第159話 呪転最終戦場ダ・アルマゲドン:行軍路と兵站の確保に関する意見交換
黒ずんだ草原を、俺は全速で駆け抜けていく。
あちこちに徘徊するモンスターどもを無視して、ゴールに設定した丘に辿り着くと、回していたタイマーをぴたっと止めた。
『どうですか、先輩?』
通話越しにチェリーが言う。
「一番時間がかかったところで12分22秒だな」
俺は答えながら、丘の向こうに広がる盆地を見下ろした。
その中央には、《戦略十二剣将》の一人《天魔大将軍イザカラ》が大太刀を手に佇んでいる。
「雑魚の索敵範囲もかなり広い。《魔物払い》は案の定効かねえから、不用意に突っ込むと大量にトレインする羽目になるぞ。下手すりゃ袋叩きだ」
『できればトロッコを敷設したかったんですが……』
「諦めたほうがいい。もう何人か試してるみたいだが、ダ・アルマゲドン内にプレイヤーが何か置くとモンスターのヘイトがマックスになる。すげえ勢いでぶっ壊しに来るぞ」
『ですよね……』
《呪王》がいる《カース・パレス》に突入するため、まずは7体のレイドボスを打倒する。
ダ・アルマゲドンの具体的なクリア条件が明るみになったところで、チェリーは具体的な作戦の立案に着手していた。
その一助とするために、俺は単身ダ・アルマゲドンに降りて、各レイドボスまでの移動時間を測っているところだった。
『うーん。でも、移動だけに10分というのはやはり厄介です。戦力を円滑に運用するためには、安全かつ迅速な行軍路の構築が必須なんですけど……』
「一応、俺に腹案があるぞ」
『なんですか?』
「プレイヤーがなんか置くとモンスターに壊されるって言っただろ? つまりな、その間はプレイヤーは狙われないんだよ」
『あっ! デコイ!』
「そうだ。デコイで道を開ければ馬で駆け抜けることもできる。いま俺が試したのよりずっと速く移動できるはずだ」
『デコイの設置場所はモンスターの手が届きにくい場所がいいですね』
「だな。うまくいけばずっと引きつけておける」
『クメガワさんに頼んでみます。そういう調べ物は《ウィキ・エディターズ》の十八番ですから』
まったく心強いぜ。攻略クランを顎で使える立場ってのは。
「戦力の集まりはどうだ?」
『続々と集まってますよ。空中都市への近道ができたのが効いてます。現時点でレベル100オーバーが約100人、90オーバーが150人です。具体的な攻略スケジュールについて、近いうちにセツナさんのチャンネルを借りて説明配信をしますから、それでさらに増えると思います。中堅~初級者、生産職の方なんかも集まって、この空中都市にMAO中の物資が集中するでしょうね』
「説明配信ね……」
説明なんて聞かずにお前の容姿の話題ばっかになるんじゃねえの?
――と思ったが、口には出さなかった。
「あとは指揮系統の整理だな」
『ええ。ローテーションや予備戦力のことを考えると、たぶん総計で五個大隊くらいは必要ですね』
「それってレイド・パーティが四つで一個大隊だろ? 1000人くらいか……大軍団だな」
『しかも前線部隊だけでこの数ですよ。ここに補給部隊とか、前線基地を維持するための人員なんかが加わると旅団規模です。これを指揮するって、就活の面接でアピールできるくらいの大変さだと思うんですけど!』
「はいはい。えらいえらい」
『ダメです。もっと女性向けスマホゲームのCMみたいに』
「よくやった……俺様が褒めてやろう」
『ぶふっ! な、なんで俺様キャラやったんですか……!』
「うるせえな! お前がやらせたんだろ!」
はーあ、と息をついて、チェリーは話を戻した。
『まあ人数は足りると思うんですけど、問題は指揮官なんです。大隊長と中隊長が出揃うかが微妙で……』
「俺は?」
『先輩に指揮なんて期待してませんよ。私直属の遊撃兵です。カッコいいでしょう?』
「要するにお前のパシリってことだろうが」
『ふふふ。そうとも言います。気分がいいです』
「いい性格してやがるな――っと」
気配を感じて、俺は振り向いた。
黒ずんだ広大な草原。その只中を――
「……さっき言ったデコイ作戦だけどな。実は障害がひとつだけある」
『はい? 障害ですか?』
「聞こえるか? この足音」
チェリーは少し沈黙する。
『……ズン、ズンって、なんだか巨人でも歩いてるような音がしますね。先輩太りました?』
「だったらよかったな。戦略十二剣将とは別に、その辺を3段HPゲージのボスがほっつき歩いてやがるんだよ」
黒ずんだ草原を横切っていくのは、無数の木の根で編まれた巨大な獅子だった。
サイズは――そうだな、京都駅の駅ビルと同じくらい? 片手で京都タワーをへし折れそうだ。
