第105話 今まで連絡先も知らなかったのか君たち
「れっ、レナぁーっ!! レナぁーっ!! 戻ってるか!? こっち来ーいっ!!!」
俺は妹に助けを求めた。
やがて廊下をぱたぱたと駆けてくる音がして、ドアが開く。
「なにー? そんなに大声出さなくても聞こえるってば。Gでも出た?」
「いや、ゴキじゃなくて! め、メイアが! メイアが出た!!」
「はあ?」
ベッドの上に女の子座りしたメイアを指さす俺を見て、レナは怪訝そうに首を傾げた。
「メイアちゃんなら六衣さんに任せてきたじゃん」
「いや、だから、いるだろ! ここに! ほら!!」
ベッドに近寄って、今一度メイアを指さす。
レナは俺の指が指す先を確かに見て――
しかし、首を傾げる。
「何にもいないけど……えー、ちょっとよしてよお兄ちゃん。ゲームやりすぎて幻覚見るようになったの?」
「は……?」
幻覚?
まさか、俺にしか見えてない?
そんなバカな、と俺は横目にメイアを見て――
「あっ!? もしかして……!」
俺は眼鏡を――ARグラス・モードのバーチャルギアを外した。
「やっぱりだ!」
「一人で何やってんの、お兄ちゃん?」
「おいレナ! お前もギア掛けてこい! グラス・モードだ! わかるか!?」
「えー? わかるけど、なんで?」
「いいから! ……きっとビビるぞ」
レナは釈然としない様子で一度出ていき、1分くらいですぐに戻ってきた。
その顔には眼鏡を掛けている。
「はい、掛けてきたよー。妹の眼鏡っ娘モードが見たいとか彼女のいる身として――――う゛ぇえええっ!?!?」
部屋に入ってきて、ベッドの上を見た瞬間、レナは奇声をあげて尻餅をついた。
ナイスリアクション!
「め……め……め……」
ベッドの上を震える指で指し、レナは叫ぶ。
「メイアちゃんがいるーっ!?」
「ほら! 言っただろ!?」
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
バーチャルギアには、VRだけではなくAR――拡張現実の機能も搭載されている。
ARグラスとして普段使いできて、《ドック》という本体と接続すればVRデバイスとしても使える、というのが売りなので、むしろメインはARの方だ。
この仕組みには仮想世界にフルダイブして意識を失う人間が現れる場所を合理的に限定できるというメリットもあるのだが、まあその辺は割愛。
現実世界に現れたメイアは、バーチャルギアによってAR描画された存在だった。
「ふえ~……ARキャラをこんな間近で見たの初めてかも」
俺たちはいったん、メイアを連れて1階のリビングに降りていた。
ソファーに座ったメイアは、物珍しそうに周囲をきょろきょろ見回している。
「バーチャルアイドルのARライブとか、今時珍しくないけどさー。普通、こんなに近付いたりできないもんね。しかも――」
レナはメイアの頬に指を伸ばした。
ぷにっ。
という擬音が聞こえてきそうな柔らかさで、メイアの頬がレナの指を受け止める。
「――なんで触れるの!? ARだよね!?」
「それな」
俺はメイアの茶色い髪にそっと触れてみる。
俺が手を動かすごとに、メイアの髪はさらさらと揺れ――
――しかも、俺の手にも、わずかにだが感触が返ってきていた。
「……たぶんクロスモーダル現象なんだろうけど。それでも、身体の方が勝手に止まるレベルってのはすげえな……」
「くろすもーだ……? なにそれ?」
「ある五感情報が、他の五感情報を補完すること。視覚からの情報で『メイアに触ってる』って脳が認識したことで、本来、その現象に伴って発生するはずの感覚――髪に触れてる感触とか、体温とか――の情報を、脳の方が勝手に作り出す。存在しないはずの情報を五感が認識するってわけ。ハーフダイブVRでよく利用される現象だ」
「なるほど! つまり、見えるし触れるってことだね!」
レナはメイアをひっしと抱きしめ、「匂いもするー!」とハシャいだ。
いや……うん……その…………まあいいや。
「技術的には『触れるAR』は充分に完成してるって、聞いたことないでもないが……」
レナに頬ずりされてくすぐったそうにしているメイアの顔の前で、軽く手を振ってみる。
と、メイアの目が、俺の手の動きを追った。
「……どうやって現実の動きを知覚してるんだ?」
メイアは今、世界をどういう風に見ているんだろう。
様子を見る限り、俺たちと同じものを見ているように思えるが、俺の家にはそれを可能とするセンサー類が何もないはずなのだ。
専用に整えられた設備の中ならともかく、何の機材もない民家の中を、ARキャラが自分で知覚しながら自由に動くなんてこと、どうやったら可能になるんだ……?
