第154話 辿り着いた終わり
「「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!!」」」」」
重なった勝ち鬨に、地下空間が揺れていた。
《聖ミミ騎士団》、《赤光の夜明け》、《ウィキ・エディターズ》のメンバーたちが、クランの垣根を跨がって歓喜を分かち合っていた。
そして、俺たちも――
「――ケージきゅうーんっ!!」
「お前は自分のクラン行けや!!」
「へぷっ!」
真っ先にUO姫が突進してきやがったので、頭を掴んで止める。
「クランリーダーが真っ先に別の奴のところ飛んでくって、示しがつかねえどころの騒ぎじゃねえよ」
「やぁ~ん、いけず~♪」
「……その後なら好きなだけやってやるからさ。ハイタッチでも何でも」
「え? いま何でもって言った?」
「文脈をちゃんと読もうな!」
そんなこんなで何とかUO姫を追い返すと、ようやくチェリーとメイアが来た。
「ちゃんと自分で追い払えましたね、先輩。えらいえらい」
チェリーはちょんと背伸びをして俺の頭を撫でてくる。やめんか。
ぺしっと手を払う俺と、しぶとく撫でようとし続けるチェリーの様子を見ながら、メイアがぷうっと頬を膨らませた。
「マーマー! わたしもわたしも!」
「はいはい。メイアちゃんもえらいえらい」
「えへへー。ママもえらーい!」
互いに互いの頭を撫でる謎の状況が誕生した。なんだこれ。
そうしてひとしきり喜びを分かち合うと、チェリーは地面の一部に視線を落とした。
たまたまか、それとも見ていたのか……そこはついさっきまで、幽刃卿の人魂があった場所だった。
「……ルールを守りますかね、幽刃卿は」
「守るさ」
同じ場所に視線を落としながら、俺は言う。
「あいつもゲーマーの端くれだ。たとえ俺たちとはプレイスタイルが違ってもな。プライドのないチーターとは違う」
「……プレイスタイル……」
メイアが確かめるように呟いた。
輝く大きな瞳が、空間をぐるりと見渡す。年齢も、性別も、職業も、クランも、何もかも異なる人間がひしめいた、この空間を。
「そっか……。うん」
そうやって一人で納得し、一人でうなずく娘の姿を、俺とチェリーは黙って見守った。
もういちいち俺たちに確認を取らなくたっていい。
一人で考える。一人で学ぶ。
かつて俺たちもそうなったように、メイアもまた、そうなることができたのだ……。
「……さて。これで不安要素もさっぱり消えた。あとは――」
おおっとプレイヤーたちにどよめきが走った。
頭上――この地下空間唯一の入口である巨大な縦穴。その真ん中から、一本の光の柱が降りてきたのだ。
その中に入れば、上まで連れていってくれるのだろう。
「……樹海……渓流……雪山……」
「これで全部……ですね」
《呪転領域ダ・ナイン》。
そのすべての攻略が、完了した。
しかし、まだひとつ、辿り着いていない場所がある。
そう……この山に数百年から住んでいる妖怪・六衣が口にしたあの場所――
――エルフが住まう土地、《空中都市》。
「メイア」
メイアは吸い寄せられたように、光の柱に瞳を向けていた。
「たぶん、あの中に入れば辿り着く。お前の――本当の両親の、故郷にな」
「……うん。それ以上は大丈夫だよ、パパ」
すっかり頼もしくなった笑みを浮かべて、メイアは堂々と答えた。
「覚悟はできてる。……行こう!」
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
光の柱はエレベーターのように、俺たちの身体を持ち上げていった。
「むりむりむりこわいこわいこわいたかいたかいたかいたかい!!」
「ええー? パパ、さっきまで落ちながら戦ってたのに……」
「戦闘中は平気になるらしいよ。はいはい、大丈夫ですよー。よしよし」
「ママ、なんだか一番いきいきしてない?」
長い長い縦穴を抜け、かつて氷の迷宮があった場所さえも抜ける。
ダ・フロストローザが塞いでいた光の大穴を、さらにさらに上へ。
暗闇に満ちていた今までとは反対に、目が潰れそうになるほどの光が世界に満ちる。
「……っ……」
視界が開けるよりも前に、冷たい風が肌を撫でた。
それにぶるりと震えた頃に、光の柱による上昇も止まった。
「……あ……」
頭上を仰いでいた俺の視界に、吸い込まれるような青が広がる。
「……空……」
ゆっくりと、視線を下ろした。
遠くにピッと引かれたのは、青と黒の境界線。
地面の代わりに広がるのは、どす黒く曇った雲の海。
「いつの間にか、雲の上まで……?」
呪転領域に厚く張った黒雲、その向こう側だ……。
見たことのない景色に導かれるように、俺たちは光の柱から地面に移った。
そのときだ。
一面の黒雲が、まるで何かに飲み込まれるように渦巻きながら、晴れていく。
樹海が見えた。
峡谷が見えた。
そこから山をひとつ越えれば、砦の建った呪竜遺跡。
さらに向こうには、古城のある湖や、ダ・モラドガイアとの死闘を演じた高原が見える。
