第167話 呪転最終戦場ダ・アルマゲドン:第一次結界攻略戦・変調
風をいなすように姿勢を低く保ち、馬の力動に身を任せる。
ドカッ、ドカッ、と力強く草原を蹴る音に混じって、悲鳴とも鬨ともつかない声が彼方から響いてきた。
耳元から声がする。
『先輩! 東Cルート第二部隊がエンカウント! 《デビル・スケルトン》3体、《レッド・ガーゴイル》2体です!』
「わかった! すぐ行く!」
視界の端に置いたウインドウで、該当部隊の戦況評価ゲージが見る見る下がっている。
残HPや敵モンスターのレベルなどの情報をAIに読み込ませて計算したものだ。『潰走必至』を意味するイエローに色が変わっている!
俺は手綱を引き、馬を転進させた。
襲われているのは回復物資を運ぶ補給部隊。
もしここで壊乱させられたら、前線の回復が滞るだけじゃない。下手すると補給路を占拠されてしまうかもしれない。
もちろん補給路は複数のルートを用意してある。しかしそれでも、今は1分2分のロスが致命的……!
「――見えた……!」
いくつもの荷馬車を牽いたキャラバンのような一団に、何体もの骸骨と有翼悪魔が襲いかかっている。
護衛についた3人ほどのプレイヤーが応戦しているが、16人から成る部隊全員を守って戦うのは相当の負担だ。
俺は片手で手綱を握ったまま、背中から魔剣フレードリクを抜き放った。
「伏せろッ!!」
悲鳴をあげて逃げ惑う補給部隊に叫びながら、モンスターたちに馬を突っ込ませていく。
通り抜けざまに振るった剣が、レッド・ガーゴイルの翼を切断した。
ギィッ、と鳴いて墜落する悪魔を尻目にいったん通り過ぎると、俺は馬を大きくターンさせながら叫ぶ。
「第五ショートカット発動!」
掲げた剣がキラリと光り、オオッという勇ましいサウンドエフェクトがどこからか轟き渡った。挑発スキル《ウォークライ》だ。
普段はタンクなんてやらないから大した熟練度じゃないが、ガーゴイルの翼をぶった切ったのが効いたのか、モンスターどもは一様にこっちに標的を変えてくれた。
「た……助かった!」
「いい! 早く行けっ!!」
護衛のプレイヤーたちに答えながら、俺はモンスターを引き連れて補給部隊から離れる。
充分に距離を取ったところで、馬を飛び降りて一気に殲滅した。
「チェリー! 終わったぞ!」
『そのまま東Bルート第一部隊のところまで行ってください! 神造兵器の生き残りです……!』
「ッチ……! マジかよ……!!」
俺は再び馬に飛び乗る。
神造兵器ってのは呪転最終戦場ダ・アルマゲドンを闊歩している中ボス的なやつだ。
デコイが効かねえから事前に駆除しといたはずだったが、やっぱり何事にも完全はない。
ここまで酷使してきた馬にも若干の疲れが見られる。そろそろ換えに戻ったほうがいいか?
そんなことを考えつつ、俺は戦況共有ツールに視線をやった。
俺は各補給部隊の戦況評価が大きく見えるように調整しているが、その他にも各レイドボス攻略戦の戦況評価が表示されている。
基本が1000で、優勢になれば数字が増え、劣勢になれば数字が減る仕組みだ。
現時点の戦況評価値はそれぞれ次の通り。
VS《天魔大将軍イザカラ》:2198
VS《炎熱海皇帝ヴォルール》:1645
VS《冥界葬列公デス・ルシリス》:886
VS《猿人枢機卿エテックス》:1362
今こうしている間にも刻一刻と変わっているが、UO姫の《聖ミミ騎士団》が戦っている《イザカラ》が一番優勢のようだ。
逆に一番劣勢なのが《デス・ルシリス》。
仮に《イザカラ》の攻略が終わったとしても、《デス・ルシリス》の居場所は反対側なので、UO姫たちは加勢に行けない。
補給部隊の援護がひと段落したら、俺か《メイラ王国平和派遣軍》のどちらかが駆り出されるかもな……。
そうこうしているうちに、神造兵器の偉容が草原の先に見えてきた。
絶えず蠢く無数の蔓にかたどられた巨大な象だ。
しめた……! あのタイプはわかりやすい弱点がある!
