第149話 正体見たり
『ごめんなさ~い! 油断しちゃいましたぁ~!』
通話に復帰した巡空まいるが、目をバッテンにしてそうな感じで謝った。
『メイアちゃんのこと、守ったげようと思ってたのにぃ……不覚です……巡空まいる、一生の不覚です……』
「まあまあまいるちゃん。次があるよ、次が!」
『本当ですかぁ? 次、ありますかぁ?』
「あるよねー、パパ?」
「あってほしいとは願ってるよ」
俺たちはいったん氷の迷宮の外まで引き返していた。
光景の美しさとは裏腹に、あの場所は恐るべき危険地帯となっている。
外国の路地裏を遙かに超える治安の悪さ。ひとたび踏み込めばどこからナイフが飛んできたもんかわかったもんじゃない。
そのうえ、やっと幽刃卿の姿を見つけたかと思っても、それは虚像かもしれないのだ。
ここまでは幽刃卿を倒してゲームを終わらせるため、あえてメイアを連れ歩いていたが、これはさすがに許容できるリスクじゃない。
「とはいえ、このままじゃ八方塞がりだよな……。なんとかして幽刃卿の不意打ちを抑制できないのか?」
「ひとつだけ、氷迷宮の中でも比較的安全そうな場所がありますよ、先輩」
チェリーが難しい顔で呟いた。
隣を見ると、その視線は氷迷宮の上層に向けられている。
氷迷宮にちょっとだけ顔を出してその視線を追えば、遙か上の天井に、巨大な氷塊とその中で眠るドラゴンが見えた。
「氷迷宮の最上階。おそらくボス部屋と思われる部屋には、見た感じ壁がありません。あそこまで行けば、幽刃卿も不意打ちが難しくなります」
ドラゴンが眠る氷塊のすぐ下、迷宮の一番上は、なるほど確かにだだっ広い空間になっていた。
「でも、透明に見えても迷宮だからな……。あの部屋に繋がる道を探し出すまでに、メイアがどれだけ危険に晒されるか……」
「わかってます。だから少なくとも、ボス部屋までの道順がわかるまでは、メイアちゃんを氷迷宮に入れるわけにはいきません。……申し訳ありませんが、マッピングは他の方々に頼るしか……」
『まっかせて!』
元気な調子でしゃしゃり出たのは、3人のクラン有力者最後の生き残り、UO姫だった。
『庶民が頑張ってマッピングしてくれるよ~! 可愛いメイアちゃんのためだもん、デスペナルティの1回や2回怖くはないよね~!?』
『『『おーっ!!』』』
『経験値の1万や2万惜しくはないよね~!?』
『『『お、おーっ!!』』』
ちょっと惜しいと思ってんじゃねえか。
「……というか、当たり前のようにあなたは頑張るつもり皆無なんですね、媚び媚び姫」
『ミミは頑張るところがち・が・う・のっ! 庶民を指揮しなきゃなんだから、下手に突っ込んで死んじゃったらダメダメでしょ~?』
「腹立ちますね。真っ当なこと言わないでください」
『変なこと言っても怒るくせに! これだから詰ませるの大好き将棋マニアは!』
とにかく、《聖ミミ騎士団》がデスペナルティ覚悟でマッピングをしてくれると言う。
メイアのために……幽刃卿なんて、こいつらには何の関係もねえのに。
一応は親として感謝を示しておかねばなるまいと口を開きかけ、
「ストップ先輩! 今、『お礼に何でも言うこと聞いてやる』的なこと言いかけたでしょう!」
「なぜわかった!?」
『あっ、惜しい! エロいことお願いしようと思ってたのに!』
「なぜわかってる!?」
お見通しだし手のひらの上かよ。こえーよこいつら!
