第128話 解放されていく記憶
「あっ! 帰ってきた!」
恋狐亭のロビーに入るなり、談話スペースのほうにたむろしていた連中が一斉に振り返った。
「おかえりー!」
「旅行どうでしたか?」
「チューした? ねえチューした?」
「何日か連絡つかなかったけど大丈夫だった?」
「ねえねえ! あそこ行った!?」
「チューしたのー? ねえってばー!」
「ぐうう……! 彼氏とゲーム内旅行するような青春を送りたかった……」
「先生ーっ! 大丈夫です、傷は浅いですっ!」
「あっ! もしかしてチューどころか二人目―――」
「ストップストップストップ! 順番に喋ってくださいっ! あとレナさん、チューチューうるさい!!」
誰が何を喋ってたのかさっぱりわからなかったが、レナだけははっきりと区別できた。
我が妹ながらブレねえな……。
「思い出話はあとでやりますから、その前に紹介させてください。……もう入ってきていいですよー!」
と、チェリーが背後に呼びかけると、玄関扉をくぐって、一人の少女がロビーに入ってくる。
緑がかった金髪の、妖精みたいな美貌の少女だった。
金髪からピンと尖った耳が飛び出している。
年の頃は、俺たちよりちょっと下――中学生程度だ。
その子はフロンティアプレイヤーたちの前に出てくると、愛想良く笑って軽く手を振った。
「久しぶり? かな? みんな! メイアです!」
ほおーっと、誰もが口を半開きにして、メイアの姿を眺める。
フリーズしたような沈黙のあと、「うっ!」とツインテールの女戦士――双剣くらげが両目を押さえた。
「びっ、美少女……! 圧倒的な美少女力に目が潰れるよぉぉぉ……!!」
「美少女力ってなんですか、くらげさん……」
「『この子だったら女同士でもいいかも』って思わせるパワーのことだよ!」
「思ったより生々しいパワーじゃないですか! やめてください!」
見慣れたやり取りを繰り広げる双剣くらげとろねりあをよそに、セツナが少し後ずさりながら成長したメイアを見つめる。
「いや、ほんと……予想以上に綺麗になったね……」
「えへへー。ありがとうございますっ!」
「うっ……!」
メイアがはにかんで答えると、なぜかセツナはさらに後ずさった。
「お前、なんで遠ざかっていくの?」
「いや、なんか……僕なんかが近付いていいのかなって」
こいつイケメンで人気者のくせに妙に卑屈だな。
「別に死にゃあしねえよ。……まあそのイケメンを使って妙なことをしようとしたらわからんけどな」
「怖いよケージ君!」
「もー、パパったら。セツナさんを怖がらせちゃダメだよー? めっ!」
ぷにっと俺の頬をつついて、へへーと笑うメイア。
その様子を見て、レナが「ほへー」とアホみたいな面をした。
「見た目中学生くらいなのに、お父さん子なんだね、メイアちゃん」
「そうなんですよーっ!!」
チェリーが我が意を得たりとばかりに話に乗る。
「普通、このくらいの歳だったら母親のほうに懐きますよねっ!? 父親なんてゴミみたいなものですよね!?」
「誰がゴミだてめえ」
「ママも好きだよ? ほらっ! ぎゅーっ♪」
「きゃっ!」
「ママ、軽くて可愛くてお人形さんみたーい!」
メイアの身長はぐんと伸びて、チェリーとほとんど同じくらいになっていた。
俺と並ぶと、肩の下くらいに頭が来る。
チェリーはどっちかというと小柄なほうだから、もしこれ以上メイアが成長したら追い抜かれるんじゃないか?
