第127話 最強カップルのVR家族旅行:我が家
丘の上にあるコテージ風の家に入ると、チェリーが「ただいまー」と言った。
「ほら、先輩も」
「ええ? 誰もいねえけど?」
「今ここに私たちがいるじゃないですか!」
「ただいまーっ!」
俺に先んじてメイアが叫び、靴を脱ぎ飛ばしながらリビングのほうに走っていった。
初めて来たのに、あいつも『ただいま』なのか。
「……ただいま」
「はい、おかえりなさい」
待ちかまえていたようにチェリーがそう言って、にやーっと意地悪な笑いを浮かべた。
「どうです? 新妻みたいでした?」
「……アホ」
「あだっ! ……もう! うまい返しが思いつかないからって叩かないでくださいよっ!」
靴を脱いで、久しぶりの我が家に上がる。
どれだけぶりだっけ?
帰ってくるのはナイン山脈の攻略が終わってからだと思ってたんだけどな……。
「……なあ」
「はい?」
メイアが脱ぎ散らかした靴をきっちり揃えてから、チェリーが追いついてくる。
「ナイン山脈の攻略が終わったらさ、拠点も北側に移すのか?」
「あー。そうですねー……。少なくとも、フロンティア・シティはそっちに移っちゃうでしょうね」
フロンティア・シティは最前線プレイヤーが拠点にする街。
その位置は常に北側へと移動し続けていて、以前、フロンティア・シティだった街は名前を変えてその場に残る。
「そしたら……この家ともお別れかもしれないですね」
一抹の寂しさを声に乗せて、チェリーは呟いた。
……だったら、その前にメイアを連れてきたのは、正解だったのかもしれないな……。
「まあ、ナイン山脈の北側にも広大な人類圏外があるわけだしな。向こうで街を作るのにもしばらくかかるだろ」
「ですね」
リビングに入ると、メイアが壁際にある棚の上を覗き込んでいた。
棚の上には、いくつかの写真立てが置いてある。
「ふえー……」
「「あ゛っ」」
俺たちは揃って汚い声を出した。
そ、それは……俺たちが半ばふざけて撮ったスクショの数々……!
チェリーが何でもかんでも写真立てに入れて飾ってたから、もしかしたらメイアには見せられないものも……!
俺たちが焦っていると、メイアが写真立ての一つを手に取った。
「ねーねー、パパ、ママ。これって、六衣ちゃんのとこー?」
「あん?」
メイアが見せてきたのは、俺とチェリーが浴衣姿で映っている写真だった。
背景には、まだほとんど開発されていないナイン山脈が映っている。
「ああ……初めてあの旅館行ったときのだな」
「ですね。最初の1枚です」
「いいなあー」
メイアはその写真を眺めながら言った。
「パパとママの写真、いっぱいある。……わたしの、1枚もない」
「そりゃ、まあ……」
メイアに会ってからこの家に帰ってきたの、初めてだしな。
「そうだ」
チェリーがメイアに近付いていって、何かメニューを操作した。
と思うと、その手にポンと写真立てが現れる。
近付いて見てみると、ドットアート・シティの展望台で撮ったスクショが入っていた。
「メイアちゃんのも、これで1枚目」
と、チェリーはその写真立てを、他の写真立てに混ぜるようにして、棚の上に置く。
「写真はまだいっぱいあるし、これからもいっぱい増えるよ。ね?」
「……うん!」
それから、メイアはさして広くもない家の中を探検すると、やがて疲れて、ソファーで眠ってしまった。
俺たちにも旅の疲れがあった。
メイアに釣られるようにして、俺たちも睡魔に襲われる。
「……うにゃ……先輩、まくらー……」
「俺は枕じゃねえよ……」
肩にもたれかかってきたチェリーをどける気力もなく、俺はうとうとと微睡みに身を委ねた。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
フレンド通話の着信音が、俺の微睡みを掻き破った。
うーん?
誰だよ……?
