第135話 名探偵は割とその辺にいる
気付けば、吹雪はだいぶ弱まっていた。
俺は背中の鞘に剣を納める。
幽刃卿の姿は、影も形もない……。しばらく騙し討ちを警戒する必要はあるだろうが、ひとまずは本気で退いたみたいだ。
俺は小屋のほうに戻り、チェリーやメイアと合流する。
「逃がしちまったな……。ここで仕留められたらよかったんだが」
「仕方ないですよ。何もかも不意打ちでしたし」
「ビックリしたねー。あんなことできる人もいるんだなあー」
メイアがほわほわと言う。
こいつ、怖くなかったんだろうか?
「なんで反対側から出てきたんだろ? 絶対あっちにいたはずなのになー」
メイアが射放った矢が幽刃卿に当たった瞬間、その逆の方向からヤツは出現した。
その理由は――
「ああ、それな。たぶんブクマ石だ。メイアの矢で居場所がバレた瞬間、後ろからテレポートするときの効果音が聞こえたんだ」
「えっ? そうだったんですか? ……でも、それっておかしくないです?」
「えー? 何がおかしいの、ママ?」
「ブクマ石――《往還の魔石》の最大スタック数は1個なんだよ、メイアちゃん。先輩に捕まったときに1個使ってるから、もう手持ちにはなかったはず……」
そう、それは俺も引っかかっていた。
「何らかの手段で補充した……としか、考えられねえよな?」
「そうですね……。でも、こんなところにショップやチェストなんて置けませんし……」
「置きアイテムも無理だよな。一定時間で消滅しちまうし、それまでは手元になくてもスタック状態だ」
「それじゃあどこから2個目のブクマ石を持ってきたの?」
メイアが不思議そうに首を傾げ、チェリーがおとがいに手を添えて考え込む。
チェリーは辺りをぐるりと見回すと、無言のまま歩き始めた。
視線は足元の雪に向いている。
俺とメイアは顔を見合わせると、黙ってその背中についていった。
「――あっ。ここ……」
チェリーが不意に声を上げたかと思うと、その場にしゃがみ込んだ。
「ここ、見えますか? メイアちゃんの絨毯爆撃でわかりにくいですけど、かすかに足跡が残ってます」
「ん……? あー、確かに……」
何分、あの吹雪だったから、だいぶ埋まっちまってるが。
裏を返せば、付いて間もない足跡だということになる。
チェリーは《ライト・シャワー》による爆撃痕の合間合間に、次々と消えかかった足跡を見つけていく。
その軌跡を辿っていくと、人が倒れた跡がかすかに残っていた。
「ここって……」
俺は背後を振り返って、小屋がある方向を確認する。
「ゼタニートが殺された場所……だよな?」
本人はセーブポイントに帰還したみたいで、死体も人魂も残ってないが。
「――あっ!」
チェリーがハッと口を押さえた。
「そうか……わかりましたよ、先輩」
「は? 何が?」
「ゼタニートさんの死体の周囲に、足跡がなかった理由です。未知のスキルやクラスのせいなんかじゃなかったんです」
にやりと唇を曲げて、チェリーは宣言する。
「謎はすべて解けた、ってやつですよ」
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「まあそもそも何が謎なのかという話なんですけど、それはざっくり言って三つです。
ひとつ、なぜ殺されたゼタニートさんの周囲に足跡が残っていなかったのか?
ふたつ、幽刃卿は、最大スタック数1個のブクマ石を、どうして2個も持っていたのか?」
真っ白な雪原の真ん中で、チェリーはなめらかに語り始めた。
「おい、二つしかないぞ。三つ目は?」
「三つ目の謎は、二つの謎を解くことで初めて姿を現します。というわけで、まずは一つ目の謎――死体の周りに足跡がなかった件から行きましょう。先輩、幽刃卿の足は地に着いていましたか?」
「は? 当たり前だろ。足音も聞こえたし」
「そうです。ゼタニートさんが倒れた直後にも、私たちは幽刃卿の足音を聞きました――まあ姿は目撃していないので完全ではないんですけど、他にプレイヤーがいたのなら、メイアちゃんの《ライト・シャワー》の巻き添えになっていたはずです」
「矢に当たったのは一人だけだよ!」
「はい。だから幽刃卿は、足跡を消すことができるスキルなんて持ってはいないんですよ――ここまで私たちが辿ってきた足跡も、それを物語っている。
つまりですね、幽刃卿は、ゼタニートさんには近付いていないんです」
「近付いていない?」
でも実際に、ゼタニートの首筋には鋭利なダメージエフェクトが現れていた。
「なら投げナイフとかか? ……いやでも、あの吹雪で投げナイフなんて……」
「それはないですよ。だったら投げられたナイフを私たちが発見していたはずです。答えはもっとシンプルなんですよ、先輩」
「勿体ぶるな。スパッと言え、スパッと!」
「もう。情緒のわからない人ですね――自殺ですよ」
「は?」
さらっと告げられた言葉を、俺の頭はとっさに処理できなかった。
「だから、自殺です。ゼタニートさんは自分で自分の首を斬ったんですよ。だから犯人の足跡がなかった」
「……はあ?」
「なんでニートのおじさんがそんなことするの?」
眉をハの字にするメイアに、チェリーは柔らかに微笑みながら説明する。
「その後、実際に私たちが取った行動を考えればはっきりしてるよ、メイアちゃん。ゼタニートさんは、襲撃があったと見せかけて、私たちをあの小屋の中に誘導したの。幽刃卿――あの壁抜け能力にとって、最も都合のいい場所にね」
……そうか。
確かに、幽刃卿にとって、狭くて壁の近いあの小屋は、絶好の狩り場と言える。
事実、もう少しでメイアの首を取られるところだった。
俺たちは自分の意思であそこに逃げ込んだつもりだったが、実は向こうの思う壺だったのか……。
ん? あれ? 待てよ?
