第138話 さしづめという言葉を使うとき、人はドヤ顔になりがちである
「あの洞窟――神殿かな? わかんないんだけど、たぶんダンジョンだと思うの。でもクラン三つで一斉に入ったらすっごいめんどくさいことになっちゃうから、どうしよっかな~、ってみんなで話してたんだよ~っ!」
話し方は若干鼻につくものの、UO姫の説明は簡明だった。
そういうわけで、各クラン首脳陣が一堂に会していたらしい。
なるほどな。ダンジョンの中がどれほど広いか知らんが、これだけ大人数のクランが三つも同時に入ったら、各所でトラブルが発生するのは目に見えている。
修学旅行シーズンの観光地みたいなもんだ。
「それで、妥協案は固まったんですか?」
ゴミ溜めを見るような目をUO姫に向けながらチェリーが訊く(そんな顔するほどじゃねえだろ)。
「まあね~。とりあえず何人か選抜して少人数で偵察してみない? ってことになったよ」
「あなたにしては妥当な落としどころじゃないですか。他の二人がよっぽど優秀だったと見えます」
「チェリーちゃんひっどぉ~い!」
と、聞こえよがしに言いながら俺にしなだれかかってくるUO姫。
ゴミ溜めを見るような目が和式便所の中を見るような目になった。
「そーゆーわけで、まいるたちも偵察組に入る予定なんですけど、お三方はどうしますかぁ?」
と訊いてきたのは、踊り子装束に魔女帽子の巡空まいるだ。
なぜか魔法の光弾でジャグリングしながら喋っている。
「別にまいるたち、狩り場を独占しようとか思ってませんから、よかったらご一緒にどうでしょうかぁ~? チェリーさんともっとお話したいですし!」
「う~ん、そうですね……」
「おお! それはよい考えですな!」
スリーピースにコートを羽織ったゲーム・ジャーナリスト、D・クメガワがハットのつばを上げる。
「道中、ぜひいろいろ取材させていただきたい! 恋狐温泉の女将にも手を出しているというのは本当か、とか!」
オイこの男、明らかに週刊誌の手の者だぞ。
そのうち未成年との淫行が云々とか言い始めるんじゃねえだろうな――と思ったが、そもそも俺が未成年だった。セーフ(?)。
チェリーは少し考え込んでいたが、程なくして歯切れよく答えた。
「それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます」
「やった!」
「でも、その前にお伝えしておきたいことがあるんです」
と言いながら、チェリーは俺のほうをちらりと見る。
……そうか。話すんだな。
「実は、アカウントハックの被害が報告されてまして、というのも――」
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
メイアの命を狙う《幽刃卿》というPKerとその手口について、チェリーから一通りの説明を聞くと、まず真っ先にD・クメガワが反応を示した。
「《赤統連》直属の凄腕暗殺者! これはすごい……! 実在していたのですな! それも《殺人予告状》とは……! 素晴らしいネタをありがとうございます!」
「言っておきますけど、記事にしたらダメですよ」
「ホワイッ!?」
D・クメガワのハットがズレた。
「模倣犯が出たらどうするんですか。今ならメイアちゃんの命を狙っても幽刃卿のせいにできる、って考える輩が出てもおかしくありません。少なくとも今日いっぱいはオフレコでお願いします。もし流出したらどんな手を使ってでも炎上させますのでよろしく」
「ぐ、ぐうう……! 我がゲーム・ジャーナリズムは信用が命。煽ることばかり考えている極悪非道アフィブログとは違うのです……」
「よく真顔で『炎上させる』とか言えるね、チェリーちゃん。こわぁ~い」
「鏡見たことないんですか御山の大将! あなたがよくやってることですよ!」
UO姫の報復は凄まじいことで有名である。
「あのぉ……気になることがあるんですけどぉ」
巡空まいるが小さく手を挙げた。
「このお話って、もしかして、まいるたちの中に、その《幽刃卿》とかいうのが混じってるかもしれない、ってことですか~……?」
「有り体に言うとそうです。ごめんなさい」
「いや、おい、お前! ちょっと明け透けすぎだろ……!」
「こういうのは下手に隠さないほうがいいんですよ。悪気がなくても隠し事の気配があるだけで疑心暗鬼になっちゃうんです」
「うわ~、含蓄あるな~。まるで似たような何かがあって何かをクラッシュさせちゃったことがあるかのような言い振りだなぁ~」
「……今ここでPKerに転向してやりましょうか」
「きゃーこわーい♪ ミミはクラッシュさせたことないも~ん。運営うまいほうだも~ん」
運営とか自分で言うなよオタサーの姫。
UO姫の遠慮容赦のないトラウマいじりはスルーしつつ、巡空まいるが話題を元に戻した。