半分眠ったまま、相手も見ずに通話を繋げる。
「もしもーし……」
『あ、ケージ君? ……もしかして寝てた?』
この耳通りのいいイケボは……セツナか。
「あー、まあ……」
『……というか、かすかに他の人の寝息が聞こえるんだけど、それ、訊いてもいいやつかな……?』
「んー? ああ……今、チェリーが隣で寝てるから」
『んがっごふぉっふぉっ!!』
変な咳き込み方をする人気イケメン配信者。
『あ……いや、待てよ……そっか。この通話に出てるってことはMAOの中か。じゃあセーフか……。びっくりした……』
「どうした?」
『いや、こっちの話……――あっ、いや、なんでもない! 大丈夫だから! 気にしないで!』
後ろのほうで女子のかしましい声が聞こえる。
またぞろ、ろねりあたちと組んでハーレムパーティと化しているのか。
……いや、それ以外にも人がたくさんいるな……?
目が覚めてきた。
「なんだ……? そっち、何やってるんだ?」
『これからボス戦だよ』
セツナは言った。
『呪転領域・渓流エリアのね。配信つけるから、一応備えておいて。メイアちゃんに変化があるかもしれない』
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
俺、チェリー、メイアはソファーに並んで座り、一つのウインドウを覗き込んでいた。
『足元気をつけてっ!! 落ちないのを最優先!!』
カメラが真ん中に映すのは、不安定な小舟の上で剣を振るうセツナの後ろ姿だ。
画面の端のほうに、どす黒い鱗を持つ長大な龍が、激しい激流の中を悠々と泳いでいるのが見える。
迷宮の最奥で始まったボス戦は、第2段階へと突入していた。
追いつめられた渓流エリアのボス――《呪転化川竜ダ・リバリーミア》は、ド派手に迷宮を破壊しながらボス部屋を飛び出し、峡谷の底を流れる川を下って逃走を図ったのだ。
セツナたちボス討伐レイド・パーティは、それぞれ用意していた舟に飛び乗り、その追撃を開始したのである。
小舟の上から遠隔魔法を中心に攻撃を繰り返し、触手のように長く伸びた髭による反撃や、時折り起こしてくる大波をギリギリで躱してゆく。
空からはコウモリめいた姿の飛竜《カース・ワイバーン》が次々と飛来し、セツナたちを妨害した。
「ああっ!」
メイアが画面を見て悲鳴を上げる。
奥のほうでまた一隻、味方の舟が波を躱し切れずに転覆したのだ。
『転覆しても焦らないで!! 生き残るのが最優先!!』
クロニクル・クエストのボス戦は、専用のインスタンス・マップではなく、共通空間で行われるのが通例だ。
乱入、加勢、何でもアリ。
だから、この渓流にも終点がある。
そう――俺とチェリーが見つけた、洞窟の向こうの遺跡だ!
激流を泳ぐダ・リバリーミアが洞窟の中に突入し、セツナたちも巧みに舟を操ってそれに追いすがる。
暗闇の中に、炎や雷、魔法による輝きが何度となく瞬いた。
ダ・リバリーミアのHPは着実に減っている――3本あるHPバーは、すでに残り1本!
〈いけいけいけ!!〉
〈やれるぞおおおおおおおお〉
〈勝てる!!!!〉
配信のコメント欄が凄まじい勢いでスクロールしていく。
それに後押しされるかのように、暗闇を照らす輝きは激しさを増した。
しかし、トドメを刺すには至らない。
ダ・リバリーミアのHPが潰える前に、周囲が開けた。
あの遺跡がある地下空間に出たのだ。
水深が浅くなり、ダ・リバリーミアの身体がゴリゴリと川底を削った。
画面全体が揺れたかと思うと、ドオウンッ……!! という不吉な轟音がどこからか聞こえてくる。
『……ッ!? 頭上! 注意ッ!!』
セツナが叫んだ直後、ごろごろと巨大な岩がいくつも天井から降り注いでくる。
おいおいおい……。
これ、もしかして、放っておいたら地下空間自体が崩れるやつか!?
