第153話 VS.呪転凍眠竜ダ・フロストローザ&《赤統連》第三席・幽刃卿 - Part3
まるでクリスマスのイルミネーションだった。
空間を色とりどりの閃光が裂く。それらは炎、雷、風、氷、異種様々な形を取った魔法の光だ。
「まぁーだまだぁーっ! ですっ!!」
巡空まいるがヴェールのような袖を翻し、よりいっそう苛烈に舞った。
それに合わせたように、ローブをまとった《赤光の夜明け》のメンバーたちが、目が眩むような魔法の弾幕を展開する。
空中に舞うダ・フロストローザ――その周囲を守る氷塊の盾を、弾幕が次々と打ち砕いた。
物量の暴力。
盾を失った巨竜の翼に、《ファラゾーガ》が押し寄せる。
氷細工の羽根が、火球によって次々と溶け落ちた。
飛んでいられなくなるのは、すぐのことだった。
ダ・フロストローザが無様にばたつきながら落下する。氷の床を割る。溶岩に落ちる。
悲痛な咆哮が弾け、長い首がぐったりと投げ出されたところで、甘ったるい声が号令した。
「いっけぇーっ! めちゃくちゃにしちゃえーっ♪」
白銀の騎士たちが勇ましい声をあげ、ダ・フロストローザに殺到する。
いきなりなんだ、その方言。
やっぱりVRヤクザなのでは? 姫じゃなくてお嬢なのでは?
「ふむ! HPの減りから見るに、防御力は――」
そして、スーツにトレンチコートを着た《ウィキ・エディターズ》の連中は、揃ってカリカリとメモを取っていた。
お前らは何をしに来たぁーっ!!
「ああいうのも許される余裕ができたってことですね」
いつの間にかチェリーが傍にいた。メイアも一緒だ。
「この戦力なら勝てそうだよ、パパ!」
「残る問題はひとつです。先輩、幽刃卿は?」
「どこかに隠れてる。気をつけろ」
幽刃卿は、あちこちから吹き上がった溶岩の間欠泉にうまく隠れている。
と言ってもこの人数だ。いつまでもは隠れていられない。
破れかぶれで飛び出してくるか、それとも――
「ァ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ッ!!」
壮麗な咆哮が総身を叩いた。
ハッと振り向けば、ダ・フロストローザが溶岩の飛沫を撒き散らしながら飛び立つところだった。
氷の床に空いた穴がすべて埋まる。
溶岩の間欠泉がなくなり、視界が開けた。
しめた……! 幽刃卿はどこにいる!?
「……………………」
遠い壁際に、その影はひっそりと立っていた。
三度は見直さなければ人とは思えない、まるで闇そのものの姿。
両手に携えていた2本のサバイバルナイフは、今は見当たらなかった。
その代わりに。
右手に、一冊の本がある。
「……《スペルブック》……?」
使用可能なすべての魔法が記された本。
ショートカットに設定していない魔法を使うときに必要なUIアイテム。
あいつ、何を……?
目を凝らすことで、俺はようやく気がついた。
幽刃卿の口が、細かく動いている。
まるで、何かを読み上げるかのように――
「――――詠唱?」
呪文詠唱。
そうだ、スペルブックを開いて読み上げるものなんか、奥義級魔法完全発動のための呪文詠唱くらいしか――
深淵めいた瞳が、俺を見た気がした。
そして、その口元が。
にたりと、嗜虐的に笑った気がした。
「――――《ザ・ゴースト・エッジ》――――」
深い洞から湧き起こるような声が、耳の奥に響く。
胸の中を直接揺さぶられるような、それ自体が呪いめいた――
視界の端に、黒い影が現れた。
「―――っ!? 二人とも!」
「えっ?」
「ふぇ?」
俺はチェリーとメイアをとっさに抱き寄せる。
直後、その首があった位置を、二つの刃が同時に通り過ぎた。
「えっ……!? こ、これは……?」
「ええーっ!? な、なにこれ……どういうこと!?」
俺の胸の中で、チェリーとメイアは戸惑いの声をあげる。
無理もない。
目の前に広がっていたのは、すぐには理解しがたい光景だった。
ボロボロのマントをまとった幽鬼のような姿が、ふたつ。
二人の幽刃卿が、すぐそこにいたのだから。
「――――ス。「ススス「ススススス!「スススススススススススススス――――!!」
隙間風のような笑い声が、輪唱するように連鎖する。
それは、二つだけではなかった。
「うわっ!?」
「いてっ……!?」
「なんだこいっ……ぐっ!」
至るところから湧き起こる悲鳴、悲鳴、悲鳴。
見渡せば、悪夢のような光景が広がっていた。
幽刃卿。
幽刃卿。
幽刃卿、幽刃卿、幽刃卿!
何十人もの幽刃卿が、プレイヤーたちを襲っている!
