第148話 光の死角
『面目ない』
しばらくして通話に復帰したD・クメガワは、申し訳なさそうな声で言った。
『注意は充分していたつもりだったのですが……一瞬のことすぎて、対応が間に合いませんでした』
「幽刃卿はどうやって襲ってきたんですか、クメガワさん? 姿を見ましたか?」
『人魂状態になってからなら。繋ぎっぱなしになっていた通話に声を入れたのち、普通に歩み去っていきました』
「今、恋狐亭から通話しているんですよね? 復活はできなかったんですか?」
『同行者が全員やられてしまいまして。死に戻るしかなかったのです』
「《ウィキ・エディターズ》の攻略プレイヤーを一瞬かよ……」
俺は呻くしかなかった。
この最前線にいるという時点で、いずれも一筋縄ではいかない剛の者ばかりだ。
それを一瞬……。
ただ攻撃力が高いというだけでは説明がつかない。十中八九、即死系のスキルだろう。
『分かれ道でメンバーを分けて、パーティが4人になってからすぐでした。おそらくは、我々の人数が減るのを待っていたのでしょうな』
『うげえ~。めんどくさいなあ~。身を守りたいなら固まってないとだけど、固まっちゃうと迷宮の探索がなあ~』
「安全を取るか速さを取るか、ですねぇ。どっちがいいと思いますかぁ、チェリーさん?」
「うう~ん……。この大迷宮がどこまで広がってるかわからない以上、最速で一気に駆け抜けるほうが安全だとは、とても言い難いですね……」
「殺人鬼相手には一箇所に固まっちゃうのが一番いいんだよねー、パパ!」
「そうだぞー、よく知ってるなー、メイア。絶海の孤島とか雪山の山荘で殺人事件が始まったときは、食料を掻き集めてリビングとかに籠城しようなー」
「嵐なり吹雪なりが治まって警察を来るのを待てばいいならそれでもいいですけどね。……っていうかメイアちゃん、そんなの誰に聞いたの?」
「んー。名前覚えてないけど、恋狐亭によく来る推理小説好きのおじさん」
名前も覚えてねえ奴に何を教えられてんだよ。
あんまり知らない人とお話ししないように、と小学生にするような注意をする俺たちの一方で、UO姫が甘ったるい声で言った。
『ミミたちは死んじゃっても別になんてことないけどぉ、メイアちゃんはきちんと守らないとね~! だからそっちだけ人数多めに集めとけばいいんじゃない?』
「うわっ。媚び媚び姫がまともなこと言った」
『ミミは何度バカにされればいいのかな~? そろそろミミが独占入手したチェリーちゃんの恥ずかしい話をこの通話で垂れ流してもいい頃かな~?』
「はっ……!? そ、そんなの、ありませんし……」
『え~。では、ここに取り出したるはとあるデータ。チェリーちゃんが昔、TRPGをするために作った自分の――』
「わーわーわーっ!! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」
えっ……? めっちゃ気になるんだけど、それ。
「こほんっ!」
チェリーは赤い顔で、わざとらしい咳払いをした。
「確かに、メイアちゃんがいるこのパーティだけ人数を厚くして、他は分散させてダンジョン探索を進めるというのは悪くない案です。幽刃卿が姿を現した以上、どこかのクランメンバーにハックしたアバターで紛れ込んでいるという可能性もなくなったわけですからね!」
「ママ、誤魔化した」
「あとで見せてもらおうぜ」
「さんせー!」
「賛成しないで! ……とにかく、念には念を入れて10人くらい欲しいです。大丈夫ですか、巡空さん?」
「オッケーですよぉ! メイアちゃんは有名人ですから、その護衛だって言ったらみんな集まっちゃいますよぉー!」
巡空まいるが《赤光の夜明け》のクランメンバーに指令を出し始めた。
その間に、チェリーが通話の向こうのD・クメガワに言う。
「クメガワさん。もし覚えていたら、幽刃卿に襲われた場所に付箋を貼ってくれますか?」
『無論覚えておりますとも。……はい。貼りました』
シェアマップには、宝箱がある場所とかトラップがある場所とかをメモっておくための付箋機能がある。
それを使って、D・クメガワが襲撃地点に付箋を貼った。
その位置を見て、チェリーは「うーん」と唸る。
「今のところ、どの道とも隣接してませんね……?」
「ああ……。幽刃卿はどこから襲ってきたんだろうな……?」
『いきなり壁から腕が生えてきたような印象でしたな』
「壁から……」
チェリーは形のいい眉をひそめた。
「どうかしたか?」
「いえ……ちょっとした疑問があって」
「どんな?」
「この大迷宮、立体なんですよね。平面じゃなくて」
「ん? ああ」
シェアマップに刻まれた道は何色かに色分けされている。
この色が示しているのは高低差だ。
大迷宮が前後左右だけではなく、上や下にも広がっていることを意味する。
そのため、道と道が交錯しているように見える箇所も散見された。
「平面じゃなくて立体。天井の上や床の下にも空間があるかもしれないわけです。……だとしたら、壁じゃなくて、天井や床から襲ったほうが不意打ちできるんじゃないですか?」
俺は少しだけ黙り込んで考えた。
「……確かに。一理ある」
頭上や足元は基本的に死角だ。壁に比べて注意から外れやすい……。
「なのに、あえて壁から攻撃した。……もしかすると、これには意味があるのかもしれません」
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「ちょっと……寒くなってきた?」
しばらく何事もなく大迷宮のマッピングを続けていると、肌寒さを感じるようになってきた。
地下都市に入った辺りから防寒着は脱いでいたんだが、また着込みたくなるような冷たさだ。
「外が近付いてきたんですかね……?」
「標高もかなり高くなってるはずだしな……」
何分、狭苦しい迷宮をずっと歩いているから、今、標高としてはどの辺なのかはさっぱりわからない。
さらに歩いていくと、本格的に冷気を感じた。
STRやDEXにデバフがかかり始めたので、防寒着を着用する。
が、先頭を歩く巡空まいるは、水着みたいな露出度の踊り子衣装のままだった。
「まいるちゃん、寒くないの?」
「大丈夫ですよー。これであったかいので!」
くるりとその場でターンしたかと思うと、巡空まいるの周囲に《ファラ》の火球がぽぽぽんっと現れた。
「わー。あったかーい!」
「……なんだか、鬼火みたいですね」
「それほどでもぉ~」
脇を見せるように踊りながら照れる巡空まいる。いや、今のは別に褒めてないだろ。
それぞれ防寒対策をしつつ進んでいく。
と――
「あ」
「あーっ!」
「光が……」
前のほうから、眩いばかりの光が射していた。
まさか、もう外か?
