第150話 遊びの功罪
「正体見たり、幽刃卿――! あなたの能力、完全に読み切りました!!」
毅然と宣言したチェリーが次にやったことは、通話の向こうの人間に問いを投げることだった。
相手は、幽刃卿に斃されて死に戻りし、現在、全速力でこちらに戻ろうとしている男――
「クメガワさん! 質問があります!」
『むっ。なんですかな!?』
「幽刃卿にやられる寸前のことです。確か、音がどうとか言っていましたよね!?」
――今、音が……? これは―――ぐっ!?
「あれはもしかして、風の音が変わったんじゃないですか? 通風口から聞こえる、風が流れる音が!」
『むっ……。た、確かに……。そうです。風の音が変わったのです。どう変わったかと言われると難しいのですが……』
「それで充分です。ありがとうございました」
チェリーは続けて氷の迷宮を見上げた。
今まさにその各所で、幽刃卿の猛攻に耐えながらマッピングを続けている3クランのプレイヤーたちに、朗々と指示する。
「全員っ!! 通風口を探してください!! その中に《チョウホウカ》を流し込むんです!!」
プレイヤーたちは一瞬だけ困惑した様子を見せた。
しかし、続いた声に硬直を打ち砕かれる。
『やっちゃってくださいっ、皆さんっ!!』
『チェリー殿の指示通りに!』
『庶民あーっ! ぶっちかませえーっ!』
巡空まいるが、D・クメガワが、そしてUO姫が、チェリーにお墨付きを与えた。
そうなれば行動は迅速だった。
何秒も立たないうちに、あちこちで炎が迸る。
炎属性上級範囲攻撃魔法《チョウホウカ》――
透明な氷迷宮を張り巡る通風口――その中を、紅蓮の炎が満たしていく。
まるで世界に血が通っていくかのようだった。
氷でできた迷宮は、しかし炎に溶かされることはなく、ただただ炎が立体的な網目になっていくのを俺たちに透かして見せる。
「――やっぱり、あの壁抜け能力には制限があったんです」
その幻想的な光景を俺やメイアと並んで見上げながら、チェリーは幽刃卿の解体を開始した。
「最初の違和感は、雪山の小屋で襲われたときのこと――覚えてますか、先輩?」
もちろん覚えている。
幽刃卿は最初、小屋の壁際にいたメイアを狙って壁越しに攻撃を仕掛けた。
俺たちが見たとき、腕はすでに壁をすり抜け、ナイフがメイアの首に添えられていた。
俺がギリギリでナイフを掴んで事なきを得たが、ブクマ石――《往還の魔石》によるテレポートで逃げられた、という流れだ。
「そう。おかしいと思ったのはそこです――幽刃卿は、どうしてわざわざブクマ石で逃げたのか?
先輩にナイフを掴まれていたとはいえ、だったらナイフを捨てて逃げればよかった。
それだけのことだったのに、どうしてたったひとつしかスタックできないブクマ石を消費しなければならなかったのか――?」
《往還の魔石》のテレポートは脱出手段としては超強力だ。
しかしそれゆえに、切り札だったはずだった。
最大スタックは1個。同時に1個までしか持てない。一度使えばそれまでなんだから。
実際、幽刃卿はその後、ハックアバターを使った小細工をしてまで2個目を回収しなければならなかった……。
そしてそれゆえに、チェリーにハッキングの事実を見抜かれたのだ。
そんなリスクを冒してまで、あの局面でブクマ石を使わなければならなかった理由って、一体なんだったんだ?
「答えは明白です」
チェリーは確信に満ちた声音で告げた。
「壁の向こうに、手を引っ込めることができなかったからです」
……え?
引っ込められなかった? 手を?
それじゃあまるで――
「そういうことですよ。幽刃卿の壁抜け能力は――手だけは、決して透過できないんです」
「ええっ……!?」
「なっ……!?」
手だけ、透過できない……!?
一体、どうして……!?
「傍証は他にもあります。先輩。確か幽刃卿のナイフを掴んだまま、壁越しに攻撃しましたよね?」
「あ、ああ……手応えはなかったけどな。ブクマ石で逃げられて」
「違いますよ。幽刃卿がブクマ石で逃げたのは、先輩が壁越しに突き刺した後です。突き刺した時点では、確かに幽刃卿は壁の向こうにいたはずなんです」
――俺はナイフを掴んだまま、手が伸びている壁に魔剣を突き刺す。
――壁の向こうには、このナイフの持ち主がいるはずだった。
――俺が捕まえている以上、逃げることはできない……!
――はずだったが。
――――手応えが、ない……!?
