第156話 エルフと竜の物語(Ⅱ)
――《ナイン》。
《竜母ナイン》。
それが、エルフ族が崇めていたものの名前。
《魔神》の残党たちを封印したドラゴンの名前。
そして――
「そう。そういうこと!」
神殿跡の祭壇に立つメイアは、100人以上の観衆と、配信の向こうの数千人に向けて、にやにや笑いながら告げる。
「このナイン山脈は、実は超巨大なドラゴンだったのです!」
どよめきが夜の神殿跡に満ちた。
俺も、チェリーも、思わず足元を見てしまう。
数ヶ月をかけて北へ北へと攻略してきた、この細長い山脈が――実はデカいドラゴンだって?
「言っておきますが、これはただの背景設定ではありません」
揺れる観衆に、メイアはさらに言葉を放り込んでいく。
「《竜母ナイン》は、今現在も生きています。だからHPゲージも存在します。AI――心も、わたしみたいなのに比べると希薄だけど、ちゃんと実装されていると思います。つまり、今すぐに動き出したとしてもおかしくはないのです」
「なっ……!」
う……動く!?
地平線まで続く山脈だぞ……!? そんなもん、バーチャルギアの描画スペックを余裕で超えてるだろ……!?
「ちょ……ちょおーっと待ったあーっ!!」
短い手をぶんぶん振って甲高い声をあげたのは、神輿の上に担がれているUO姫だった。
「もし、この山脈が……《竜母ナイン》が動き出したら、その上にある街や建物はどうなっちゃうのっ? 普通に考えたら――」
「もちろん、普通に考えたら全滅だと思います。救済があるかどうかは、たぶんわたしよりも皆さんのほうがご存じなんじゃないかと」
……ねえだろうな。
クロニクル・クエストで起こったことは取り返しがつかない――それがMAOで忠実に守られてきた絶対不可侵のルールだ。
かつてオープンベータテストにおいて、俺たちプレイヤーと真っ向から対立してさえ動かさなかった鉄の法則。
《竜母ナイン》が動き出すことによって、プレイヤーのゲーム資産にどれだけの損害が生じようとも、救済や保障の類は一切寄越すまい。
「もし《竜母ナイン》が動き出したら、山脈上の建物どころか、現在、ムラームデウス島に存在するすべての街が危険に晒されるはずです。こんなに大きな竜をどうにかする手段なんて、きっとプレイヤーの誰も持っていない。
そして、これからお話しするのは、その未来が現実に訪れるかもしれない可能性についてです――」
その未来が現実に訪れる?
山脈が丸ごと動き出し、MAOのすべてを蹂躙する未来が?
「単刀直入に、結論から言いますね」
観衆は静まり返り、メイアの言葉を待った。
「――《竜母ナイン》は、すでに呪転しています」
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
「わたしたちエルフ族は《魔神》との決戦が終わったあと、《竜母ナイン》と共に残党たちの封印を守る役目を負いました」
神殿跡を夜風が吹き渡る。
人の温もりの宿らない、冷えた風を。
「今いるこの場所に都市を築き……《竜母ナイン》の仔であるドラゴンたちと共に、慎ましやかながらも順調に繁栄しました。
わたしの母は、そんなエルフ族の中でも重要な役職を務める家系でした。《竜巫女》という役職です。これは《竜母ナイン》と同調し、封印された《魔神》の残党を監視する役目でした」
ふと、壁も天井もない神殿跡を見渡す。
この場所はもしかすると、その《竜巫女》のための施設だったのか……。
「100年ほどは、平和な時代が続いたみたいです。封印された残党は《竜母ナイン》の強力な力に太刀打ちできず、身動きひとつ取れないまま――
そう、思わされていました」
……思わされていた……。
「ある日のことです。エルフ族と友好な関係を築いていたドラゴンたちの中に、正体を失って暴れ出す者が現れ始めました。何かの病気かと考えて、エルフたちは持ち前の薬学を用いてドラゴンたちを治そうとしました。しかし効果はなく、暴れ出すドラゴンは次々と増えていく……。
これはおかしいと思ったお母さん――《竜巫女》は、《竜母ナイン》にコンタクトを取りました。すべてのドラゴンは、母である《竜母ナイン》と繋がっているからです。
《竜母ナイン》は答えました――『異常なし』」
ざわざわと観衆たちにさざめきが立つ。
異常なし?
子供のドラゴンたちが暴れ出しているのに……?
「この瞬間、母は気付いたんです」
どこか沈痛な面持ちで、しかしメイアは毅然と語った。
「『今まで、100年間、自分たちが聞いていたのは、《竜母ナイン》の声ではなかった』――と」
俺は息を呑む。
100年。……100年もの間、偽物の声を聞いていたっていうのか?
《竜母ナイン》じゃなかったっていうなら、メイアの母親が聞いていた声は、一体誰のものだった?
「母は《竜母ナイン》の声を通じて《魔神》の残党の監視をしていました。いいや、しているつもりだった。
現実には《竜母ナイン》の声は偽りだったんです。ある者によって、《竜母ナイン》は山脈となってからすぐに、意識と身体を呪われていたのです」
呪われて――
「呪いは100年かけて《竜母ナイン》を蝕んだ。そしてついには、その仔であるドラゴンたちにまで影響を及ぼし始めた。それが真相でした。
事ここに至って、エルフたちは初めて彼の者の存在に気付いたのです。
それは、先の戦争において《神子》に倒されたと思われていた《魔神》の眷属。その名を呼ぶことすら許されない呪いの落とし子――」
満を持して。
メイアは、最大にして最強の敵の名を告げた。
「――《呪王》。彼の者のことを、古の人々はそう呼んでいました」
……《呪王》。
呪いの王……か。
「ひとつ、質問です」
ここでチェリーが手を挙げて発言した。
「『その名を呼ぶことすら許されない』と、いま言いましたよね? それはもしかして、名前がわかっていないとか、そもそも存在しないとかではなく――」
「いいところに目を付けたね、ママ。それが《呪王》の力の強さを証明する一番の傍証ってやつだよ。
……ええと、これはさっき、ちょこっとネットで調べたんだけど――皆さん、『ムラサキカガミ』って知ってますか?」
……ムラサキカガミ?