雨のように岩が降り注ぐ中、ダ・リバリーミアは長大な蛇身でとぐろを巻き、けたたましく咆哮した。
崩落が加速する。
頭上からランダムに襲ってくる岩を注意深く躱しながら、セツナたちはバフをかけ直した。
ここが決戦の地だ。
「うう……! う~……!!」
メイアがぎゅっと小さな手を握って画面を見守っている。
その肩をチェリーがぐっと抱き寄せた。
ダ・リバリーミアが今一度いなないたかと思うと、地下空間の壁から、細い水の糸が格子状に走った。
空間全体に網のように張られたそれは、突如として太さを増し、ブウウンと恐ろしい振動音を奏でるウォーターカッターになる……!!
『うわっ……!?』
『マジかよっ!?』
何人ものプレイヤーがダメージエフェクトを散らし、悲鳴を上げた。
「はあ!?」
「き、鬼畜っ……!」
配信越しに見ているだけの俺とチェリーですら愕然と唸る。
上から降ってくる岩だけでも厄介だってのに、この上、横ベクトルの全体攻撃まで織り交ぜてくるのかよ!?
格子状に走るウォーターカッターに気を取られ過ぎると、降ってくる岩に潰されて死ぬ。
振ってくる岩に気を取られ過ぎると、ウォーターカッターに斬られて死ぬ。
どちらにも気を払わないと、問答無用でダメージ……!!
『この水の糸! 最初はダメージ判定ありませんっ!!』
『しっかり見てから岩避けてーっ!!』
それでも、さすがはフロンティアプレイヤー。
クロニクル・クエストで、幾度となく理不尽な初見撃破を強いられてきた猛者たちだ。
数秒ごとに繰り返される格子攻撃と降り注ぐ岩の合わせ技も、安定して回避できるようになっていく……!
だが、攻撃のチャンスがない。
ボスの攻撃を躱すのに精一杯で、敵に近付けないのだ。
「これじゃジリ貧……」
「う~……!」
メイアが落ち着かなげに身体を揺らす。
配信画面を見ながら、俺はほとんど無意識に考えていた。
何か、方法はないのか?
攻撃のチャンスを作る方法は―――
ズシンッ! とセツナのすぐ横に岩が落ちた。
〈あぶねええええ〉というコメントが並ぶ。
その岩が地面で軽く跳ね、ごろんと転がるのを見て、脳天に電撃が走った。
「―――岩だ!!」
「え?」
俺はウインドウを操作して、大急ぎでセツナの配信にコメントを打ち込む。
〈岩を弾け!!!!!!!!!!!!!!〉
馬鹿みたいにビックリマークを重ねたのが効果的だったか、セツナの目がすっとコメントビューアーのほうを見た。
『そうかっ!!』
さすがトップストリーマー、こんな状況でもコメントを読めるか……!!
ズズウン、と画面が揺れて、セツナの頭上に岩が降ってくる。
セツナは左手に持った盾を構え、体技魔法を発動した。
《盾反衝》。
ガインッ、と降ってきた岩が弾き返される。
それは丁寧な放物線を描き、ふんぞり返っているダ・リバリーミアへ―――
とぐろを巻いた蛇身に岩がめり込み、悲鳴めいた泣き声があった。
展開されつつあった格子状のウォーターカッターが消える。
思った通り、チャンスだ!
突然降って湧いたチャンスにも、フロンティアプレイヤーたちは敏感に動く。
一斉にダ・リバリーミアを袋叩きにし、HPをぐいぐいと削った。
それから、ダ・リバリーミアも一度復活し、より網目の小さいウォーターカッター攻撃を展開したが、攻略法がわかったセツナたちにはもう通用しない。
今度は5個くらいの岩に殺到されて、ボコボコになった。
HPが尽きた長大な龍が、画面の中で消えてゆく。
俺たちは、ふう、と息をついた。
見てただけなのに妙に疲れた。
「……ふふっ」
なぜかチェリーが笑った。
「《盾反衝》で綺麗に跳ね返す辺りがセツナさんらしいですね。先輩だったらあの場面、剣でばちーんと叩いてましたよ」
「……雑で悪かったな」
実際、俺だったらうっかり岩をぶっ壊してた可能性がある。
勝利に湧くセツナたちを配信越しに眺めながら、
「そうだ、メイア―――」
ちょうどそのときだった。
俺の隣に座っていたメイアが、ぼやーっと光を放った。




