戦線を維持! ……おそらくそこが最後の戦場になります。力を温存しておいてください!』
チェリーの指示には淀みがない。
おそらくこいつの頭の中には、この戦いが決着するまでの流れがすでにできあがっているのだ。
こいつの本当に恐ろしいところは、神業めいた魔法の使い方でもなければ、二次元キャラ顔負けのルックスでもなく、もちろん隙あらば俺を動揺させようとしてくる悪戯っけでもない。
素人離れした指揮能力。
AIめいた頭脳のキレ。
尋常ならざる勝負強さ。
それらはチェリーの一風変わった経歴によって培われたものだ。
こいつは、俺のようにただ漫然とゲームで遊んできただけのゲーマーではない。
人生を懸けてゲームをしていたことのある人間。
勝負の世界で生きていたことのある人間だ。
そんなこいつだから対抗できる。
ただのゲームに生き死にを見たことのあるこいつだから、仮想世界を現実として生きるNPCたちに、本気で対抗することができるのだ。
俺はそれを助けるだけ。
やれとチェリーが言うのなら、歩兵だろうが飛車だろうが何でもやってやるだけだ……!
「――現着! 《ヴォルール》戦に加勢する!」
『お願いします先輩! 《魔剣再演》はまだ使わないように!』
赤々と煮えたぎる溶岩の海に、真っ黒な鯨が悠然と泳いでいる。
ローブと杖を装備したウィザードたちが、溶岩に浮いた飛び石のような足場に固まり、猛然と魔法をばら撒いていた。まるで戦艦の弾幕だ。
「あっ! 来ましたねぇ、ケージさんっ!」
巡空まいるが俺に気付いて手を振った。
相変わらず露出度過多の踊り子衣装。溶岩の熱で肌が焼けそうだ。
馬を飛び降り、指揮パーティと見える一団に駆け寄ると、俺は口早に尋ねる。
「状況は?」
「HPは残り1段半ってところです。下手に動かず、相手の攻撃は防御魔法や弾幕で凌ぐ戦法を取っています。このまま行けば確実に勝てますけど~……」
巡空まいるの口振りは少し重い。
勝てる。勝てはするが、時間はかかってしまうということか。
「わかった。攻撃できる隙を増やせばいいんだな?」
「できますか~?」
「任せろ」
俺は魔剣を抜き放ち、溶岩の海に駆け出した。
《ヴォルール》のデータについては、事前情報とリハーサルで大体頭に入っている。
攻撃パターンは基本的に3通り。
一つ。溶岩の潮吹き。
二つ。溶岩の大波。
三つ。足場の飲み込み。
このうち厄介なのが三つ目だ。
本物の鯨が魚群を一呑みにするように、飛び石のような足場を真下から丸呑みにしてくる。
呑まれた足場はしばらく経てば復活するが、もしプレイヤーが呑み込まれたら一発で即死だ。
《ヴォルール》が近付いてくるのは魚影でわかるから、避けること自体は難しくないものの、せっかく整えた陣形をぐちゃぐちゃにされるのがなんとも鬱陶しい。
《ヴォルール》は基本、溶岩の海に潜っているから、そもそも攻撃できるタイミングが少ない。
その少ないタイミングを、陣形を崩されることでさらに失ってしまうのだ。
結果、いつか倒せることは間違いないが時間はやたらにかかってしまうという、一番面倒臭いやつだった。
「だったら、それを引きつければ……!」
潮吹き攻撃のため、《ヴォルール》が溶岩から背中を出したのを見て、俺は全力で地面を蹴った。
《ヴォルール》の攻略に《赤光の夜明け》が当てられたのは、そのステージと戦い方の性質上、近接攻撃を当てられるタイミングがほとんどないからだ。
ただし、俺にはそれは当てはまらない。
しばしばチェリーにも口を出されるように、俺はレベル100オーバーのプレイヤーの中では例外で、AGIにステータス・ポイントを振りまくったビルドを使っている。
そして、AGIは足の速さばかりじゃなく、跳躍力にも作用するステータスなのだ。
あたかも牛若丸の八艘飛び。
溶岩の海を飛ぶように越えて、《ヴォルール》の背中に着地する。
《ヴォルール》は鼻の穴から溶岩の潮を噴き出すが、当然、ここまで近付いてしまうとその飛沫はほとんど当たらない。
すなわち、ボーナスタイムだ。
「そらっ……!!」
足元の鯨に魔剣を刺して刺して刺しまくる。
格好良さとは無縁すぎる攻撃だが、HPは目に見えて削れ、目に見えないところでもあるパラメータが蓄積する。
憎悪値である。
《ヴォルール》が潜行し始めたところで近場の足場に離脱した。
そして――よし、目論見通り!
巨大な黒い魚影――潜行した《ヴォルール》が、俺のいる方向へ泳いでくる……!