「分裂……いや、幻影? 影分身かよ……!?」
悠長に分析している暇はなかった。
目の前にいる二人の幽刃卿が、それぞれ2本、計4本のサバイバル・ナイフで襲いかかってくる。
俺は逃げずに前に出た。
俺の意図を察したチェリーとメイアが、反対に後ろに下がる。幾度となく繰り返してきた陣形だ。
相手は二人。武器は4本。手数では負ける……!
「ふっ……!」
魔剣フレードリクを振るうが、手応えはなかった。
案の定か。剣身がすり抜けた……!
返す刀で4本のナイフが迫る。
予測していたことではあったが、だとしてもすべて避けるのは難しかった。
1本のナイフの切っ先が、肩口を浅く斬る。
「チッ……! HP減った……!」
幻影のくせに、攻撃だけは有効なのかよ!
俺がバックステップで距離を取ると、二体の幻影も追いすがってくる。
が、そうは問屋が卸さない。俺には二人の心強い後衛がいる。
下がる俺と入れ替わるようにして飛翔した火球と光の矢。
それぞれが幽刃卿の幻影に着弾し、その姿を散り散りに飛散させた。
「やったか……!?」
「あっ、パパそれフラグ!」
「あ」
しまった。
いやまあ現実には関係ねえんだけど、結果としてはフラグ以外の何者でもなかった。
一度は消滅した幽刃卿の幻影は、1秒と経たないうちにその場に復活する。
「魔法でも倒せない……!? ああもう、なんですかこれっ!」
チェリーが苛立たしげに喚いた。
物理攻撃は効かない。魔法で倒しても復活する。なのにその攻撃はこっちに届く。
だとしたら、あとは本物を倒すくらいしか――
ゴオウッ、と風が唸る音がした。
反射的に気を取られる。……しかし、音のした方向に首を振る必要はなかった。
吹雪が吹きすさんでいた。
氷の風が渦巻いていた。
「ちょっ――!?」
「うわあああっ!!」
「やべえやべえやべえっ!!」
無数の幽刃卿もろとも、プレイヤーたちがその中に巻き込まれた。
逆巻く氷の嵐は、空間全体を掃除するように暴れ狂う。
「ちくしょう……! 新しい攻撃パターンか!」
上空を飛ぶダ・フロストローザが、氷細工の翼を強く羽ばたかせていた。
すでにHPゲージは最後の1段に入っている。ヤツも必死だ。死に物狂いで生き足掻いてくる。
幽刃卿の分身だけでも厄介なのに、凶暴になったボスまで相手にしろって……!?
「――ぐっ!?」
幽刃卿の分身にナイフを振るわれ、俺はかろうじて魔剣で防いだ。
タスクオーバーだ。いくら戦力が揃ったって言っても、この二重攻撃は限界を超えてる!
「本物さえ……! 本物さえどうにかすれば……!」
幻影と剣戟を交わしながら、俺は視線を辺りに走らせた。
どこにいるのも幽刃卿。見た目に違いはない。本物が混じっているのかどうかも怪しかった。
こんなもん、どうやって見つけろって……!?
「―――《天下に這い出せ 群れ成す雷》!」
芯の通った声が、俺の背中をしたたかに叩いた。
「――――《ボルト・スォーム》――――!!」
轟音が爆発した。
それよりも速く迸ったのは、蛇の群れのような稲光。曲がりくねった雷撃が何体もの幽刃卿を貫き、四散させていく。
完全に消し去ることはできない。四散した幽刃卿はすぐに元に戻ってしまう。
しかし。
「先輩!」
声のした方向に、俺は振り向かないままサムズアップを突きつけた。
見逃しはしない。
ほとんどの幽刃卿が大人しく雷撃に貫かれた中、一人だけ回避した!
すぐに復活できる幻影が攻撃を回避する理由はない。あいつが本物だ――!!
鍛え上げたAGIをフルに使い、俺は復活中の幻影どもの間を駆け抜ける。
本物の幽刃卿が、忌々しげに表情を歪めたのが見えた。
俺は魔剣フレードリクを振りかぶる。
幽刃卿は2本のサバイバルナイフを構える。
全力で振り下ろした刃が、交差した2本の刃と激突した。
「これだけの効果の魔法……どうせMPバカ食いだろ?」
幽刃卿の洞のような瞳を覗きながら、俺は突きつける。
「マナポーションさえ飲ませなきゃ、すぐに効果切れになるよなあ……!!」
「……ケェ、ジィイイッ……!!」
俺の剣が輝きを纏う。魔力の輝き、そして炎の輝きを。
体技魔法|《焔昇斬》。
素早く斬り上げられた刃を、幽刃卿は見事な反射神経で防いでみせた。
だが、そこまでだ。
ピキン、と効果音が鳴り、体技後硬直がキャンセルされる。
体技魔法|《風鳴撃》。
続けざまに放たれた風纏う刺突を、幽刃卿は凌げない。
「……ゴ、オッ……!!」
ダメージエフェクトが、血飛沫めいて舞い散った。
幽刃卿の鳩尾を、剣の切っ先が貫いていた。
2本の手のうち、右手の握力が失われ……ぽろりと、ナイフがこぼれ落ちる。
氷の床に刃が当たり、澄み渡った音を響かせた――
「………………さ」
――そして、空いた幽刃卿の右手が、俺の腕を強く掴んだ。
……あ?