「えっと、あの、もしかしたら間違ってるかもしれないんですけどぉ……前にハックされてたゼタニートさんって、あのでっかい男のヒトですよね~? すごく声のでかい……」
「はい、そうですよ?」
「そのゼタニートさんのアバターにログインできてたってことは、その幽刃卿ってヒト、男のヒトですよねぇ? だったら、まいるとかミミさんとか、女性型のアバターをハックしても中に入れないんじゃあ?」
「「あ」」
「あーっ! そうだよ! パパ、ママ!」
すっかり考えから抜け落ちてた。
そりゃそうだ。
いろいろめんどくさい事情があって、MAOでは自分の肉体性別と異なる性別のアバターは作れない――もちろん、他人に作ってもらった異性のアバターに入ることもできないはずだ。
MAOで男のアバターを動かしていたなら、そいつはリアルでも男であり、ゆえに女性アバターをハックすることはできないのだ。
「うわー……なんで考えてなかったんだろ。恥ずかしー!」
チェリーが顔を覆った。
ということは、チェリーに幽刃卿が入っているという可能性も、やはり消えるわけだ。
というか、ゼタニートと同時に動いていたアバターは全部シロか。俺やストルキンも。
「――いや、ちょっと待ってくれたまえ」
それは盲点だった、と考えを改めるモードに入っていた俺たちに、D・クメガワが待ったをかけた。
「残念ながら、それは一概には断言できないと小生は考えますな。極めて稀なことですが、男女両方のアバターを使える人間は存在するのです」
「「「えっ!?」」」
俺たちは声を揃えてD・クメガワを見た。
首からカメラを提げた紳士はメモ帳のページをめくりつつ、
「実は、ゲームのシステムがプレイヤーの肉体性別を正確に判断できないことがあるのです。すなわち――男性と女性、両方の特徴を一つの肉体に併せ持っている場合です」
「りょ……両性具有ってことですか!?」
「うむ。いわゆる性分化疾患と呼ばれるものですな。一概に男女両方の特徴を持っている方ばかりではなく、見た目は女性だが身体の中身が男性だとか、女性だと思われて育てられたものの二次性徴で男性っぽくなるだとか、様々なタイプが存在します。
いずれにせよ、MAOを含む多くのVRゲームでは、こうした肉体的な性別が曖昧な人々に対応しきれていない、というのが現状なのです。それゆえ、男女両方のアバターを自由に使うことのできる人間が、ごくごく稀に発生するのですよ。確か中国で実例があったはずですな」
男でも女でもない人間。
MAOのアバターメイキング機能には、『男』と『女』以外の性別パターンは存在しない。
だから、もしそのどちらでもない人間がMAOにログインしたなら、必ず男女どちらかに無理矢理分類されてしまうことになる……!
「え~。でも、そういうのってほんっとーに少ないんじゃないんですかぁ?」
「少ないですな。国内には1万人もいない、とされております。……しかし、裏を返せば、4桁はいるのです。割合で言えば少なく感じますが、絶対数で見ると結構いるな、という印象ですな」
「4桁と言われると、もしかしたら数万人のプレイヤーの中に一人くらいいるかもしれない、と思わされますね……」
思わされる、というか、いるだろう、十中八九。
セクシャルマイノリティの人が実は割合的には1クラスに1人くらいいる、というのと同じで、わざわざ自分から名乗り出ないだけで、普通に存在するのだ。
「そうか……」
チェリーが口元に手を当てて呟く。
「ハッキング被害が男女両方に渡っている場合、もし警察が捜査に乗り出したとしても、男女含む複数の犯人がいると考えるはずですよね。男女どちらにも取れる一人の人物が犯人だ、とは考えない」
「日本の戸籍の性別欄には『男』と『女』しか存在しませんからな。身分証にも『性別:どちらでもない』と書くことは、まあできません。性別欄そのものがない身分証も、最近は増えておりますが」
「そうです。だから、もし幽刃卿が男女両方のアバターにログインできる体質だとしたら、捜査線上に上がりにくいんじゃないですか?」
「逮捕するには相当な証拠が必要だと思いますな。性の問題は、今時は日本でもデリケートな話題です。もし誤認逮捕でもしようものなら国際的なバッシングを受ける可能性さえある」
「うっひゃあ~。無敵だ~!」
と、UO姫が感心した風に言った。
「まったく考えたものですな。これもひとつの才能なのかもしれません。興味深い」
「できれば別の使い道をしてほしいけどな……」
俺は幽刃卿の姿を思い出す。
まだ女性アバターをハックしていると決まったわけじゃないから、真実はわからない。
だが、あのボロいマントが、殺人者として正体を隠すためばかりじゃなく、自分の姿へのコンプレックスから来るものだったとしたら……?