見てくれの印象から思うに、おそらくはフェンコール――かつて戦ったあの巨大狼のお仲間だろう。神造兵器ってやつだ。
「あんなのが当たり前みたいに歩き回ってるんだから、最終戦場の名は伊達じゃない。しかも連中は、俺たちが何か置いても反応しない。デコイが効かないんだ」
『えっ? じゃあどうするんですか、それ?』
「まだ裏取りはしてないんだけどな……奴ら、どうも経験値がかなり旨いらしい」
『……ははあ。なるほど?』
「どうやら他の雑魚は無限湧きみたいだが、ああいう美味しいモンスターはたいてい数に限りがある。狩り尽くすのはそんなに難しくないと思うぜ」
『作戦開始は明日ですよ。間に合いますか?』
「MMOプレイヤーの経験値への欲望をナメんなよ。10時間もありゃ余裕だろ」
『……了解です。経験値の美味しさをSNSで拡散します。スクショ付ければ余裕でバズるでしょう』
「任せた。それまでに何体か美味しくいただいとくわ」
『あっ、ずるい! ……と言いたいところですけど、今のうちにできるだけ強くなっておいてください、先輩。先輩は人類軍の最終兵器ですからね』
「光栄だな。ちなみに《魔剣再演》のクールタイムはあと21時間だ」
『総司令部にタイマーを用意してるので大丈夫ですよ』
「使うタイミングはお前に任せる……で、いいんだよな?」
『先輩に任せるとその場のノリで使っちゃうじゃないですか』
「悪かったな。……任せる」
『任せられます』
「んじゃ、近くにいる奴狩ってくるわ」
『一人で大丈夫ですか?』
「一人で充分だよ」
俺は天を衝くような木の根の巨獣に歩いていきながら、背中から魔剣フレードリクを抜き放った。
「あのくらい倒せなきゃ、メイアに見損なわれるだろ?」
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
かつてエルフが繁栄させた空中都市は、前線基地として着々と整備されつつあった。
「おっやかたぁーっ! ここに溶岩流しましょうよ、溶岩!」
「お前はクッパか。ハンマーブロスを連れてこられたら考えてやる」
あちこちから響く建築職プレイヤーの声を聞きながら、私はでこぼこの石畳を歩く。
やがて辿り着いたのは、緑のコケに覆われた屋敷だった。
壁や天井は最低限繕われているけど、見た目の風情はまるで幽霊屋敷――あの女のことだから、どうせ趣味であえてこうしているのだろう。
私は屋敷の中に入り、ボロボロの赤絨毯を歩く。
ホラーな雰囲気だけど、あの女の演出だと思うと何も怖くない。
……先輩がいないから、怖がっても何にも得しないし。
するすると2階の廊下を進み、奥まった場所にある部屋のドアをノックした。
ドアが勝手に開く。
開けたのは、白銀の鎧の騎士だった。
けど、なぜか頭がパンプキン。
ハロウィンには半年以上早いんだけど?
「……ふふふ……ようこそ、我が屋敷へ……」
と、わざとらしいほど陰を含んだ声が、部屋の奥から聞こえた。
天蓋付きベッドの上で、ゴスロリを着た女がウサギのぬいぐるみを抱いて座っている。
私は呆れた。
「よくこの状況でごっこ遊びをしてられますね、媚び媚び姫」
「……ぶー。チェリーちゃんが怖がってくれな~い」
媚び媚び姫――UO姫ことミミは、ウサギのぬいぐるみで口元を隠し、ぷくーっと頬を膨らませた。あざとさの塊か。腹立つ。
「せっかくよさげな廃墟を見つけたから、オカルトモードにイメチェンしたのにぃ。ケージくんはぁ~?」
「ダ・アルマゲドンに降りてレベリング中です。あなたなんかより経験値ですよ、あの人は」
「あ。だからチェリーちゃんもほっとかれてるんだ?」
「私にも仕事があるんです! そのためにここに来たんでしょう! アポもちゃんと取りましたよね!?」
「わぁかってるってばぁ。キーキー怒ってたら老けるよ~? ……あ、庶民、ちょっと二人っきりにしてくれる~?」
部屋の中にいたパンプキン騎士たちが、ガシャッ! と敬礼してぞろぞろと退室していった。
「それで、何の用かなぁ?」
媚び媚び姫はベッドの上できゅっとぬいぐるみを抱き締め、気色悪く身体をくねくねさせる。
「ちょっとミミぃ、今夜は約束があってぇ、チェリーちゃんに構ってる余裕ないんだけどぉ~」
「わざわざ私の前で話に出すってことは先輩絡みですね!?」
「わ~お、名推理☆」
「どうせあなたが強引に取り付けた約束でしょうから深くは訊きませんけど……」
「あのね、ケージ君とえっちな通話するの!」
「訊かないって言ってるでしょうが!」
え……えっちな通話って何……? 通話で何ができるの……?
