1-4 Distinction
扉の修繕も終わり、一息吐いて当てがわれた部屋へ戻る。
客も一人また一人と宿へ帰っていき、或いはそれぞれの部屋へ戻っていた。
隣の部屋からは賭け札で勝っただの負けただの盛り上がっている。
俺はベッドに寝転がり、天井を見ていた。
言い出したはいいが、人狼とバルサミの件をどう片付けようか。
控えめに扉を叩く音が響いた。
上体を起こし、ベッドに腰かける。
「どうぞー」
「あの、夜分失礼します」
「夜に兎ちゃんが狼の部屋に飛び込んじゃっていいのかな?」
軽口に反応はない。扉を開け放ったまま給仕娘が立っている。
営業時間も終えて、給仕の時に身に着けていた制服の代わりに地味な普段着姿だった。
少女は考え込んでいるように瞼を伏せている。
唇が動き、何かを吐き出そうとして思い止まる。
一歩ずつ部屋へ向かうも、足取りは重く体は小刻みに震えていた。
俺は出かけた欠伸を噛み殺して、小さく息を吐く。
「とりあえず、取って食ったりしないので中へどうぞ」
「で、ではお言葉に甘えて……」
「いやぁ、立ちっ放しで女の子連れ込むのもマズいかな、ってね」
ようやく顔をあげた少女と一瞬だけ目があったが、すぐに逸らされてしまった。
やはり反応はない。
ない、というよりどう返していいか迷っているのだろう。
たどたどしい足取りで部屋を進む。
俺は手で空いている椅子を示す。
頭を下げて少女が椅子に座るも、俯いたまま視線を合わせようともしない。
お互いに会話がない。
多分、俺から会話を引き出してはいけないと思う。
刻一刻と時間だけが過ぎ、俺と少女の間に沈黙が降り積もっていく。
強引にでも道をこじ開けた方がいいか、と思い始めた頃、意を決したように少女が顔をあげた。
「あのっ! 先程は、有難う御座いましたっ」
「改めて言われなくても、当たり前のことをしただけだし」
「いえ、でも……本当に、有難う御座います」
「いいって」
何度も何度も少女が頭を下げる。
俺は手を振ってよそよそしさを払う。
礼を言うためだけに来たわけでもない。
肌を刺す感覚が物語っていた。
僅かながら少女の肉体から波長を感じる。
人間の魔力波長に似て、非なるもの。
改めて明るい茶色の髪を揺らし、視線をあげる。
初めて真っ直ぐ俺を見た。
「あの……勇者さまは、本当に人狼ではない、のですか」
「あの場で証明できたと思うけれど、君も疑っているのかい?」
「いえ。あっ、申し遅れました。私、サフィラ=ベアオウルと言います」
「サフィラちゃんね。後、勇者なんて呼ばなくていいよ。名前でいい」
「す、すみません。では、アーレインさん」
「堅苦しいなぁ。呼び捨てでもいいんだけど」
「で、ですが……あくまでお客様ですし」
「まあ〝勇者〟って呼ばれなきゃ何でもいいけどさ」
あたふたとするサフィラの反応に苦笑いを浮かべておく。
その点、マルタ婆は空気というか状況をよく察していたと言える。
サフィラが興味を視線に乗せて口を開く。
「いくつか、質問させてもらってもいいですか」
「許可取らなくてもご自由に。答えるかは確約できないけど」
「その、ご気分を悪くされたらすみません。
どうして、アーレインさんは勇者と呼ばれることを嫌うのですか?」
「いきなり難しい質問だね」
「ご、ごめんなさい」
サフィラが身を縮めて頭を下げる。
反応がいちいち大げさだ。
内側に秘めた感情がそうさせているのだろう、とは思う。
話したがらないのであれば、話してくれるまで待つしかないか。
「村の人の反応を見れば分かると思うけどね。勇者って忌み言葉でしょ。
誰でも聞けば一番に〈魔王化〉した勇者ラニを思い出す。
一度は人間の希望として輝きながら、魔獣を率いた人類の敵を、ね」
「そんなことはありません! ラニ様は意志を貫き通しただけですっ」
「いや、忌み嫌って当然だよ。魔獣は人の敵だからね」
「魔獣だって、誰しも争うことを望んでいるわけじゃ、ないんです」
「誰しも、か。サフィラも〝魔獣に心がある〟派なのかい?」
「そ、それは……その……」
続ける言葉を失い、サフィラが押し黙る。
