第157話 最後の務め
「……これが、わたしに語れることのすべて」
万にも上る聞き手の前で、メイアは身を委ねるように瞼を閉じた。
「この話を聞いてどうするかは、皆さんが自分で決めることです。わたしからは何も強いません。
……それでも、もし。封印された《呪王》との戦いに参加してくれるつもりがあるのなら、どうかその手を掲げてください。
条件はありません。資格は不要です。レベルが低くても、戦闘職じゃなくても、ただ意思だけがあるのなら。
みんな――歴史に名を刻むつもりはある?」
もちろん、この場に集まった人間に、首を横に振る人間などいるはずもなかった。
剣を、槍を、杖を、拳を――そして己が名を。
プレイヤーたちは、一様に力強く夜空に掲げ――
「―――宴もたけなわではございましょうが、ひとときのご無礼をお許し願いたい」
不意に割り込んできた声に、誰しもが全身を硬直させた。
今の……誰だ?
俺は辺りに視線を巡らせる。
だが、見つかるのは同じように声の主を探すプレイヤーたちだけだ。
ただ一人。
祭壇の中心に立つメイアだけが、怪訝以外の表情を浮かべていた。
愕然としたような、驚愕に打たれたような、恐怖に身が凍ったような――
「その声……知ってる。わたし、知ってる! あなたは――」
「恐悦至極にございますな、最後の竜巫女――麗しきエルフの末裔よ。およそ100年、言葉を交わした甲斐があったというものだ」
じわり、と。
メイアの足元に、真っ黒な影が広がった。
なんだ、あれは……!?
まるで地面に穴でも開いたかのような……!
「メイア! こっちに来いっ!!」
「パパっ……!!」
逃げようとしたメイアは、しかし一歩たりとて動けなかった。
足が……絡め取られている。
地面に広がった影から伸びた、黒い手のようなものが、メイアの足を強く掴んでいた。
「逃がすわけにはいきますまいよ。このときを、500年も待ちわびたのだから」
メイアの背後に、影が伸び上がった。
闇が実体化したようなそれは一人の男の形を取り、恭しく腰を折る。
「お初にお目にかかる、異界の勇者たちよ。名乗るべき名は持ちませんが、さりとて、あそこまで懇切丁寧にご紹介に与った以上、姿を見せぬわけにもいきますまい――僭越ながら参上した次第でございます」
「ご紹介、だと……?」
自己紹介とも言えない自己紹介を慇懃に語るシルエットの男に、俺はざわついたものを感じた。
オープンベータ、バージョン1、バージョン2――都合三度に渡り、俺は似た感覚を抱いたことがある。
すなわち、バージョン・ラストボス。
最大最強の敵に出くわしたとき本能が叫ぶ、無意識の警笛……!
「……《呪王》……!」
チェリーが挑むようにその名を呼んだ。
「あなたが《呪王》ですね……!?」
「正確にはその影法師と呼ぶべきでありましょう。我が本体は、未だ忌まわしき《竜母ナイン》の下敷きとなっているのですから」
こいつが《呪王》――
封印された《魔神》の残党にして、すべてのドラゴンを支配下に置き、エルフ族を滅亡に追い込んだ諸悪の根源!
俺たちは今まで、MAOで何人もの魔族を相手取ってきた。
その中には魔王と呼ばれる強大な存在もいたが、《呪王》の雰囲気はそのどれとも違っていた。
ともすれば普通の人間にも見えてしまうような、柔らかい物腰。
だが、ゆえにこそ、底が見えない――
「今宵は記念すべき夜だ」
「うあっ……!?」
メイアの足元に広がった影から、黒い手が何本も長く伸びて、彼女の全身に絡みついた。
「500年の長きに渡り、竜母めの寝藁に甘んじてきた。それもようやく終わるのです――最後の竜巫女が、我が呪いに堕ちることによって」
メイアに絡みついた黒い手は、徐々に皮膜状に展開し、彼女を繭のように覆っていく。
「――させるかよッ!」
俺は躊躇いなく地を蹴った。
祭壇の上に飛び乗り、魔剣フレードリクを抜き放つ。
イベントムービーを大人しく見てるほど優等生じゃない!
「……ぱ、ぱ……! ダメ……!」
《風鳴撃》を発動する。
包まれゆくメイアの背後に立つ《呪王》に、風と共に突進する。
「――フ」
黒い影が、かすかに笑った気がした。
闇にかたどられた右手が持ち上がる。それは銃のような形になると、俺の顔を指差した。
「《止まられよ》」
直後のことだった。
《風鳴撃》がキャンセルされた。
魔剣を覆っていた風が消え散り、身体を押していた力が嘘のように消え去る。
「……なんっ……!?」
「《撃ち抜かれよ》」
何かが起こったわけじゃなかった。
突きつけられた指先から光線が出たわけでも、爆発が起こったわけでもなかった。
なのに、衝撃だけが全身を揺さぶる。
身体の芯が揺らがされ、気付いたときには地面を転がっていた。
「先輩っ!?」
何が……起こった?