「ねえ、お兄ちゃん。これって、みんなに報告した方がよくないかな?」
レナがメイアを抱き枕のようにしたまま言った。
「メイアちゃんがこっちにいるってことはさ、MAOからはいなくなってるってことじゃない? 六衣さんとか今頃大騒ぎしてるかもしんないよ」
「あ、確かに」
「チェリーさん辺りにメッセージ飛ばしなよ。末尾に『愛してるぜ』って付けるのを忘れずにね!」
「そうだな、チェリー辺りにメッセージを――」
「彼女だし、当然リアルの連絡先も知ってるもんね!」
「……………………………………」
俺は目を逸らした。
「…………お兄ちゃん?」
レナはメイアを放し、呆れたような目で俺を見る。
「まさか、チェリーさんとの連絡……ゲームのメッセ機能でしか取れないなんて、言わないよね?」
「……………………」
「付き合ってる彼女の電話番号もアドレスも、メッセアプリのIDも知らないなんてこと……ないよね?」
「……………………だ、だって」
「ほう」
「俺から訊くとか……そんなに喋りたいのかって思われそうで……なんか、恥ずかしいじゃん……」
「…………はあああああ…………」
レナは深々と溜め息をつくと、アメリカンに肩を竦めて両手を上げ、
「―――今すぐ聞き出せチキン野郎ーっ!!!」
「ひいっ!」
……そういうわけで、チェリーから連絡先を訊かなければならなくなった。
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晩飯を食ってMAOに戻ってみると、メイアもやっぱりついてきた。
「……お前、俺に勝手についてきちゃうのか?」
「ん~……?」
「俺が向こうに戻っても、こっちに留まることはできるのか?」
「ん~……?」
ダメだ、きょとんとしてる。
どうやったらチェリーやレナみたいに上手くコミュニケーションできるんだろう……。
「先輩! メイアちゃんが―――あれ?」
俺がオンラインになったのを見て飛んできたんだろう。
客室の扉を開け放ちながらチェリーが飛び込んできて、メイアの姿を見るなり目を丸くした。
「え……? あの……なんで先輩がメイアちゃんを連れてるんですか?」
「いや、それがな―――」
俺はメイアが現実世界についてきていたことをチェリーに説明した。
「現実世界に、ARで……!? だからこちらの世界から姿を消した、と……」
「……やっぱり心配させたか?」
「当たり前ですよ! 六衣さんが涙目であちこち探してるところなんですから!」
だろうなあ……。
「連絡したいのは山々だったんだが、いちいちMAOに戻る時間がさ……」
「普段、MAOのメッセ機能でしかやり取りしませんもんね」
「あー、うん。そう。だから、そのー……」
「?」
今回のようなことがもうないように、リアルの連絡先を交換しないか。
そう言うだけでいい。
何のいやらしさもない、合理性の塊!
だってのに、なんだってもう!
あーだのうーだの言って時間を稼いでいると、チェリーの背後、客室の外の廊下から、ひょっこりとレナが顔を出した。
「……?」
レナは手元の大きな紙を俺に向けて広げる。
『お前の声がもっと聞きたいんだ。連絡先を教えてくれ。←これでOK!』
言えるか!!
