第119話 最強カップルのVR家族旅行:スカノーヴスの森
MAOを初めてすぐのプレイヤーが向かう場所といえば、1に武器デパート、2にスカノーヴスの森だ。
教都エムル南東に広がるこの森は、いわゆる初心者用の狩場であり、レベル1でも容易に倒すことができる弱小モンスターばかりがポップする。
奥に行けば行くほどレベルの高いモンスターが出るものの、それにしたって大したもんじゃない。
まあ、あんまり行き過ぎちまうと、初心者狩り専門PKerの巣窟になっているエリアに出ちまうから、そこだけ気をつけないといけないが。
「いい加減息が長いよな、《フリーダム・プリズナー》の連中も」
「そろそろちゃんとぶっ潰しませんか? あの初狩りの人たち」
「叩いても叩いても生えてくるマドハンドみたいな奴らだからな。やるなら大本を潰さないとダメだろう」
「さすがにPKギルド連合を相手にするには、全体的に余裕がなさすぎますね……」
MAOは領主の一存でエリアごとにPKの可否を決められる仕様だから、PKが大きな問題になることはあまりない。
教都エムル一帯のエリアも、領主である聖女エリスによって、PK不可エリアに設定されているのだ。
が、そのすぐ隣にPK可のエリアを作ることは、別に禁止されているわけじゃない。
批判は受けることになるが、まあ、元よりPKなんてプロレスのヒールみたいなもんだから、当人たち的には望むところだったりするんだよな。
「何のお話ー?」
きゃいきゃいと木漏れ日の中を走り回っていたメイアが、ふと振り返って俺たちを見上げた。
チェリーが微笑んで答える。
「大人のお話だよー」
「えー? こんな昼間っから……パパもママもだいたーん」
「んなっ……! だ、誰!? そんなからかい方教えたの!」
「レナおばさんとくらげお姉ちゃん」
「あの二人はぁ~……!!」
やっぱりあいつら情操教育に悪い。
「ねえねえ。パパ、ママ」
「ん?」
「なあに?」
「セツナお兄ちゃんが言ってたの。パパとママの思い出がある場所に連れてってくれるよーって。それって、ここ?」
「思い出かあ……」
俺とチェリーは、MAOが始まった頃からほとんどずっと行動を共にしている。
だから、思い出深い土地はたくさんあった。
むしろ思い出のない土地のほうが少ない。
「そういやこの森だったよな、バージョン3で最初の攻略対象」
「ああ、そうでしたね! 古参も新参も入り乱れた初めてのイベントで……魔族に占拠されてたんですっけ?」
「そうそう。なんか変な精霊が人質になっててさ」
「ああ、いましたね、小生意気な口調の精霊……。結局なんだったんでしょう、あれ」
そうだそうだ。
最初のイベントに出てくるもんだから、その後のストーリーに関わってくるんだと思ってたら、まったく出てくる気配がないんだよな、あの精霊。すっかり忘れてた。
「せーれーさん?」
小首を傾げたメイアに、チェリーが答える。
「えーっと、なんて言ったらいいのかな……。私たちを助けてくれる……神様みたいなもの?」
「まあ、日本で言うところの八百万の神みたいな感じだよな。風とか、土とか、いろんなものに宿ってるんだ」
アニミズム……って言うんだったか、こういうのは。
今のムラームデウス島の宗教は、ジェラン教と聖旗教が混ざって結構ややこしいことになっている。
「ふぇー……それって、おトイレにもいるのー?」
「いるんじゃないか? たぶん」
「いい加減に答えないでくださいよ!」
日本にもトイレの神様っているし、トイレの精霊くらいいるだろう。
『愛』とか、物ですらないただの概念にだっているんだからな。
「――おっ」
俺はその気配を気取り、横合いの森を指さした。
「二人とも、あっち見てみ」
「はい? ……あっ」
「イノシシさん?」
デカいイノシシが、森の中をのっそのっそと歩いていた。
ただのイノシシと違うのは、目つきが異様に悪いことと、鬼みたいなツノが生えていることか。
「《オーガ・ボア》だ。レベルは1。手頃な奴が出たな」
「ええ。まだこちらに気付いてません。チャンスですね!」
チェリーはメイアの肩に軽く手を置いて、オーガ・ボアを指さす。
「メイアちゃん。あのイノシシ、ここから弓で狙えるかな?」
「えっ?」
メイアは意外そうな顔でチェリーの顔を見上げた。
そして。
俺たちが思いもよらなかったことを言った。
「あの子……悪い子なの?」
瞬間、心臓を射抜かれた気がした。
その純粋な疑問。
いかにも子供らしい、何の色眼鏡もない質問に、俺は、自分の無意識に存在した欺瞞を、唐突に丸裸にされたのだ。
俺たちプレイヤーにとって、モンスターを狩るのは、モンスターというリソースを経験値に変換する作業でしかない。
だが、メイアにとってはどうなのか?
この世界に生きるメイアにとっては、たとえそれが無限に湧き出るモンスターであったとしても、命を奪うという行為に他ならないのではないか。
……ここで、『あのイノシシは悪い奴だ』と答えることはできる。
放っておけば人間を襲うから、今のうちに退治してしまうべきだ、と教えることはできる。
でも……それでいいのか? と、頭の中で反駁があった。
俺たちは今、メイアに、命の奪い方を教えようとしている。
その手段として、『悪い奴だから殺していい』と教えるのは、果たして正しいことなのか……?
……荷が重すぎるだろ。
ただの高校生に扱いきれるテーマじゃない。
俺とチェリーは、困った顔を互いに見合わせた。
でも、俺たちが、教えないといけないんだよな。
曲がりなりにもパパママと呼ばれているのは、俺たちなんだから―――
「―――だれ?」
と。
不意に、メイアが見当違いの方向を見た。
なんだ?