地平線の近くに空いた大きな穴はフェンコール・ホール。
その奥に見える栄えた街は恋狐温泉だろう。
ナイン山脈エリアの全貌。
この数ヶ月、俺たちが冒険してきた場所のすべてが、一望できた。
「……ああ……」
ついに、ここまで来たんだな。
おそらくは、この場所が、最後の――
俺たちは、どこか惜しむように、ゆっくりと背後に振り返った。
光の柱で昇ってきた大穴の向こう側に、石造りの階段があった。
何百段とあるそれを登った先には、ひとつのアーチ。
それは、おそらくは門だった。
「…………!」
息を呑むような気配が隣からしたかと思うと、メイアが走り出していた。
緑がかった金髪を靡かせて、一心不乱に階段へ。
俺たちもまた、それを追いかけた。
階段を駆け上る。
長いとは思わなかった。
むしろ、もっと長くあってくれとすら思った。
これを登り切れば、きっと何かが変わり、何かが終わってしまうんだと感じて。
だからだろう……階段は、意外とすぐに終わってしまった。
先を行くメイアに続いて、石のアーチを通り抜ける。
そこには、予想した通りの場所があった。
苔むした石畳。
潰れて瓦礫となった建物。
その中にひっそりと紛れた、朽ちたテーブル、椅子、水汲み場、畑……確かにここに人がいたのだと伝える、生活の痕跡。
空中都市。
正確には……その廃墟。
今や瓦礫の海としか表しようのない街の中に、ただ一人、メイアだけが佇んでいた。
「知ってる……わたし、ここを知ってる……!」
ぽつりと、メイアが呟いた、その瞬間。
来るべきときが来る。
メイアの姿が、光に包まれた。
この現象を、俺たちは知っている。
前にも一度だけ、この現象を見た。回数としては、過去に二度も起こっていた。
光に包まれたメイアの背丈が、目に見えて伸びる。
チェリーの背を抜いて、たぶん、俺より少し低いくらいまで。
ぱっと光が散ると、そこにいるメイアはもう、俺たちの知る子供ではなくなっていた。
成長を重ねるごとに伸びていた耳は、今や狐のようだった。
年齢はきっと、俺と同じか、もしかすると上かもしれない。
時代が時代なら、あるいは国が国なら、大人と認められる年齢だ。
緊張している俺がいた。
隣に立つチェリーからも、同じ気配を感じた。
……いつまでも、黙ってはいられない。
俺たちは、緊張を押し殺し、成長したメイアの背中に、おずおずと、話しかける……。
「メイア……」
「メイア、ちゃん……?」
緑がかった金髪をふわりと揺らして、メイアは振り返った。
あどけなさを残していたさっきまでとは違う、大人びた顔つき……。
一抹の寂しさを胸に過ぎらせることを、俺は避けられなかった。
俺の知っている子供のメイアは、もうここにはいない。
この世のどこにも、いなくなってしまった――
「――ねえ、見て見てっ! ママよりおっぱいおっきくなっちゃった!」
「……………………」
「……………………」
しんみりした感情がどこかに吹っ飛んだ。
メイアは大人びた顔をきょとんとさせる。
「どしたの、二人とも?」
「いや……お前……お前さあ」
「もうちょっと、こう……落ち着いたり、大人っぽくなってみたり……変わらないね、メイアちゃん」
「えー? 変わったってば! ほら、ママよりおっぱいおっきいの!」
ほらほら、と自分の胸を掴んで持ち上げるメイア。
ふーむ、と俺はしばらく観察して、
「……いや、俺の見たところ、そんなに差はないな」
「ちょっと先輩! 私の胸のサイズを熟知しているようなこと言わないでくれますか!? 触ったこともないくせに!」
「えっ? パパ、触らせてもらったことないの? かわいそう……」
「哀れむな! 娘にそんなこと言われると死にたくなる!」
スレンダーなモデル体型に成長したものの、中身のほうはなんだかんだと変わらないようだ。
しかし――
今一度振り返り、メイアは廃墟の空中都市を見る。
「この場所……知ってるの」
その目は、俺たちの知る彼女と一切変わらないものでありながら……同時に、長い歳月を経た賢者のようでもあった。
「わたしの、本当のママが、パパが、生まれ育った街……。たくさんの人が、エルフが、長い長いあいだ、精霊と一緒に守り続けてきた場所」
「……思い出したのか……? ここで、この山で――大昔に、何があったのか」
俺は、触ってはいけないと言われたものに触るような気分で、静かに訊いた。
「……うん」
メイアはこくりとうなずくと、決意を秘めた瞳を俺たちに向ける。
俺たち、というのは、俺とチェリーのことだけじゃない。
全員だ。
この場に辿り着いたプレイヤー全員――
そして、彼方まで広がるMAOの世界、そこに暮らす全プレイヤー。
「わたしたちが何を守ってきたのか……。わたしたちが何と戦ってきたのか……。わたしたちが――何に、敗北したのか」
神の言葉を代弁する巫女のように、メイアは告げた。
「他の人も連れてきて。全部、みんなに話すから。ここで起こったことを――そして、わたしたちが本当に倒すべき、彼の者のことを」