――壁をすり抜けて伸びていた手が、一瞬青く輝いて消えた。
――俺の手の中のナイフも消える。
「幽刃卿は確かにそこにいたはずなんです。なのに手応えがなかった。それはすなわち、物質透過スキルが発動している証拠――そのスキルが、プレイヤーの武器すら透過してしまうという証拠なんです」
「武器――って、おい、まさか……!」
「私はこう考えます。幽刃卿の物質透過スキルは、自分の武器すら透過してしまうのではないか? だから、武器を持つ手だけは透過させられないのではないのではないか――」
物質透過状態における、武器の扱い。
ゲーム的に考えれば、大別して二つのパターンが想定できる。
ひとつは、服なんかと同じく、装備武器もまたアバターの一部として扱われるパターン。
この場合は、物質透過が武器にまで及ぶ可能性が高い。
つまり、『透過状態を解除しなければ攻撃できない』というデメリットを持つスキルだ、と解釈できる。
だが、この可能性は排除された。
なぜなら俺が、壁をすり抜けて伸びた幽刃卿の手が持つナイフを、この手で掴んでいるからだ。
そもそもこのパターンの場合、壁越しの攻撃なんてのは成立しない。
ゆえに、考えられるのはもうひとつのパターン。
武器はアバターに含まれない。
物質透過にも含まれない。
だから、透過状態で攻撃することはできるが、武器を持つ部分だけは透過できない。
もしそこまで透過してしまったら、武器を持つこと自体ができなくなるから――
「この仕様によって、幽刃卿の壁抜けスキルには致命的とも言えるデメリットが発生してしまうんです。言わなくてもわかりますね、先輩?」
「ああ……。手だけは透過できないってことは、つまり――最低でも手を通せる穴がなければ、壁を通り抜けるのは不可能だってことだ」
「そうです。思い出してみましょう。まず、最初に襲撃された小屋には、天井の近くに小さな窓がありました」
――あっ、そっか。あったまいい~
――いまいち危機感の希薄なメイアに苦笑しつつ、俺は小屋の様子をチェックした。
――窓はひとつ。天井近くのかなり高い位置に、せいぜい手首が通るかどうかくらいの小さな隙間がある。
「そこから続く攻防で二度目の襲撃をしてきたときも、メイアちゃんが矢で空けた穴がありました」
――俺が振り返ると同時、ボロいマントを纏った男が穴の空いた壁をすり抜けてきた。
――その両手には無骨なサバイバルナイフが1本ずつ握られている!
「そしてこの迷宮。見ての通り、すべての道を繋ぐように通風口が張り巡っています!」
――んっ……! ……あれ? 風?
――ああ、たぶんアレだな
――俺は天井近くの壁を指差す。
――あそこに穴があるだろ? たぶん通風口だな。ここは神殿と違って、かがり火や松明を明かりに使ってるみたいだから
――あっ、そっか。酸素がなくなっちゃうから、空気をぐるぐるさせてるんだねー
「幽刃卿は壁ではなく、通風口を通じて移動しているんです。だからクメガワさんが襲われたとき、風の音が変わった。通風口を移動する幽刃卿の手が風の流れを変えていた! ならば―――!!」
氷の迷宮を血のように駆け巡る炎。
通風口の中を――殺人鬼の抜け道を埋め尽くすダメージ圏。
「―――通風口の中を炎で埋め尽くしてしまえば、壁抜けスキルは完全に封じられる!!」
幽刃卿の攻撃は止んでいた。
チャンスだと、誰かが指示するまでもない。
プレイヤーたちは猛然と走り、シェアマップに自らの軌跡を刻んだ。
マップが埋まる。
複雑怪奇な迷宮が、その全貌を明かされる。
俺たちはその全体図を血眼になって追った。
そして――
『ボス部屋到着!!』
通話越しに誰かが報告したその瞬間、シェアマップに刻まれた蟻の巣のような図に、一筋の閃光が走ったように見えた。
通った。
この入口からボス部屋まで至る、最短のルートが!
「行くぞ!!」
「はいっ!」
「うんっ!」
俺たちは氷の迷宮に踏み込み、複雑怪奇な道のりを迷わずに走った。
ボス部屋はだだっ広い空間だ。
そこまで行けば、幽刃卿に不意打ちは不可能になる。
加えて、壁抜けをするための通風口は、炎に満たされて使えない。
出てこざるを得ないはずだ。
隠れ場所を失ったお前には、それしか選択肢がない。
来いよ、幽刃卿……! いい加減、決着をつけようぜ!
