第137話 マジックハッピーとゲーム・ジャーナリスト
地下水でも引いているのか、透明な水がせせらぐ川に沿うようにして、地下都市の中を歩いていく。
街外れから確認しただけでは気付かなかったが、所狭しと並ぶ石造りの建物の中には、多くのプレイヤーの人影があった。
あるいは鎧を着た騎士。
あるいはローブを着たウィザード。
あるいはスーツとコートを着た紳士――
……騎士とウィザードはわかるが、紳士はよくわからん。
なんだあいつら。
「……あの英国紳士みたいな人たちは《ウィキ・エディターズ》のメンバーですよ、先輩」
少し声を潜めてチェリーが言う。
「《エディターズ》の? ……そういえばあんなだっけ?」
「昔からあんなです。『礼儀あらざりしはジャーナリズムにあらず』がスローガンらしいですから」
「ご立派なことだな」
その割には、さっきから無断でカメラを向けられてる気がするが。
建物の中からの視線を感じながら、地下都市の奥まで入り込んでいくと、円形の広場に出た。
真ん中に枯れた泉があり、そのそばに、4人のプレイヤーの姿がある。
チェリーが望遠鏡で確認した通りだ。
4人のうち2人は見知った顔だった。
「あーっ!」
甲高い声がしたかと思うと、雪の妖精めいた純白のロリータファッションに身を包んだ少女が、豊満な胸をたゆんたゆん揺らしながら駆け寄ってきた。
「けーえーじーきゅうー―――んばっ!?」
「させるか媚び媚び女!」
俺に抱きつこうとした少女――UO姫を、チェリーが容赦のないラリアットで迎え撃った。
大丈夫かよ、それ。PK未遂にならねえのか?
「あ、ああ~。ちぇ、チェリーちゃん、いたんだ~☆ げんき~?」
「首を絞められながらよくもそんな甘ったるい声を出せたものです。まだ足りないみたいですね!」
「ぐえっ! ……な、なぁ~んてね♪ ミミ、地声でしか喋ったこと――ぐぐええタンマタンマチェリーちゃんタンマ!!」
言うまでもないことだが、地下都市に入る前にチェリーが見つけた『おぞましいもの』とは、UO姫のことだったのだ。
バレンタインイベント以来、すっかりUO姫の付き人兼護衛兼乗り物と化している《巨人》・火紹も、むっつり無言で佇んでいる。
「ミミお姉ちゃんだー! やっほー!」
ようやくチェリーの挨拶代わりの絞殺未遂から解放されたUO姫に、メイアが弾むようにして駆け寄る。
その顔を見ると、UO姫はふいに優しい顔になった。
「こんにちは、メイアちゃん。ママにいじわるされてない?」
「ないよー」
「じゃあパパが『やっぱり結婚するならチェリーよりミミだなー』とか言ってなかった?」
「なかったよー」
「今度新しいお洋服買ってあげる」
「やっぱり言ってたかも」
「ちょっとメイアちゃん!?」
知らないうちに娘が餌付けされていた。
どうやらメイアは、かつて物心つくかつかないかの頃に、UO姫が『ママ』になりかけたことは覚えていないらしい。
そして、チェリーのことをママと呼び始めた理由も。
たぶん、『パパ』である俺がチェリーとばかりつるんでいたから、自然とそう思うようになったんだろうが。
今のメイアにとってのUO姫は、セツナやろねりあたちと同様に、親戚のお姉さんの一人ってところか。
「やーん♥ メイアちゃん可愛いーっ! ね、やっぱりミミの子供にならない? なんでも買ってあげちゃうよ~! あと弟か妹もできちゃうかも☆」
「え~? 迷っちゃうなぁ~」
「迷わないで!? 甘い言葉に耳を貸しちゃダメ!」
相変わらず仲がいいんだか悪いんだか。
とりあえずあいつらは置いておいて、俺は枯れた泉のそばにいる残り3人――1人は火紹だから、見慣れない2人のほうに目をやった。
片方は、露出過多な踊り子装束に魔女めいたとんがり帽子を被った、なかなかすげえ格好の女の子だ。
とんがり帽子の大きさに比して服の布面積が小さすぎる。
ほとんど水着――というか完全に水着。羽衣みたいなひらひらがくっついているだけの水着だ。
歳はチェリーよりも少し下――今のメイアと同じくらいに見えるので、いろんな意味でギリギリである。
恥ずかしくないのか、あの装備……。
もう片方は、漆黒のスリーピースの上に浮気調査中の探偵みたいなロングコートを羽織り、首から大きなカメラを提げた男。
こっちもこっちで怪しい。
何せ俺たちのほうを見ながら、猛然とした勢いでメモ帳に何かを書き込んでいる……。万年筆が走る音がここまで聞こえてきそうだ。
「うわっ……うわあ~っ!」
女の子のほうが、羽衣っぽいひらひらをひらひらさせながら駆け寄ってくる。
きらきらと輝く大きな瞳は、俺ではなくチェリーのほうに向けられていた。
「チェリーさんだあ~っ!! チェリーさんんですよねっ!? うわあ~! ホンモノだあ~っ!!」
唐突に、とんがり帽子のてっぺんからぼぼぼんっと火の玉が出る。
え? 《ファラ》か、今の?
