再会
午後三時を少し回っていた。
県警本部係長の川島は、新浦安駅のホームに降り立つ。
管理官の指示の通り、被害者女性の身辺捜査のため日本橋の繊維専門商社『センドウ株式会社』を訪れた帰路であった。
改札口を出たところで同行した刑事達に『寄るところがあるから』と先に捜査本部に戻り報告事項をまとめるように指示をして、新浦安署とは反対側の階段を下りた。
駅からの庇を抜けると、複数路線のバスが乗り入れをする大きなロータリーと、その先に大きなショッピングセンターがある。この街は都心から二十分程の近距離にある。
一般サラリーマンの住むベッドタウンというよりも、一つランクが上の街という雰囲気が漂っている。隣駅にはアジアで最大のテーマパークがあり、国内外からの観光客が多いのもこの街のひとつの魅力となっている。
川島は、その大きなロータリーの入り口にある交番の扉を開けた。
「こんにちは」
扉をガラガラと横に開け、中に入ると一人の若い警官が仕切り越しに座っていた。
「どうしましたか?」
と、やさしく声を掛けられる。その一言で、若い警察官の物腰の柔らかさを感じる。
川島は、身分証を提示し
「若林さんはいらっしゃいますか?」
と尋ねると、若い警察官はハッとした顔で一呼吸をいて
「お疲れ様です。呼んで参ります」
と答え、狭い交番内を小走りに奥にある休憩室に向かった。
程なく、奥の部屋から少し頭の禿げ上がった若林が、上着を着用しないままノロリと出てくる。
若林は、残暑に負けて少々気だるそうな顔であったが川島を確認するや否やクチャクチャの笑顔を浮かべた。
「川ちゃんかい?」
その屈託のない笑顔を見ると、川島も懐かしそうに笑みを浮かべた。
川島と若林は千葉県警同期の入庁である。年齢は若林の方が二つ上ではあったが、
十ヶ月の警察学校生活で馬が合い、以来三十年の付き合いであった。
六年前、若林が僻地交番への勤務を志願してから顔を合わせる機会がなかったが、今春この交番に着任したことを川島は知っていた。いつか顔を出そうと思っていたが、県警本部にいる川島にとって、その気持ちと時間の都合がつかなかったことが再会を遅らせていた。
「元気だったかい?川ちゃんは昔からかわらんなあ。俺なんかほらこの通りだよ」
といって、禿げ上がった頭とせり出した腹部を両手で指差した。
川島は軽く笑って見せたが、自分も人のことは言えないと同じ様に腹部を指差した。
「川ちゃん、時間あるのかい?コーヒーでもどうだい?ほら、ショッピングセンターがあるだろ、あそこの喫茶店意外に美味いんだよ」
「いやすまない、今朝の事件は知ってるかい?あれの捜査会議が新浦安署であるんだよ四時から」
「そうか、そいつは残念だな」
若林は、少し狭いがと言って交番内の椅子に川島を案内し冷えた缶コーヒーを一杯ご馳走してくれた。
積もる話も沢山あったが、いざ面と向かうと中々会話がうまくはいかなかった。
川島は五分ほどで缶コーヒーを飲み終え、事件解決までは新浦安署にいるからと若林に伝え席を立ち交番を去ろうとした。若林も、必ず飲みにいこうと言って交番の入り口まで見送った。案内してくれた若い警官に挨拶をしようとしたと時、警察無線が急を告げた。
『新浦安署からシキュウホウ。新浦安署からシキュウホウ。
現在、新浦安駅改札口付近にて負傷者発見事案入電中。
繰返す、新浦安改札口付近にて負傷者発見事案入電中。
付近、警ら中の警官は至急対応されたし』
若い警官は、警察無線を聞くと直ぐに若林に指示を求めた。若林は交番の不在準備をしてから出るので先に行くようにと指示を出した。無線から考えるとこの交番が最も現場に近かった。
川島は駅の反対側の新浦安署に行く為に、駅構内を通る方が早い。若林に、ついでだからと、その若い警官に途中まで同行すると話し交番を出た。
階段を駆け上がると、そこは通常の駅の様相ではなかった。
あちらこちらで、悲鳴と怒号が聞こえる。悲鳴が合図のように大きな人だかりが、右へ左へと大きく動く。人だかりの中心から、駅員と思われる男性の叫ぶ声が聞こえる。
「危ないですから、離れてください!」
「どなたか、救急車を呼んでください!早く!」
川島たちは、何とか人ごみを掻き分け中心部へと突き進む。
幾重にも重なる人の群れが、川島たちを右へ左へと押し返したが
「警察です!道を空けてください!」
と同行した若い警官が何度も声を荒げ、何とかその中心部に辿り着く。
その中心部は人々の身勝手な嫌悪感か、初老の男性とそれを手助けしようとする駅員と思われる男性の二人がいるだけの大きな空間ができていた。
