1-7 Genesis
高く昇った太陽が燦然と輝いて光を降り注いでくる。
倉庫の周囲では男たちが剣や槍に斧で武装していた。
男らの包囲網の後ろで老母が孫たちを背に隠しながら遠巻きに事態を見守っている。手前にいた男が俺にもサフィラにも縛ったはずの鎖がないことに気付き、目を見開く。
「おい、こいつら拘束を破ってやがるぞ」
「馬鹿言うな。銀の鎖で縛ったのに解けるはずが……」
「見てくれよ、腐れ勇者のツラ!」
俺は薄ら笑いを浮かべつつ、両手をひらひらと振ってみせる。
驚愕と畏怖が並ぶ。俺の隣に立つサフィラは申し訳なさそうに俯いていた。
一歩前に出て背で隠す。銀製の武具が飛んでこないとも限らない。
怯えた様子を見せる男たちの垣根を分けてバルサミが歩み出てきた。
「腐っても勇者というところか。
拘束を無理矢理千切る人間の辞めっぷりには驚かされる」
「その人間を辞めた奴に応援頼むのって恥ずかしくないもんなのか」
「口の減らん奴め……。勇者殿、こいつですっ!」
バルサミが周囲の男たちに指示を出す。
包囲網の一端が開き、道ができる。
ゆっくりとした足取りで一人の男が歩いてきた。
傍にはマルタ婆が付き添う。
陽光が男を照らし、女のように長い金髪が輝いて一層の美を強調する。
暗い青の瞳は前だけを見据え、穏やかな海のように皆を包む包容力を宿す。
整った鼻梁、唇には微笑みを乗せている。
若い女の姿はないので黄色い声は聞こえてこない。
俺は笑みを維持する。が、恐らく歩み寄る男には見破られているだろう。
「おやおや、絶世の美女がいると飛んできてみれば見知った男がいるね」
「その気持ち悪い笑みをやめろ。白々しい台詞もな」
「君こそ似合わない笑顔をやめなよ。
微笑みは美女と私のような美神に相応しい」
「美人って男には使わない表現なんだよ。いつのまに性転換しやがったんだ」
「間違えないでもらいたいものだ。美〝神〟だよ。ビューティフル・ゴッドだ」
頭が痛くなってきた。
聴覚を通して伝わる電波で神経が乱され吐き気を催す。
サフィラにこんな怪電波を正面から浴びせるわけにはいかない。
目を丸くしたマルタ婆が俺と美神とかいうイタい男とを交互に見る。
「よもや、アーレイン殿と勇者様は既知の仲では……」
「仲も何も見たまんまの関係性だけどな」
「マルタ老、依頼は果たしますよ。報酬の前払いも頂いたことですし」
暗青色の瞳が俺、ではなく背に隠したサフィラへと向けられる。
服越しに女の手が俺の体に触れる。
軽い痺れを感じるが、耐えよう。耐えた。
男の瞳は穏やかさを保ちながらも嵐の前にうねる波の変化を見せる。
事前情報と現実の情報との差異を見極めようとしているのだろう。
「マルタ老、標的はそこの男と隠れている女、どちらですかね」
「……力及ばず、ワシには見分けられぬのですじゃ。勇者様の手で、どうか」
「見極めろ、と。つまり、どちらも排除すれば問題ないのですね?」
「どうか村を救ってくだされ。報酬は、できる限りのことは……」
「ひとまず了承した、と言っておきましょう。さて、久しいねアーレイン」
「できれば俺はお前なんかと再会したくなかったけどな……〝多相〟のウェイン」
互いの名を呼び合い、俺とウェイン=オルランジュが対峙する。
甲冑を着込んだウェインが左手の甲を見せた。翼を持つ剣、勇者の証が輝く。
見えないが俺の首筋にある印も同じように淡い輝きを見せているのだろう。
戦闘の気配を感じ取ってマルタ婆が周囲を囲む男たちに入り混じる。
バルサミも武装した男たちを盾にして、遠巻きに観戦者を気取りだす。
ウェインの歩いてきた道も塞がれ、緩やかな包囲網が完成していた。
集団での乱戦は行わず、あくまで一対一の構図を維持するようだ。
