第132話 血みどろの名前
花見会場みたいにプレイヤーでごった返していた山道を難なく抜けると、『三合目』と書かれた立て札が出迎えた。
「山の何合目とかってどうやって決まってんだっけ? 距離? 高さ?」
「えーっと……う~ん……なんか諸説いろいろあるみたいですね。宗教がどうとか、登山の難易度を示してるとか」
ブラウザで検索してチェリーが言う。
メイアが三合目の立て札を見つめて、
「難易度……じゃあこれは、ステージ3突破! って感じ?」
「……いや、そもそも誰がどうやって決めたんだよ、これ」
まだ誰もてっぺんまで辿り着いてないはずだよな?
「まあ、場所には名前がないと不便ですからね。京都市内の通りに名前がついてなかったら、どこがどこだかわからなくなるでしょう?」
「もともとあんまり覚えてねえけどな、俺は」
「京都人の風上にも置けない人ですね、先輩は」
「いいんだよ、あんな嫌味な民族の風上になんざ置かれなくたって」
全力で地元をディスりつつ、三合目の立て札からしばらく進んでいくと、だんだん肌寒くなってきた。
まだデバフ効果が出るほどじゃないが――
「――つめたっ!」
メイアがびくーんと声をあげて、空を見上げる。
「ふわ……ゆき……」
よく目を凝らすと、空からちろちろと小さな雪が舞い落ちていた。
万年雪に覆われている領域はまだまだ先だが、『雪山エリア』がいよいよ本格的に始まるようだ。
「冷たい……これが雪なんだね……」
手のひらに落ちた雪を見下ろしながら、メイアが呟く。
そういえばメイアが来てからは、リアルでも雪は降ってなかったっけ?
だったら、これが生まれて初めて目にする雪、ということになるのか……。
「こっから先は雪山だからな。もっとたくさん見れるぞ」
「……うん!」
さらに進むと、雪で淡く濡れた山道の横に、木造のコテージが建っていた。
もともとあったものには見えない。プレイヤーメイクの建物だろう。
入口の手前に『第二前線拠点 誰でもご自由に』と書かれた立て札がある。
「もう一個拠点を作ったんですね」
「さっきの五つの登山ルートを狩り場として見るなら、出口側にも拠点があったほうが便利なのは間違いないよな」
「入ってみる?」
メイアが俺の顔を見上げて言う。
ろくに戦闘もしてないから、消耗は皆無だが……とりあえず中を確認しておくのもいいか。ここから先についての情報も集まるかもしれない。
というわけで、チェリーを一番前に置いた布陣で中に入ることにした。
「……先陣を切ってくださいよ、大黒柱らしく」
「大黒柱は無言で突っ立ってるのが仕事だ」
「パパ、人見知り治らないね」
お前もちっちゃい頃は人見知りだったんだぞー……。
扉を開けて中に入れば、暖炉のある大きなリビングルームの中に、何人ものプレイヤーがたむろしていた。
その中に見知った顔を見つける。
「あれっ、ストルキンさん?」
「ん……君たちか」
すらりとした長身の、眼鏡をかけたウィザードの男だ。
セツナ主催の遠征合宿のメンバーで、今はナインサウス・エリアの暫定領主も務めているストルキンである。
なんだか久しぶりに顔を見た気がするな。
「ストルキンさんも雪山エリアの攻略に来られたんですか? それにしてはパーティの方が……」
「いや、オレはこの拠点の管理をやっている。中立の拠点だけあって、いろんな連中が集まるからな。放っておくとトラブルが絶えん」
「……大変ですね」
「まったく」
眉間に寄ったしわを揉むストルキン。
こいつ、ゲームで遊んでるようには見えないな……。
「君たちは――む」
「?」
ストルキンはメイアに目を留めたかと思うと、片方の眉をぴくりと動かした。
なんだ?
「――むっ!? おおう! 誰かと思えば嬢ちゃんたちではないか!! ぐわははは!!」
大柄な男戦士が放っただみ声が、耳の中できーんと反響した。
ゼタニートだ。
ストルキンと同じく、セツナ主催遠征合宿のメンバーの一人。
「ずいぶんと遅かったのう! もしやDルートなど通ってきたのではあるまいな!! いかんぞう、若いのに!! がはははは!!」
「えっ? ……その口振り、もしかして……」
「ああ。ニート殿は、最短のSルートを突破してきたらしい」
うげっ……!? マジかよ? あの地獄みたいな道を!?
「うっひゃあー……! ニートおじさん、すごいね!?」
「そうじゃろうそうじゃろう!」
メイアに褒められて、ゼタニートは嬉しそうに呵々大笑する。
まあこいつはいつも笑ってるんだが。
「ステータスの暴力だよ」
ストルキンが眼鏡を上げて言った。
「君たちの感じる難易度と、ニート殿の感じる難易度はまるで違う。同じ道でも、レベルが違えば難しさも変わるってことさ」
「ゼタニートさんのレベルがすごく高いってことですか?」
「150だよ。もうレベルキャップに到達してしまったらしい」
「「はあ!?」」
Sルートを突破したことよりも驚愕の事実だった。
レベルキャップが引き上げられたの、ほんの2週間くらい前だぞ……?