「えっと、あなたは……?」
きらきらした瞳を近付けられたチェリーは、困った顔をして少し身を引いた。
「あっれ~? チェリーちゃん、知らないのぉ~? おっかし~なあ~。チェリーちゃんなら知ってて当然なのになぁ~。……男にうつつを抜かしすぎなんじゃないの?(ぼそっ)」
「あなたにだけは言われたくありません!!」
「その子はね?」
UO姫はどこ吹く風で続けた。
「クラン《赤光の夜明け》のエースプレイヤー、《巡空まいる》ちゃんだよ? 名前くらいは聞いたことあるでしょ?」
「めぐりぞら……あっ!? もしかして、《クリムゾン・ドーン》使いの《魔法少女》ですか!?」
「いやあ~、お恥ずかしいですよぅ~」
えへへ~、と照れながら、彼女――巡空まいるは、ぽぽぽんぽんと小さな火の玉を撒き散らす。
《クリムゾン・ドーン》――
その単語には、俺も聞き覚えがあった。
ウィザード職プレイヤーの総本山《赤光の夜明け》が長い時間と労力をかけて鍛え上げた魔法流派《赤光流》――それを皆伝、すなわち流派レベルをマックスまで育てることでのみ使えるという、光属性の奥義級魔法だ。
現時点でその魔法を使える者は《赤光の夜明け》でも一人しか存在せず、そのプレイヤーはMAOでも最強クラスの光魔法の使い手であると言う……。
チェリーよりも年下に見えるが、この女の子がそうなのか。
いやまあ、アバターの外見年齢なんてアテにはならねえけど。
実際、彼女持ち大学生のくせに見た目10歳のショタアバターを使ってる例も知ってるし。
「改めまして……《赤光の夜明け》所属の《巡空まいる》です! 魔法は何でも好きだけど、一番得意なのは光系!」
立てられた人差し指に光が灯ったかと思うと、彼女はその軌跡を使って空中に自分の名前を書いた。
「お気軽お気楽に《まいちゃん》って呼んでくださいね~♪」
ぱちんっと彼女が指を弾く。
かと思うと、空中に書かれた《巡空まいる》の字が《まいちゃん》に変わった。
「えっ!? どうやったんですか、今の!?」
「すっごぉーい!」
チェリーとメイアが歓声を上げる。
俺も内心驚いていた。
巡空まいるは「えへへ~」と《ファラ》を撒き散らしながら、
「ちょっとした手品ですよぅ~。タネもシカケもない魔法で、タネとシカケを作ったんです~」
……そもそも、さっきからなんかのエフェクトみたいに撒き散らしている《ファラ》はなんなんだ?
今の『手品』もそうだが、この子は大したショートカットの詠唱もスペルブックもなしに魔法を使っている。
一体、何がどうなってるんだ……?
「この子はね、ケージ君?」
UO姫がそっと俺にすり寄ってきた。
「大仰なジェスチャーもショートカット・ワードもなぁ~んにもナシで、ちょっとした仕草だけで魔法が使えちゃうの。《赤光の夜明け》秘蔵の独占スキル《完全暗唱術》を使ってね」
「《完全暗唱術》……話には聞いたことあるな」
曰く、ショートカットの枠数が劇的に増え、すべての魔法をスペルブックなしで使えるようになるスキル。
「――逆に面倒くさくなりそうだけどな。魔法の誤爆が死ぬほど増えるだろ」
「そうならないから彼女がエースなんだよ、ケージくん。《完全暗唱術》を完璧に使いこなせるのは、《赤光の夜明け》でも彼女だけなんだって」
「へえ~」
必要のないときに《ファラ》がぽんぽん出てるのは、完璧に使いこなせてるって言ってもいいのか。
「……ところで」
俺はいつの間にか腕を絡ませているUO姫を見下ろした。
「俺の気のせいか? どんどん密着度が上がってる気がするんだが」
「疲れちゃったぁ~。……ケージくん、抱っこして?」
ちょっと小首を傾げながら、上目遣いで言うUO姫。
うぐっ。
「……ダメ!」
「(どさくさに紛れて変なところ触ってもいいよ……?)」
「ダメ!」
「けちぃ~」
UO姫はぷくーっとあざとさ全開で頬を膨らませる。
何度やられても心臓に悪い!