俺がチェリーとUO姫の高次元バトルに置き去りにされる一方、D・クメガワと巡空まいるが、
『我々としても協力を惜しみません。悪質なPKはMAOプレイヤー全体の問題ですからな』
『もちろん《赤光の夜明け》もです! メイアちゃんを手にかけたりさせられませんし、PKくらいにナメられてちゃメンツが立ちませんってヤツです!』
彼らのクランメンバーも次々に協力を表明する。
こいつらの気がいいのか、それともメイアに人望があるのか……。
「うんー? 何見てるの、パパ? わたしの顔そんなにかわいい?」
「きゃー♪」と一人で盛り上がる愛娘の頭を撫でて、俺は通話の向こうにいるプレイヤーたちに望みを預けた。
「……頼む。道を切り開いてくれ」
頼もしい応えが、ぐちゃぐちゃに重なって返ってきた。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
『うおっしゃああああああ!!』
『いけいけいけいけいけ!!』
『突撃ィィィ――――ッ!!!』
敵軍に突っ込む騎馬兵みたいなノリで、氷の迷宮を白銀の騎士たちが駆けていった。
俺たちは氷迷宮の入口からそれを見守る。
別の入口からは、スーツにトレンチコートの《ウィキ・エディターズ》や、ローブを羽織った《赤光の夜明け》が、同じように怒濤の勢いで透明な迷宮を走っていた。
「壁抜け能力を持つ幽刃卿の、迷宮内での移動速度は圧倒的です……」
隣でその光景を見上げながら、チェリーが憎々しげに呟く。
「それでも、これほどの人数が別々の入口から押し寄せれば、そのすべてには対応できないはず……!」
そのとき、赤い光が舞った。
芸術品めいた迷宮を汚すかのように、《聖ミミ騎士団》の一人がダメージエフェクトを散らしてくずおれた。
『ラインハルトおおおーッ!!』
『いや、あいつの名前ラインハルトじゃねーけど』
『下がれ下がれ! 人数を保つのが最優先だ!』
一人がやられても焦って突っ込まず、冷静に睨み合いを続けていれば、その間に他の奴らがマッピングを進めてくれる。
いずれも歴戦のフロンティアプレイヤーだ。事前の作戦の通りに幽刃卿に対応していた。
しかし……そこは幽刃卿。
《赤統連》が誇る最強のPKの一人。
警戒して下がった騎士たちを、さらなる凶刃が襲う。
『ぐっ……!?』
『やべえ、逃げ場所を読まれてる!』
『あああくそっ!』
『よせっ! ばらけるなっ!』
事態が作戦から外れて混乱したところを、あっという間にナイフが平らげる。
そして、その数秒後には、別の場所で血風が巻き起こっていた。
「みんな……!」
メイアが祈るようにぎゅっと両手を握っていた。
蘇生するとしても、仮初めの命だとしても、他人が自分のために身を挺してくれることに、彼女は何を思うのだろう。
メイアはこの世界で生まれ、この世界で育った。
この世界で多くの人間と出会い、その全員に守られてきた。
当たり前だと思うか、守られることを。
いいや、そんなわけがない。
幽刃卿という敵を知っている。自分を守らない存在を知っている。
だから、誰かが自分を守ってくれるということの特別さを、身に染みて理解できる。
……だとしたら、俺たちはお前に感謝すべきなんだろうな、幽刃卿。
お前が現れたおかげで、メイアは自分が特別ではないことを学べたのだ。
お前が現れたおかげで――メイアが、俺たちと何も変わらない存在であることが証明されたのだ。
「…………何か…………」
舞い散るダメージエフェクト。その中を、プレイヤーたちが勇ましく駆け抜けていく。
その姿を。そのすべてを。チェリーはひとときとして見逃すまいと、その大きな瞳を見開いていた。
「何か……何かあるはずなんです、必ず……! あの壁抜け能力を打ち破る方法が、何か……!」
無敵のプレイヤーなんていない。
すべてのスキル、魔法にはメリットとデメリットがある。
無敵に見えるとしたら、それは見る者の視野が狭まっているだけだ。存在する弱点を見落としているだけだ。
――幽霊の、正体見たり、枯れ尾花。
お前もそうなんだろう? 幽刃卿……!