実は勇者ラニが仲間と共に魔獣と戦い始めた時点から声はあった。
魔獣は人の言語を解する新種である。
故に争いでなく話し合いによる和解も可能であるはずだ。
無為な血を流さず平和的な解決を目指そう。
人と人ですら争いを止められないというのに、非戦派の声はあった。
もっとも、魔獣による襲撃で人的被害が増えてからは自然消滅していったが。
心があろうがなかろうが、戦線に立つ者にとっては変わらない。
戦わなければ魔獣に自由にさせてしまう。
魔獣は人を襲い、資源を奪う。
野放しにすれば被害が広がり、大切なものまで壊されかねない。
限りあるものを取り合うのであれば種族の違いなど関係なく争うしかない。
平和的な解決は互いがその意志を持たねばならないのだから。
「勇者ラニが忌み嫌われる一番の理由は人間の味方から、敵へ回ったからだ。
いつの時代も裏切り者は許されない。多分、魔物でも変わらないだろうね」
「それでも、考え方が真逆になる時には〝何か〟があったのではないでしょうか」
「〝何か〟あっても人は目の前の変化しか見れないと思うよ。
〈聖誓印〉によって脅威的な不死性を持つ
ラニ=ギロスは強すぎたが故に人々の憧れであり、畏怖も集めていた」
「生物として、恐れは仕方ないことです。
誰だって自分より大きなものは怖い、ですよ」
「だろうね。俺は〝畏れられる側〟だから。面倒なことに、ね」
「強すぎるから、ですか」
俺は首を振って否定する。
サフィラの金の瞳が真っ直ぐ俺を見つめていた。
真円の金色が揺らいで琥珀が浮かぶ。
まるで俺の瞳を映しているように。
「魔王となったラニは、人の意志によってかつての仲間によって討たれた。
死ぬ間際に世界に〈剣戯〉をばら撒いた。
今代では〈剣戯〉に魅せられた者たちが己の欲望を爆発させて
〈魔王化〉し新たな人類の敵として魔獣側に立つ。
故に〝勇者〟というだけで畏怖の対象になる」
「……でも、アーレインさんは〈剣戯〉どころか
刀剣の類は何一つ持っていないのでは?」
「希望が絶望へと変わった時の衝撃が、人々の魂に刻まれているんだよ」
「消えることは……癒えることは、ないのですか」
「厳しいだろうね。
現にこの村は俺を恐れたし、人狼だと決めつけて処刑しようとさえした」
ともすれば、バルサミを招いたのも織り込み済みだったのかもしれない。
仮に俺が人狼であれば捕縛して売り飛ばす。
そうでなくても〝もう一人〟を捕らえる。
サフィラはいまだに震えていた。
気丈に振る舞い、意志を込めた瞳が痛々しい。
琥珀色の瞳が縋るように俺を見ていた。
「サフィラ、眼が出ちゃってるよ」
「あ、あれっ……えっ、いや、そうではなく、て、その」
「大丈夫。怖がらなくてもいい。俺は〝違う〟から」
「で、でもっ……あの、その、いえ、ではなく、でも、だって」
「俺は勇者なんかじゃない。依頼は受けたが殺せとは言われてないからね」
サフィラが激しく頭を左右に振り、手を振る。
まとわりつくものを振り払うように暴れる。
絡みつくものから逃れたいと否定を繰り返し、場をとりなす言葉を探す。
見つからず、それでも会話を繋げようとした結果、支離滅裂な言葉を発する。
サフィラは分かりやすいくらいに動揺していた。
感情の昂りによって地が出る魔獣の習性が色濃く残っているようだ。
余り言いたくはない。
それでも形に出さねばならないだろう。
「サフィラ。君が、ウェインの手から逃れた人狼、なんだね」
「………………はい」
「大方ウェインにも言われたんだろう。僕は何も見なかった、ってね」
「…………その通りです。でも、どうして」
「聞いてたでしょ? あのアホとは残念ながら知り合いでね」
他の人狼は討伐したのだろうが、大方サフィラは女だから逃がしたのだろう。
サフィラが顔を両手で覆う。惨劇を思い返してしまったのだろう。
「すまない。辛いことを思い出させた、ね」
「ああ、お父さん。お兄ちゃん。
どうして、何も悪いことなんて、していないのに」
「もし、人を食っていたのなら」
「だって、人間も同じように牛や豚を食べているのに!