「どうしたの?」
メイアが見ている方向を確認するが、そこには何もない。
ただ木々が生い茂るばかり……。
「……聞こえる……」
「え?」
「聞こえるのっ!」
そう叫ぶと、メイアはいきなり走り出し、木々の中に分け入っていった。
「あっ! ちょっと!?」
「追いかけるぞ!」
何が起こったのかわからないが、とにかくメイアを一人にはできない。
俺たちは大急ぎでメイアを追いかけた。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
ものすごい勢いで森の中を駆け抜けるメイアを追いかけていくと、綺麗な泉に行き当たった。
妖精でも遊んでいそうな幻想的な場所だ――でも、陽光をきらきらと反射する泉が静かにたゆたっているだけで、特に何かあるようには見えない。
「……聞こえる……」
メイアがもう一度呟いた。
よく見ると、長めに尖ったエルフ特有の耳が、ぴくぴくと動いている。
「メイアちゃん、何が聞こえるの?」
「声……」
「声?」
「助けて、って……言ってる」
そんな声、俺には聞こえない。
様子を見るに、チェリーにも聞こえないらしい。
メイアだけに聞こえている?
エルフだけの能力か何かなのか……?
「……イベント、ですかね……?」
「ありうるな……。メイアをこの森に連れてくることでのみ発生するイベント……」
「ちょっと辺りを調べてみましょうか」
「おう。メイア、俺たちから離れるなよ」
「うん」
俺たちは円形の泉をぐるりと回っていく。
って言っても、調べる余地もないくらい、何にもないんだよな……。
せめて大きな岩でもあればその裏を調べるとかできたんだろうが、困るくらいに見晴らしがよすぎる。
本当に、ただ泉に沿って歩いていくことくらいしか、できることがなかった。
泉の反対側までやってくる。
これで半周したことになるが……。
「んっ……!?」
「どうしました、先輩?」
俺は立ち止まると、眉根を寄せながら、腕を軽く振った。
……やっぱり。
「この辺……なんか重いぞ?」
「……あっ。ホントですね……」
チェリーも軽く腕を振って確認する。
この辺りだけ、処理が重い。
受信される情報量がいくらかカットされているような、独特の違和感だ。
大規模戦闘なんかじゃたまにある現象だが、見たところ、ここには何もない……。
「この辺か? いや、こっちか……」
特に処理の重い空間を手探りで探していくうちに、俺はそれを発見した。
その奇妙な光景を一言で表現するなら、そう――
空間の歪み。
そこだけ、空間がズレていた。
ほんの数ミリだが、確かに、その空間を通して見る光景だけが、周囲からズレている。
まるで蜃気楼。
あるいは――グラフィックのバグ。
ぞくり、と冷たい感覚が背筋を撫でた。
「おい、これって、もしかして……」
「ま、まさか、そんなわけが……」
俺は――俺たちは――この空間の歪みに関する噂を、聞いたことがある。
曰く。
このMAOというゲームには、どんなクエストにもイベントにも使われていない、謎の空間データが何テラバイトも収録されている。
曰く。
何らかの偶然から条件が整うと、その謎の空間データへの入口がムラームデウス島のどこかに開く。
曰く。
その入口は多くの場合、注意深く観察しなければわからないほどの、空間の歪みとして現れる―――
「―――《並列世界》……」
俺は息を呑みつつ呟いた。
パラレル・ユニヴァース。
MAO初期から存在する都市伝説の一つだ。
その正体は没ダンジョンともデバッグルームとも言われるが、とにかく共通するのは、通常の手段では決して行けない場所に行けてしまう入口が、何の脈絡もなく出現する、という点。
実際に迷い込んだと証言する人間は後を絶たず、その内部を撮ったスクリーンショットも存在するが、生配信など明確に証拠が残る形で迷い込んだ人間がいないから、フェイクだとするのが通説だった。
《旧支配者》も含めて、MAO七不思議に数える奴もいる。
それが、目の前に実在した。
メイアに導かれてきたわけだから、『何の脈絡もなく』ではないが、それでも、あからさまに異常なものがそこに存在するのには変わりない。
「……は、入りますか?」
緊張の面持ちで、チェリーが言った。
「そりゃ、お前……見逃せねえだろ」
何が起こるかわからないが、もう一度来てもう一度巡り会えるとも限らない。
チェリーは視線をメイアに向ける。
「でも、メイアちゃんを連れていくわけには……」
「行く!」
と、メイアがぴしっと手を挙げて宣言した。
「助けてって、この中から聞こえるの! わたしに言ってるの! だから、助けてあげなきゃ……!」
こぼれそうな大きな瞳が、空間の歪みを決然と見据えている。
……そんな目をされたら、とても止められやしない。
俺は仕方なく頷いた。
「……わかった。その代わり、絶対に俺たちから離れるな。それに、俺たちの言うことを絶対に聞け。いいか?」
「うんっ!」
このパラレル・ユニヴァースは、おそらくメイアをキーとして開いた。
都市伝説に言われるような、バグ的なものとは思えない。
入った途端にフリーズする――なんてことにはならないと思うが、何が起こるかわからないことに違いはなかった。
「先輩。録画しておきましょう。貴重な資料になるかもしれませんから」
「おう。そうだな」
俺はメニューを操作し、妖精型のカメラ――通称《ジュゲム》を出して、斜め後ろに飛ばした。
準備完了。
「じゃ……行くぞ」
「はい!」
「おー!」
俺たちは離ればなれにならないよう手を繋いで、空間の歪みに足を踏み入れた。