ここまでは、とりあえず予想通りの展開になっている。
「サフィラ、下がっていてくれ」
「は、はい。その、アーレインさん……」
「大丈夫。最初に言った通りに、ね」
小声で背中越しに再確認し、会話を打ち切った。
ウェインが目を細める。
「人狼の子はサフィラちゃん、って言うのかい。可愛い名前だね」
「これから殺す相手の名前知ってどうするんだ?」
「名も知らず手をかけるのは失礼に当たるよ。
せめて殺す者が記憶に留めないと、ね」
「お前なりの礼儀、ってところか。で、本気でやり合うつもりなのか?」
「私としては大人しく人狼さんが正体現して
首を差し出してくれれば楽なんだけどねぇ」
「……殺り合う以外に選択肢はない、ってことだな」
「アーレインが大人しくサフィラちゃんを
引き渡してくれれば、すぐ終わるんだけどね」
笑顔で処刑宣告をしたウェインが腰に佩いた剣を抜き放つ。
曝け出された刀身は青く透き通り、陽光を吸い込んで輝いている。
見たことのない得物だった。対峙する俺に武器はない。
「観戦モードに入っちゃってる皆さーん。彼に武器を提供してくださいな」
「お言葉ですが勇者様。その男は剣を爆砕する奇妙な力を持っていまして」
「なら鍬とか棒とかでもいいよ。いくらなんでも素手相手じゃあねぇ」
「騎士道でも気取ってやがるのか。勇者ってやつはどいつもこいつも……」
ざわつく包囲網の中から男の文句が漏れ出していた。
外周から棒が投げ入れられる。文字通り、杖に用いていただろう枝を取り払って手のひらに当たる部分を丸く滑らかにした棒だった。
ウェインの笑みに獰猛さが混じる。
「武器もない男を倒すことなんて誰にでもできる。
それに、新しく手に入れたこの魔剣ミラーオブユアセルフの
試し切りにはアーレインほどの猛者が丁度いいのでね……」
「魔剣、だと……ウェイン、てめぇ〈剣戯〉を手にしたのかっ!」
「安心しなよ。〈剣戯〉に支配されて〈魔王化〉なんてしないさ」
「馬鹿が。魔王になる奴は決まってそう言うんだよ……」
俺は小さく落胆の溜息を吐いて、何の変哲もない棒を構える。
まるで剣を扱うように地面に着くべき面を天へ向けて握り込む。
「ウェイン。魔王なんぞになる前に倒させてもらうぞ」
「こちらの台詞だよ。
人狼を守るなんて聖人ヒースクリフが聞いたらなんというか」
「あれは元気いっぱいに余生を謳歌してるよ。
餓鬼の世話で俗世なんざ気にならないだろ」
「ご壮健であれば何より。君が連絡をしないなら私が代わりに伝えよう。
アーレイン=ヒスクリフは地上最強かつ最美。世界が羨む美の神。
〝多相〟の勇者ウェイン=オルランジュによって討たれたとねっ!」
煌めく魔剣を手にしたウェインが上段から斬り下ろす。
俺は下から正直に受け止める。
通常であれば棒っきれで刀剣の進撃を阻めるはずがない。
見守る者たちは誰もがそう思っただろう。
だが、現実は刃と棒が拮抗し俺の膂力が勝って切り返していた。
勢いを殺さず右上段から一閃、さらに左上段からと乱撃をぶつけていく。
一つ一つをウェインが弾いて打撃を与えさせない。
棒は短くなることもなく、形を保ったまま俺の手の中に残っている。
「何度見ても不思議だね。正真正銘、それはただの棒のはずなのに」
「もっといい得物があれば一気に片付けられるんだけどな」
「ふっ……自信家なのも変わらず、か。
だがカタナちゃんには逃げられたようだな」
「カナタだ。刀鍛冶でカタナってどんだけ安直なんだよっ!」
「申し訳ない。どうにも東方の名は難しくて、ね」
「それに逃げられたんじゃなく、あいつが自由奔放すぎんだよ!」
吐き捨てつつ、乱打を放つ。が、全て見切られて防がれた。