だとすると……。
「……なあ。それだとさ……」
「ニートのおじさんがあの怖い人の『共犯』ってことになっちゃうよ、ママ!?」
俺と同じ結論に達したメイアは、跳び上がらんほどの調子で叫んだ。
俺たちをあの小屋に誘導するために自殺したんだとしたら、ゼタニートは幽刃卿に協力していたことになる……。
チェリーはうなずきつつ、
「そう考えるのが一番辻褄が合うの。ふたつ目の謎――2個目のブクマ石の謎も、それで説明がついてしまうから」
「……あ、そうか。もしゼタニートが死の間際に、自分のブクマ石を雪の中に落としてたら……」
「それを回収できちゃうね。……あっ! じゃあ、いま辿ってきた足跡はそのときの!?」
「ゼタニートさんはかなり大柄です。ブクマ石みたいな小さなアイテムなら、自分の身体の下敷きにしてしまえば隠せます。そして私たちは、彼のアバターが消滅して人魂になる前にその場を離れてしまいました。なぜかというと――」
……幽刃卿の足音が聞こえたからだ。
あれは、ゼタニートが落としたブクマ石を俺たちに発見させないため――わざとだったのだ。
「――でも」
そこで、チェリーは少し難しげな顔をした。
「共犯……っていうのは、ちょっと違うんじゃないかって思うんですよね。ニュアンス程度の違いではあるんですけど」
「えっ?」
「共犯じゃない? でも、俺たちを小屋に誘導したんだろ、ゼタニートは?」
幽刃卿のPKのために。
「そうですけど、本当に共犯なんだったら自殺なんてする必要ないんですよ。吹雪がひどいから小屋の中に避難しようとでも言えば、誘導することはできるんです。そのうえ、私たちは獅子身中の虫を飼うことになっていた。そっちのほうが明らかに有利でしょう?」
「……確かに、そうだな。だったらなぜそうしなかったんだ……?」
「それが、二つの謎を解くことで露わになった、第三の謎ってわけです」
私はもうわかってますよって感じのドヤ顔だった。
嫌味なヤツめ。
探偵役的な振る舞いが妙に似合うのがムカつく。
「と言っても、こればっかりは証拠は特になくて、これから確認するんですけどね。でも私には、それしか可能性が思いつかないんですよ」
「えーっと……ニートのおじさんがどうして自殺しなきゃいけなかったか、だよね? ただわたしたちを小屋に誘導するだけなのに」
「そう。メイアちゃん、どうしてかわかる?」
「うーん……そうしなきゃダメだったんじゃないかなー。何か理由があって」
「……その理由が問題なんだけど、まあいいや」
いいのかよ。
「メイアちゃんの言う通り、ゼタニートさんには、私たちを小屋に誘導するに当たって自殺しなければならない理由があったと考えるべきです」
「そんなのあるか?」
「先輩も思いつきませんか?」
「んー……ちょっと待てよ」
ここまで煽られると多少は考えてみたくなる。
「死ぬことに何か効果あるか……? デスペナを喰らう……人魂になる……死に戻りできる……うーん」
「もっと単純な現象ですよ。死んだらその瞬間どうなります?」
「え? うーん……アバターが動かなくなって……」
「それです」
「は?」
「アバターが動かなくなる――さらに言えば、アバターが微動だにしなくても不審ではなくなる、です」
アバターが、微動だに……?
「私たちが駆け寄ったその時点で、ゼタニートさんのアバターには誰も入ってなかったんですよ。移ったんです、別のモノに」
移った……?
別のモノ――別のアバター?
