第117話 親戚が一番気楽に可愛がる
「案の定、渓流の上流にダンジョンがあったよ」
と、浴衣を着たセツナがコーヒー牛乳を飲みながら報告した。
「迷路みたいな洞窟で、まだ攻略の途中なんだけどね。スケルトンだらけだから、もしかしたら先に人里があるのかもしれない。ゴーストタウンになってるかもしれないけど」
「NPCでもいたら、呪転領域について何かわかるんだけどな」
「いやあ、期待できないんじゃないかな。そういう趣向じゃないでしょ、呪転領域は」
恋狐亭ロビーの談話スペースで、俺はセツナから呪転領域攻略の進捗を聞いていた。
俺が勝手にセツナの配信のアーカイブを見ればいいことなのに、律儀な奴である。
「厄介なのは、全体的にレベルが上がってることでさ。最低でも115くらいあるんだよね」
「だいぶ上がったな……。もしかして、樹海エリアを解放したからか?」
「そういうことだと思う。この前のアプデもあって、こっちのレベルももりもり上がってるけどね。ゼタニートさんが水を得た魚みたいになってるよ。もうレベル140台に乗ったみたいだ」
やべえな、あの廃人ニート……。
「平日になっちゃったし、渓流エリアの攻略にはもうしばらくかかると思う。だから安心して家族サービスしてていいよ、ケージ君」
「誰が何をしてるって?」
「ははは」
からかうようなことを言っても嫌味にならないから爽やかイケメンはずるい。
「そっちの調子はどうだい?」
「調子って?」
「メイアちゃんを鍛えてるって聞いたけど」
「鍛えてるってほどでもねえけど――ご覧の通りだよ」
と。
俺はロビーの一角を指さした。
壁際に、白衣に白黒髪の女が、頭にリンゴを乗せた状態で立たされている。
「ちょちょちょちょっ……! こ、怖い! 思ったより怖いんだが!?」
「せんせー! 震えたら逆に危ないですーっ!!」
「そそそそそそんなことを言ったってててててててて」
ウィリアム・テル状態のブランクから少し離れた位置に、《エルフの弓剣》を構えたメイアが立っていた。
光の弦に光の矢をつがえて引き絞り、メイアは言う。
「じゃあ、いくよーっ!」
「や、やっぱりタンマタンマタンマうわぁあぁあああああああっ!?」
ブランクの悲鳴もむなしく、光の矢が放たれた。
それはリンゴの中心を正確に射貫き、壁に縫い止める。
「うわっ!?」
セツナが驚きの声を上げると同時に、光の矢は消えた。
尻餅をついたブランクの頭に、支えを失ったリンゴがボンと落ちる。
「あたったーっ! ふっふーん!」
メイアが得意げに胸を張った。
一部始終を見ていたセツナが目を丸くしている。
「……え? すごくない? まだ初日だよね?」
「それだよ。あいつ、たぶんエイムに関しては天才だ。今日だけで移動撃ちまで覚えやがったからな。さすがエルフっていうか」
「親バカ……とも言いきれないね、アレを見ると」
あのウィリアム・テルの真似事には、俺たち以外にも観客がいたようだ。
ろねりあたちが、歓声をあげてメイアを取り囲んでいる。
「すごいです! メイアちゃん!」
「……すごい……わたしよりすごい……」
「えー!? 天才じゃんこの子! ねえポニータ!?」
「大したもんだよね。飴ちゃんあげる」
「ありがとー!」
「ちゃんとお礼が言えるんですね!」
「……すごい……わたし言えない……」
「あんなに人見知りだったのに……立派になったねえ」
「まだ2日しか経ってないよ、くらげ」
JKたちから褒められまくって、メイアはご満悦の様子である。
だが、そこで怖い奴が怒鳴り込んできた。
「こらーっ! 何やってるんですかあーっ!!」
席を外していたチェリーだ。
チェリーは飛ぶように走ってくると、眉を逆立ててろねりあたちに詰め寄る。
「ちょっと見えましたよ! 何やらせてるんですか!」
「え……ええと……」
「メイアちゃんがねー、弓がうまくなったよーって言うからさあ」
「リンゴだけでいいでしょう! リンゴだけで! なんでわざわざブランクさんの頭の上に乗せるんですか!」
「「それはブランクさんが自分で」」
「アホですか!?」
「ううっ! 視線が痛いぞ、チェリーちゃん……!」
自業自得の白衣女は無視して、チェリーはメイアの前にしゃがみ込んだ。
「メイアちゃん。私、言ったよね? 人に向けて矢を撃っちゃダメだよって」
「ううう……ご、ごめんなさい……」
弓剣を抱き締めるようにして震えるメイアに、チェリーは嘆息して微笑みかける。
「今度こそ気をつけないとダメだよ? たとえアホな人がアホなことを言ったとしても!」
「アホアホと心外だなあ! 一応、作家は頭脳が武器なんだぞう!!」
そんな様子を外から眺めて、セツナが微笑ましそうな顔をする。
「チェリーさん、すっかりお母さんだね」
「それより合宿の連中がすっかり親戚みたいなノリになってるのが気になるよ、俺は」