すべては憶測だ。
別にあのマントを引っぺがさないとメイアが助からないってわけでもない――こっちは、ただヤツのHPを全損させればいいのだ。
「ほえ~。いろんな人がいるんだな~」
メイアからは相変わらずいまいち危機感が感じられない。
まあ、人間の多様性を学んでるってことでよしとしよう。
「あのぉ~……結局、女のコのアバターでも、幽刃卿とかっていう怖いヒトかもしれないってことですかぁ……?」
不安そうな調子で言う巡空まいるに、チェリーが申し訳なさそうな表情を向ける。
「……すみません。言わないほうがよかったですか?」
「あっ、いえいえいえいえ! そんなことありませんよぅ! 話してくれたおかげで、まいるたちも警戒できますし! クランのみんなには、まいるからケーコクしておきますね!」
「ふむ。PK云々はともかく、アカウントハックが横行しているとは由々しき事態です。こっちの件については、攻略wikiのほうでも注意喚起してよいですかな、チェリーさん?」
「ええ。むしろお願いします」
「そんじゃ、ミミも庶民に伝えてこよっと! 行くよ、火紹くん!」
「……………………」
それぞれのクランメンバーに注意喚起を促すため、UO姫たちはいったん会議場となっていた広場を離れていく。
つまびらかに話しても疑心暗鬼になるだけかと思ったが、意外と冷静だ。
チェリーの言う通り、下手に隠すほうがまずいのかもしれない。
それに、D・クメガワの知識を借りたことで、早計な結論に飛びつかずに済んだのも収穫だ。
「……先輩。それにメイアちゃんも、ちょっと」
俺たちだけになってから、チェリーがこっそりと言う。
「正直に言いますが、もし幽刃卿が紛れてるとしたら、あの4人の誰かだと私は思います。ヒラのクランメンバーでは、私たちとの接触が難しいですから」
「……まあ、そうなるよな」
「えっ? それってミミお姉ちゃんも?」
「むしろ容疑者筆頭だよ」
若干の私怨が混ざっている気もするが、俺たちと縁の深いUO姫に扮しているという可能性は、真っ先に疑うべきところだろう。
メイアは眉をハの字にして腕を組む。
「う~ん……そんな風に見えないけどなー」
「あのゼタニートさんを完コピしてたような奴だから……相当な演技力だね」
まったくもって。ロールプレイの域を超えてるよな。
「なので、あの4人のことは常に見張っておくつもりです」
「それで同行することにしたのか?」
「そういうことです。で、なんですけど――あの4人のネームカラー、見ましたか?」
「ん? まあ見たけど、わざわざ覚えてないぞ」
「わたしも。……でも、記憶に残らないくらい注意をひかなかったってことは、普通だったってことかな?」
「そうです。全員ブルーでした。プレイヤーとしてフラットな状態です。つまり――もしPKを犯せば、即座にオレンジになるってことです」
あ、と俺とメイアが声を揃える。
「……もしメイアをPKすれば、これ以上ないレベルの証拠がネームカラーに表れるってことだな?」
「はい。ですから基本的には、ハッキングしたアカウントではPKに及ばないはずです。……が、PKの前段階として、私や先輩を排除しに来る可能性もあります。その場合も、ネームカラーは重要な情報です。覚えておいてくださいね」
まあ俺とチェリーの場合、殺されたとしてもアイテムを使えばその場で蘇生できるわけだが、幽刃卿はすでに壁抜けという未知のスキルをひとつ見せている。
蘇生が不可能になるPK専用スキルがあったとしても、おかしな話ではない。
「ハッキングしたアバターで直接わたしを襲うことはない……ってことは、メインの、あのボロボロのマントのやつが実行犯になるってことだよね、ママ?」
「うん。でもその場合は、一度ハッキングアバターから抜けなきゃいけない。二つのアバターを同時に操ることは、VRMMORPGでは原理的に不可能だからね」
「そうか! もし幽刃卿が襲ってきたら、その時間はハッキングアバターのほうにもアリバイがないはずだ!」
「です。もし幽刃卿アバターと同時に動いている人がいたら、その人は容疑者から外してもいいということになります。……この辺が、幽刃卿を相手取るに当たっての大前提です」
こういうときのチェリーはめっぽう頼りになる。
俺は直感型だから、こうやって理詰めでものを考えていくのは得意ではないのだ。
推理ゲームならできるんだけどな。
「それでは、気を引き締めて行きましょう。さしづめ――」
言ってやった感ばりばりでチェリーは言った。
「――『汝は幽刃卿なりや?』ってところですね」