「あっ、ちょっ、こしょばっ……」
「ふひひひ。ここがええのんかー?」
「ひあーっ! ちょっとこれ! レナさんの影響でしょ!」
レナは「いいよいいよー! もっと絡み合って!」とスクショをばしゃばしゃ撮っていた。
反省の色がねえ。
まあ、そういうわけで、メイアはめでたく14歳くらいの姿に成長した。
レベルのほうも、それに従ってか、いきなりぐんと伸びた。
今はレベル74だ。
俺たち最前線組が110ちょっとくらいだから、もうちょい頑張れば追いつけなくもない。
そして、もう一つ。
「そろそろ報告していいか? ――メイアが思い出した記憶について」
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
宴会場のほうに移動して、俺たちは車座になった。
メイアはきらびやかな金髪には似合わず、綺麗な正座をしている。
六衣に仕込まれたみたいだ。
「えーっと……どこから話せばいいかな?」
指示を求めて、メイアが俺に視線を向ける。
俺は少し考えた。
「そうだな……。そもそも、お前が母親の記憶をどこまで明確に受け継いでるのかってところから、はっきりさせたほうがいいんじゃないか?」
「母親の記憶?」
と繰り返したセツナに、メイアは頷く。
「はい。……わたしの中にある、知らない記憶。これはきっと……わたしの、本当のお母さんのものです」
息を飲むような気配が、宴会場に漂った。
……メイアが、俺とチェリーが本当の両親ではないことを、いつ頃から理解していたのかは、彼女自身にも定かではないと言う。
14歳の姿に成長した瞬間にそうなったのかもしれないし、8歳の姿だった頃からなんとなくわかっていたのかもしれない。
だが、だからといって、メイアが俺たちを『パパ』『ママ』と呼ばなくなることはなかった。
少なくともメイアにとって、親は俺たちであり、この場に集まったフロンティアプレイヤーたちなのだ。
「元々、わたしの中にあった記憶は、ぼんやりとしたイメージみたいなものでした。たくさんのドラゴンが、たくさんの家を、人を、踏みつぶしたり、焼いてしまったりする記憶……。記憶の中の『わたし』――つまり、わたしのお母さんは、たくさんの人に守られて、必死にそれから逃げていました」
おそらくはそれが、ダ・モラドガイアと戦う俺たちを助けてくれた、あの巫女風の女の子なんだろう。
たくさんの人に守られていた、ということは、このナイン山脈にかつて存在した文明において、重要な役目を与えられていたのに違いない。
「今回、わたしが思い出したのは、そうして命からがら逃げ延びた後のことです。……とても悲しい、別れの記憶です」
元気で天真爛漫な子供だった頃のメイアは決して浮かべることのなかった、切なさの滲む表情を見て、セツナたちは目を見張る。
「追いかけてくるドラゴンたちを……そしてドラゴンたちを凶暴にしてしまった力を食い止めるために、わたしの本当のお母さんは、その身を犠牲にしなければなりませんでした」
「……ダ・モラドガイアだね」
「はい。ドラゴンの中でも特に強力な力を持っていた太陽竜……その膨大なエネルギーを堅い巌に変えて、暴れるドラゴンたちと拡大する呪転領域を食い止めるための蓋にしたんです。わたしの本当のお母さんは、その封印を制御できる唯一の存在だったみたいです」
お解きあれ、とメイアの母親は告げていた。
何を解け、と言っていたんだろう。
自身が制御していた封印のことか、もしくは……。
「そのために……わたしの本当のお母さんは、好きな人と永遠に別れなければなりませんでした。それが……」
「……メイアちゃんの本当のお父さんだった、というわけです」
チェリーが後を引き継いだ。
しめやかな空気が流れる中で、シマウマみたいな白黒の髪を持つ白衣の女が、「ははーん?」と納得した風な声を出す。
「一族の大切なお姫様をうっかりはらませた男がいたのか。まったく、男というやつはお姫様と聞いたらすぐにはらませたが―――」
「おい誰か。そこの白衣女つまみ出せ」
「はいはい。行くわよブランク」
「いだだだだだっ! か、髪をっ! 髪を引っ張るなあああっ!」
「先生ーっ!!」
六衣に引っ張られてブランクは退場した。弟子のウェルダもそれを追いかけていく。
シリアスな空気が合わなすぎるだろあの作家。
真剣味を帯びていた雰囲気がすっかり弛緩してしまい、メイアも口元を綻ばせていた。
……まあ、シリアスで湿っぽい雰囲気が似合わないのは俺たちも同じか。
「とにかく、これでダ・モラドガイアがあそこで像になってた謎は完全に解けたわけだ。そこからメイアが出てきた理由も」
俺は話を元に戻す。
「ですが、疑問点はまだ残っています」
続けてチェリーが話を整理した。
「ドラゴンたちが暴れ出した理由はなんなのか。各地の遺跡を見るに、メイアちゃんのお母さんたちの文明は、ドラゴンを崇拝の対象としていました。それが荒ぶる神としての崇拝なのか、共生関係の結果の崇拝なのかは不明ですけど、少なくともそれまで、この山の文明にとって、ドラゴンは日常的に存在していたもののはずです。それがいきなり文明を滅ぼしてしまった……何かのきっかけがあったと考えるべきです」
「《呪転》……ですね」
ろねりあがつぶやいた言葉に、チェリーは頷く。
「そう。《呪転》。この言葉が意味する現象は、具体的にどんな理由で起こったのか?」
「その辺りについて、メイアさんは何も思い出していないんだね?」
いつの間にかさん付けになっているセツナの質問に、メイアはこくりと頷いた。
「ドラゴンたちが暴れ出す前のことは、まだ思い出せません」
「そっか……。そこが核心なのかもね。この山脈の攻略に当たっての」
俺は思い出していた。
湖の古城に現れた王の亡霊。
ダ・モラドガイアの内部に現れたメイアの母親。
二人の口から、二度に渡って発された言葉のことを。
―――《彼の者》。
「……とにかく、呪転領域に残ったエリアはあとひとつだ」
樹海と渓流、二つのエリアの奥に見えた第三のエリア。
雪山。
「そこを攻略すれば、きっと謎も解けるはずだ。俺はそう思う」
「ですね。もうひと踏ん張りです。気合い入れていきましょう!」
おーっ!! と、重なった声が宴会場に響いた。
 




