第145話 ダンシング・マシンガン・ウィザード
チェリーの指先は、見間違えようもなく巡空まいるを指し示していた。
いいや、そこにいるのは巡空まいるじゃない。
そのアカウントをハックし、そのアバターを隠れ蓑にした《赤統連》の暗殺者――幽刃卿だ。
「――――スっ」
と。
唐突に、巡空まいるの幼い唇が歪んだ。
「スス――ス――スススススススススス、ス!」
歯の間から漏れ聞こえる、隙間風のような笑い声。
声色それ自体は、巡空まいるの幼くて甘いものだ。
なのに、こうも変わるものか。
まったくもってぞっとしない――こんな笑い方をする奴だったことが、ここまでこれっぽっちもわからなかったなんて。
「――さす、が……と、言っておこうか、《万雷巫女》」
うつろに見開いた瞳が、チェリーを覗き込んだ。
「よも、や……コトに及ぶ、前に、見抜かれるとは……な。ス、スス。探偵役を、気取るなら……きっちり、屍体が出てから、活躍してほしかった……ものだ」
「私を小説の中の無能と一緒にしないでもらえますか?」
不遜!
今世紀一番不遜な発言を聞いたぞ、俺は!
「……ホントに、いたんだね、幽刃卿」
「………………!」
豹変した巡空まいるの様子を見て、火紹がその巨体でUO姫を守りに入った。
俺もまた、入口を塞ぐ位置で身構える――何をしてくるかわからない。メイアにも目配せを送り、警戒するよう伝えた。
「さて、どうする……名探偵?」
にたりと中身のない笑みを刻みながら、幽刃卿は言う。
「運営にでも……突き出す、か? それとも、警察、か。真実を言い当てたごときで、事件が解決する、のは――それこそ、推理小説の中だけ……だ」
「わかってますよ。このゲームとやらを終わらせるには、『あなたのHP』を尽き果てさせなければならないんでしょう? そして『あなたのHP』とは、ハックしたアバターのHPは含まない。含むとしたら、ゼタニートさんが死んだ時点でゲーム終了ですからね」
「よく、わかっている……な。《LordGE》のHPを削りきる、こと……それが、お前たちの、勝利条件……だ」
「つまり、ここであなたを袋叩きにしたところで、デスペナルティ分、本物の巡空まいるさんが損をするだけってわけです。そういうわけで、さっさとそのアバターを出て、《LordGE》のほうで出直してきてください――次で決着をつけましょう」
「――――ス……ススス……スススススススっ……!」
「……何がおかしいんですか?」
「おかしい、とも。……《万雷巫女》、チェリー。お前は、王手をかけられる、盤面で……何のリスクもなく、勝てるはずの、場面で……わざわざ、自分から手を引っ込める、のか?」
「…………?」
チェリーが訝しげに眉を寄せた。
なんだ? 何が言いたい?
「今……お前が、言った通り、だ。私には、失うものが……ない。そして……このアカウントは、MAOでも最高峰の……ウィザードの、ものだ」
「――――!!」
「ススススススススっ!!」
歯の隙間で笑いながら、巡空まいるの姿をした幽刃卿が右手を持ち上げた。
「《暗黒の夜を裂く者 黄金の朝を敷く者》――」
呪文詠唱――!?
しまった、奥義級魔法《クリムゾン・ドーン》!
「先輩っ!!」
「わかってる!!」
俺が走り始めると同時、チェリーもまた杖から魔法を放つ。
本物の巡空まいるには申し訳ないが、あの魔法を使わせるわけにはいかない!
チェリーが放った《ギガデンダー》の雷球が幽刃卿に迫ったが、幽刃卿はくるりと踊るようにそれを躱した。
並行して、淀みのない詠唱が続く。
「《赤き星の血が降り注ぎ 空を魔断の加護が覆い尽くす》――」
魔剣フレードリクを振りかぶった俺を、幽刃卿の濁った目が泰然と見上げた。
踊り子衣装がひらりと舞う。
背丈の割には長い足が跳ね上がって、振り下ろされた刃を止めていた。
「《輝く御姿は天上の影法師 地に満ちるは尊き光輝》――」
左手が銃の形を作り、俺の眼前に突きつけられた。
なっ――まさか、詠唱中に――!
「《其は赤き天恵 神たる光》――」
ボンッと指先から火の玉が放たれる。
俺はすんでのところで屈んで回避したが、くそっ、時間を稼がれた!
「《来たれ 赤光の夜明け》――!」
幽刃卿はすでに俺の間合いの外にいた。
距離を詰めるのは一瞬だ。
しかし、その一瞬の間に、ヤツは最後の一小節を紡ぐ!