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あーだのうーだの言って妙に挙動不審な先輩を見て、私はなんだか懐かしい気持ちになっていた。
会ったばっかりの頃はこんな感じだったなー。
そもそも先輩は家族以外の女の人――というか人間全般に慣れていないから、始まったばかりのMAOで突然声をかけてきた私を、ずいぶんと警戒していたのだ。
MAOも、最初は完全ソロでプレイするつもりだったらしい。
まあ、警戒されるのも無理はないというか……私が先輩のことを一方的に知っていただけで、先輩は私のことを何も知らなかったわけで。
最初の方は、私がほとんど無理矢理引きずり回していたようなものだった。
だからまあ、先輩が挙動不審になるのは今に始まったことではないのだけど……。
なんだか、何かを言おうとしてるけどできない、という感じで、すごく気になる。
こういうときは待つのがいいんだったか、聞き出しに行くのがいいんだったか―――
と、過去の経験を思い出そうとしたとき、先輩の背後、客室の窓の外に、下からひょっこりと双剣くらげさんが顔を出した。
なんでそんなところに!?
驚く間もなく、双剣くらげさんは何か書かれた大きな紙をべたっと窓に張りつける。
『リアルの連絡先を聞き出せクエスト進行中!!』
……リアルの連絡先を聞き出せクエスト……?
――あっ。
ピンとくる。
メイアちゃんが現実世界にも移動した――つまり、現実さえもがMAOのクエストの舞台になる可能性がある。
今回みたいに突然いなくなったと騒ぎになる可能性も考えれば、MAOのメッセ機能だけでは不足だ。
だから先輩は、私とリアルの連絡先を交換しようとしている……?
いや、でも。
本当に、ただゲームに必要なだけのことだったら、先輩は一瞬さえも躊躇わない。
『これが攻略に必要だ』と思ったなら、たとえMAO全プレイヤーを敵に回すことだって、迷いもせずにやってみせるだろう。
その先輩が、私に連絡先を訊くだけのことにこうもまごまごしている。
導き出される結論は―――
―――ゲームに必要だというのは建前で、普通に私の連絡先が欲しいだけ。
「~~~~っ!!!」
え、なにこれ、すごく恥ずかしくなってきた。
いや、でも、だって、そういうことだよね?
私とプレイヤーとして、パーティとして繋がるだけじゃなくて、たまたま撮れた面白い写真を送りつけたり、授業中にこっそりやり取りしたり、夜に寝落ちするまで通話を繋ぎっぱなしにしたり、そういうのがしたいってことだよね?
え、え~?
まあ、その、うん、私だって、そういうのしたくないって言ったら、それは嘘になるけど?
『これ、今すぐ先輩に教えたいな~』ってこと、普段から結構あるけど?
でも、ほら、だって。
私から訊いたら、『どんだけ俺と喋りたいんだよ』って先輩に勘違いさせちゃうかもしれないし!
うん、それは心外だ。
だから、決して、なんとなく恥ずかしくてこれまで言えなかったわけじゃない。
ホントに!
……そっか。
だから、これはチャンスだ。
先輩の方から連絡先交換を持ちかけてくれるなら、何も問題はない。
『もお~、仕方ないですねえ~。先輩ったら、そんなに私とお喋りしたいんですか~?』
これでよし! ゲームエンド!
あとの問題は、以前、お洒落な喫茶店で待ち合わせをしたものの、先輩がお店の前を30分以上うろうろした末に結局入ってこなかったあのときのように、このまま先輩が挫けて終わってしまう可能性があることだけど……。
「……お……」
「!」
先輩が何か言おうとしたのを察知して、私は耳をそばだてる。
ここで、『え? なんですか?』なんて聞き返そうものなら、『……いや、やっぱいい』で終わってしまうのが目に見えている!
「お……お前、の……その……」
えっ。
ドキッと心臓が跳ねる。
お……『お前の』?
お前の、なに?
先輩は私の後ろの方に視線を飛ばすと、何かを振り払うように首を振って、意を決したような目で私を見つめた。
「お前の声が―――!!」
「お顔まっか~!!」
……と。
まったく何の空気も読まずに言ったのは、舌足らずな声だった。
メイアちゃんが私たちの顔を見上げながらきゃっきゃと笑っている。
瞬間。
私と先輩はさらに顔を真っ赤にし。
「ぶはっ!!」と噴き出す声が後ろからして。
窓の外の双剣くらげさんが下に落ちた。
「……先輩」
「……おう」
私と先輩は視線を合わせないまま、努めて短く平坦に話した。
「リアルの連絡先……交換しますか?」
「……おう」
すべてを純粋に受け取る子供の前では、もうこれ以上、意地の張り合いも恥ずかしさの誤魔化し合いも、続けてはいられなかった。




