第120話 最強カップルのVR家族旅行:パラレル・ユニヴァース
酩酊めいた不可思議な感覚が全身を包み込む。
これは、ポータルを使ってテレポートをするときにも感じるもの――ローディングの感覚だった。
酩酊感覚が消えてから、そっと瞼を上げる。
森の中だった。
さっきまでいたスカノーヴスの森とは、どこか違う……。
そばにあった泉がないし、そもそも、スカノーヴスの森よりも、ほんの少し輝いて見えるような……。
ここが、パラレル・ユニヴァース?
「思ったより普通ですね……」
チェリーもメイアも隣にいて、とりあえずは一安心だった。
が……ここは一体、どういう場所なのか?
それを確認できないことには、決して油断はできない……。
「メイア。何か聞こえるか?」
「んーん……何にも聞こえなくなっちゃった」
メイア曰く、誰かが助けを求めていたという。
その声が聞こえなくなった。
自力で探せってことか……?
「……ん?」
辺りを見回していると、木々の隙間に何か小さい影がちょろちょろと動いているのに気付いた。
……あれは?
じーっと目を凝らしていると、木の幹の向こうから、ひょこっと小さな人間の顔が出てくる。
「ちっさ!?」
体長15センチくらいしかない人間――いや、よく見ると半透明の翅が背中に生えている。
妖精だった。
1匹だけじゃない――何匹もの妖精が、木々の隙間からこちらの様子を窺っていた。
「人間さん?」
「人間さんだ」
「エルフの子もいるよ?」
「助けに来てくれたんだ」
「くれたんだ!」
「こっちこっち!」
「早く早く!」
葉ずれの音のようにざわめくと、妖精たちは森の奥へと飛んでいく。
逃げた――というより、俺たちを導いているのか?
「パパ、ママ!」
「おう……行こう」
俺とチェリーがメイアを前後から守る形になって、俺たちは森の中に分け入った。
ときおり、前のほうで妖精がちらちらと飛び回る。
やはり俺たちを案内しているのだ。
ひたすら妖精たちを追いかけていくと、開けた場所に出た。
緑の芝が生い茂る原っぱで、やはりここもどこかきらきらと輝いて見える。
何もなければ昼寝でもしたくなるような場所だったが――残念ながら異常があった。
黒い影のようなもの。
人と獣の中間みたいな、名状しがたい形の黒い塊が、原っぱの真ん中で何かに群がっている。
「あ、あれって……!」
チェリーが愕然と呻いた。
俺はその黒い塊にロックオンし、ネームタグをポップアップさせる。
――《TYPE:MALICE Lv???》。
「《旧支配者》……!?」
俺たちが俗にそう呼ぶ謎のモンスター群。
バレンタインイベントでも大ボスとして登場した。
あのときのタイプ・ウイルスよりもずっと小柄だったが……数が多い。
こんなに大量の旧支配者を一度に見るのは初めてだ……!
「パパ、ママ……! あ、あの黒いのに……!」
メイアが旧支配者――タイプ・マリスが群がっている場所を指さした。
よく見ると……その中に……誰か、倒れている!
襲われているのだ……!
「メイアはここにいろ!」
「う、うんっ……!」
「行くぞチェリー!」
「はい……!」
俺は弾かれたように駆け出しながら、《魔剣フレードリク》を抜き放った。
タイプ・マリスの身長はだいたい1メートルくらい。
それが1、2、3……10匹以上はいる。
強さがどれほどのものか知らないが、相手できないほどじゃない!
「まずは散らすぞ!」
「はい! いつまでも群がられていると、一気に焼き払えません……!」
今、範囲攻撃魔法を使うと、あの倒れている人が巻き添えになってしまう。
まずはあの人から影どもを引き離す……!
「おらっ……!」
俺は鋭く放った刺突で、1匹のタイプ・マリスを背中から刺し貫いた。
手応えはある。
だが断末魔がない。
貫かれたタイプ・マリスは、ただぐるりとこちらを向いて、
『ヒヒヒ!/ヒヒヒヒ!/ヒヒヒヒヒヒ!』
不気味に笑った。
生物的で生々しいのに、どこか無機物めいた印象もある異常な笑い声――それが俺の耳に突き刺さった瞬間、他のタイプ・マリスも、ぐるりと一斉にこちらを見た。
『ヒヒヒ!』『ヒヒヒヒ!』『ヒヒヒヒ/ヒ』『ヒヒ/ヒヒヒ』『ヒヒヒヒヒ/ヒヒ/ヒヒ/ヒ/ヒ/ヒ/ヒ!!』
怖い!!
マジで怖かったのでいったん後退すると、タイプ・マリスたちはぞろぞろと俺についてくる。うぎゃあー!!
