第134話 スタァト・オブ・ゲェム
小さな窓から覗く、闇を煮固めたような双眸。
その上に、ネームタグがポップアップする。
血のように赤いフォントで記されているのは、6文字のアルファベット―――
―――《LordGE》。
LordGE――Lord Ghost Edge――《幽刃卿》!
「このぉっ……!」
メイアがすかさず弓剣に光の矢を番えたかと思うと、窓から覗く目に射放った。
貫かれる寸前、幽刃卿の目は窓の下に引っ込む。
「くうーっ……! 避けられたぁー!」
「真ん中に集まって! 壁から離れてください!」
チェリーの指示で、俺たちは小屋の中央に集まった。
壁越しにヤツを刺そうとしたときに空いた穴から、俺は外の様子を窺う。
横殴りの吹雪が見えるばかりで、幽刃卿の姿は見て取れない。
「次はどう来る……? それとも退いたか?」
「いえ、もしそのつもりなら、ブクマ石でいったん消えたときに逃げているはずです」
それもそうか。
俺にナイフを掴まれた幽刃卿は、ブクマ石によるテレポートで逃げていた。
ブクマ石こと《往還の魔石》は、あらかじめ記録した場所にテレポートできるアイテムだから、ああいう使い方もできるのだ。
「ねえ、パパ、ママ。あれって、壁を抜けちゃうスキル? そんなのあるの?」
メイアが不思議そうに言った。
ヤツの腕は、明らかに壁をすり抜けていた。
壁に腕が通るような穴はできていないし、物質を透過するスキル、クラス、魔法のどれかを使ったと考える他にない。
「チェリー。知ってるか? 物質を透過する手段なんて」
「寡聞にして。ですけど、赤統連が秘密兵器として隠し持っていたなら納得はいきます」
PK手段としてこれほど都合のいいものはないだろう。
密室殺人がやり放題だ。
俺は敵の能力に関して、頭の中で情報をまとめる。
「壁越しに突き刺しても手応えはなかった。……ってことは、たぶんこっちの物理攻撃も透過しやがるな」
「メイアさんの矢を避けたところを見ると、おそらく魔法系の攻撃は当たると思います」
「あっ、そっか。それじゃあ……!」
メイアがいきなり弓剣に矢を番えた。
おい? 狭い小屋の中で何を――
尋ねる前に、光の矢が射出される。
それは俺が壁に空けた穴を通り抜けると、あたかも散弾銃のように分裂した。
弓剣系体技魔法のひとつ、《ライト・シャワー》だ。
無数の小さな矢に分裂した光の矢は、吹雪の中の銀世界を満遍なく爆破した。
ライト・シャワーっつーかボム・シャワー……絨毯爆撃といったほうが近かった。
「次はこっち!」
メイアはすかさず別の方向に矢を放つ。
壁を貫いた直後に分裂した矢は、再び雪景色を紅蓮に染めた。
「早く出てこないとそのうち当たっちゃうよー?」
「なんつー雑な……!」
「先輩の悪影響ですよ!」
「いや、お前だろ! 雑に範囲魔法ぶっ放すのは!」
3発目の《ライト・シャワー》を射放った直後、メイアが「あっ!」と声を上げた。
「当たった!」
簡易メニューにログが出た。
メイアの矢が幽刃卿に当たったんだ!
「そっちか……!」
幽刃卿のいる方向に向き直った、その直後。
――スィン。
そんな音が、背後からかすかに聞こえた。
この音――聞き覚えがある。
ブクマ石の効果音―――!?
俺が振り返ると同時、ボロいマントを纏った男が穴の空いた壁をすり抜けてきた。
その両手には無骨なサバイバルナイフが1本ずつ握られている!
「くっ!」
一直線にメイアを狙ってくるボロマントの前に立ちはだかり、俺は魔剣でナイフを受けた。
しかし、右手の1本を防いでも左手のもう1本がある。
マントを大きく翻しながら、銀に輝く刃が目前に迫った。
こいつっ……!?
身を低くして紙一重で回避する。
あっぶねえ! マントで注意を逸らされた!
こいつ、かなりの手練れだ……!
狭い小屋の中じゃ不利だぞ!
「先輩!」
ゴオウッ、と風が渦巻いた。
チェリーが放った風魔法が、ボロマントの男に襲いかかる。
男は後ろにステップしてそれを避けた。
「ナイス!」
距離が空いた。こっちの間合いだ!
ナイフのリーチの外から魔剣フレードリクでプレッシャーをかけると、ボロマントの幽刃卿は再び壁をすり抜けて外に出た。
逃がすか!
壁を斬り裂いて外に出る。
さっきに比べれば、吹雪は多少マシになっていた。
しかし、依然として一面真っ白の世界では、ボロボロのマントが黒い染みのように見える。
調和した世界を侵し汚す――異物。
吹きすさぶ雪の中、俺が魔剣を向けると、幽刃卿もまた両手のナイフを構えた。
「……一体どういうつもりだ? どうしてメイアを狙う?」
幽刃卿はナイフを構えたまま、かすかに肩を揺らした。
「……っス。スススっ……ススススススっ……!」
これは……笑い声、なのか?
まるで隙間風みたいだった。
「決まっている、だろう……《緋剣乱舞》」
ひび割れたような、お世辞にも綺麗とは言えない声が、吹雪の中に混じる。
「我らと、貴様ら……の、行動原理は……まったく同じ、だ」
「……なに?」
「面白そうだから――だよ」
スススススっ――隙間風のような笑い声がさざめく。
俺の中で、瞬間的に熱が爆発した。
「一緒にするなッ!! 越えちゃいけないラインもわかんねえのか、クソ野郎ッ!!」
メイアは死ねば復活できないかもしれない。
殺せば単なるPKでは済まないのかもしれないのだ。
なのに、面白いから?
そんな理由、許されてたまるか……!
「何が、違う……?」
聞いているだけで気持ちが不安定になる声で、幽刃卿は語った。
「この世界は、我ら、が遊ぶために、作られた。ならば、『面白そう』だと……そう、思うの、なら。すべて、が許される……はずだ。エンタァ、テインメント……の、名の下に!」
「……はッ」
俺は鼻で笑う。
「お前みたいなのは、MMORPGで最も嫌われる人種だ」
瞬間、光の雨が幽刃卿の頭上に降り注いだ。
《ライト・シャワー》――メイアか!
爆発が連続し、雪が激しく舞い上がる。
白い粉塵が視界を覆い、ボロマントの姿もまた、その向こうに隠された。
チッ。
ログを確認して心中で舌打ちする。
矢は当たっていない。
「いったん、退くと、しよう……」
白い闇の向こうから、ひび割れた声が告げた。
「『ゲェム』は、まだまだ、始まったばかり……だ」