俺はツルの象の手前に小山があるのを見つける。そちらに馬を走らせた。
てっぺんまで一息に駆け上れば、見上げんばかりだった巨象が今や見下ろせる位置にある。
背中を編むツルの合間から、毒々しく赤い花びらが垣間見えた。
あそこだ!
「うおっらあっ!!」
俺は馬を飛び降りると、そのまま助走をつけて小山の頂上から飛び出した。
目指すはツルの象の背中。その向こうにあるラフレシアみたいな花だ。
壁のように立ちはだかるツルを斬り裂き、巨象の腹の中に飛び込む。
それ自体が一つのモンスターのように大きな口を開ける赤い花。これがこの巨象の心臓なのだ。
身体を構成するツルのすべてが、この花の根元から生まれている。だから――
「第二ショートカット発動!」
《龍炎業破》を発動し、炎の龍となって赤い花に突っ込んだ。
するとたちまち、ツルを伝って巨象全体が炎上する。
さすがに一発で倒れてくれるほど簡単じゃねえが、同じことを何度か繰り返せばいいだけのことだ!
炎上したツルの象は、鼻から猛然と息を噴いて俺を体外に排出しようとしたが、そうは問屋が卸さない。
タイミングを合わせて《風鳴撃》を使い、荒れ狂う風を耐えきる。システムアシストに身を任せている間は外力の多くを無効化できるのだ。
そして続けざまに《焔昇斬》で赤い花を追撃。
こちとらもう何体も同じ奴の相手をしてるんだ。
RTA同然の手順にだって、多少は慣れようっていうもんだ。
2分とかからずに3段ものHPゲージを削りきる。
崩れ落ちる巨象から脱出して草原に着地すると、補給部隊の連中が足を止めてこちらを見ていた。
「3段ゲージを一人で削りやがった……」
「やっべえ。笑うわ」
「っし! 動画撮れた……!」
「うおおい! 見物してる場合か! さっさと行けよ!」
思わず叫ぶと、連中は慌てて荷駄を進ませる。ったく……。
『先輩!』
苦笑していると、チェリーからの通信が入った。
人使いが荒いな……! 今度はなんだ!?
俺が問い返すのも待たず、チェリーは切羽詰まった声で言った。
『《イザカラ》の戦場がかなりヤバいです! すぐに向かってくださいっ!!』
「は? 《イザカラ》?」
ヤバいって、ついさっきは2200近くの戦況評価だったじゃねえか。一体どれだけ下がって――
戦況評価ツールに目を向けた俺は、その瞬間、凍りついた。
ツールにはこう表示されていたのだ。
VS《天魔大将軍イザカラ》:447
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
〈あああああああああああああ〉
〈うせやろ?〉
〈おわった……〉
補給部隊から借りた新しい馬を全速で走らせながら《イザカラ》戦を中継した配信を開くと、チャット欄が阿鼻叫喚になっていた。
画面の中では、大太刀を持った巨人の侍が、擬人化された嵐みたいに猛り狂っている。
『第2、第4パーティは退いて回復!! 第1、第3! ごめんだけどすぐに戻って!!』
UO姫のアニメ声が普段の余裕をかなぐり捨てて指示を飛ばしていた。
いつもは部下に丸投げのUO姫が、自ら指示を出している。
それだけで戦況の悪化ぶりが窺い知れた。
『くぅ……! ダメ、今の戦力じゃタンクを支えきれない……!!』
一体、何が起こった?
さっきまでは戦況評価値2200の大優勢だったはずだ。なのにどうして、こんな一瞬で劣勢になる……!?
「チェリー! どうなってんだ、これ!!」
『詳しいことはこっちでもまだ掴めません……!! ですが、ツールは《イザカラ》のステータスが大幅にバフされたと言ってます!!』
「ボスのステータスがバフ……!?」
第二形態になったのか? それも段階が進んだのか。いや……!