反射的に確認したHPは、4分の3ほども削られていた。
攻撃を喰らったのか?
いつ? どんな風に!?
「――逃ぃがすなぁーっ!! MAOに負けイベントはなぁーいっ!!」
UO姫が号令をかけるのが聞こえた。
おおっ!! と勇ましい応えが返り、大量の人間の駆け足が地面を揺らした。
俺が身体を持ち上げたときには、すでに祭壇上に、何十人ものプレイヤーが殺到していた。
「悲しいことだ、異界の勇者たちよ」
言葉の割に抑揚のない、虚ろな声が響く。
「魔神軍・戦略十二剣将を務めた私を、時を経て劣化した魔族たちと同列に考えましたか。悲しい――悲しいまでの無知だ」
音のない音が響いた。
衝撃でも超音波でもない。魂に直接響き渡るかのような、それは理屈を飛び越えた攻撃だった。
プレイヤーたちが宙を舞う。
何千時間もの時を費やし、鍛えに鍛え抜かれた廃人プレイヤーのアバターが、いともあっさりと地面を転がされる。
「――あなたたちでは、私の影法師にすら及ばない」
最初に現れた場所から一歩も動かないまま、《呪王》の影が告げた。
「神域との隔絶を知るべきだ、勇者たちよ――貴殿らは万能ではない」
俺は歯を食いしばって立ち上がった。
万能じゃない?
知ってんだよ、そんなこと……!
このゲームは、たまにムカつくくらいユーザーに不親切で、不都合で、理不尽で――
――だから、超面白いんだよ!
「チェリー」
「……はい」
短く呼びかけるだけで、チェリーは意を決した表情で聖杖エンマを握り締めた。
黒い繭に覆われかけたメイアが、わずかな隙間から俺たちを見ている。
あいつは成長して、もしかすると俺たちよりも大人になっちまったかもしれない。
それでも、あいつは俺たちを親と呼んだ。
だったら、図体がどれだけデカくなろうが、あいつは俺たちの娘だろ。
娘だったら、親だったら、何があったって見捨てらんねえだろ!
「第一ショートカット発動!」
――《魔剣再演》!
魔剣フレードリクの刀身が真紅に変わる。
炎のように揺らめくオーラが俺の全身を包む。
《呪王》の影法師が、少しだけ身じろぎしたように見えた。
その一瞬。
わずかな隙に、俺は動く。
三倍にも増大したAGIを制御するのは、ジェットコースターを手動で運転するような荒技だ。
ともすれば知覚が置き去りにされる。身体の速さに自分自身がついていけない。
だが、今は――より速く。
意識を無理くり速度に追いつかせ、刹那の間に《呪王》の懐に潜り込んだ。
「むっ……!?」
コンマ数秒寸前に、《呪王》の視線が俺に追いついた。
なんて反応速度――人間じゃありえない!
だが。
「――《ファラゾーガ》!」
俺の身体を横から回り込む軌道で、巨大な火球が大気を焼いた。
射撃の最中にマニュアル照準からオート照準に切り替えることで可能となるカーブ射撃。
これは意識の外だろう?
出たとこ勝負でこんな曲芸ができるのはチェリーくらいだ……!
「おおっ―――!?」
紅蓮の炎に《呪王》が飲み込まれた。
輪郭を揺らがせる影法師の眼前で、俺は魔剣を振り上げる。
出し惜しみはしない。
遠慮も躊躇いもない。
登場即退場だ、ラスボス野郎―――!!
「――《第一魔剣・緋剣》!!」
時が凍った。
知覚速度が無限大に至り、以後5秒間、俺が世界を占有する。
叩き込むべき攻撃は、すでに決まり切っていた。
《紅槍》《朱砲》《赫翼》《赤槌》――すべての魔剣を叩き込む、万能剣術フレードリク流奥義。
―――《緋剣乱舞》―――!!
時が動き出した瞬間、4種類の極大攻撃が同時に《呪王》を襲った。
《紅槍》が胸を貫き、《朱砲》が風穴を開け、《赫翼》が蜂の巣にして、《赤槌》が吹き飛ばした。
影法師が真紅の光に消える。
衝撃と轟音が、遙かに遅れて世界に響き渡る。
手応えあり……!