「……まさか?」
「そのまさかだと思います」
チェリーは確信的に言った。
「《ゼタニート》と《幽刃卿》は、同じプレイヤーが動かしていたんですよ。だから自殺しないとPKを始められなかったんです」
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「さ――サブアカだったのか!?」
サブアカウント。
同じ人間が使っている、二つ目以降のアカウント――そしてアバターのことだ。
「おそらく、幽刃卿のアバターはあらかじめこの辺りにサスペンドモードで待機させてあったんでしょうね。そして別のバーチャルギアを使ってゼタニートのアカウントにログインし、あの第二前線拠点で私たちと出会います。
首尾よく護衛になると、幽刃卿アバターの近くまで来たところで自分の首をズバッと斬る。吹雪がひどいうえ、ゼタニートさんは先を歩いていたので、私たちには気付けませんでした」
どうっと横倒しになるゼタニートの姿が脳裏に呼び起こされる。
「それからすぐさまログアウトし、幽刃卿アバターに繋がっているほうのバーチャルギアを被り直します。死体は判定的には物体なので、ログアウトしてもしばらくその場に残るはずです。試したことないので、この辺りはあやふやですけどね。しかる後に、私たちに足音を聞かせてゼタニートさんの死体から追っ払いつつ、自分に有利なフィールド――あの小屋の中に誘導する。まあ、こういう事の次第だったんじゃないでしょうか」
ゼタニートが、幽刃卿のサブアカウントだった……。
確かに、共犯とは違う。
同一人物だったんだから。
「……それって……結構、ショッキングなんだが。俺、あいつと同じ客室で寝てたんだぞ?」
「そう……だよね。ニートのおじさんが、あの怖い人と同じ人だなんて……」
「ああ、すいません。サブアカウント、というのは語弊があると思います。だって、考えてもみてくださいよ。ゼタニートさんって、レベル150もあるんですよ? 幽刃卿のほうのアバターも、先輩と打ち合える程度には鍛えられてるのに、そのうえカンストアバターまで……というのは、さすがに物理的に無理があると思うんです」
……言われてみれば。
どんな廃人でも、限界というものがあるからな。
「だから――ゼタニートさんのアバターは、盗まれたんだと思います」
アバターを、盗まれた。
今までで一番ゾッとした。
きっと多くのMMORPGプレイヤーが揃って悲鳴を上げる、悪夢のような事態だ。
「セツナさんならゼタニートさんのリアルの連絡先を知ってるかもしれません。確認を取ってみます」
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セツナからの返事が来たのは、しばらく経ってからのことだった。
『……チェリーさんの言う通りだった。アカウントをハックされてたみたいだ。今はもうパスワードも変えて取り戻したって』
他人事ながらほっとした。
レベル150にもなったアバターをハックされて泣き寝入りなんて、マジで悪夢でしかない。
「手口に心当たりはあったんでしょうか?」
『古典的なフィッシング詐欺だね。偽サイトにIDとパスワードを打ち込まされたみたいだ。「不覚ぅぅぅ!!」って叫んでたよ、本人』
「でしょうね……。できる限りでいいので、他の方にも注意喚起しておいていただけますか?」
『了解。でも、他のクランにまでは届かないと思うよ。特にもう雪山の攻略を始めちゃってる人たちには』
「はい。それでも構いません。お願いします」
チェリーはセツナとの通話を切る。
……アカウントハック。
幸いにも実害はなかったみたいだが、法的にも規約的にも完全なるアウトだ。
「……本格的にラインを踏み越えてやがるな、あいつ」
「ええ。通報はしておきますけど……」
「やったことといえば自殺しただけだからな、言い逃れの余地はあるかもしれん……」
「そもそもハッキングの犯人と幽刃卿を結びつけられるかどうか……」
幽刃卿は自前のアバターに入る用とハックしたアバターに入る用、二つのバーチャルギアを使っている。
もしハック用のギアにIPアドレスやらを誤魔化す小細工がされてあったら、逃げ切られる可能性もある。
……運営に頼り切って、安穏としているわけにはいかなそうだ。
「やっぱり、乗るしかねえみたいだな、ゲェムとやらに」
「危険度は街に戻るよりも低いと思いますよ、先輩」
「なんでだ?」
「幽刃卿は他人のアカウントをハッキングして私たちに近付いてくるんですよ? 街に戻れば人がたくさんいます。幽刃卿にとってこれほどやりやすいフィールドはありません。一方で――」
「そうか。今、この雪山エリアにいる人間は限られている……!」
「そうです。……これから先、出会うプレイヤーの誰かに、幽刃卿が潜んでいるはずです。すべてを疑っていきましょう、先輩」
というわけで――と。
チェリーはなぜか、俺の目をじっと覗き込んできた。
「じー」
「な、なんだよ……」
「じぃー」
「うぐっ……」
俺は妙に恥ずかしくなって目を逸らす。
にこっとチェリーが笑った。
「その反応……よかった! 本物ですね!」
「何で見分けてんだよ!」
「私のことも確認しなくて大丈夫ですか? 今なら確認と称して何でもやり放題ですよ~?」
「……その発言で本物だと確信したよ」
「ちぇー。つまんないです」
ホントにやったら怒るくせに。
……さて、戯れはここまでにしておこう。
さっきからメイアがむすっと口を尖らせている。
「パパとママばっかりイチャついててズルい! 《ゆーじんきょう》ってなに!? そろそろわたしにも教えてよーっ!!」
……こうなった以上、ちゃんと説明してやらねばなるまい。