「…………殺…………」
し……死んでない?
HPが、まだ――
「…………到…………」
まさか、握力を失ったんじゃない?
自分で、ナイフを捨てて――
「…………せよ…………!!」
ざわっ……!! と、全身が粟だった。
それは感覚。
肌感覚。
全方位から突き刺さった、殺気への反応……!
ザザ。
ザザザザザ。
ザザザザザザザザザザザ――!!
まるでノイズだった。
低品質なイヤホンみたいな耳障りな音。
その正体は、周りを見れば明白だった。
足音だ。
無数の幽刃卿、その幻影たち、その足音だ。
その全員が、一斉に、こちらへと群がってくる音だ!
反射的に逃げようとしたが、それは不可能だった。
幽刃卿に腕を掴まれている。
決して決して逃すまいと、まるで枷のように。
「お前っ……!!」
にい、と幽刃卿は唇を曲げる。
こいつに物理攻撃は効かない。
だから、たとえ俺ごと攻撃に巻き込まれたとしても……!
「……くそっ……!!」
俺には、何も閃けなかった。
俺には、何も思いつかなかった。
答えがない。
選択肢がない。
俺には、大量の幽刃卿に滅多刺しにされる以外の未来がない!
そう――俺には。
1本の、光が奔った。
幻影たちの隙間をすり抜けて。
まっすぐに、実直に飛ぶ――
――1本の矢があった。
「……が……?」
幽刃卿は、唖然とした顔で、自分の腕を見下ろす。
俺の腕を捕まえた、右腕に。
深々と、光の矢が刺さっていた。
振り向けば見えるだろう。
幽刃卿の幻影たちの向こうに、矢を射ち放った直後の、愛すべき娘の姿が。
そして――目の前のこいつが、オモチャとして使い捨てようとした、一人の人間の姿が。
「ほらな」
解放された腕で、俺は今一度体技魔法を発動させた。
「あいつは、大人しく遊ばれるタマじゃねえよ」
《焔昇斬》が鋭く立ち上り、幽刃卿の身体を高々と打ち上げた。
おあつらえ向きだ。
俺は空中に放り出された殺人鬼を見上げながら、さらなる体技魔法で硬直をキャンセルする。
「第四ショートカット発動!」
纏うのは、続けて炎。
ただし今度は、その揺らめきが大きな龍の輪郭をかたどる。
体技魔法|《龍炎業破》―――!!
炎の龍が、空へと立ち上る。
その余波で、群がった幻影がまとめて吹き散らされた。
「――――ハ」
炎のアギトが、獰猛に開く。
空中にある幽刃卿を捉え、そのままさらに突き進む……!!
「ハハ。ハハハハハ! ハハハハハハハハハハハ―――!!」
初めて聞く哄笑の残滓をその場に残し、炎の龍は終点に辿り着いた。
上空を舞っていた、ダ・フロストローザに。
《龍炎業破》は、幽刃卿ごと氷の翼を打ち砕く。
弾けた音は、澄み渡っていた。
頭の中身を打ち払うような、心地のいい破壊音だった。
「ァ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ッ!!」
《龍炎業破》が終わると同時、片翼を失ったダ・フロストローザも墜落する。
あとは、これまで2回も繰り返されてきたことだ。
氷を割って溶岩に沈んだ。
ぐったりした巨竜に、幻影の妨害から解放されたプレイヤーたちが殺到した。
俺が地面に着地すると、すぐそばには一人分の人魂があった。
ポップアップしたキャラネームは、血のような赤色。
しかし、それでも、その人魂は、ダ・フロストローザのHPが尽きるそのときまで、その場から消えることはなかった――
断末魔が、弾ける。
壮麗な美しさと、壮大な強さを誇った氷の竜が、ばたばたと無様に暴れながら、上空へと逃げていく。
だけど、俺にはむしろ、その姿が一番綺麗に見えた。
氷細工の翼は溶け落ち、全身を傷だらけにして――終わりだとわかっていても、なお足掻く姿が。
遙か高空で、青白いドラゴンは、氷のように砕け散った。
きらきらと輝く破片が、俺たちの頭上にしんしんと降った。
そのすべてが溶けて、消えて、静寂が弛緩に至る寸前に――傍らの人魂は姿を消す。
それから、誰もいなくなった場所に、俺はぽつりと呟いた。
「……楽しかったか? 幽刃卿――」
こうして。
殺人鬼との『ゲェム』は、終わりを告げた。




