1-9 Imitation
人間の背丈よりも高い草が両脇に生い茂る街道を進む。
鎖と鎖がこすれあう音が響く。ウェインの手によって鎖が引かれた。
意思に反した横方向の力に引きずられてバランスを崩す。
自らを縛る足枷に引っかかり、地面へと倒れていく。
酒場の店主から手渡された包みを落とさぬよう、手に持ち腹で地面を滑る。
先程まで聞こえていた村人たちの嘲笑は聞こえてこない。
包みが無事なことを確認し、一旦地面へと置いて体を起こしていく。衣服の至る所が汚れていて、紅く濡れた箇所に土が付着し新たな色を足していた。
出血が止まらぬほどの深手を負ったわけではない。
〝多相〟勇者ウェインに敗北し、人狼少女サフィラを守れなかった俺は魔獣に与する反逆者として村人たちから侮蔑やら罵倒やらを浴びせられ、石や腐った野菜や卵など様々なものを投げつけられていた。
体中にある汚れは卵やら野菜が潰れた汁によるものだ。
俺を打ち倒したウェインは、手を貸すわけでもなく沈黙を保っている。
俺も悪態を吐くことなく、無言でゆるりと立ち上がって土埃を払う。
屈んで包みを拾い、両手で抱え込むようにして再び歩き出す。
俺を待っていたウェインも足を動かし、すぐに追い抜いて前を進んでいく。
周囲に人間の姿はない。
だが、どこからか監視されているような粘つく視線の気持ち悪さがあった。
ウェインが左右を見たり、立ち止まって後ろを振り返ったりと周囲を警戒する。
鎖に引かれないよう、都度俺も立ち止まって何物かいないか確認していく。
去り際に村人が口にしていたことが真実であれば、この街道を進むと鬼たちが縄張りとする野城へと繋がっているらしい。普段交易には別のルートを用いるようで、火急の用件があれば傭兵を雇っての行軍となる、とのことだった。
ならば、とウェインは処分に丁度よいと進路をとった次第である。
マルタ婆も村人も一応心配する素振りはしていたが、強く引き止めることはなかった。内心では人狼の排除と胡散臭い偽勇者に〈魔王化〉しかねない美の化け物ウェインをまとめて処理できたと安心しているのだろう。〝勇者〟を道具扱いしている者からすれば間違いではなく、最良の選択肢であるといえる。
俺が持っている包みは次なる戦いに備えて力をつけねばならない、とタダでくれた店主の特製弁当だった。
重量からして三人分はあるように思えるが、有難く受け取っておいた。
バルサミだけが、やや不満そうな表情だったが俺もウェインも気付かないふりをして村を去っていたのだった。
ウェインが周囲を警戒しつつ進む。俺はその歩いていった後をなぞるように一歩ずつ踏み出す。村を出てしばらく立つが、どうにも視線の気配は消えない。
ひとまず、これ以上誰かを巻き込むことはないだろう。
ウェインが腰に佩いた鞘が動いた。歩く振動ではなく、剣そのものに意志があるかのように、鞘から抜け出て地面へと転がっていく。
転がり落ちた魔剣ミラーオブユアセルフが陸にあげられた魚のように跳ねる。
少しずつ形を変えていき、鍔の部分が伸びていくと同時に太くなっていく。刀身の方も三つに分かれ、うち二つは左右へと伸びて同じように太くなり、さらに先端が五つに分かれた。
鍔から変化した方が地につき、土を踏みしめ足となる。五つに分かれたのは指であり、腕へと続く。最後の一つが頭部を形作り、整った鼻筋と女性のような艶かしい唇を世界に魅せつける。
金髪が頭皮を覆っていき、澄み渡る青空を宿した瞳が元通りになっていく自らを眺めて恍惚し潤む。
ウェインの前に全く同一の容姿を持つ裸の男が現れた。
俺を縛る鎖から手を離したウェインが裸の男を前にして両手で視界を隠すように顔を覆う。
「えっと……あの、そのっ」
「おっと、失礼。レディの前で私のモノを魅せつけるわけにもいかないね」
「いえ。そうでは、なくて、ですね。
決して凝視していたわけじゃないんですよ?」
「うんうん。いいね。レディの照れ隠しは
いつだって私に甘美な響きを与えてくれる」
両手で顔を覆ったウェインは女のように悲鳴に近い抗議の声をあげていた。
対する裸のウェインは裸のまま、男性のシンボルを屹立させて両手を腰に当てて威張る。
無事を誇ってはいるが、腹部は真新しい包帯が巻かれて血が滲んでいた。
俺は呆れと共に大きく溜息を吐く。
「いい加減服も作れよ、変態勇者」
「む。てっきりサフィラちゃんが私の美を観賞したいとばかり」
「お前が見せつけたいだけだろうが。
だから〝勇者はおかしい〟って風潮になるんだよ」
「失敬な。命の恩人に対して……アーレインも人のことは言えないだろうに」
相も変わらず俺と〝本物の〟ウェインは悪態を吐き合う。
鞘を適当に放り捨てたのはウェインではなく、男装したサフィラだった。
二人の勇者のやり取りを見て苦笑している。
「本当にお二人は仲がいいんですね」
「おい、どう見たら仲がいいように見えるんだよ」
「サフィラちゃん。あくまで取引だったのだ。
とはいえ、今回も報酬は期待できないがね……」
「てめぇの美意識が狂ってるんだっての!認識の乖離をいい加減理解しろよ!」
「逆だよアーレイン。愚民ともが高尚な美意識を持たないから理解されぬのだ」
「知ってるか。それアホの論理だぞ。はみ出しもんが語るなよ」
「君も十分異常だよ。何せ、人間の敵対者である