『こんな現象は事前の威力偵察では起こりませんでした。まるで私たちが勝負をかけてきたのをボスが理解しているかのような――』
「馬鹿言うなよ! 人間を相手にしてるんじゃねえんだぞ!!」
『ですが、そうとしか――えっ?』
チェリーの息遣いが不意に停止した。
『これは……! ああ、そうか。そういうことか!』
「どうした!?」
『全軍に映像を共有します!! 余裕のある人は見てくださいっ!!』
通話ウインドウの上に、ストリーミング配信のウインドウが重なった。
画面の片隅にロゴマークがある。おそらくはどこかのゲームニュースサイトの公式配信だ。
『見える!? あ、見えますか!?』
男の声が叫ぶ。
画面は《イザカラ》を大写しにしていた。カメラの焦点が肩当ての辺りに結ばれていく。
『肩! 肩の上です! いますよね、何か!?』
肩当ての上に、影が佇んでいた。
背筋を、ぞっと冷たいものが駆ける。
その影を、俺は知っている。
その姿を、俺は知っている。
一度だけ、対峙した。
一度だけ、剣を向けた。
そして――一瞬で、一蹴された。
いつか見たような、黒い影の塊じゃない。
漆黒の翼があった。
堕天使めいたそれとも違う。半透明の黒い光でできた、妖精のような翅だ。
身に纏っているのは、教会の司祭が着るような、複雑な文様が編み込まれた黒いローブだった。
それと対照的に青白い細面は、ともすれば女性にも見える美貌。
ただし、その表情に女性のような柔らかさはなく、蝋人形のように冷然とした目で、壊乱する《聖ミミ騎士団》を見下ろしていた。
その手は、《イザカラ》の首筋に添えられている。
手が触れた地点を中心に、黒死病めいた黒ずみが肌に広がっていた。
「……《呪王》……!!」
俺は呼ぶ。
決して忘れるはずのない敵の名を。
配信の向こうにいる俺の声が、まさか聞こえたはずもない。
しかし、その直後に、《呪王》の目がカメラのほうを向いた。
『あっ……!?』
撮影者が怯えた声を漏らし、同時、《呪王》がこちらに手を差し向ける。
闇が、瞬いた。
電源が落ちたかのように、配信画面が真っ黒に染まる。
何が起きたのかはわからなかった。
ただ、黒い画面の真ん中に表示された、【撮影者は死亡しました】というメッセージがすべてだった。
『…………これは、根拠のない憶測ですが』
沈黙する俺に、チェリーの声が響く。
『おそらく、《呪王》には高度なAIが実装されているんだと思います。そして私たちと同じように、一定のルールに従って行動を選んでいる』
「……ただのモンスターを相手にしてるつもりになるのは、よしたほうが良さそうだな」
《呪王》は《イザカラ》の戦況が悪いと見て、自分自身という遊撃戦力の投入を決めたのだろう。
そして、それができるということを、勝負所である今この時点まで、俺たちに隠していた。
単純なアルゴリズムで動くただのモンスターには絶対にできないことだ。
『上等ですよ』
チェリーは熱を込めた声で告げた。
『チェス、将棋、囲碁。21世紀のAIの進歩は、常にゲームと共にありました。
……Nano.は試しているのかもしれません。AIはVRMMORPGさえも攻略できるのかどうか。
人類は、攻略する側か、それとも攻略される側か?』
RPGというジャンルのすべては、プレイヤーに攻略されるためにある。
ダンジョンも、モンスターも、ボスも。いかに冷徹な難易度であろうと、いつかは人に攻略される。そういう風にできている。
だが、《呪王》はどうか。
チェリーの想像通り、高度なAIが実装され、独自のルールに基づいて戦術を組んでいるのだとしたら――
それは決して、俺たちに攻略されるためだけのものではない。
『やりますよ、先輩――どうやら、私の本領を発揮すべき時みたいです』




