第99話 VS.呪転太陽竜ダ・フレドメイア - 4th WAVE
……間に合ってよかった。
そこらにいた観光客たちが六衣の居場所を教えてくれていなかったら、間に合わなかったかもしれない。
手足が軋む。
剣の上から押し込まれてくる重圧に、膝を屈しそうになる。
だが、今ここで潰れる選択肢はない。
目の前にヘたり込んでいる、今やただ狐耳を生やしただけの少女がいる限り。
「……ルルル……!」
俺を前足で潰そうとしている呪竜が、頭の上で不機嫌そうに唸った。
「よう」
俺は振り仰いで言った。
「好き勝手やってくれたな、トカゲ野郎」
ギャリッ!! と刃で呪竜の爪を滑らせる。
呪竜の前足がすぐ横に叩きつけられると、俺はその関節を足場に駆け上がり、びっしりと鱗に覆われた呪竜の背中側に回った。
「第四ショートカット発動!!」
流れようとする身体が停止する。
発動した《風鳴撃》が、呪竜の逆鱗を正確に貫いた。
断末魔を上げて倒れ伏した呪竜の背中に着地する。
六衣が俺を見上げていた。
大粒の涙をぽろぽろこぼしていた。
それが何の涙なのか、俺にはわからない。
いい涙なのか悪い涙なのかも、俺にはわからない。
わかるのは、そんな風にボロボロになって泣くのは、一生に1回に充分だってことだ。
「さて……」
俺は振り返る。
呪竜は未だ、1匹、2匹、3匹――数えるのもめんどくせえくらい群がっていた。
さすがに一人でこいつら全部は骨が折れるが――
「――まさか、先輩」
呪竜の1匹の背中で、紅蓮の炎が爆発する。
倒れ伏したドラゴンの背後から、巫女めいた和風装備を纏った女が、青い宝石がはまった杖を手に姿を現した。
「独り占めするつもりじゃあ、ありませんよね?」
挑戦的な笑みを浮かべるチェリーに、俺もまた笑みを向けた。
「わかってるよ。山分けだろ?」
「私が6、先輩が4で」
「なんでちょっと欲張ろうとすんだよ!」
周囲の呪竜たちが一斉に嘶く。
瞬間、俺たちは無駄話をやめて、それぞれ呪竜に攻撃した。
最速でHPを削り取っていくが、さすがに他の竜どもが黙っちゃいない。
俺は渋々攻撃を中断して、いったん距離を取った。
「先輩!」
チェリーが背中を合わせてくる。
「さすがにこの状況は面倒ですね。1匹ならともかく、こうも何匹も密集していると」
「つい昨日はたった2匹を相手に尻尾巻いて逃げたんだ。それを考えりゃ、生きてるだけでも奇跡だっての」
「なら逃げますか?」
「抜かせよ。バフ寄越せ!」
「はい! 《オール・キャスト》!!」
チェリーのスペルブックから光が溢れだし、俺たち二人のアバターを覆う。
向上したSTRとAGIをフルに使って、俺は呪竜たちに躍りかかった。
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縦横無尽に動き回る先輩に、私は魔法による援護を合わせていく。
普通の人ならとても制御できないスピードで動く先輩と息を合わせるのは、我ながら至難の業だけれど、私の頭が悲鳴を上げることはない。
「先輩! 下がって!」
先輩の動き、呪竜の動き。
その両方を5秒先まで、7パターンほど脳内に思い描きながら、一手一手を繰り出してゆく。
たどり着く終局の姿が、そのたびに鮮明になっていき、私は顔をしかめた。
……足りない。
攻撃力とMPが。
このままだと、呪竜を全部倒す前に、私と先輩はMPを切らして、撤退を余儀なくされる。
見切りをつけるなら今かもしれない。
六衣さんを抱えて安全な場所に避難させ、NPCショップで補給をする。
……しかし、この惨憺たる有様で、NPCショップだけ無事なんてことがあるかどうか……。
迷っている暇はない。
兵は拙速を尊ぶ。
どうせ無難な手なんてありはしないのだ、賭けるなら可能性のある方に―――
そのとき、後ろから金色の輝きが広がった。
「え?」
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何匹もの竜を相手に戦うケージとチェリーは、溜め息が漏れそうなくらい綺麗だった。
互いが互いを完璧に信頼し合っていることが一目でわかる。
琴を爪弾く右手と左手のように、一対で存在することがあまりにも自然すぎる二人。
「……あは」
敵わないなあ、と思った。
思い知らざるを得なかった。
自分の恋心のことを想うなら、絶対に否定しなければならないはずの光景に――あろうことか、見惚れてしまったのだから。
ああ――だから、ここから先は修羅道だ。
報われないと知りながら、それでも進むと言うのなら、ここは地獄の門前だ。
それでもいいか?
それでもいい。
自分が問うて、自分が答える。
――だって、さっきの涙は、胸が詰まるくらい温かかったのだから。
そして、天より『何か』が来る。
光の塊のようなそれを、六衣の魂の深奥は知っていた。
既存の言葉で呼ぶならば、こう表現する他にない。
この世界の―――
『生まれておめでとう、六衣』
―――神様が言う。
『そしてようこそ、新人類。世界は歓迎する』
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俺は、背後から射した強烈な光に振り向いた。
あれほど暴れ狂っていた呪竜たちも、恐れたように全身を強ばらせ、光の方向を見やっていた。
「……六衣……?」
金色の光を放っていたのは六衣だった。
彼女は少女の姿のまま立ち上がって、夕映えに染まりかけた空を仰いでいた。
「――ふふ」
桜色の唇から笑みがこぼれる。
「そうか。そうか。……そういう、ことだったんだ―――」
夢と現実を行き交うような、茫洋とした声。
この声を。
この現象を。
俺もチェリーも、知っていた。
「まさか、六衣、お前……!」
「あ……与えられたんですか!? 真実を知る権利を!」
六衣は嫣然と微笑んだ。
「そうね、プレイヤーさん? 現実世界って、どんなところかしら?」
ああ……やっぱり……!