俺たちが10も上げないうちに、その倍以上も上げたってのか……。
「廃人の鑑ですね……」
「プレイ時間どうなってんだ……?」
「褒めるな褒めるな。がはははははは!!」
ひいてるんだよ。
俺たちにひかれるって相当だからな?
まあでも確かに、レベルが150もあれば、あの極悪ルートも突破可能か……。
「私たちが聞いた話だと、Sルートを突破した人はまだいないってことだったんですが、その後にゼタニートさんが突破されたんですかね?」
「ああ。そういうことだ。……どうやら、Sルートを突破したのはニート殿だけではないようだがな」
「えっ? 他にもあのルートをクリアしたマゾい人がいるんですか?」
「信じがたいことに、他に3人ほどいるようだ」
3人!?
いるもんだな、変態って……。
「ニート殿以外は、全員攻略クランの所属だ。一人は君たちも知っているだろう。《騎士団》の《巨人》だよ」
「火紹か……」
《聖ミミ騎士団》の火紹。
UO姫に忠誠を誓った武将で、よくUO姫が乗った神輿を運ばされている。
2メートル半もの巨大なアバターを持つ《巨人》だ。
「そういや、《巨人》クラスって結局、火紹以外にはまだいないのか?」
バレンタインイベントで存在を明かされて以来、そろそろ1ヶ月経とうとしているが……。
「発現条件を《騎士団》が秘匿している」
ストルキンが答えた。
「あそこは攻略クランの中でも結束力が強いからな。情報はまず漏れん」
攻略クランと呼ばれるような上級者集団は、大抵の場合、最低ひとつは自分たちだけの武器となるスキルやクラス、レア装備を独占しているものなのだ。
たまに内部から情報が漏れたりするが、《聖ミミ騎士団》はUO姫の狂信者集団だからな。
「Sルートを突破した他の3人は、《巨人》火紹を始めとして、いずれも各クランの最終兵器を持たされたエースたちだ。わざわざ効率の悪いルートを突破してみせたのは、他のプレイヤーへの力の誇示という面が強い」
「……この雪山エリアの攻略が、各クランの威信をかけての総力戦になってるわけだ……」
「ナイン山脈の攻略は、ここまでほとんど私たち無所属プレイヤーの独壇場になっちゃってましたからね。レベリング効率の改善を機に、本腰を入れて人類圏外の覇権を取りに来たってところですか」
「攻略クランって言うけど、具体的にどこが来てるんだ? 麓でちらっと旗は見えたけど」
「《騎士団》の他には、《赤光の夜明け》と《ウィキ・エディターズ》の二つだ」
ストルキンが緩く腕を組みながら言った。
「《赤光の夜明け》はウィザード職プレイヤーの総本山。《ウィキ・エディターズ》は言わずもがな、公認攻略wiki専門の攻略チームだ。いずれも、人類圏外まで来てクランマスターの像など建立している《騎士団》より、ずっと手強い相手だろうな」
こいつ、嫌いそうだなあ、UO姫のこと……。
「堂々と前線キャンプを張って進駐しているのはその三つだが……」
眼鏡の奥にあるストルキンの瞳が、ちらりとメイアのほうに向いた。
メイアはいつの間にか、ゼタニートや他のプレイヤーと談笑して盛り上がっている。
「…………(実は、君たちに伝えておきたいことがある)」
ストルキンは急に声を潜めた。
チェリーは首を傾げる。
「私たちだけに……ですか?」
「(ああ。ひとまずはそのほうがいいだろう……。ショックを受けるかもしれない)」
ショック……だって?
いい予感はしなかった。
だからといって、見て見ぬ振りをすることも、できそうになかった。
ストルキンは俺たちに目配せをして、コテージの奥へと歩いていく。
俺たちはそれについていった。
メイアたちから離れたところで、再びストルキンが口を開く。
「……覚えているか? ダ・モラドガイア内部ダンジョン攻略の際に介入してきた、《殺人妃》の一派のことを」
「ああ、あの残念なPK」
「あの残念なPKですね」
「そうだ。その残念なPKだ」
残念残念とは言うが、《殺人妃》とかいう恥ずかしい異名を名乗っていたあの少女PKerは、火紹の抹殺には成功していたし、あと一歩でチェリーもやられるところだった。
PKとしての能力はかなり高い部類に入るだろう。
「連中がどうして今更になって人類圏外に出てきたのか気になって、少し探りを入れていたんだが……」
ストルキンの目つきが、少しだけ鋭くなる。
「……どうやら、《上》の連中にそそのかされたようだった」
……《上》?