観衆たちが隣同士で話し出し、ざわざわと喧噪が満ちる。
俺はうーんと頭を捻った。
「なんだっけか、それ……。どっかで聞いたことあるんだよな」
「都市伝説ですよ、先輩。20歳まで覚えていると不幸になるとされる言葉です」
ああ。言われてみると腑に落ちた。
20歳まで覚えていたら不幸になる、呪いの言葉。
……改めて考えると、条件ユルすぎねえ?
「《呪王》の名前は、『ムラサキカガミ』みたいなものだと思ってください。
《呪王》は自分の弱味を握られたり能力を調べられたりするのを避けるため、自分自身の名前に強力な呪いをかけました。だから《呪王》の名前を口にすると、問答無用で呪われてしまうんです。
たぶんゲーム的には、バッドステータスがついたり、いきなり死んじゃったりすると思います。あるいはNGワードになってるかも……」
もし本当にそうだとしたら、いちモンスターの能力がゲームのシステムにまで食い込んでるってことになる。
相当に強力な力の持ち主である証左だった。
「話を戻します。《呪王》は《神子》に倒されたと思われていましたが、実は生きていて、残党の封印の中に紛れていました。そして封印の中から《竜母ナイン》を呪いで冒していったんです。
呪転、という言葉は、《呪王》の支配下に入ってしまった状態を言います。この状態になると、どんな生き物も我を失い、《呪王》の言いなりになってしまう……。
だから、《呪王》が一声かければ、《竜母ナイン》は動き出すんです。そしてムラームデウス島の全土を蹂躙するでしょう」
まさか……この世界の運命は、大昔から《呪王》が握っていたって言うのか?
「でも、今はまだそうなっていないよね?」
と質問したのは、妖精型VRカメラを頭上に飛ばしたセツナだ。
「それにも、きっと理由があるんだよね。呪転した《竜母ナイン》がまだ動き出さないでいる理由が」
「うん。……その理由はね、わたしだよ」
白銀のブレストプレートにそっと手を置いて、メイアは言った。
「お母さんは《竜母ナイン》が呪いに冒されていると知ると、封印を司る力の多くを自分に移動させたの。さっき言った通り、《竜巫女》には元々《竜母ナイン》のバックアップとしての役割があったから。
お母さんはその力の幾許かと、まだ呪転しきっていなかった太陽竜フレドメイアの力を借りて、呪転領域の拡大を押し留めた。――そしてそのまま、何百年もの時間が経過したの」
何百年……。
想像もつかないその時間を、それでも俺は想像する。
どれほどの意思があれば、それほどの時間を耐えられるのか……。
「お母さんはおっきな石になって、呪転領域の拡大を押し留めつつ、《魔神》の残党の封印を維持し続けた。……でもね、それもそろそろ限界に近付いてたの。
エルフとはいえ、人の身であることには違いない。元より強大な《竜母ナイン》の代わりなんて、いつまでも務まるものじゃなかった。
そんなときに――みんなが来た」
呪竜遺跡に初めて足を踏み入れたときのことを思い出す。
《呪転磨崖竜ダ・モラドガイア》の足元に、巫女風の姿をした少女を見たことを思い出す。
「このままじゃ《竜母ナイン》が《呪王》の手先になるのも、呪転領域が世界中に拡大するのも、封印が破られて《魔神》の残党が溢れ出すのも、全部時間の問題だった。
だからお母さんは、みんなに賭けることにしたんです。太陽竜フレドメイア――ナインの仔の中でも最強に位置するドラゴンを倒せたみんななら、きっと《呪王》と真っ向から戦えるって。
そのためにお母さんは、お腹の中にいた子供に、自分の力のすべてを託した……。
それが、わたしだった」
ダ・フレドメイアの死骸――山となった灰の中で、メイアは泣いていた。
母親に重すぎる使命を託され、一人きりで灰の中に残されて――そして。
ふと、メイアがこっちを見て淡く笑った。
……ああ、そうだな。
それを見つけたのが、俺とチェリーだった。
「お解きあれ」
いつかに聞いた言葉を、メイアが再生した。
「お母さんは、みんなにそう言い残した。竜たちを、この山を、この世界を――《呪王》という鎖から、お解きあれ。《魔神》たちとの戦いに真の終止符を打ち、世界を本当に解き放つために。
ついに、そのときが来たの」
ひび割れた祭壇の中心。
双月が浮かぶ夜空の下。
《竜巫女》たるメイアは、500年越しの言葉を代弁する。
「……きっともう、わかってると思います。第四の呪転領域――ナイン山脈エリアのラストステージは、この場所の真下にある。
最も高い場所から、最も深い場所へ。《竜母ナイン》がその巨体で押し潰して封印した神話の戦場。恐ろしい神造兵器と《魔神》の眷属たちがひしめくこの世の地獄――」
メイアは、一度、天上を指差した指を。
ヒュンッと、足元に振り下ろす。
「――《呪転最終戦場ダ・アルマゲドン》。……わたしと一緒に、《魔神》の残党と戦ってくれますか?」