「みんなして猫かわいがりしすぎだよね。僕もだけど」
俺たちがいない日中は六衣の手伝いなんかもしていたらしく、恋狐亭を出入りするプレイヤーたちにも可愛がられているみたいだった。
大丈夫かなあ。
こんな最前線を拠点にするプレイヤーなんて、どいつもこいつも人間的にはちょっとアレなんだが。
「……あ、そういえば、二人がログインしてくる前にミミさんが来てたみたいだよ」
「は? あいつが?」
「ちょっとだけメイアちゃんと遊んで帰っちゃったってさ。やっぱり可愛いんじゃない? ケージ君の娘だから」
「別に俺が産んだわけじゃねえんだけどな……」
もちろんあいつが産んだわけでもないし、チェリーが産んだわけでもない。
あいつはどっちかというと子供嫌いのイメージだったけどな。
『子供って可愛くて好き~♪』とぶりっこしそうなイメージはあるけど。
「ケージ君。これからの予定は?」
セツナが不意に訊いてきた。
予定か……基本、行き当たりばったりで行動する俺とは縁遠い言葉だったが、
「たぶん渓流エリアが解放されれば、メイアはまた成長するよな」
「だろうね……。前の上がり幅を考えれば、今度は中学生くらいになるかも」
「それまでに基本的なことを教えるつもりだ。ものを覚えるのは早いほうが楽だからな」
「英才教育だね」
「まさにだよ。何せ周りがトッププレイヤーばっかだ」
「パパとママはMAO最強の二人だし。VRMMO界のサラブレットだよ」
「だから産んだ覚えはねえって」
冗談めかして言っているが、しかし実際、これは真面目な話だ。
「……クロニクル・クエストのルールに照らせば、メイアはたぶん、死ねば二度と復活しない」
「……うん」
「だから、自衛できる能力を身につけてもらう必要がある――このままずっと戦闘から遠ざけておけるとは思えない」
このままこの温泉街に引きこもっていたとしても、襲撃イベントやらなんやらで危険に晒される可能性はある。
そのとき、俺たちが必ず守ってやれるとは限らないのだ。
「なら、レベリングは? やっぱりパワーレベリングかい?」
パワーレベリング、というのは、強いプレイヤーが弱いプレイヤーを連れて強いモンスターを倒し、その経験値でもって、弱いプレイヤーのレベルを大幅に上げてしまうことだ。
レベリングの手段としては効率的だが、問題も存在する。
「……チェリーとも相談したんだが、パワーレベリングは、少なくとも今はやらないことにした」
「えっ? なんで? 安全性のことを考えても、それが一番効率的だよね? 実力は伴わなくなっちゃうけど、それも君たちや僕たちがちゃんと教えれば……」
「そうなんだが……パワーレベリングで簡単にレベルを上げるとさ、飽きそうじゃないか?」
「……あー」
セツナは納得の声をあげた。
「簡単にレベルを上げまくって無双してると、確かに最初は楽しいんだよ。でも、それって最初だけなんだよな。速攻で飽きちまう」
「わかる。わかるよ。チートモードみたいなものだよね。最初の1時間くらいは楽しいんだけど、その後は途端にどうでもよくなるっていうか」
「パワーレベリングをやると、メイアがMAOっていうゲームに飽きるんじゃないかって話になった。それは……かなりマズいと思わないか?」
メイアにとっては、このMAOというゲームこそが現実だ。
それに、飽きる。
うまく言えないが、それはとても危険なことだと思えた。
「なるほどね……。それで、パワーレベリングはやめたんだ」
「もちろん、メイアを最前線の戦場に立たせなきゃいけないとなったら、手段は選んでいられない。でも、そうじゃない限りは、のんびり段階を踏んでやっていくべきだと、俺もチェリーも思った。
だから、初心者狩場――《スカノーヴスの森》から始める」
スカノーヴスの森。
全プレイヤーのスタート地点にして運営のお膝元である教都エムル、その南東に広がる森だ。
ムラームデウス島でも最弱のモンスターしかいない、初心者用の狩場。
「あの森で死ぬ奴は滅多にいないしな。安全性も大丈夫だろ」
「そっか……。じゃあ、離れるんだね、この旅館を」
「いったんな」
メイアをスカノーヴスの森で鍛えるということは、一時的にせよ拠点を教都エムルに移すということである。
「悪いな。合宿を途中で抜けるみたいな形になるけど……」
「いやいや。それも攻略みたいなものだしね。……せっかくなら、エムルから順番に北上してきなよ」
「北上?」
「僕たちのこれまでの冒険の軌跡を辿るようにさ」
MAOバージョン3《ムラームデウスの息吹》。
それは、教都エムルから始まって。
俺たちは何ヶ月もかけて、徐々に北上を続けてきた。
「紹介してきてよ、メイアちゃんに。僕たちの冒険譚ってやつを」
にやっと意地悪な笑みを浮かべて、セツナは続ける。
「家族旅行にはピッタリだろう?」