「《チョウホウカ》!!」
炎の波が迸り、黒い影たちを飲み込んだ。
芝生が炎上し、タイプ・マリスはあたかも薪のごとし。
めちゃくちゃ怖かったものの、怪物どもを倒れた人から引き剥がすことには成功していた。
「このまま一網打尽にしますよ、先輩!」
「おう……!」
と、意気を新たに影どもに向き直る俺たちだったが、直後、恐怖に息を呑んだ。
動いている。
炎に包まれたタイプ・マリスが、熱がるでもなく、平然と……!
『ヒヒ……』『ヒヒヒ!』『ヒヒ』『ヒヒヒヒ!』『ヒヒヒヒヒヒヒ!!』
奇妙な笑い声がさざめくように輪唱した。
まさか、効いてない……?
旧支配者にはHP表記がない。
だから、効いているかもしれないし、効いていないかもしれない。
わからない。
わからないからこそ、あまりに、不気味……!
「ぐ……!」
タイプ・マリスたちが、燃え上がったまま、こちらに近づいてくる。
ちらりとチェリーと目配せをして、頷き合った。
……最悪、襲われていた人は見捨てよう。
俺たちがここで死んだら、メイアが取り残されてしまう――それだけは避けなければならない。
取捨選択。
守るべきものを取り違えるな。
俺は覚悟を決めて、魔剣を握りしめた。
そのときだった。
ヒュウン――!
小さな流星が、風を切る。
光の矢。
背後から飛んできたそれが、先頭のタイプ・マリスの眉間に突き刺さったのだ。
『ヒッ……ヒイッ……!?』
初めて、タイプ・マリスが悲鳴のようなものを漏らした。
効いてる……!?
でも、今の矢は……!
「メイア! お前……!」
振り返ると、メイアが《エルフの弓剣》を構えていた。
命の奪い方を知らないはずだった少女は、しかし今、確かな戦意を瞳に込めて黒い影を見据えている。
「パパとママにまで、ヒドいことするなら……!」
その手に光の矢が現れて、光の弦が強く引き絞られた。
「……わたし、許さないんだから……!!」
ヒュウン、と光の矢が放たれて、タイプ・マリスの顔面に突き刺さる。
黒い影の怪物は悲鳴をあげて倒れ、まるで錠剤が水に溶けるようにして蒸発し始めた。
……メイア。
彼女も、取捨選択をしたのだ。
守りたい何かがあるなら、そうではない何かを捨てる必要があるのだと。
ならば、その決断を、親たちは尊重しよう。
俺とチェリーは、メイアのところに行こうとするタイプ・マリスたちを押し留めた。
その間に、次々と光の矢が放たれて、タイプ・マリスを蒸発させてゆく。
すべてを、文字通り影一つなく消滅させるまでには、3分もかからなかった。
「パパ、ママ!」
戦闘が終わるなり、メイアが駆け寄ってくる。
お腹に抱きついてきた彼女の背中を、俺はできる限り優しく撫でた。
「……怖かっただろ」
「……んーん」
そう言いながら、メイアは俺にぎゅっと抱きついて離さない。
「メイアちゃん」
そんな彼女に、チェリーが柔らかな口調で話しかけた。
「あとで、ありがとうって、言ってあげようね」
「……ありがとう?」
「あの怖いモンスターも、メイアちゃんの力になってくれたから。経験値っていう名のね」
ものは言いようだな……。
というか、旧支配者って経験値入るのか?
「……ん」
でも、メイアには必要な言葉だったらしい。
メイアはかすかに頷いて、俺の身体から離れた。
「さて」
邪魔者は消えた。
俺たちは早足で、タイプ・マリスたちに襲われていた人のところに向かった。
「大丈夫ですか?」
チェリーがそっと話しかけると、その人はもぞりと動き出す。
……っていうか……人、か? これ?
「ううーん……。いたたたた……。ああもう、ヒドい目に遭ったわ……」
思ったより大丈夫そうな感じで身を起こしたのは、小さな女の子だった。
見た目から言うと、中学生くらいか。
海外だと規制されそうな、どえらく露出度の高い格好をしている。
黄緑色の髪がふわふわで柔らかそうだった。
「……あれ……?」
というか、この子……どっかで見たことあるような……。
「……あっ!」
不意にチェリーが声をあげた。
「この子、アレですよ、先輩! バージョン3の初日イベントで……」
「……あ」
バージョン3の初日――スカノーヴスの森で起こったイベント。
あのとき、魔族の人質になっていた精霊――
「あら?」
女の子は大きな目をぱちくりとした。
「あなたたち、もしかして人間……!? どうやってこの《精霊界》に入ってきたの!?」