私たちもただ生きるために――」
叫んだ後、我を取り戻してサフィラが目を見開く。
琥珀色の瞳が揺れ、荒波の海が穏やかさを取り戻すように金色に変わる。
「彼らは喰らい、サフィラは拒絶した。それも一つの要素ではあるんだろうな」
「…………私は、ヒトです。人狼かもしれないけれど、ヒトなんです」
「ヒトに変異し、ヒトの住処に潜みヒトを喰うのが人狼。だから忌み嫌われる」
「…………血の宿命に抗っている者も、いるんです」
「それでも多くの人は安全だ、無害だとは思ってくれないよ。残念ながら、ね」
サフィラは確かに人狼であり、魔獣だ。
だが、殲滅から逃れ今ここで過ごしているのはヒトでありたいと願い、懸命に努力しているからだろう。
勇者という存在も、忌み嫌われ〈魔王化〉の危険性を孕みながらも力なき人々にとっての切り札として活躍している。
存在を忌避されている、という点では同じだ。
サフィラが俺を見つめる。
人狼の貌を出す前の、無垢な少女の瞳で懇願を示す。
「……アーレインさんも、私たちを否定するのですか」
「いいや? いいんじゃないかな。人を食わないなら、それで」
「嘘ですよね。即答でした。受け入れるのも早すぎです」
「と、言われてもね。知ってたらとうに教えちゃってるよ」
「同情、ですか」
「まさか。単純に討伐する理由がない。ウェインの馬鹿と違って、
隠れて人を喰っているっていうなら倒さなきゃならなくなるけど」
「私は……」
首を振る。否定しているつもりなのだろう。
答えを聞かなくとも分かっていた。
サフィラに人は殺せない。
ヒトになりたい願望は本物なのだ。
人狼という存在は恐ろしい。
だが、人の団結した意志もおぞましい。
俺から見れば、どちらも等しく脅威だ。
だからこそ、真摯な想いは汲み取ってやりたい。
余り考えたくはないが、ウェインも同様の考えだったのかもしれない。
手を延ばそうとして、やめた。サフィラの表情が強張る。
咄嗟に俺の唇が言い訳を紡ぎ出す。
「ち、違うんだ。サフィラを怖がったんじゃなく俺は……」
「あの時の感覚って、もしかして」
「だ、だからダメだって!」
サフィラが身を乗り出して手を取ろうとする。
ヒトと魔獣との友好の第一歩。
だが、それが〝女性〟なのはマズい。
ベッドの上で後ずさりする。
背後にはすぐ壁。サフィラが小首を傾げる。
「どうして、ですか。やっぱり人狼なんて、気持ち悪い、からですか」
「違う! 断じて違う、けど」
「だったら手を取り合えるはずですよね? 同じ世界に生きる者として!」
壁にぶち当たる。
ベッドに上がったサフィラがにじり寄る。
恐らく、初めて好意的に見てくれた人への純粋な興味、だと思う。
本人は男に対して自ら迫っている痴女的行為に気が付いていない。
俺の手とサフィラの手が触れ合う直前、激しく扉が叩かれた。
「おいコラ腐れ勇者! てめぇも閉じこもってないで混ざれよ!」
「もう寝てんのか? 夜はこれからだぞ」
「そんなこと言ってたかるのが目的なんだろ?」
「うるせー! 勝たないとぐっすり寝れないべ」
驚いて飛び退いたサフィラが体のバランスを崩す。
反射的に俺の手はサフィラを引き止め支えるために延ばされ……全身に〈聖誓印〉による呪いの激痛が走り抜けた。