第133話 雪中の幽鬼
第二前線拠点を出て山道を登っていくと、本格的に雪深くなってきた。
踏み固められた地面を氷が覆い始め、足元が怪しくなってくる。
気温も『肌寒い』なんてレベルじゃなくなって、俺たち3人は分厚い防寒着を着込んでいた。
これがないと気持ち的にも不快だし、ゲーム的にもSTRやらDEXやらにデバフがかかってしまうのだ。
だっていうのに、先を行く大男は、上着のひとつも着ないまま元気そうだった。
「がはははははは!! 雪中行軍とは胸が躍るのう!!」
聞いているだけで細かいことがどうでもよくなってくるだみ声は、言わずもがなゼタニートのものだ。
コテージに残されていた、《幽刃卿》によるメイア殺害予告。
あれが本物なのか悪戯なのかは、結局のところわからない。
だが、メイアは普通のプレイヤーとは違って、殺されても復活できるのかわからない身だ。
念には念を入れるべきだってことで、ストルキンの勧めでゼタニートを護衛につけることになったのだった。
「とうっ!」
ゼタニートは突然、道の横に高く積もった雪にダイブした。
すぐに起き上がって、自分の形に窪んだ雪を見る。
「人型ができおったわ! ぐわははははは!!」
小学生かよ。
「……あいつが護衛で本当に大丈夫か?」
「ま、まあ、人柄がどうあれ、レベルは本物ですから」
確かに、レベル150という数字は圧倒的だ。
人柄がどうあれ、戦力として心強いことは間違いない。人柄がどうあれ。
微妙な表情をしている俺たちを見て、メイアが首を傾げる。
「ニートのおじさん、面白いよ? いろんなこと知ってるし!」
「……その、完全に偏見なんですけど、一応は親として、娘があの人と仲良くしているのはちょっともにょもにょします」
「怪しい親戚のおじさんポジションだな、完全に……」
メイアには、予告状のことは話していない。
怖がらせてしまうと思ったのだ。
せっかくレベルが上がって、俺たちと同じ場所に来られるようになったのだから……メイアにはちゃんと、この機会を楽しんでほしかった。
……赤統連だか幽刃卿だか知らないが、邪魔なんてさせるかよ。
足元が悪い中、何度か散発的にモンスターとエンカウントした。
しかし、俺たちが出るまでもなく、先頭のゼタニートが蠅でも叩くようにして瞬殺してしまう。
レベルの暴力だ。
そうして、人類圏外にもかかわらずハイキング気分でしばらく歩けば、ちらちらと降っていた雪が、だんだんと吹雪に変わっていった。
視界も悪くなっていく。
お互いの姿が白い闇にかすみ、おぼろな影になった。
前のゼタニートが言う。
「おう! 大丈夫か! モンスターの出現に警戒しておけ!」
この吹雪じゃ、まともに索敵が働かない。
不意打ちを警戒しないとな。
魔剣フレードリクを抜いて、いつ襲撃されても対応できるようにした。
――そのときだった。
「ぐむっ……!?」
前を行くゼタニートが、唐突にぐぐもった声を漏らした。
吹雪の中で、大男の巨体がピキリと固まり――
――次の瞬間、ぐらりと横倒しになる。
「は……!?」
俺は異常に気付いて息を止めた。
瞼の裏に映っている簡易メニュー――そこに表示されていたゼタニートのHPゲージが、一瞬で消滅した!
な……何が起こった!?
「せ、先輩!」
「ああ……!」
しっかりメイアの手を引きつつ、俺たちは倒れたゼタニートに駆け寄った。
首筋に、赤い光芒のラインが走っている。
ダメージエフェクト……。
何かの刃物で斬りつけられた跡!
「や、やられたのか……? 何に!?」
辺りに気を配るが、モンスターの気配は一切感じられない。
俺の脳裏によぎったのは、コテージの壁に刻みつけられていた予告状だった。
――『赤名統一連盟 幽刃卿』。
まさか……!?
「……おかしい……おかしいですよ、先輩」
チェリーが視線を下に向けながら呟いた。
「周りの雪に、私たちのもの以外の足跡がありません。……一体、誰がどこからどうやって、ゼタニートさんの首を斬ったんですか?」
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「な、なに……? パパ、ママ、何がどうなっちゃったの?」
わからない。
ゼタニートが『何か』に首を斬られて殺されたのは間違いない。
だが、その『何か』がゼタニートに近づいた痕跡がどこにもない!