最初は遠く思えた道のりも、わかっていればあっという間だった。
いつしか、天井の氷塊に眠るドラゴン――《呪転凍眠竜ダ・フロストローザ》の姿が、圧倒されるほどに近くなっている。
ボス部屋の手前で、《聖ミミ騎士団》の騎士たちが手を振っていた。
彼らの背後に聳える、氷でできた巨大な観音開き。
向こう側には、だだっ広いボス部屋が透けて見えている。
近いようで遠い道を一気に駆け抜けると、騎士たちは俺の肩をばんばんと叩いた。
「よく来た! ……仇討ちの準備はいいか?」
俺は少しだけ笑う。
「ああ。お前らのお姫様の仇を取らないとな」
『生きてるんだけどー!?』
1回死んだだろ。
騎士たちが前に出て、氷の観音開きを押し開いた。
……天井の氷の中のボスは、どの時点で動き出すのか。
おそらく、幽刃卿が動くとしたらボス戦中か、あるいは――
騎士たちの後ろに続く形で、俺たちもボス部屋の中に入った。
本当に、頭上のボス以外には何もない、だだっ広い空間だ。
ただ、足元に広がる氷の迷宮だけが、寒気が走るほどに芸術的だった。
背後の観音開きが、閉まる――
寸前。
その隙間を、黒い影が通り抜けた。
俺は魔剣フレードリクを振るう。
「――――ッ!?」
メイアのすぐ後ろまで迫っていた影が、俺の斬撃を避けて後ろに跳び離れた。
幽鬼のような姿のそいつに、俺は魔剣の切っ先をひたと据える。
「底が見えたな、幽刃卿――見え透いてたぞ、このタイミングで襲ってくるってな」
「…………ッ…………」
ボロマントから覗く幽刃卿の右手は、ダメージエフェクトで赤く光っていた。
きっと通風口に満たされた炎によるものだろう。
チェリーの推理は何もかも丸っきり、的中だったってことだ。
チェリーが、メイアが、仇討ちに燃える騎士たちが、幽刃卿に向き直って身構える。
MAOが誇るトッププレイヤーたちと対峙しながら、しかし幽刃卿は、フードから覗く唇を三日月に曲げてみせた。
「……ス……ススス、ス」
隙間風のような声は、おそらくは嘲笑のそれ。
「まるで……正義のヒーローのような……顔だな。我と、お前たちとで……何が、違う? 共に……許された、ルールに従って……同じゲームで遊ぶ、同類……だろう?」
俺たちは黙って眉をひそめた。
幽刃卿は2本のナイフをくるくるともてあそび、黒々とした虚ろな瞳をメイアに向ける。
「NPC、を……遊びの、道具に……使う。当然の、ことだろう……。
我は、殺す。お前たちは、生かす。
そこに、本質的な、違いなど――ない」
ヒュン、と風を切り、右手のナイフが俺たちに向けられた。
チェリーが幽刃卿を指弾したように、今度は幽刃卿が、その切っ先をもって指摘する。
「自分の、遊びの、ため――他人を、利用、している! そこに……何の違いも、ないッ!!」
今まで聞いた中で最も苛烈な、幽刃卿の声だった。
挑発ではない。出任せではない。
その言葉は真実、幽刃卿の想いなのだろう。
ヤツは求めている。
俺たちに、はっきりとした定義を。
メイアを守るのが正義で、メイアを殺すのは悪。そう断言できる理由はなんなのか、と。
「いいや、俺たちとお前は違う」
だから俺は、はっきりと答えた。
そんなのは、至極簡単なことだった。
「お前は、メイアで遊ぼうとした。俺たちは、メイアと遊んでいる。……一緒にするなよ、地雷野郎が」
幽刃卿はナイフを突きつけたまま、しばし沈黙した。
「……なる、ほど」
やがて漏れたのは、虚ろな隙間風ではない。
どこか、悔恨のようなものが滲んだ――
「なるほど、な……。その発想は、なかった。ああ……当たり前の、ことだ。……嫌というほど、遊ばれてきた……弊害、か」
俺はふと、D・クメガワの推理を思い出す。
男女両方のアバターを使える幽刃卿は、性別が未分化な、特殊な体質の持ち主である可能性が高い――
「スス――スススス――ススススススス!」
その隙間風のような笑い声も、事ここに至って違う風に聞こえた。
誰の耳にも入らないように。
誰の癇にも障らないように。
ひっそりと、こっそりと、ささやかに笑っているかのような――日陰者の笑い声。
「――ならば」
幽刃卿はピタリと笑い声を止めると、突きつけたナイフを下ろした。
「最後に、もうひと遊び……付き合ってもらおうか?」
幽刃卿の右手が煙る。
その手に握られたナイフが、高く高く空中に放り投げられた。
何を……!?
ナイフはいつまでもいつまでも飛び上がり続け――そのまま、氷に突き刺さった。
天井を埋め尽くす、巨大な氷塊に。
静かにドラゴンが眠る、氷の棺に!
瞼が。
開いた。
琥珀のような氷塊の中で、真っ青な双眸がぎょろりと動く。
俺たちを見た。
俺たちが見られた。
その瞬間――氷塊の全体が、ビシリと亀裂に覆われた。
「お……お前っ……!!」
「シンプルにして、王道……よ」
ボロボロと氷の破片が降り始める中、幽刃卿だけが、楽しそうに唇を歪めていた。
「《赤統連》が第三席《幽刃卿》――モンスターPKにて、貴殿らのお命、頂戴仕る」