六衣は、シフトしたんだ!
ただ汎用AIが実装されただけのNPCから―――
―――自分がNPCであることを自覚しているNPC、《メタNPC》に!
それは、ゲームのために作られたNPCでありながら、ゲームという枠からはみ出すこと許された存在。
真の意味で人類と何の区別もなくなった新たなる人類、《電子人類》。
第四の壁を破って、六衣は仮想から現実へと移動した……!
「……はははははは」
突如としてチェリーが乾いた笑いを漏らしたかと思うと、ビスビスビス、と俺の脇腹をどつきまくった。
「ぐえっ!? なっ、なに!?」
「先輩、先輩。高位NPCがメタNPCにシフトする条件、知ってますよね?」
「……そ、それは、まあ……」
「プレイヤーに本気で恋をすること――でしたよね、先輩?」
にっこりと笑う後輩。
……デジタロイドは、そもそも、人間の脳を再現する試みとしての人工知能がずっと達成できなかった課題、『恋愛感情の獲得』の成功をもって生まれた概念だ。
だから、AIが人類に恋をしたときに、旧来人類と同等の新人類として認められる――という、多少上から目線な定義が、今のところされているのだった。
「誰に恋しちゃったんでしょうね、六衣さんは~? おっかしいなあ~? それらしい人が、目の前にしかいないんですけどぉ~? ねえ~?」
「そっ、それよりもだな!!」
俺は顔を逸らしながら大声を出して誤魔化した。
六衣のデジタロイドへのシフト・イベントの影響なのか、今は呪竜たちの動きが止まっている。
だが、こいつらもすぐに我に返って動き出すはずだ。
「六衣! 動けるんならすぐ逃げろ!!」
「そうさせてもらうわ。でも、その前に!」
六衣は天に向かって指を突きつけた。
六衣が纏った金色の光が、しなやかな指の先端に収束していく。
「MAO運営局より、わたし、六衣が名代として公布する!!
今この瞬間より、MAOバージョン3.4へのアップデートを開始するわっ!!」
なっ……!?
アップデートだって!?
聞き返す間もなく、六衣の指先に集った光が、輪となって広がった。
光の輪は、瞬く間にナイン山脈の空全体を走ってゆく。
「アップデートって……アレですよね!?」
「しか、ないよな……!?」
レベル上限の引き上げと、ナイン山脈エリアの取得経験値増量。
でも―――
「あのアプデは、ダ・モラドガイアを倒し次第って話だったろ……!? 俺たちはまだ―――」
「あっ」
チェリーはハッとした顔で振り向いた。
潰れた土産物屋の瓦礫しかないが、その先には太陽のような巨体を持つダ・フレドメイアがいるはずだ。
「ダ・モラドガイアは、もう倒した……」
「は?」
「倒したんですよ! 今、私たちが戦ってるのはダ・フレドメイアです! ダ・モラドガイアはもう倒したんです!」
「はあ!?」
アイツは第二形態みたいなもんじゃねえのかよ!?
「第二形態にしろそうじゃないにしろ、私たちは公示された通り、《呪転摩崖竜ダ・モラドガイア》は倒したんです……! だから約束通り、アップデートが行われて――」
「いや、でも、だとしたら、逆に遅いだろ! 形態変化させてから結構経って――」
そのとき、目の前に小さなウインドウが現れた。
システム・メッセージだった。
【バージョン3.4アップデートにつきまして、データの適用作業に時間がかかりましたことをお詫び申し上げます。
作業中に当該エリアで獲得した経験値を、アップデート後の設定量に調整することができます。調整を行いますか?
[はい] [いいえ]】
作業中に獲得した経験値……?
つまり、六衣を助けるためにこの温泉街で薙ぎ倒してきた呪竜たちの分が……?
俺は[はい]を押した。
瞬間だった。
「うあっ!?」
どこからともなくファンファーレが鳴り、ピョコンピョコン、と小さなウインドウがさらに二つ、目の前に開いた。
ふ……二つ?
マジ?
「せ……先輩」
笑っているような驚いているような中途半端な表情で、チェリーが俺を見た。
「レベル……いくつ上がりました?」
俺は答える。
「……二つ」
「私も二つ上がりました」
冗談だろ?
今まで1週間に一つ上がればいい方なんていうふざけたレベリング効率だったのに、一気に二つ?
「えー、アップデート記念としてー」
六衣がにやにや笑いながら言った。
「《呪竜》の経験値に2倍のボーナスがつくキャンペーンを行っておりまーす! 期間限定でーす!」
大狐の妖怪にして電子人類、そして恋狐亭の女将である六衣は、愛想のいい笑顔で告げる。
「狩りの際は、ぜひ恋狐亭へご宿泊くださいね?」
こうして祭りが始まった。
・修正履歴(2017/07/09)
「バーチャロイド」と誤記していた箇所を「デジタロイド」に修正