媚び媚び姫はきょとんと小首を傾げる。
「チェリーちゃんはケージくんの声で耳が孕んだことないの?」
「ありませんよ! どういう現象ですかそれ! ……はあ。とにかく、その件については対策を打っておきます。覚悟してください」
「なになに? 先にちょっとエッチな自撮り写真を送りつけるとか?」
「ちっ……違いますし」
「うわぁ、ほんと淫乱ピンク」
「あなただけには言われたくありませんよ! それより本題です、本題!」
強引にでも話を進めるため、私は天蓋付きベッドにぼふっと腰を下ろした。
「……戦力は順調に集まりつつあります。人数はおそらく事前の想定を超えて旅団規模になるでしょう。ですが、指揮官のほうが足りません」
「はっは~ん?」
媚び媚び姫は体育座りをして、白い太股と黒いガーターベルトをチラ見せした。私にサービスしてどうするのか。
「現時点で空中都市に集まってる攻略クランはミミたちを含めて三つ。作戦開始までに二つは増えるとして五つ。取り回しの利く《ムラームデウス傭兵団》辺りを呼び寄せて六つ。
でも中隊や大隊――レイド以上の部隊指揮を受け持ったことのあるプレイヤーは、各クランに二人か三人ってとこかぁ。確かに足りないね~」
「今回は明日の夜に4体、明後日の夜に3体のレイドボスを突破する予定のスピード勝負です。そのためには指揮系統を細かく分けることが必須。いちいち総指揮官の私が指示していたら戦力の動きが鈍重になりますから」
「前線指揮官の数も相応に、かぁ。まあリアルの予定で急遽来られない人もいるかもしれないし、補欠も含めたら部隊数の3倍くらいは必要だよねぇ」
「問題なのは、特に後方の部隊です」
私はひび割れた壁を見ながら言う。
「直接戦闘には向かない低レベルの方や生産職の方々は、この空中都市を前線基地として機能させるための補給部隊として活躍してもらう形になります。ですが、彼らの中に大人数をまとめあげたことのある人はいません」
「能力よりも実績だよね。そういう人たちは、きっとこういう超大規模攻略は初めてだろうから、経験者の指示を聞きたいんじゃないかな~?」
「そこであなたの《騎士団》です」
媚び媚び姫に少し近寄ると、ギシッとベッドが鳴った。
「あなたのクランは例外的に前線指揮官の層が厚い。何せトップがまったく働きませんから」
「いや~、照れちゃうな~」
「ディスってるんですよ! ……あなたの騎士を、何人か後方に回せってことです。5段HPゲージのレイドボスを同時に4体。前線基地がまともに機能してくれなければ、ボスのHPが尽きる前にこちらが干上がってしまいます」
「まあそうだろね。人類圏外だから、ポーション類は人力で運び込まないといけないし――」
「……いえ、ポーションの補給は素材からの精製で賄う予定です」
「暴騰してるから? 戦争しますって大々的に喧伝しちゃったもんね?」
なぜかにやにや笑いながら言う媚び媚び姫に、私は苦渋を声に滲ませて答える。
「……回復アイテムは軒並み、この3時間で400パーセントの値段になりました」
「あははは! カネの亡者どもめ☆」
「笑い事じゃないですよ! 転売屋どもめ……ゲームの中でまで……!」
「まあそのうち運営がなんとかすると思うけど。ポーションの暴騰はゲーム性に関わるからね~。例えばポーション素材が出やすくなるとか?」
「まさにその通りですよ。ポーション素材が各地で採りやすくなってるという報告がいくつも来てます。特にこの辺りは、モンスターが強すぎて転売屋も手を出せません。価格が安定するまでポーションの補給は素材からの精製に頼る形になります」
「それじゃますますマンパワーと指揮官が必要だ~」
「採集人員に加えてその護衛も必要です。あなたは国の運営もクランメンバーに丸投げでしょう。そういうのを取りまとめるのに慣れた人も多いんじゃないですか?」