その様子を見ていたメイアが、「うわ~」と感心したような声を出した。
「ミミお姉ちゃん、パパがいるとこんななんだね。媚び媚びだ~」
「媚び媚びでしょ?」
そばにいたチェリーが言う。
「あんなのになっちゃダメだからね、メイアちゃん。女子に嫌われるから」
「うん。なんかわかる」
「ちょっと! ミミが嫌われてるような言い方やめてー!!」
嫌われ放題だろ、実際。
――ガリガリガリガリ!
と、呆れた気持ちでUO姫を引きはがしていると、後ろからすごい勢いでペンを走らせる音が聞こえた。
「ふむ……。『次こそホントの王子様! UO姫熱烈マジ惚れ上目遣い』……っと」
なぜか背筋がぞっとした。
振り返ると、そこには巡空まいると一緒にいたもう一人――首からカメラを提げたスリーピースの男がいる。
実のところ、この男には見覚えがあった。
話したことこそないが、確かMAO公認攻略wikiの編集長で――
「むむっ」
俺に気付かれたのに気付いて、男が顔を上げる。
「これはこれは、ご挨拶は初めてでしたな、ケージ殿。小生、MAO公認攻略ウィキの編集長にして、クラン《ウィキ・エディターズ》のマスターエディターを勤めております、《D・クメガワ》と申します。どうぞ名刺をば……」
「は、はあ……」
名刺をもらう、というか押しつけられる。
《D・クメガワ》という名前の横に、肩書きが三つも書いてあった。
『MAO公認攻略ウィキ編集長』、『ウィキ・エディターズ マスターエディター』……そして『ゲームライター』だ。
「実のところ、最後のが本業ですな。MAO内での活動は、ライター仕事の傍らやっているライフワークのようなものです。
我々メディアが悪質なアフィリエイトサイトや雑誌のフラゲ画像と戦い始めてすでに20年……にっくき彼奴らを打倒するため、ユーザーに最速で、確実に、そして直接! ――情報をお届けする、ゲーム・ジャーナリズム活動なのですよ」
「……直接?」
「そう、直接!」
頭の横に上げた両手を前に突き出すD・クメガワ。
とんでもなくでけえところから堂々とパクってんなオイ。
もしかして名前の『D』とは『ダイレクト』のことなのだろうか。
「……さっきの不穏なメモも、その『ゲーム・ジャーナリズム』とやらなんですか?」
俺の後ろからひょっこりとチェリーが顔を覗かせ、不審そうな目つきでD・クメガワを睨む。
「ミミは大歓迎だけどね~。ケージ君とならパパラッチされちゃっても♥」
左からチェリーがUO姫を睨み、右でUO姫がニコニコ笑い、俺は一言も喋ってないのに板挟みになった。
やめろ。強制的に俺を巻き込むな。
そんな俺たちを見て、D・クメガワが「ふむふむ……」とうなずいてメモ帳を取り出し、ガリガリと万年筆で何か書き込み始める。
「『最強の男は男としても最強だった!? 夜の密会、美少女たちを両手に華』……っと」
「完全に捏造じゃないですか!!」
「はっはっは。……イッツ・ジャーナリズム・ジョーク」
チェリーに突っ込まれると、D・クメガワはハットを押さえながらメモ帳の中を見せた。
そこに書き込まれていたのは、根も葉もないスキャンダルではなく、てへぺろと舌を出した美少女キャラの絵。
……ジャーナリズムの信用を著しく貶めるジョークだな。
「しかし、皆さんを一度取材してみたいのも事実です」
D・クメガワがハットのつばを上げながら言う。
「特にMAO史上――いえ、人類史上初めて、仮想世界での出産を経験したというケージさんとチェリーさんにね」
「産んでませんけど!?」
「産ませてねえよ!」
「ぶっちゃけた話なぜ《結婚》しないのですかな!?」
土足でぐいぐい入り込んでくるなコイツ!
「まーまー。クメガワさん、取材は後にしましょうよ~」
巡空まいるが手のひらで火球をもてあそびながら言った。
「方針をさっさと決めちゃわないと、他のクランが来ちゃいますよ~?」
「おっと、そうでしたな」
「そういえば、何の集まりなんですか、これ?」
そうだ、それだ。
《赤光の夜明け》のエースプレイヤーに、《ウィキ・エディターズ》のマスターエディター……そして《聖ミミ騎士団》のトップであるUO姫。
この呪転領域・雪山エリアに進駐している攻略クランの上層部が勢揃いで、何をやっていたのか。
チェリーの質問に、UO姫が答える。
「クラン間協定を結びに来たんだよ~。あそこを攻略するに当たってのね♪」
UO姫が指差す先。
円形の広場の奥に、いくつものドラゴン像に守られるようにして――
――神殿めいた装飾を施された洞窟が、黒々と口を開けていた。
 