思ったより短かったな……?
「最後まで気を抜かないでね、メイアちゃん」
「はーい!」
終わりだと思ってハシャいでたらトラップに引っかかるなんてのはよくある話だ。
充分に警戒しつつ、俺たちは光の向こうに抜ける。
そこは――
「うわ……」
「へぇ……?」
「ひゃあ……」
女性陣が、唖然としたようにか細い声を漏らした。
外ではなかった。
依然として迷宮だ。
しかし、薄暗くもなければ狭苦しくも感じない。眩いばかりの光が、至る場所から全身を覆う。
肌寒さの原因は、この場所の材質だった。
氷の迷宮だ。
すべてが透明な氷でできた迷宮が、どこどこまでも広がっているのだ。
「――あっ!」
目をきらきらさせながら氷の迷宮を見上げたメイアが、顔を限界まで上に向けたところで大きな声を上げた。
「あっ、あれ! 上見て! あそこ!」
ぴょんぴょんジャンプしながら迷宮の上層を指差すので、俺たちもその方向を見る。
瞬間、ぞくっとした。
一瞬だけビビってしまったのだ。
幾重にも重なった透明な氷の壁、床、天井。
そのすべてを越えて越えて越えた果て。
岩でできた一番上の天井に、そいつはいた。
まるで薔薇のように広がった巨大な氷。
その中で、あたかも琥珀のように、純白の巨体が安らかに目を閉じている。
望遠鏡で覗くと、ネームタグがポップアップした。
――《呪転凍眠竜ダ・フロストローザ》。
「あいつが……雪山エリアのボスか……」
呪転領域ダ・ナイン最後のボス。
長かったナイン山脈の攻略も、あいつを倒せば終わるのか。
それとも……。
「――――あれぇ?」
不意に、巡空まいるが怪訝な声をあげた。
「あそこ……なんか、黒いのがいません?」
黒いの?
巡空まいるの指差す先に視線を転じる。
確かに、何メートルか上の道に、何か黒いものが立っていた。
あれは……?
望遠鏡を覗く。
「…………人影…………?」
いや、違う――影なんかじゃない。
ネームタグがポップアップした。
鮮血のように赤い名前が、頭の上に――
――《LordGE》。
「幽刃卿だッ!!」
俺が叫んだ、その直後だった。
何メートルも上に見える幽刃卿が、ナイフを持った右手を振り上げた。
あんな遠くで、一体何を――
――ザシュッ。
「…………あ、」
幽刃卿が腕を振り下ろすと同時――赤いダメージエフェクトが舞った。
「れ…………?」
先頭にいた巡空まいるが、戸惑いの声を漏らしてくずおれる。
彼女の周囲で舞っていた火球が、一斉に消え失せた。
とっさに理解が追いつかない。
その間に、倒れ伏した巡空まいるは、青白い人魂へと姿を変えた。
「ま……まいるちゃん!」
走り出そうとしたメイアを、俺はかろうじて捕まえることができた。
「な、何するのパパっ! 早く蘇生させてあげないと……!」
「ダメだ。無理だ! ……あそこは、ヤツの間合いだ」
俺は数メートル上の階層にいるように見える幽刃卿を睨み上げた。
「氷による、光の屈折……」
憎々しげな響きを乗せて、チェリーが呟く。
「見た目上は、何メートルも上にいるように見える。……でも、実際には、すぐ近くにいるんですね」
スススススっ――と、どこからともなく隙間風のような笑い声がした。
「惜し、かった。あと少し、こちら側、に、踏み込んでいれば――そのNPCを、仕留められた……ものを」
氷の光を受けて鈍く輝くナイフが、メイアに向けられる。
「今回、は、その女に、助けられた、な――護衛を増やそう、と……意味など、ない。我が刃は、あらゆるものを、すり抜け……必ず、標的の首に……届く」
……時間切れだ。
蘇生待機時間が終わり、巡空まいるの人魂が消滅する。
「…………これで、ふたり」
スススススっ――不気味な笑い声だけを残して、幽刃卿は屈折した光の死角に姿を消した。