吹雪で消えた?
まさか。そんなに時間は経ってない。
足を地面につけずに移動できるスキルかクラス?
聞いたこともないが、可能性は否定できない……。
いずれにせよ、俺たちを狙う敵が近くにいる!
――ザッ。
吹雪の中に紛れたその足音を、俺は聞き逃さなかった。
「二人とも、掴まれッ!」
誰何はいらない。
俺はチェリーとメイアの腕を引いてその場を離れる。
「足音……? 足跡をつけずに済むスキルかクラスがあるなら、どうして足音が……?」
「考察は後だ! 先に安全を確保する!」
「……っはい!」
周囲の視界が悪すぎる。
こんな吹雪の中じゃ、ろくに敵の姿も見えやしない。
だけど、敵のほうは正確にゼタニートを襲ってみせたのだ。
向こうには俺たちの位置がわかっているかもしれない……!
「――あっ! 先輩! あっち!」
チェリーが左前方を指さした。
吹雪の中に木造の小屋がある。
あそこに逃げ込めば、吹雪からは逃れられるか……!
「よし、行くぞ……! 来い、メイア!」
「うっ、うん……!」
雪の上をどうにか走り抜けて、俺たちは小屋の中に転がり込んだ。
扉をバンと閉める。
吹雪の音が扉の向こうに遠ざかり、ふうと息をついた。
小屋の作りは粗雑で、屋根や壁ががたがたと揺れている。
プレイヤーメイクじゃないな……たぶん、元からあったものだろう。
中には家具のひとつもなく、ただ虫食い穴の空いた床があるばかりだった。
「ふあ~。なんだったんだろ、今の~」
メイアが壁際にずりずりとへたり込みながら言う。
「気ぃ抜くな。まだ見逃されたとは決まってない」
「そなの?」
「視界の悪い開けた場所よりは、こういう袋小路のほうがまだマシってだけだよ」
チェリーが言う。
「敵が来るとしたら、扉か窓か、あるいは壁を壊してくるか……選択肢を絞れるでしょ?」
「あっ、そっか。あったまいい~」
いまいち危機感の希薄なメイアに苦笑しつつ、俺は小屋の様子をチェックした。
窓はひとつ。天井近くのかなり高い位置に、せいぜい手首が通るかどうかくらいの小さな隙間がある。
扉もひとつだ。鍵はない……。よしんばあったとしても、少し蹴っただけで簡単に破れるだろう。
壁も同じこと。壊してしまうのは難しくなさそうだ。
さあ、どこから来る……?
壁が風でがたがたと揺れている。
その音がうるさくて、さっきみたいに足音を聞き取れそうにはない。
なら、頼れるのは目だ。
不審な情報をひとかけらたりとも見逃すな――
窓から来るか。
扉から来るか。
壁から来るか。
選択肢をこの三つにしたのが――俺のファインプレイだった。
一見、可能性の低そうな選択肢を、先入観に陥って排除しなかった。
だから俺は、ギリギリで気付くことができた。
「はれっ?」
壁際に座った、メイアの首に。
壁を透過して伸ばされた手が、ナイフを添えている……!
「メイアっ!!」
AGIを鍛えていたことを、このときほど感謝したことはない。
俺は電光石火でメイアに駆け寄り、彼女の首を斬り裂こうとしたナイフを左手で掴んだ。
「くっ……!?」
左手からダメージエフェクトが散る。
だが、HPは微減程度だ。
どうやら、手を斬っただけじゃあ、ゼタニートみたいに即死はさせられないみたいだな!
「この野郎ッ!!」
俺はナイフを掴んだまま、手が伸びている壁に魔剣を突き刺す。
壁の向こうには、このナイフの持ち主がいるはずだった。
俺が捕まえている以上、逃げることはできない……!
はずだったが。
――手応えが、ない……!?
壁をすり抜けて伸びていた手が、一瞬青く輝いて消えた。
俺が掴んでいたナイフも消える。
今のエフェクトは……!
「ブクマ石――《往還の魔石》のエフェクト! 逃げましたよ、先ぱ――」
チェリーの言葉が止まる。
その目は、上のほうに向いていた。
俺はその視線を追う。
天井近くにある、牢獄みたいな小さな窓。
その向こうから――
――まるで感情の窺えない、闇を固めたような双眸が、俺たちを見下ろしていた。