「――《クリムゾン》――!!」
「――――《ドおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおン》ッ!!!」
「「え?」」
最後の声は、俺の背後から聞こえた。
直後のことだ。
――キュドッ!! と。
一条の光線が、大気に穴を空けた。
「うえっ!?」
「きゃあっ!?」
「うひゃあーっ!!」
一瞬遅れて、余波が暴風となって部屋の中を荒れ狂う。
光線に一番近かった俺は、西部劇で転がってる草みたいに床の上を滑らされて、したたかに背中を壁に打ちつけた。
「な……なんだ、一体!?」
光線は、その場にいきなり出現したかのようなスピードで飛来した。
おかげで、どこから飛んできたのかわからなかった。
だが、顔を上げて部屋を見渡せば、それは一目瞭然だ。
入口から反対側の壁に、赤熱した大穴が空いていた。
そして。
射線上にいた幽刃卿のどてっぱらにも、同様に大穴が空いていた。
「……な……ん……」
幼い女子中学生の目で、幽刃卿は部屋の入口を見た。
廊下を満たす暗がりの向こうから――
――コツーン――
と、長く反響した足音が、ゆっくりと近付いていた。
「――まあーったく、もお! そんなニセモノで、《クリムゾン・ドーン》を貶めないでくださいよぉ~」
廊下から、一人の少女が姿を見せる。
つばの広い魔女みたいな帽子に、露出度の高い踊り子装束――
「せっかく憧れのチェリーさんと一緒だって言うのに! ただむやみに光るだけの魔法を、呪文詠唱で奥義級魔法に見せかけるなんて――それじゃあただの手品です。まいるの魔法は、タネもシカケもないんですから!」
――巡空まいるが、怒った顔で巡空まいるを指弾した。
「……め……」
巡空まいるが、二人……!?
廊下から出てきたアバターと、腹に穴を空けたアバターは、衣装の彩色ひとつに至るまで、完全に同一だった。
これは、まさか――
「……貴様」
腹に空いた穴を押さえながら、幽刃卿が新たに姿を現した巡空まいるを睨む。
「メインアカウント……で、追ってきた、のか――」
「追ってきたのです。まったく。履歴データから、まいるがこの時間、MAOにインしないことを突き止めたんですね! おかげでしばらく気付きませんでした。たまにしか使わないサブアカウントがハックされていることにねっ!」
サブアカウント――
そうか。《赤光の夜明け》のエースともあろう者が、あっさりアカウントをハックされていることに違和感があったが、サブアカなら管理が甘い……!
「お仕置きですよ、空き巣さん。これが本物の魔法です――!」
巡空まいるが、ふわりと両手を持ち上げた。
ピンクの薄布が翼のように舞う。未成熟な白い肢体が、しかし艶やかに強調される。
最初の、ほんの数瞬。
コンマ5秒にも満たないその時間だけが、スローモーションだった。
ステージが、始まる。
巡空まいるが薄布を縦横に翻し、その場で舞い踊った。
埃っぽい神殿の一室。背景は石が積まれた薄汚れた壁だ。
だというのに、スポットライトが見えた。
舞台が見えた。バックバンドが見えた。
くるくると舞い踊る少女の周囲に、色とりどりの魔法が舞う。
それは空間に絵筆を振るうように軌跡を描き、次々と幽刃卿の身体に突き刺さっていった。
――ダンシング・マシンガン。
かつてチェリーが開発した魔法の運用法のひとつ。
クールタイムが短い下級魔法にジェスチャー・ショートカットを割り当てて、踊るように連続させることで、マシンガンみたいに魔法を撃ちまくる。
でも……これは、もはや別物だった。
イルミネーションのように宙を飛ぶ魔法は、優に10種類を超える。
手、足、あるいは腰の動きに至るまで、すべてがショートカットのトリガーになっているのだ。
全身のすべてが詠唱。
魔法に何もかもを捧げた踊り。
俺は気付くと、笑ってしまっていた。
どんな頭をしていれば、こんなことが可能になるんだ?
巡空まいるを演じていた幽刃卿も、たびたび火の玉を出してもてあそんでいた。
よくあんなことができるな、と思っていたが――本物を見たら、認識が変わる。
あんなのは猿真似以下だ。
狂気の一歩手前まで踏み込んだ人間の絶技は、他人には決して模倣できないのだ。
MAOにおけるウィザード職の総本山、《赤光の夜明け》。
その中でも最強を誇るエース――巡空まいる。
おそらくは、VRゲームの極点のひとつが、ここにあった。
「―――お望み通り……出直そう」
全身を魔法で蜂の巣にされた幽刃卿が、かろうじて残った口で告げた。
「次、で……決着、だ。我が刃、にて……次こそ―――」
千切れかかった指が、メイアを指差す。
そして。
俺に、チェリーに、UO姫に、火紹に、D・クメガワに、巡空まいるに。
順繰りに指を突きつけた。
「―――鏖に……してみせよう、とも。……ススススっ、ススっ、ススススススススっ―――!!」
隙間風のような笑い声を残して――幽刃卿は人魂に変わり、すぐに、消滅した。