一瞬だが、HPがガリッと減ったのも見えた!
《緋剣乱舞》の余波で、黒い繭が散り散りに引き裂かれる。
中からメイアが放り出されて、地面を転がった。
「メイア!」
俺は吹き飛ばした《呪王》のほうを警戒しながら、彼女の身体を助け起こす。
……大丈夫だ、HPは無傷だ。
気を失っているようだが……。
「――フ、フフ。見事なものだ……」
《呪王》が吹き飛ばされていったほうから、ざわつく声がした。
見やれば、影が佇んでいる。
ゆらゆらと陽炎のように揺らめいて、影法師が俺たちを見ている。
「チッ……さすがに倒せねえか……!」
「いえいえ……あなたは倒した。倒してみせましたよ、この《呪王》の影法師を。こうなっては、未だ自由ならざるこの身、撤退する他ありません――本来ならば」
《呪王》の影法師が、不意に溶けた。
氷が炎に焼かれたかのように、突如として形を崩した。
なっ……!?
「――私は臆病者だ」
その声は、すぐ傍から聞こえた。
「他の十二剣将のように勇壮に戦うこともなければ、武人らしいプライドの持ち合わせもない。常に逃げ隠れ、罠を巡らし、敵の背中ばかりを狙って生き抜いてきた」
抱き起こしたメイアに視線を落とす。
その細く白い首に、真っ黒な痣のようなものが浮き上がっていた。
「――呪いは、すでに着け終わってございますよ、勇者殿」
「……ッてめえ……!」
メイアの身体が影に変わった。
それは俺の手も腕もすり抜けて地面に染み込み、祭壇の中心にぽっかりと開いた影の穴に回収されてゆく。
「メイアをどうする気だッ!!」
「さて、どうしたものか……。せっかくの麗しい女性だ、祝言でも挙げましょうか?」
「なっ……!?」
祝言って……結婚するってことかよ!?
「認められるもんですかっ!!」
ブンッと聖杖エンマを影の穴に向け、チェリーが叫んだ。
「あなたみたいな、100年も人を騙くらかしていた根暗! メイアちゃんには相応しくありませんっ!!」
「フフフフフ! これは手厳しい!」
影の穴から、黒い粒子のようなものが立ち上り始める。
それは、ワープポータルの類に特有のエフェクトだった。
「ならば、力尽くで取り戻すがよろしかろう」
誘うように鈍く光る影の穴を、俺たちは見下ろした。
その先にいるのだろう、最後の敵を睨みつけた。
「祝言は3日後と致しましょう。我が呪いといえども、竜母の力を得た巫女を喰い尽くすには三晩は必要だ。
……しかし、ゆめゆめお忘れなさるな。刻限を過ぎれば竜巫女の命運は尽き果て、忌まわしき竜母は我が手に堕ちる。世界を守る封印は嵐よりも恐ろしき暴虐へと転じ、あまねく地上を蹂躙せしめましょう」
俺たちだけじゃない。
この場に集まった100人以上のプレイヤーが、配信越しにこの光景を見る万単位の人間たちが、暗黒の影の向こうに視線を投げていた。
「――それではごきげんよう、異界の勇者たちよ。500年ぶりの客人を、魔神軍一同、心より歓迎いたします……」
そして響き渡った笑い声は、尊大でもなければ威圧的でもなく、しかし粘つくように耳の奥に残った。
満天の星空の下、暗黒の穴と俺たちだけが残される。
さっきまで満ちていた熱が嘘のように、冷たい冷たい風が肌を撫でるように吹き渡った。
「……先輩」
「……ああ」
それでも、胸の中に灯った炎が吹き消されることはない。
……上等だ。
上等だよ。
俺の、俺たちの娘に手を出すということがどういうことなのか、その身をもって教えてやる。
突然始まった子育てだった。
翻弄されるばっかりで、大して親っぽいことはできなかった。
それでも、メイアの成長を見守ってきたのだ。
だから、これは俺たちの義務。
画竜点睛となる総仕上げだ。
娘が立派に成長し、幸せになることを見届ける、親としての最後の務めだ。
――さあ、ラストステージの開幕だ。
ハッピーエンドを作りに行こう。
【クロニクル・クエスト:呪王との決戦】
【最後の竜巫女・メイアの命運が尽きるまで72時間。時が来ればムラームデウス島は呪いの雲に覆われ、すべての街が呪転した巨竜に破壊される。その前に魔神軍の残党を打ち破り、呪王のもとまで辿り着くことができるか?
勇者たちよ、剣を取れ。世界と少女がきみたちを待っている】




