第155話 エルフと竜の物語(Ⅰ)
「メイア、ここか?」
瓦礫をひっくり返して見つけた地下への階段を指して、俺は後ろのメイアに振り返った。
「うん。ここが武器庫だったと思う。お母さんの記憶によればね」
メイアは産みの親を俺やチェリーと区別して、『お父さん』『お母さん』と呼ぶようになっていた。
血の繋がりがあろうとなかろうと、本当だったり嘘だったりはしないから、だそうだ。
両親の故郷に辿り着き、その記憶のすべてを受け継ぎ終えて、整理がついたってところだろう。
……これも、メイアの成長の一部なんだろうな。
「じゃあ、ちゃちゃっと漁っちゃいましょう、先輩。皆さん思ったより早く集まってきそうですから」
「そうだな。早いとこメイアの装備を調えようぜ」
メイアはナイン山脈の真実を語るに当たって、俺たちだけではなく、できる限り多くのプレイヤーに直接伝えることを希望した。
今はSNSなどを使って準備を整えているところだ。
おそらく、この空中都市に集まるプレイヤーは100人を下らないだろう。
そして、その中に混じる少なくない配信者たちが、MAOをプレイしているしていないに拘わらず、多くの人間にメイアの話を中継する。
ゲームの内外を問わない熱のようなものが、メイアを中心として渦巻きつつあるのだ。
マギックエイジ・オンライン。
今日という日は、まず間違いなく、その歴史に刻まれることになる。
「うへあ! 埃っぽーい!」
地下の武器庫に降りると、メイアはケホケホ咳き込んで埃を払った。
……本人には、全国数十万、あるいは数百万人の中心に立つって自覚は、あんまりなさそうだな。
「えーっと、この箱じゃなくて……これでもない、これでもない……」
「――あっ。これじゃないですか?」
「あっ、それそれ!」
チェリーがいくつもの宝箱の中から見つけ出したのは、金属製のブレストプレートとアーマースカートだった。
緑色の薄布がひらひらくっついていて、裏側には魔法陣が刻まれている。
「これが《エルフの鎧》か?」
「そうそう。エルフ族の伝統装備だよ。軽くて丈夫で、あと危ないときは魔力を消費して命を守ってくれるの」
「身代わり付き? つよ……。それに結構かわいい」
「えへへー。わたしにしか装備できないよー? いいでしょー」
羨ましげに鎧を見つめるチェリーに、メイアは自慢げに見せつける。
俺は眉根にしわを寄せながら、《エルフの鎧》を観察した。
「……でもこれ、鎧の面積小さすぎねえ? ほとんどビキニじゃん」
「……ふふーん? パパ、見たくなっちゃった? 愛娘のヘソ出しルックを」
「は? いや、そういうんじゃなくてだな……!」
「いやー、参ったなー。ママのライバルがまた増えちゃったなー」
「……先輩。それはさすがに倫理的にアウトですよ」
「だから違うっつの! 常識的な懸念を示しただけだろうが!」
メイアは楽しそうにからから笑った。
「心配しなくても、服の上に着けるやつだよ。こんなの肌の上に直接着るの、くらげお姉ちゃんくらいだよー」
「だ、だよな……。俺の感覚がバグってたわ」
「あー。でもー、パパが見たいって言うならぁ……」
「ああー! もう! いいからそれ!」
にやにや笑いながら上目遣いですり寄ってくるメイアを無理やり引き剥がす。
これ絶対母親の影響じゃん!
