第122話 最強カップルのVR家族旅行:精霊界Ⅱ
ローブァーの村に降りても、先輩はまだふらふらしていた。
「……おおおお……まだ足がふわふわする……」
「子供の前で恥ずかしくないんですか、先輩?」
「誰の前だろうと怖いもんは怖いんだよ!」
「パパ、かっこわるーい!」
きゃらきゃらとメイアちゃんに笑われるけど、先輩にはショックを受けている余裕もないみたいだった。
この人の高所恐怖症は筋金入りだ――というか、実は私もちょっと怖かったんだけど、先輩にしがみつかれていたせいで怖がっている余裕がなかったのだった。
……どさくさ紛れにいろんなところ触られた気がするけど、覚えてないんだろうな、この人は。
「じゃ、村長のとこに行きましょうか! エルフのこと、きっと知ってるはずだわ!」
私たちの様子に気付いているのかいないのか、そう宣言した精霊少女に、私たちはついていく。
ねじくれた白い大樹の洞や太い枝の上に作られているローブァーの村だけど、足元は意外としっかりしたものだった。
極めて見晴らしがよく、まるで高層ビルの上にいるみたいだ。
「あの……先輩? いつまで私にしがみついてるつもりなんですか?」
「だって壁どころか柵すらないじゃんっ……!」
「そりゃまあ、住民の皆さんはお空をお飛びになりますからね」
ここ、ローブァーの村は精霊が住む村だ。
落下防止用の柵なんて必要がない。
「大丈夫ですよ。もし落っこちても、落ちたところに戻されるだけですって、たぶん」
「ホントか!? そんなマリオカートのジュゲムみたいな奴がいるのか、ここに!?」
「いますって。きっと」
「いるとしても落ちるのは怖いんだが!」
やれやれ。
高いところに来ると本当にダメだなあ、この人は。
百年の恋も醒める頼りなさだ。
「にへへ~」
メイアちゃんがにやあ~っとレナさんみたいな笑顔になって、私を見上げた。
「ママ、顔が緩んでる~♪ パパに抱きつかれるの大好きなんだねー!」
「んにゃっ……!?」
ま、まっさかぁ~。こんな頼りなさを見せつけられて顔を緩ませるなんて、そんなダメ男に引っかかる女みたいなこと、私に限ってあるわけが……。
「わたしも抱きつくーっ!」
「うおわあっ!?」
メイアちゃんに勢いよく抱きつかれ、先輩は本気でビビっていた。
可愛いなあ――いや、メイアちゃんがね!
とはいえ、危険な行為であることには違いないので、軽く注意しようとしたそのとき、
――ばさばさばさっ!
頭上に大きく広がる大樹の枝が、激しく揺れた。
なに?
反射的に見上げると、何か丸いものが降ってくる。
「――ぃでっ!」
そして、先輩の頭の上に直撃した。
何が降ってきたんだろう、これ。
「……木の実? これだけの大樹となると、実もおっきいですね」
「俺の心配をしろや……!!」
先輩が頭を押さえながら抗議してきたけれど、どうせこの程度じゃHPが尽きることはない。痛覚もないし。
精霊の女の子が揺れた枝葉を見上げて呟いた。
「変ねー……。今、大した風もなかったのに」
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
村の一番上にある家に住む村長は、精霊の女の子から事情を聞くと、難しい顔をした。
「確かに我が村には、かつてこの村に住んでいたエルフの遺品が保管されております。弓で矢を放つときに使う手袋――《弓懸》ですな」
ビンゴだ。
やはり、この精霊界に、エルフ専用の装備があった。
弓懸――というと、確か弓道で指を保護するのに使う指サックみたいなものだったと思うけれど、MAOでは弓矢を使うのにそんなものは必要ない。
必ずしも必要ではない装備、ということだ。
私たちがこの精霊界にたどり着くかどうかわからない以上、そういう装備を配置するしかなかったのだろう。
「ですが、かのエルフは我が村の恩人……その弓懸は、恩人の形見なのです。いくら近衛殿の頼みとはいえ、そう簡単にお譲りするわけには参りませぬ」
「そこを何とかしてくれない? わたしも恩に報いたいのよ!」
ナチュラルに偉そうな態度を取る精霊少女だけど、義理堅い性格のようだ。
村長のお爺さんは、「ふうむ」と蓄えた顎髭を撫でた。
「であれば……一つ、頼みを聞いていただきたいのですが」
そら来た。
アイテム入手イベントにはクエストが付き物だ。
お使いか、討伐か?
いろいろと予測を巡らしていると、村長は私たちではなく、メイアちゃんを見た。
「外に出てもらえますかな?」
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
村長の家の軒先に延びる、岬のように長い枝を歩いていく。
空中に踏み出していくような感覚だった。
「ひえ……」
と弱々しい声を漏らして、先輩が私の肩にしがみつく。
……うん。
さすがの私も実は怖いので、少しだけ安心したり。
「見えますかな?」
枝の先端近くまで来ると、村長はこの大樹のてっぺんを指さした。
私たちは目を凝らす。
……てっぺんに、何か、いる?