川島と若い警官は、人ごみを掻き分けたそのままの勢いで二人に駆け寄った。
「大丈夫ですか?どうしましたか?」
若い警官が変わらぬ物腰の柔らかい口調で話しかける。
が、直ぐにその異様な光景に気づく。
既に川島は二人に駆け寄るときに、その異常さに気づき息を呑んでいた。
若い警官に至っては、その状況の詳細が目に入れば入るほど手や唇の震えが止まらない様子だった。
川島は、その状況を察してか若い警官に応援要請と救急車の手配をするように指示を出し、その場から一旦引き離した。
初老の男性は、両腕を胸の前でクロスしながら
「ウグー、ウグー」
と低いうめき声を上げている。
血まみれになりながらも、小さな歩みを決して止めようとしない。
初老の男性が、歩いて来た後には大きな血の道ができている。
川島は、初老の男性の歩みを両腕でしっかりと静止し、その場に座る様に促した。
男性は抵抗しながらも、体格の良い川島の制止を振り切ることはできなかった。
座り込もうとしたその時だった、初老の男性はバランスを崩しクロスしていた腕を解き手を突こうとした。その途端、両腕の先からドクドクと栓を抜いたように、血があふれ出す。
周りを取り囲む野次馬が大きな悲鳴を上げる。
川島は、急いでその両腕を上に持ち上げる。
その初老の男性は、既に意識が朦朧としているようだった。
持ち上げた腕は川島のスーツを血で染め、その勢いは止まらない。
遠くに救急車両のサイレンが聞こえてきた。
「もう少しですよ、しっかりしてください!」
と声を掛け続ける。溢れ出す血の量で、川島の手が滑り出す。たまらず川島は近くにいた駅員を呼び、支えてくれるように依頼をする。
男性の腕を持ち直した川島は視線を両手の先に向ける。
川島は大きく目を見開いた。
大量の血液で、今まで気づかなかった。
男性の両腕には手首から先がすっぽりとなかった。
切断されたように、すっぽりとそこになかった。
救急隊を先導するかのように、若林と若い警官がこちらへ向かってくる。
若い警官は、気を持ち直したようで大きな声をあげている。
「道を空けて下さい!」
と叫びながら掻き分けて来る。
救急隊が到着し、川島は初老の男性を引き渡す。
現時点では、事故か事件なのかは不明であるがほぼ同時に新浦安署の署員も駆けつけた。
川島は、血だらけの手で携帯電話を持つ。部下である内田に電話をいれ新浦安駅で騒動に巻き込まれたと伝え捜査会議に遅れると話した。
電話を切り、とにかく手が洗いたいと思い手洗いを探す。そこに、ヘルメットをかぶった救急隊員が川島の下に駆け寄った。
「あの方の関係者の方ですか?直ぐに病院に運びますがご同行をお願いできませんでしょうか?」
川島は自分が刑事だと話し、無関係であるのでと断ると救急隊員は困ったような顔をした。川島は初老の老人に目を向け
「助かってくれるといいんだが」
と小さい声で語り、手洗いへと向きなおした。
歩き出すと、先程の駆け寄った救急隊員が大きな声を出した
「刑事さん!」
振り向くと、救急隊員がもう一度大きい声を出す。
「刑事さん!来て下さい」
川島の手についた血液は乾きはじめ、突っ張ったような感触になり始めている。
今、一緒には行けないと告げたばかりなのに、あの救急隊員は何を考えているのかと文句を言ってやろうと思い、救急隊員の方に向かった。
ところが、救急隊員は予想だにしない行動をとる。
「刑事さん、男性からこんなものが」
と男性の胸元を指差す。
川島が、胸元に目をやると、男性は首から名札のようなものを下げていた。
男性から溢れ出した血液で判別はしにくいが、そこには真っ赤な血で滲んだ紙の下にこう書かれていた。
『私は千頭一義です
認知症を患っています
ご迷惑をおかけした際には
下記にご連絡をお願い致します
慶明堂大学病院』
その名前を見て、川島は混乱した。
つい一時間前に尋ねたが、不在だった人物の名前だったからだ。
名札を持ち上げると、その下にまだ綺麗な洋服の生地が名札の形に四角く浮き上がっている。下腹部全体は外側からの血液で滲んでいるのだが、良く見るとその部分だけ内側から斑点のように血が滲んでいた。
嫌な予感がした。
川島はその綺麗な衣類部分を裏返すようにそっとめくる。
そこには、鋭利な刃物で刻まれた『5』と言う数字が浮かび上がっていた。
「ちくしょう!」
川島は大きな声で叫んだ、そこにいる救急隊員や騒然とする野次馬たちが静まり返る程の大きな声で。
近くに駆けつけた新浦安署の署員を呼び、事件であることを告げ現場保全を指示した。
そして、川島は乾いた血だらけの手で携帯を手にし、もう一度内田に電話を入れた。