「じゃあ装備しまーす。えいや!」
最初に教都エムルの武器デパートで見繕ったときから、メイアの装備は何度か刷新している。
しかし、森の妖精をイメージしたデザインであることに関しては、チェリーが頑として譲らなかった。
緑系統のチュニックやスカートの上に、白く輝く鎧が装備される。
ガーリーなファッションの上に金属鎧なんか装備したら台無しになると思っていたが、あにはからんや、そうでもなかった。
服の緑と鎧の白銀が、優しいコントラストを生んでいる。
その姿を見て、ふと思ったことがあった。
俺は黒と緑を基調とした装備で、チェリーは白と赤を基調とした装備だ。
白と緑を基調としたメイアの姿は、まるで俺たちを足して2で割ったかのようだ――と。
「どおどお? 似合う?」
メイアはその場でくるりとターンする。
止まった拍子に、カチャリ、と鎧が音を鳴らした。
その音の存在が――おそらくは、メイアの決意を示している。
俺たちは1も2もなく、即座に答えた。
「「超似合ってる」」
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
メイアの装備を調達したのち、空中都市の中を移動して、長い階段を登った。
この先にあるのは、山頂だ。
ナイン山脈最高峰――現状のMAOで最も空に近い場所。
そこには、神殿の跡地がある。
壁も天井も崩れ落ち、中途半端に折れた柱だけが残ったうら寂しい遺構。
そのやたらに広い敷地面積が、往事のエルフたちにとって重要な施設だったことを窺わせる。
階段を登り切り、ひび割れた石畳を踏むと、メイアはすでに亡い天井を見上げた。
太陽は地平線に消え、黒い夜空を星々の輝きが飾る。
この神殿が何のためのものだったのか、俺たちはまだ知らない。
それを知るために――大勢の人間が集まったのだ。
姿を現した俺たちに、無数の視線が集中する。
神殿の跡地に集合したプレイヤーは100人を超えていた。
職業も、性別も、年齢も、装備も――MAOプレイヤーであること以外には何もかもが違う、100人以上の人間たち。
ざわめきながら道を開けた彼らの真ん中を、メイアは通り抜けていく。
彼らの頭上には、妖精型のVRカメラ――通称《ジュゲム》が、何匹も浮遊していた。
セツナやろねりあを含めたストリーマーはもちろん、ゲームニュースサイトの記者のものも混じっている。
にわかに発生したこのイベントへの注目度が、自然とわかろうというものだった……。
観衆たちの中心には、祭壇のように床が一段上がった場所があった。
俺とチェリーは、その手前で足を止める。
一度だけ、メイアが振り向いた。
俺たちがうなずきかけると、メイアはほのかに笑って、一人でその祭壇に上がった。
メイアは祭壇の中心に立つと、満天の星空を仰ぎ、深呼吸をする。
それに合わせたように、観衆のざわめきも凪いでいった。
「――時間になりました」
常ならぬ厳かな声で、メイアは宣言した。
……かと思えば、「えへ」といきなり相好を崩した。
「こんなにいっぱい来るとは思ってなくて、ビックリしちゃいました。……ええと、配信もしてるんだよね? どのくらいの人が見てるのかな?」
「ウチの視聴者だけでも3000人を超えてるよ、メイアちゃん」
観衆の最前列から答えたのは、恋狐亭での攻略合宿の発起人にして、MAOイチの人気ストリーマー、セツナだ。
「他にも、ニュースサイトの公式チャンネルなんかもこの光景を映してる。リアルタイム視聴者だけでも1万人――あとから動画で見る人を含めたら、その何倍か、何十倍か」
「うわあ、すごいストリームデビューになっちゃったなあ」
「へい、スーパールーキー!」
ビキニアーマーにツインテールの双剣くらげが囃し立てるように言う。
その傍には、ろねりあ、ショーコ、ポニータら、いつもの面子の他に、俺の妹でありチェリーの友達でもあるレナも混じっていた。
「やめてよお、緊張しちゃう」
そう言いながら、メイアはくすくすと笑う。
あれで実は、最初から緊張していたのかもしれない。……それが今、ようやくほぐれてきたってところか。
「あんまり待たせるのもあれなので、さっさと始めちゃいます。
……今日、ここで話すのは、わたしが産みのお母さんから受け継いだ記憶です。
この空中都市で暮らしていたエルフ族の顛末。彼らが守っていたナイン山脈の真実。
そして――おそらくはMAOバージョン3の前半において最大最後の障害となる、第四の呪転領域について」
俺たちの間にも緊張が漲る。
半年以上の間、攻略を続けてきたMAOバージョン3《ムラームデウスの息吹》――その半分が、ついに終わる。