黒い……猿のように見えた。
望遠鏡を取りだして覗いてみる。
猿だ。
あの真っ黒な姿――旧支配者の一種だろう。
ネームタグがポップアップした。
――《TYPE:MONKEY Lv???》。
タイプ・モンキー……。
大きな狼型の《タイプ・ビースト》なら、月の影獣の一種としてよく目撃されているけれど、モンキーなんて初めて見た。
それを言ったら、精霊少女を襲っていたタイプ・マリスだってそうだけど。
「奴は始終あそこに居座って、枝を揺らすなどしてイタズラを繰り返しておるのです。もう長い間、我々は我慢を強いられております。そこで、奴をあそこから射落としていただきたい――それが私から出す条件です」
射落とす……。
それって、つまり、メイアちゃんが?
ここから大樹のてっぺんまで、下手すると100メートル以上ある。
私の魔法でもさすがに届かない。
届くとしたら、メイアちゃんの《エルフの弓剣》による射撃だけだ。
「あの……飛んでいって追い払えないんですか? 皆さん、空を飛べるんですよね?」
私は疑問に思ったことを訊いた。
村長は頷きつつも、
「何度も試みました。しかし奴め、次々と木の実を手にとっては、猛烈な勢いで投げつけてくるのです。直撃を受けて重傷を負った者もおります。とても近付けるものではありません」
なんだかさるかに合戦みたいだ、と思った。
「それゆえ、奴を追い払うには矢を射掛けるしかないのです。……以前も、奴に困らされていたとき、この村を訪れたエルフが弓をもって成敗した、と言い伝えられております」
エルフが恩人、というのはそういうことか。
村長はメイアちゃんを見下ろす。
「かような幼子に同じことができるのかわかりませぬが――」
「やるっ!」
メイアは元気よく弓剣を手に取った。
「みんな困ってるんでしょ? やってみる!」
光の矢をつがえて、メイアちゃんは大樹のてっぺんを狙う。
私も先輩も、贔屓目抜きで、メイアちゃんのエイムは天才のそれだと思っている。
けれど、この距離は……弓矢という武器の射程距離ギリギリだ。
エイム以前に、矢が届くのだろうか……?
「――んっ!!」
限界まで引き絞った矢を、メイアちゃんは撃ち放った。
ヒュウン、と綺麗な風切り音を慣らしながら、光の矢が空の中を上っていき――
――途中で失速して、枝葉の中に消えた。
「さすがに無理か……」
「結構いいところまで行ったんですけどね……」
何か要素が足りないのだろうか。
アイテムか、スキルか……あるいは場所を変える?
「――もういっかい!」
これは無理だと諦めた私たちをよそに、メイアちゃんは再び光の矢を引き絞った。
それから、誰に言われるでもなく――
メイアちゃんは、途中で失速して落ちるだけの矢を、一心不乱に放ち続けた。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
メイアちゃんが大樹のてっぺんにいる猿を射落とそうと挑戦し始めて、何時間が経っただろう。
メイアちゃんは、諦める気配を少しも見せなかった。
村長さんが家に戻っても、その場から一歩として動くことなく、空に向かって矢を放ち続けていた。
私と先輩は、少し離れたところから、それを見守っている。
「……くそ……」
ふと、先輩が呟いた。
「……歯がゆいな……。見守ってることしかできないっていうのは……」
私たちが魔法や剣で何とかできることなら、とっくにそうしていた。
けれど、これはメイアちゃんにしかできないこと。
メイアちゃんに課された試練だ。
親といえども……いいや、親であればこそ、手出し無用。
こうして、見ていることしかできない……。
精霊界にも太陽はあり、そして、太陽が沈めば夜が来る。
いつしか、辺りに闇が満ちていた。
メイアちゃんが放つ矢だけが、煌々と光を放つ。
もう、大樹のてっぺんなんて、闇に隠れて見えはしなかった。
「……メイアちゃん」
それでも矢を放ち続けようとするメイアちゃんに、私たちはそっと近付いて声をかける。
「もう何も見えないでしょ? ……今日は、もう終わりにしよう」
「あと1回……だけ……!」
そう言いながら放たれた矢が、闇の中に消える。
その矢は、明らかに最初よりも勢いを減じていた。
疲れているのだ。
身体以上に、集中力が限界に来ている。
「も……もういっかい……!」
「ダメだ」
先輩が、弓剣を構えようとしたメイアちゃんの腕を押さえた。
「これ以上は、何の意味もない。……メイア。頑張るのはいい。だけど、無駄に頑張ったらダメだ」
「……むだに……」
「今は、頑張るべきときじゃない。また明日頑張ろう」
メイアちゃんはしばらく黙っていたけど、やがてこくりと頷いた。
「……うん」