「あっ! また……!」
またひとつパーティが全滅する。
シェアマップを見ると、埋まっているのはまだ全体の6割くらいだ。最上層のボス部屋に繋がる最短ルートは、まだ特定できていない……!
「……なんて奴だ」
この期に及んでは、俺も賞賛するしかなかった。
氷の迷宮に突入したプレイヤーの数は60人を超えていた。しかしすでに、その半分以上が幽刃卿によって斃されている。
予想以上のPK速度だった。このままだと、マッピングが終わる前に全滅してしまう……!
「――そろそろミミの出番かな?」
不意に、背後から声がした。
ふわりと甘い匂いを振りまいて、雪色のロリータが踊るように前に出る。
UO姫だった。
誰も連れていなかった。
「お前……なんでここに? 別の入口で指揮してたはずじゃ……」
「べっつにぃ~? というか、実はミミがいなくても、庶民勝手にやってくれるし。……ミミの仕事はね、これから始まるんだよ?」
UO姫は、くるりと振り返って悪戯っぽく笑う。
冗談めかした態度でありながら……その瞳には、いつもはない真剣な輝きがあることに、俺は気付いた。
「今回は、文字通りの出血大サービス♪」
声音も、表情も、いつも通りのおどけたようなそれ。
「わたしね、メイアちゃんのこと大好きなの。赤ちゃんの頃、チェリーちゃんの振りして無理やりママになろうとしたこと話しても、変わらずに懐いてくれたし……そうじゃなくてもね、わたしたちプレイヤーの誰よりも、この世界を楽しんでるんだもん。ほんと……お父さんとお母さんそっくり」
くすくすと茶化すように笑うのは、何かを隠すための仮面か? それとも、そう思わせるための演技か?
「だからね、あんなPKなんかに奪われたくない。MAOにはもっともっと楽しいことがたくさんあるのに、それを教えてあげる前にゲームオーバーになんかさせない。
そのために、チェリーちゃん――今回だけは、噛ませ犬になってあげる。ミミを差し置いて主役を張るんだから、ばっちり決めちゃってね?」
「あっ……!」
チェリーが何かを言う前に、UO姫はくるりと背を向けながら、氷の迷宮に足を踏み出した。
護衛もつけず。
たった一人。
そのとき、俺はようやく、俺たちの後ろに火紹が立っているのに気付いた。
誰よりもUO姫への忠誠心が強い彼は、しかし今だけはじっとその場に佇み、主の背中を見守っていた。
――ヒュウオウッ。
風を切る音が、する。
無防備に顔を出した獲物を狙って、氷の壁から忽然とナイフを持った手が出現する。
UO姫の細い首が、深々と抉られた。
血のようなダメージエフェクトが宙に舞い、輝き、そして散る頃には、ナイフを持った手は消えていた。
小柄な身体が、氷の床にくずおれる。
MAO史上最高傑作とも呼ばれるアバターは、しかしすぐに、見慣れた青白い人魂へと姿を変えた。
「…………これで、さんにん」
隙間風のような笑い声がする。
勝ち誇っていた。何人群れようと無駄だと。自分のほうが強いと。風に揺れる人魂のそばで、笑い声が勝ち誇っていた。
俺は――その笑い声を、哀れに思った。
わからないか。
お前にはわからないか、幽刃卿。
今のUO姫の行動が、何のためのものだったのかを。
「――――風」
と。
チェリーが意識を浮遊させたような声で呟いた。
「風の音……だったんですね」
――ヒュウ、と風が鳴る音が聞こえた。
「……ようやくです。今回ばかりは感謝してあげます。よくぞ、私の目の前で死んでくれました……!」
チェリーは勇ましく一歩を踏み出す。
それは反撃の一歩だ。
それは逆襲の一歩だ。
そしてそれは――決着の一歩だ。
チェリーの細い指が、毅然と伸びる。
姿なき殺人者を――しかし確かに、指弾する!
「正体見たり、幽刃卿――! あなたの能力、完全に読み切りました!!」