「タイミング!」
を合わせてくれ、まで言おうとしたが、たぶん余計なお世話だった。
《赤光の夜明け》のハイ・ウィザードたちは、すでにそれぞれの杖を俺のいる地点に照準している。
よし……!
「――3――2――1――」
迫る魚影を見据え、慎重にタイミングを測り――
「――今っ!!」
魚影が真下に辿り着いた一瞬後、俺は全力で真上に跳び上がった。
《ヴォルール》が巨大な口で足場を呑み込みながら、イルカショーのようにジャンプして俺に追いすがる。
数少ない《ヴォルール》が全貌を現す瞬間。
それを逃す《赤光の夜明け》ではなかった。
集中砲火。
まさにその四文字が相応しい。
周囲に布陣したハイ・ウィザードたちが、ジャンプした《ヴォルール》に一斉に魔法を浴びせかけたのだ。
その瞬間のHPの減りっぷりといったら、爆笑したくなるほどだった。
さすがは馬鹿火力のハイ・ウィザード集団。これは俺も気合いを入れないと……!
集中砲火が終わり、《ヴォルール》が体勢を崩して溶岩に落下し始める。
その瞬間を、俺は狙った。
「第二ショートカット発動……!!」
ショートカットの中身は、《ヴォルール》に合わせて変えている。
水属性奥義級体技魔法、《乱海流撃》……!!
全身を逆巻く水のストリームへと変じ、《ヴォルール》の巨体に喰らいつく。
錐のようにぐりぐりとその肌をえぐり取り、赤いダメージエフェクトを撒き散らした。
別にハイエナしようってわけじゃない。
これで、一度ウィザードたちに渡ったヘイトは、再び俺に戻ってくる!
反動を利用して別の足場に着地する。
《ヴォルール》が落下したことで溶岩が大きく波打っていた。
それに足元を奪われないようにしながら、俺は溶岩に浮かぶ魚影に向き直る。
さあ、あと何回耐えられるかな、鯨野郎―――!!
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
私は戦況観測士が送ってくる戦場の映像を見て、淡く笑った。
同時、司令室に指示を飛ばす。
「《ヴォルール》はすぐに終わります! 《赤光の夜明け》の移動に備えてください!」
各戦場の戦況評価値は今もニア・リアルタイムで動き続けている。
《エテックス》は、《メイラ王国平和派遣軍》の援軍が到着して上昇傾向。
《デス・ルシリス》は下降傾向だけど致命的な速度じゃない。
《イザカラ》ももちろん下降傾向。ただ、さっきまでと比べるとその速度はずっと遅い。あの女もアレで結構根性があるのだ。
このまま《ヴォルール》と《エテックス》を落とす。
それに合わせて《イザカラ》を完全放棄。全戦力を《デス・ルシリス》に集中させて、支援に来た《呪王》ともども撃破するという流れだ。
もし私の想像通り、《呪王》に戦術的な思考ができるAIが実装されているとしたら、この狙いにも気付いているはず。
何か仕掛けてこないとも限らない。
それを決して見落とさないように、私は目を皿のようにして各地から送られてくる情報を見張っていた。
だから、早めに気付くことができたのだ。
「……あれ……?」
時計を見る。
勘違いじゃない。
各戦場の戦況評価値はリアルタイムではなくニア・リアルタイム。大体1分ごとに更新される形になっている。
それが、もう2分くらい動いていない。
「これは――」
顔をあげたそのとき、わかりやすい異常が現れた。
『えっ? ……うわっ!?』
『あ――』
『やべっ! ――――』
司令部の壁にいくつも映写されていた戦場の映像が、次々と漆黒に塗り潰されていく。
それらの中央には、揃って同じメッセージ。
【撮影者は死亡しました】。
私が何か言う前に、映像はあっという間にひとつだけになる。
その真ん中に、苛立つほど整った青白い顔が現れた。
『なるほど――これが貴殿らの「目」か』
《呪王》。
蝋人形のように感情の窺えない、けれど見ただけで呪われそうな不気味な目が、カメラを通して私を見据えている。
『まずは冷静な応手に称賛を送りましょう、勇者たちの将よ。……しかし、少々無粋ではありますまいか?』
薄い唇が、三日月に似たそれにゆるりと曲がる……。
その笑みは、感情のないAIソフトならば絶対にしないもの。
まるで人間の勝負師がするような――好戦的な挑発。
『将ならば、直接戦場に見えられよ。臆病者の私でも、その程度の礼儀はわきまえていますぞ……?』
ブツリ、と音がして、青白い顔が消え去った。
これで、すべての映像が消え……戦況評価値は、古いもののまま動かなくなる。
この司令部の『目』が、完全に潰されたのだ。
オペレーター係のプレイヤーたちが、ゆっくりと私のほうを振り返る。
その視線が問うていた。
どうするのか、総司令官――と。
「――――司令部を、移動します」
しばらくの沈黙のあと、私は確然と宣言した。
「総員、最低限の準備をしてダ・アルマゲドンへ! ここからはシステム縛りです!!」