ウェインの振るう魔剣が揺らぐ。視覚的な変化ではなく、文字通り刀身が変化して鋭い穂先を持つ槍へと変わった。
「突きっていうのは、こうやって放つのだよっ!」
「ぐっ……く、そっ」
「そらっ、そらそらそらそらそらぁっ!」
俺が放ったのと同じ軌道でウェインが乱れ撃ってきた。一撃一撃が重い。受け止め、打ち払い捌くが幾つかを取りこぼして腕や頬を掠めていく。
包囲網を形成する男たちから感嘆の声が漏れる。
「流石、勇者というだけあって見事な腕だ」
「あの人狼野郎が受けるだけで精いっぱいだぜ」
「でもよぉ、魔剣だとか〈剣戯〉だとか言ってなかったか」
「〈剣戯〉って〈魔王化〉の引き金になるんじゃ……」
「待て待て、だったら危ないんじゃないか?」
周囲の動揺など気にも留めず二人の勇者がぶつかり合う。
乱打を放つウェインの動きにも少しずつ追いつけるようになってきた。
受けた傷は熱を持つが、すぐに再生治療され元通りになる。
乱れ撃ちが放たれると同時に空いた脇へと回り込む。
一瞬だが、正面への突きを放った後に硬直が生まれる。
間隙を縫って脇腹へ棒を叩き込めば大打撃を与えられる。
構えて撃ち込む直前、悪寒が走った。棒を捨てて後方へ大きく跳躍。
「いい反応です。うん、実に素晴らしい」
「……厄介だな。変化するのはお前だけじゃないのか」
「むしろ私の力を増幅させているのですよ」
捨てられた棒に閃光が走り、切断されて地に転がる。
先程まで槍の形状だった魔剣は巨大な鎌へと変化していた。
恐るべきは魔剣そのものの性質ではなく、自在に変化する武具を余さず使いこなすウェイン自身の戦闘センスだ。勇者の血統は侮れない。
ウェインは戦闘にそぐわない、清々しい笑顔を浮かべる。
「また得物がなくなってしまったね」
「お前が駄目にしたんだろうが」
「そうだったそうだった。いやはや、でも君が人狼を庇うなんて、ね」
「……決めつけているだけだ。ここに人狼はいない」
「サフィラちゃんは確かに綺麗だ。でもね、アーレイン。魔獣は敵なんだ」
「敵にしたがってるのも、勇者が必要だという大義名分を立てるためだろ」
「ふっ……私からすれば〝勇者〟という肩書も
詰まるところ美を司る一要素に過ぎないけれどね」
「ハッ、流石好き勝手に特権を利用してる奴は言うことが違うなぁ」
「お堅いねぇ。使えるものは何でも使うよ。美しく気高くあるためなら、ね」
ウェインは美の怪物だ。
自身の目指すもののため、全てを飲み込んでいく。
〈剣戯〉すら〈魔王化〉を恐れず自らの糧とするつもりなのだ。
美を起源とするウェインの生き方は欲望に正直すぎるが故にぶれない。
「君はどうなんだい? 何故、そこまでして守ろうとする」
「俺は……一方的に決めつけるやり口が、気に食わないだけだ」
「ふぅん。特権も使わず、勇者と呼ばれることすら拒絶する君が、ね」
「呼びたい奴は勝手に呼べばいい。決めつける奴も好きにしろ。
俺は俺だし、それ以外の何物でもない。
同じように、魔獣たちもそれぞれの意志があるはずなんだ」
「……アーレイン、君は魔王ラニと同じ道を歩もうというのかい」
「違う」
短く否定する。俺の起源はそこにはない。
〝それ〟はきっかけに過ぎない。
勇者の子孫というレッテルは始まりに過ぎない。
勇者ラニは〈魔王化〉し、世界に災いをばら撒いた。
結果的に〈剣戯〉に感化されて魔王となる者が続いている。
俺も〈聖誓印〉によって動かされている、という節はある。
だが、アーレイン=ヒスクリフが一方的な断定を、人間=正義であり魔獣=悪だという方程式を否定する理由はただ一つ。
俺の手は勢いよくサフィラを示す。
「こんな、綺麗な子を魔獣ってだけで殺していいわけがないだろうがっ!」
俺の唇はウェインに対抗するように欲望に忠実すぎる言葉を吐いた。