人狼を救うため、私に一芝居打たせたのだからね」
「…………苦肉の策って奴だよ」
舌打ちする。ウェインは爽やかな笑顔を浮かべてやがる。
種を明かせば、魔剣ミラーオブユアセルフというのは嘘だ。
実際は自在形状変化の力を持つ魔法剣らしい。
魔法剣は俺の〈聖誓印〉の呪いによって爆砕された。
武器を失ったウェインは〝多相〟勇者としての能力を発揮して腕を人狼のものへ変化させた。一方でサフィラが血路を切り開くために人狼の姿へ戻り、激突した。
が、この時点でウェインとサフィラは入れ替わっていたのだった。
実際にはサフィラがウェインの姿となり、部分変化で腕を人狼化した。
そしてウェインが全身を人狼へと変貌させ、切り結んだのだ。
入れ替わって戦った結果、ウェインはサフィラに腹を貫かれ敗北を演じた。
突風に乗じてウェインが再び変異能力を使って破砕された自身の剣となり、サフィラの手で回収。人狼として本性を露にしたサフィラの死が偽装され、バルサミやマルタ婆を含む村人にはウェインが俺に勝利し、約定通りに村を救ったように見えた……ということだ。
「苦肉の策、ね。私の変異能力を計算に入れての緻密な作戦だっただろうに」
「一応、美の化け物だろうが〝仕事〟はしてくれるって信用してたさ」
「全く。リキッドブレイドはそれなりにしたんだ。いくら私が殺した相手、
もしくは壊したものにしか変異できないと知っていても――」
「ウェイン」
「おおっと、すまない。サフィラちゃん、忘れてくれ」
俺の真面目な声に、ウェインもおどけた表情から珍しく真顔になって謝罪した。
ウェインの変異能力は本人が語ったように、死と破壊に関わったものにしか成れない。即ち、人狼に変異したということは近隣の街で人狼を葬ったのは事実だという証左だ。
サフィラを見る。男装の少女は自らの姿を見ていた。
表情に悲哀の色はない。かつて言っていたように、同族とはいえ人を害したものなど気にかけないというのか。
顔をあげた拍子にサフィラの目尻から一粒の雫が流れ、重力に引かれて落ちていった。感情を置き去っていたわけではないようだ。
「分かってたんです。あれが父を模した姿だって。
だからこそ、全力で叩き込むことができました」
「ほら、しっかりと私の意を汲んでくれた! 人狼は素晴らしいよ」
「私を……殺さないのですか」
サフィラが問う。流石にウェインは変異能力で服も表現していた。
感触を確かめつつも、変わらぬ柔らかな笑みを見せる。
「サフィラちゃん。私はアーレインの目と反応で作戦を読み取った。その気がなければ、そもそも手は貸さなかったし、村人の願望通りにまとめて葬っていたよ」
「では……どうして、助けてくれたのですか」
「魔獣の身でありながらヒトに成りたい。そんな美しい願いを摘むのは勿体無い。そう思えたからこそ、君に決別してもらいたくて背中を押したつもりだよ」
笑顔のまま告げたウェインの言葉を受けて、サフィラが嗚咽を漏らさぬよう両手で口を塞ぐ。それでも漏れ出る声を俺もウェインも聞き流しておいた。
ウェインは勇者であるが、勇者であるが故に〈魔王化〉などしない。
巷での噂などに囚われない、揺るがぬ意志を持って行動し美しく気高い意志に惹かれる。独特の価値観で動く面倒な人間だが、俺自身も他人からすれば面倒な人間なのだろう。
ウェインが小さく咳払いをする。
「アーレインの不徳は、ひとまずサフィラちゃんと出会えたことで帳消しにしよう。それで、次なる美を求めに情報を頂きたいものだが、どうなんだい?」
「…………東方の小さな島国は〝ヤマトナデシコ〟が多いらしい」
「ヤマトシコシコ? アーレインがそんな卑猥なことを言うなんて!」
「大丈夫、お前の脳が膿んでるだけだ。ついでに、かなりの使い手が多い」
「そういえば君のパートナーも東方出身だったね」
「……ああ。今はどこをふらついているか分からないけどな」
「君の旅はまるで雲を掴むような話だね」
「それでも捕まえてやるさ。俺の武器はあいつにしか造れない」
「ふむ。かの島国は内々で闘争を繰り広げてきた。良き魂に出会えるだろうな」
「せいぜい叩きのめされないようにな」
首をすくめるウェインに俺は鼻で笑ってやる。涙目だったサフィラはそんな二人のやり取りを見て、可憐な笑顔を取り戻していた。
サフィラの笑顔を確かめてウェインが気障っぽく歯を見せる。
「さて、サフィラちゃんの笑顔に見送られて旅立つとしようかな」
「ああ。〝後のこと〟はこっちで処理しておく」
「彼女の行く末も含めて、かな。何か分かったら知らせてあげよう」
「余り期待はしてないけどな」
「言ってくれる、なっ!」
語気を強めて言い放つと同時にウェインが肉体を変異させていく。
大気を背負うように胸を張ると、背中から幾数枚もの翼が出現した。背部に現れた超重量に耐えられず、前のめりに倒れかけるも大地を両手で踏みしめる。
土を沈ませたのは黒き輝きを宿す鱗をまとう竜の前脚だった。
続いて体を起こす後脚も同じように漆黒の鱗に覆われている。
無数の翼を振るって大気を揺るがす。天へ向かって竜の咆哮が響き渡った。
土煙を巻き上げ、周囲の樹木を薙ぎ払って巨体が空へ飛翔していく。
黒竜へと変異したウェインは上空をぐるりと一回転し、一つ咆哮した後に蒼穹の彼方へと飛び立っていった。