「ん~。どうしよっかな~」
頬に指を当てて考える素振りをする媚び媚び姫に、私はイライラと焦れる。
「さっさと答えてくれますか!? メイアちゃんが死んでもいいんですか!?」
「いいわけないじゃん」
と――いつになく真剣な声音で、媚び媚び姫は言った。
「だからこそ考えてるの――ポーションは後方配置の低レベルプレイヤーに素材を集めさせて賄う。それで本当にいいのかどうか?」
「……どういうことですか?」
「練度の低い初心者に本当に任せられるのか。そこをPKが狙ってくる可能性は? それに貴重なハイレベルプレイヤーを後方に置いて、前線の戦力が足りなくならないって保証もない。リスクはいくらでもあるよ」
「承知の上です。それでも……!」
「いーやわかってないね! 気付いてないかもだけど、結構頭に血が上ってるよ、チェリーちゃん」
媚び媚び姫がすっと手を伸ばして、こつんと私の額を小突いた。
……頭に血が上ってる? 私が?
「これだから天才は。無意識に自分と同じレベルを他人に強制してる。後方配置の初心者プレイヤーにはね、できるだけ単純なことをやらせるべきなんだよ。例えば、ポーションを持てるだけ持って基地に運び込む、みたいなね? じゃないと予期しないヒューマンエラーが頻発して、いざというときに機能不全を起こすことになる」
「……でも、今のポーションの暴騰ぶりでは……」
「そこがソロの限界ってやつ♪」
媚び媚び姫が楽しげに言った直後、部屋のドアがノックされ、「失礼します!」とパンプキン騎士が入ってきた。
「ご報告申し上げます、ミミ様! 各種ポーション類の価格高騰が鈍り始めております!」
「おっけー☆ んじゃ、そろそろ転売屋にモーションかけちゃって♪ ポーションはすぐに暴落するから買い取りましょうかってね~!」
「承知致しました!」
騎士はすぐに退室する。
私は唖然として、にやにや笑う媚び媚び姫の顔を見直した。
「ふっふふ♪ ミミは国庫に貯めてたポーションをここぞとばかりに売り捌いただけだよ?」
「こ、この状況を予期していたんですか……!?」
「国持ちならトーゼン。バージョン3もついに真ん中。デカい攻略戦が近々起こるってみんな思ってたしぃ♪」
プレイヤー国家《プリンセス・ランド》の領主は、ぬいぐるみの両手をバンザイさせながら笑う。
「ミミたちを含めて9つの国がこの事態に備えてたんだよ? ポーションの高騰が極まって、運営が素材の出現率を緩和したところで貯め込んだポーションを一斉に市場に放出。すると、上がりきった価格は水をぶっかけたみたいに暴落する。仮にそれが一時的なものだったとしても、大損こいたテンバイヤーの判断力はガバガバだよ。手元にできた膨大な現金をちらつかせれば、連中が買い占めたポーションは簡単に回収できる。あとは安くなったポーションを買い戻すだけ。たった3日の大規模攻略戦の分くらいは余裕で確保できるってわけ♪」
「そ……そんなことを、以前から?」
「ミミたちはね、このゲームが大好きなんだよ?」
淡く笑いながら、MAO最大級のクランの主は言った。
「このゲームが生んだメイアちゃんも好き。だからね、守るためなら全力を尽くすの。……まあ、明日の作戦開始までに間に合うかどうかはギャンブルだから、採集部隊は一応用意しておいてね? 言う通り、ウチの庶民は貸してあげるからさ」
「……わかりました。ありがとうございます」
「お礼なんていらないよ」
媚び媚び姫はずりずりと四つん這いで迫ってくると、むにっと私の頬を摘まんだ。
「ふにゃ、にゃにするんですかあ!」
「報酬は、これでじゅーぶん♪ ……ふひひ、チェリーちゃんに勝った!」
何の勝負だかわからないけど、なんだかご満悦だったので黙っておいた。