その言葉の指すところを、俺はたちどころに理解した。
教都エムルの南東に居を構える《フリーダム・プリズナー》や、《殺人妃》たちのような泡沫PKクラン――そうした者たちによって形成されている、いわばMAOの裏社会。
それを束ね、治め、統べて牛耳る組織が、MAOには存在する。
その名を《赤統連》。
正式名称《赤名統一連盟》。
PKのペナルティによってネームカラーが真っ赤に染まったプレイヤー――《レッドプレイヤー》や《赤ネーム》などと通称される者たちの活動を、裏から援助しているとされているクランだ。
「……傭兵団まで雇ったあの妨害が、《赤統連》の差し金だったって言うんですか? いったい何のために……?」
「さてな。そこまではわからない。とにかく、《殺人妃》による攻略妨害が、《赤統連》からのトップダウンで実行されたことは間違いがないようだ。複数の関係者から裏が取れた」
ストルキンは古参なこともあって顔が広い。
それに基づいた調査力がそう結論づけたのなら、本当なんだろう。
「……それで、それがどうしたんですか? まさか、またあの《殺人妃》とかいう女の子が妨害をしてくるとでも……?」
「それどころではない、と言えるだろう。……君たちは知っているか? 《ブラッディ・ネーム》の噂を」
《ブラッディ・ネーム》?
「聞いたことくらいは……。本来はPKたちを援助するだけで、自分たちでPK活動をすることはない《赤統連》が唯一、直属で抱えている凄腕PKerのことですよね。まあ存在自体、眉唾ですけど」
そうだ、俺も聞いたことがある。
《ブラッディ・ネーム》という呼び方は、《赤ネーム》のさらにすごい奴、という意味だ。ざっくばらんに言うと。
「そうだな……。《赤統連》の《ブラッディ・ネーム》は、いくつかの証言がネット上に漂っているだけで、実在の証拠があるわけじゃない。《赤統連》の神秘性から生まれた都市伝説だ。……オレも、昨日まではそう思っていた」
「え?」
話しているうちに、意外と広いコテージの中を、一番奥まで進んでいた。
そこには一つの扉がある。
『工事中』という札が掛かっていた。
「《ブラッディ・ネーム》の噂を知っているのなら……これも聞いたことがあるはずだ。奴らに関する最も有名な話だからな」
扉の前で振り返って、ストルキンは言った。
「――《ブラッディ・ネーム》は、PKを実行に移す前に、必ずターゲットに対して《殺人予告》を行う」
《ブラッディ・ネーム》の――《殺人予告》。
確かにそれは、有名な噂だった。
要するに怪盗みたいなものだ。
《ブラッディ・ネーム》は必ず、ターゲットに対して挑戦状を叩きつけ、PKの実行を阻止できるか否かの『ゲーム』を行う――
しかし。
「……それってさ、確か……」
「はい。確か脚色ですよね? 《ブラッディ・ネーム》を扱った欠片小説の」
欠片小説――マギックエイジ・オンライン・フラグメント。
MAOの二次創作のことをそう呼ぶ。
その中でも有名な作品の一つに、《AI探偵の仮想なる事件簿》というタイトルがある。
殺人鬼組織《赤統連》と、リアルの肉体を持たない探偵《AI探偵》との対決を、本格推理小説のテイストで描いていくVRMMOミステリ小説だ。
《赤統連》の《ブラッディ・ネーム》が殺人予告を行う、という噂は、その小説オリジナルの設定が一人歩きしたものだと、すでにわかっているのだ。
「あの小説が、完全な想像によって描かれたものなのか、それとも作者独自の取材によって描かれたものなのかはわからない」
独り言のように呟きながら、ストルキンは『工事中』の札がかかったドアのノブを握った。
「しかし、そのどちらにせよ、模倣はできる。最初からやっていた、ということにして、逆輸入することはできるはずだ」
ストルキンが何を言わんとしているのか、まだいまいちよくわからなかった。
聞き返す前に、ドアが開く。
部屋の中は、工事中なんかじゃなかった。
大きなテーブルが置かれた、薄暗い部屋……。これは会議室か?
奥の壁には、大きなタペストリーが掛かっていた。
……ただの前線拠点なら、こんなインテリアは必要ない。
「長々と話してしまったが……結局、見たほうが早い」
ストルキンはそう言いながら、タペストリーの近くまで行って、その端を手で掴んだ。
「読んでくれ。……ついさっき見つけたんだ」
ストルキンの手で、タペストリーが剥がされる。
その下の壁には、刃物か何かで文章が刻まれていた――
『拝啓 メイア様
本日中に、そのお命、頂戴仕ります。
貴女が人類圏外より脱出、
もしくは現実世界へとログアウトなされた場合、
この予告の効力は翌日へと繰り越されます。
ただし、わたくしのHPが尽き果てた場合のみ、
この予告は無効となります。
どうか生き足掻いてくださいますよう、
宜しくお願い申し上げます。
赤名統一連盟 幽刃卿
敬具』