メイアはそこで、もう一度深呼吸をした。
「……まず始めに、わたしの自己紹介をします」
《エルフの鎧》をまとった胸に手を置き、メイアは全世界に名乗る。
「わたしはこのMAOという世界に生まれながら、皆さんと同じく一介のプレイヤーとして育った、いわばノン・プレイヤー・プレイヤー。
……そして、それと同時に、皆さんをこの山脈で最後の冒険にいざなう役目を負ったNPC――」
朽ちた故郷の中央で、メイアの声が凜と響き渡った。
「――エルフ族最後の《竜巫女》、メイアです。どうぞよろしくお願いします」
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
「ムラームデウス島の歴史について、皆さんはどれほどのことをご存じでしょうか?」
メイアの話は、そんな問いかけから始まった。
「この島――ムラームデウス島は、太古の昔に相争った二柱の《旧き存在》、その片方の屍だと言われています。しかし、島ができたその後も、《旧き存在》による争いは終わらなかった」
……《神子》と《魔神》だ。
今まで断片的に語られてきた、MAO世界――ムラームデウス島の歴史。
「二柱の《旧き存在》は魂だけを転生させ、それぞれ《神子》《魔神》と呼ばれるようになりました。《神子》と《魔神》は長きに渡って戦い続け――今から約500年前、ついに決戦に臨みます」
俺は、洞窟の地下にあった神殿で見たものを思い出した。
巨大な壁画。
様々な異形の怪物を率いる何かと、たった一人それに立ち向かう長い髪の女性を描いた、壁画……。
その壁画に、俺たちが戦ったボス、フェンコールが描かれているのを見て、チェリーはこう予想していた。
すなわち、このナイン山脈こそが――
「《神子》と《魔神》の最終決戦の地――それが、このナイン山脈でした」
メイアの言葉が、チェリーの予想を肯定する。
観衆が少しだけ揺れた。
少しだけなのは、こんなことはまだ前座に過ぎないと、メイアの表情が語っていたからだ。
「まさに、わたしたちが立っているこの場所で、《神子》と《魔神》が互いに軍勢を率いて戦った。わたしたちエルフ族は、精霊たちと共に《神子》側について戦ったそうです。
激戦に次ぐ激戦を経て、決着はついた。《魔神》が討ち取られ、遙か空の果て――月の隣にまで放逐されました」
メイアが夜空を指差した。
その先に浮かぶのは二つの月だ。
大きな《母月》と、泣きボクロのような《子月》。
夜にモンスターが強くなるのは、彼らの主である《魔神》――すなわち《子月》が空に出るからなのだという。
「しかし」
観衆の視線が、地上のメイアにまで戻った。
「事はそれで終わらなかった。……その一端を、皆さんもご存じのはずです」
「……《神造炭成獣フェンコール》……」
誰かの呟きに、メイアがうなずきかける。
「そう。ナインサウス・エリアのボスだったという《神造炭成獣フェンコール》。あの巨大な狼の怪物は、《魔神》が《神子》との決戦のために生み出した兵器でした。それが、《魔神》亡き後も地下深くに眠っていたということは――」
「――残党がいる!」
「はい。総大将である《魔神》が討ち取られた後も、この地には恐るべき魔物たちが大量に残っていました。
そのために、世界に真の平和をもたらすためには、何らかの手段で《魔神》の残党を封印する必要があったのです」
……封印……?
フェンコール級の化け物どもを相手に、一体どうやって?
「その役目を負ったのが、わたしたちエルフ族――《竜巫女》の一族が奉る、1体のドラゴンでした」
俺の脳裏に、ここまで通り過ぎた遺跡で何度も見てきた、ドラゴンをかたどった像が思い浮かぶ。
「――ところで皆さん、一度くらいこう思ったことがありませんか?」
突然の問いかけに、観衆は沈黙した。
「この場所。南北にかけてなが~く連なったナイン山脈――このエリアのことを、なんだか大きな蛇みたいだなって」
「――――!!」
その瞬間、恐るべき想像に思考が行きつき、全身に鳥肌が立った。
「まさか……!」
「そういうことなのか!?」
観衆の間にもどよめきが走っていく。
きっと似たような光景が、配信を通じた至る場所で起こっているのだろう。
メイアはその様子を満足げに眺めた。
……いたずら娘め。なかなかのエンターテイナーじゃねえか。
「エルフ族が崇め、《魔神》の残党の封印を請け負ったそのドラゴンは、こんな名前で呼ばれていました――――」
どよめきの中に放り込むように、メイアは決定的な一言を告げた。
「――――《ナイン》。《竜母ナイン》と」




